表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/52

7話 魔界

「人間にそのようなことをしてよいのですか?」



僕はパッと後ろに退き距離をとった。イデアはパッと前へ飛んで、顔を近付けてくる。



「私を誰だと?禁忌破りのイデアとは私のことですよ?」



たしかに人間の生理機能を付加させるくらいだものな。



「では、あなたが彼の存在を打ち倒せばいいでしょう」



ところでなんでこんなにも距離を詰めてくるのだ。僕は横にそれた、するとイデアも同じ動きをする。



「またそういうこと言う…私はきっかけを与えるだけですよ」



反対に避けると、同じ方向に近づく。また反対に避けてとしばらくの間、向かい合っての反復横跳びが続いた。



「これはいったい…」



汗が全身からふきだし、息が上がるとその場に倒れ込んだ。全く疲れの色をみせないイデアはぐいっと顔を近づける。



「よく見ると、可愛い顔してますね」



とんでもないことを言い出した。僕はカッと顔が紅くなる。



「そんなことないですよ…」



と言って顔を伏せた。それでもマジマジと見つめてくる。



「いつも前髪で顔が隠れてますが、綺麗な顔立ちです」



汗でグシャグシャになった前髪を急いで元に戻した。

僕は鏡を見るのが嫌いなのに、急にそんなこと言わないで欲しい。ゆっくりと起きあがる。



「それより魔力を授けてくれるのですか?」



話題を戻した。容姿の話は苦手なのだ。



「照れ屋さんですねえ。そうですねー、どうしよっかな」



さっきからなんなんだ。今度は焦らし始めたぞ。



「いえ、駄目なら大丈夫です。しばらくはエーテルを研究してみたいので」



「そんなこと言っていいのですか?せっかく女神であるこのわたくしが直々に魔力を伝授してあげるって言ってあげてるのに」



神が魔の力を授けてくれるのか。なんだか可笑しな話だが、たしかに魔法はロマンだ。子供の頃魔法使いの物語を夢中になって読んでたのを思い出した。だが、エーテルで十分だ。しかし現実世界では扱えない、か。


「でしたら、お願いします」


するとイデアは目を見開きキラキラとさせたと思うと、流し目で僕を見た。



「はーん、教えを請う態度とは思えませんねえ。わたくし、やめよっかなあ。教えるのやめちゃおっかなあ」



なんかイライラする喋り方だな。

ん、まてよ、一人称が私からわたくしに変わってる。これは楽しんでいるのか…?

まさか、僕に対してスイッチが入っ…そんなことない、よな。


仕方がない、乗ってあげるか。

僕は片膝をつくと、祈るように両手を組んだ。



「おお、我が女神イデアよ。あなたの御加護があらんことを」



「そうすればよかったのですよ、最初からね。えい」



イデアは僕の髪をかきあげると額に人差し指を当てる。止めどなく流れてくる強大な魔力。目には星が輝きはじめた。



突然、僕の中に際限のない力がみなぎってきた。今まで感じたことのない高揚感に脳が覚醒し、世界がほとばしる。全身が熱くなり、止めどない魔力が充溢すると見知らぬ景色が広がり、そして前のめりに倒れ込んだ。



「不味いですね。注入量を明らかに間違えてしまったわ」


焦ったような声が遠くで聞こえた。



気づくと純黒の空間にいた。宙に浮かんでいると表現するのが正しいのか漂う存在となっていた。重量、距離、時間といった概念から離れた世界。全体が黒く塗りつぶされていて、僕は肉体から切り離され、五感はこの空間の一部となっていた。

僕は僕を認識できるが僕は他者を、他者は僕を認識できる。それは力強い者に聡明な者、達観した者もいた。様々な意識が混在しており、僕は誰かで誰かは僕。意識の共有。何もなくて何もある。何も見えないが何も見えてる。



"ここはどこなのだろう"



空間全体に言葉が響いた。



"あら、来訪者"

"私は呼んでないわ"

"このこから夥しいほどの魔力を感じる"

"でも色が違うわ。同胞ではなさそうね"



四方八方から発せられた(というより感じることができる)幾つもの言葉は僕にも共鳴した。



"僕は迷いこんでしまったようです"

言葉が意識に流れ込んだ。



"言葉を発した"

"懐かしい感じがする"

"敵意は無さそう"



なんだか沢山の存在に身を囲まれ睨みを利かされる感覚。けど、無害だとわかると彼らは僕を受け入れ始めた。すると優しげな空気へと変化した。イデアといる時とはまた違った安寧さがある。それは陰と陽の違いなだけで対極にある二つはどちらも同じ性質だったのだ。ずっとこうしていたい。そんな穏やかさ。僕は意識が遠退いていった。




真っ黒な空間にヒビが走った。その隙間から純白の光がカーブを描きながらのびてくる。


"神が来た"

"神の立ち入りは断固として許さない"


在る者が気付いた。

"待って、違うわ。女神イデアよ"


"皆さんご機嫌麗しゅう"

イデアの声が反響した。


"久しぶりねイデア"

"イデアか"

"イデアなら大歓迎だ"


空間全体が一瞬身構えた。が、その存在がイデアだとわかるとすぐに和やかになった。



"神の子が迷いこんでしまったようでして。すぐに連れて帰りますわ"


それを聞くと、引き留めるように黒い空間が流動した。



"あの子のことね"

"ゆっくりしていったらいいのに"



しかし、イデアは突っぱねた。



"長居する訳にはいきませんわ。ところでどこにいるのですか"



空間は動きを止めた。



"同化したよ"


それを聞き強い動揺が空間を揺らす。



"それほどの時間は経過していないはずです"


さざ波が広がる。ここの住人たちは互いに見合わせた。



"ほんとよ。そこ見てみなよ"


黒い空間に新しき思念。強い無の選好を感じる存在。たしかにあの子だわ。けど、まだ形成したてで完全には同化はしていない様子。





"皆さん、少しだけ神の知恵をお許しください"


イデアは詠唱した。


"光あれ"


微細な光が次第に明るさを増し、溢れんばかりに輝くと、僕の姿が浮き彫りとなった。



ここは無の地ではないのですよと優しい囁き。



女神の言葉は、僕を僕と認識させた。



"よかった"



安堵の感情が波紋する。そして純白の光に包みこまれた。イデアに優しく抱きかかえられるのを感じ、そっと意識が空間から切り離された。


"またね"

"さよならイデア"



名残惜しそうな純黒の空間はゆっくりと道を開けた。




僕は肉体の感触を取り戻すと、イデアの不安そうな声が聞こえてきた。



「ごめんなさいね。すこし勢いが過ぎましたわ」



手足を動かそうとしたが全身の筋肉が反応しない。横隔膜が収縮しないため呼吸もままならなかった。虫の息。意識が朦朧としてきたと思うと唇に柔らかいものが当たった。


それからけっこうな時間をかけ、やっと瞼が開いた。

見慣れた山積みの本が目に入る。


「しばらくは体が言うことを聞かないと思うわ。少しの時間でも魔界に足を踏み入れると皆そうなってしまいます」


魔界…今の空間は魔界だったのか。


「想定外のことでしたわ」



さっきまでのふざけた調子が嘘のように丁寧な物言いになった。


段々と力が入るようになり、体の感覚が戻ってきて意識が清明になる。そして気がついた。頬に当たる沈みこむようで少し弾力のある感触に。これは…


どうやらイデアはずっと私を抱きかかえていたようだ。



「下ろしてください」



そういうと、イデアは前屈みになりそっと僕をおろした。



「よかった。体が無事に動いて」



イデアは胸を撫で下ろした。よくみると、頬が紅潮している。



「徐々にですが、体に力が入るようになりました。しかし、先ほど経験した空間が魔界なのですか。全く禍々しさは感じなかったです。それにイデアのことを知ってらしたようですが…」



僕は手をついて立ち上がった。足腰は未だおかしな感覚があるがなんとか踏ん張ることはできる。



「魔界は悪ではないので当然です。彼らもまた我々と同じ存在者。種族が異なるだけで同じ幸福を願うのですよ」



「なるほど」



「私は人を好むのと同様、全ての世界を愛してます。その昔、魔界に立ち入る機会があり仲良くなったのです」


「そうでしたか」


「でも、よかった。魔界から帰還して無事な人間は僅かでしてよ」



そんなに危険な場所だったかな。肉体から解放された安らかさはあったが。ただ思念集合体の一部となった感覚は残っていた。



「そんなにですか。イデアが側にいてくれたからですよ」



そう言うと、イデアは僕の腕をグイっと引っ張るとギュッと抱きしめた。また息ができなくなるくらい力強くて苦しくなったが、心地よかったからしばらく身を任せた。

感想・評価・ブックマーク等ぜひお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ