8話 確かめてみる
イデアの抱擁には後悔と安堵の念が含まれており肌伝いにひしひしと感じた。けれど、それよりも大きな人を愛する情熱と女神の幸福感が僕の胸をいっぱいにした。それにイデアから発せられるイリスの香り。
僕を離し、一歩遠ざかると前屈みになり上目遣いで見上げてきた。
「よし、では、この抱擁で今回のことは帳消しということでよろしいですか?」
どうやらお詫びのハグだったようだ。
「ええ、全然構いません。そもそも僕は怒りなど微塵も感じてないので」
額面通りの思いである。だってあまりに唐突すぎたし、展開が早すぎたもん。気付いたら魔界に飛ばされて同化してて、すぐに救出される。何がなんだかだ。
「そう。それならよかった」
僕の顔色を伺っていたが、本心からの言葉だとわかると、すぐにさっぱりとした笑顔を見せた。
「あ、魔力の件ですが、注いだ分は取り除いておきました。また魔界に飛ばされるわけにはいきませんからね」
確かに身体からは強い力は感じなかった。注入された際の高揚感は失われている。
「そうですか。では、僕は魔力なしでかの存在と?」
「魔力がなければ不便ですが、、、まあ、時が来れば、考えることにしましょう。しかし、完全に取り去ることはできませんでした。つまり、異界へ通ずる門があなたの中に存在するのです」
「なるほど。普段は閉ざされているのですか?」
「開門するのは招待があった場合だけと考えてよいかと」
「では、またエーテルの勉強をしてみます。扱えるようになったとはいえ、初級レベルなので」
近くにあった本を手に取り、読み進めようとしたが、イデアが静止した。
「まだまだ時間はあるのです。そう、根気を詰めるとだれてしまいますよ。ところで貴方、生前は誰かを好きになったことありますか」
僕はイデアの顔を見た。真っ直ぐに見つめる穢れのない瞳。
「ありますよ。けれど、いつのまにか恋愛という感情は抜け落ちてしまいました。あまりにも無縁なので」
やはりそうでしたか、というと腕を組みウンウンと頷いた。
「あなたを抱き抱えてたときに感じたのですが幸福に飢えてますね」
「はあ」
「ところで、先ほど"何でもしますのでお許し下さい"と言いましたよね。一度私と世界を歩いてみませんか?」
「何もない世界をですか?」
「ええ、あなたと二人だけの世界を歩いてみたいのです」
僕の手を握る力が一段と強くなった。イデアの鼓動が高鳴るのをそれを伝って感じとる。
「全然構いませんがなぜですか?それにさっきから注文が唐突すぎませんか」
ぱっと私の手を話すと、腰に手をあてぼんやりとした目付きで宙を眺め始めた。
「さっきから、私の胸の高鳴りが止みませんの。あなたを異界に飛ばした罪に対する、あなたの恩赦が私のハートを掴みかけてるようです。果たして、この感情が恋なのかどうかを確認したいのです」
イデアは目を瞑りながら胸を抑えている。高まる鼓動にエーテルが呼応する。
「今も二人きりじゃないですか」
「広大な大地で二人になりたいのです!」
イデアの強い言葉に驚き、そして強制的に現実世界に連れ戻された。