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1話 神との遭遇

それはずっとずっと前のこと。



僕は生まれつき病弱な体質であり余命も長くないことは子供の時分でも理解していた。健康的で快活な人々を羨望の目で眺めながら、強靭な肉体を有していたならばこのような疑問をもつことはなかったのかもしれないと、現実を肯定的に捉えようとしても無理だった。たとえ健康的な身体を持ち合わせても僕にこびりついた厭世感を拭いさることはできないのだから。



なぜ存在するのか。

それがかつての僕を覆う不変の問いであった。



遥か昔より太陽は燦々と輝き大地を照らす。森林は生い茂り、大海は休むことなくうなり続ける。無数の生命はその上で活動し、自らの遺伝子を後世へと紡ぎ存続せんと永遠と繰り返し、本能の赴くままに生きる。躍動する生命の灯火。



しかし、一つのギフトが自然の理に歪をいれた。その種が選定された理由は知るよしもない。後世では神の贈り物だと、また在る者は進化の過程により獲得された神秘だと、だが誰にもわからなかった。後に神の派出所と呼ばれるそれは瞬く間に種全体に伝播し、力無き者を強者へと変貌させ世界の支配者となった。



それから、幾万年もの時を経てあらゆる生物のうちにある地上は人類で埋め尽くされた。あらゆる界の生物を手中におさめ、自然界からは隔絶され、動物たちの頂点に立った。しかし、種のなかでも絶えず競争を強いられどこまでも続く力には際限がなかった。




人々は疲れ果てた。終わり無き争いに辟易し僅かな平穏を次の世代へと引き継がせることはできない愚かさに。破壊と構築、滅亡と復興、、、循環するそれこそが命の源であるのだから仕方がないのではあるが。



そして、在る者は考えた。我々はなぜ存在するのだろうかと。



偉大な思想家たちのような存在とは何か、という問いを思案することは僕には大変有意義なのものでもあった。世間の普通の人生を送る謳歌した生活の人々には無縁な考え。



僕にはそれが必要であった。なぜ人は生きているのか、因果に捕らわれるような社会で生きる上では欠かせない、誰もが一度は考える疑問。在るものにはつまらぬ愚問。なぜ、我々は存在するのだろうか。考えれば考えるほど、答えのない泥沼に陥り、耐えられず絶望した。


名声、権威、地位、強者、、、、そのようなものには、価値を覚えなかった。価値とは誰かが生み出し、そして、人々はそれに従い続け、いつしか価値というものが、無条件に受け入れられ、それが善悪であると信じこんだだけである。価値は従うものではなく産み出すもの。だが、私にはその力がなかった。


人はこの世に生まれ落ち、そしてただただ生を全うする。気付けば、自身の生命を守ることに固執し、後世へと種を撒き大樹を育てるようなことは誰も関心を失ってしまっている。個の人生をいかに素晴らしく全うするか、そこにしか重点をおかず、利己的な考えが蔓延るあまりにも陋劣な考えしか持たないそんな世の中。なぜ存在してるのだろう。私には耐えられなかった。そして、死を選んだのだ。



僅かな、微かな幼少期に植え付けられた良心が残っていたため、既存の道徳観念に乗っ取り誰にも迷惑をかけずに死ぬ、それが僕の理想であった。そして、致死量に達するだけの薬を貯蓄し、オーバードーズ、誰にも迷惑をかけずにこの世を去った。





そうして、僕の魂は永久に消滅した…はずが、しかし、目が覚めた。そこは、教会のような、狭い空間であり厳かな雰囲気が周囲を支配している。



僕の眼前には現世ではお目にもかかることがない神々しいと形容するに値する、純白の羽衣を身に纏い後光の眩しさを放つ一人の女性がこちらを眺めていた。現世では決して存在することのないような高貴な存在者である、と直感した。



人は死ぬと無になると信じ込んでいたために、実際このようなことが起こるとは微塵にも考えたことはなかった。



目の前に座っている、洗練された美しさと端整な容姿を持ち合わせた女神。その姿に気後れしながらも、彼女の悠々とした物腰をじっと眺めていた。無神論者であったために今まで信じていた思想が崩れ去った瞬間でもあった。



「あなたは若くして命を絶ちました。世俗的な宗教観では決して赦されることのない重罪を犯したのですよ」



彼女の声は心の底にまで響き渡り、また甘美な優しさに包まれていて、心地好い気持ちになる。今まで悩んでいたことがちっぽけにも思えるような、そんな感覚にしてくれる。



「あなたは、どうやら厭世観に取り憑かれたのでしょう。それは、私には到底理解できません。世界は美しいのに」



「それは十分に理解しています。しかし、僕には耐えられませんでした」



女神は少しの間沈黙を貫き私の顔をじっと見つめ続けた。そして口を開いた。



「人は弱いのです。そういう御方を何人もみてきました。しかし、生を全うすることはそれほどの苦痛なのでしょうか」



彼女は微笑みながら私に諭す。



「生まれ落ちたときから、僕は牧畜でした。価値を作る側の人間ではなかったのです」



彼女は口角を少しばかり上げながら微笑んだ。



「あなたは自分自身をもっと肯定的に捉えるべきです。他者からの評価や視点をあまりにも気にしすぎあまり虚無主義になったのでしょうね。弱き心の持ち主にありがちなあらわれ、というものですね」



正鵠を打たれたようなものだ。



「たしかにそうかもしれません。しかし、健康な肉体に生まれたとしてもおそらく同じような思考様式へと還元されたとも思えます。いくら視点を変化させても自分の肉体から離れることはできませんから」



「ふふ。あまりにも若々しい思想ですこと。もう少し生きれば知見は高く、もっと広大に見渡せたでしょうに」



「僕には十分です。それに能弁はもう結構です。ところで、ここはどこなのですか?」



天井には神々の黄昏が描かれており、ステンドグラスから差し込む陽光が建物内を暖かく包み込む。



「所謂、死前後の狭間世界です。死者が辿り着き現世の功罪を見定め、人々を審判する、高尚な空間ですのよ」



「というと、あなたは審判者のような御方でありますか」



「私にはそのような権限はありません。道を提示するだけの存在。しかし、あなたの信仰する宗教的な意味合いでいえば、その通りでしょう」



「残念ながら僕は無神論者でありました、あなたと出会うまでは。今の審判者というのは喩えのひとつ。死ぬと無に帰ると信じていました」



女神は慈悲深き眼差しでじっと私の目を見つめている。



「もしも、無に還することを希望するのならば、あなたに機会を与えましょう。といっても無というものが既に言葉として存在している、故に無というものは存在しないというのが、残酷ではありますが真実です」



「ならば、死者は永劫回帰に帰するというのですか」



「然りです。そうして、生命は円環し続けるのが自然の理なのです」



僕は項垂れた。



「自殺が悪、自然死が善。ひどく世俗的でスコラ学派らが体系化したつまらない宗教観でしかないとかんじていましたが、まさかそれが真実であったとは」



「それはひとつの包括的諸教説の一つにすぎません。が、総ての宗教の始まりは私たちが起源。それらの教説は私たちを模倣した、つまり真理なのです」



「しかし、僕の世界では神学は既に衰退しています。ある者が神の首を切り落とし、またある者がその残骸を一掃し、もはや科学が席巻しました」



「科学は時に真実を隠蔽します。神の否定とは残念なことです」



「神の奇跡は伝聞されていました。それはもはや伝説的なものであり、後世の人々が宗教を広めるために神という存在を捏造したのだと思い込んでいました」



「彼は私たちの内でした。私たちの理想的世界の構築を邁進するために使命を全うしようとしたのでしょうね。しかし、話を聞く限りそれは失われたようですね。残念なことですが、けれど、善意思を人々の心の底に芽生えさせたのは十分な功績です」



「そうですか…しかし、もう結構です。あなたのような奇跡を目にしてしまったが為に僕の考えは変わりました」



「それでは、私の導きに従って貰いましょう。私の好む世界では信仰と科学と魔法が併存しており、数多の力が支配しています。しかし、そのような世界にとある存在者が人種的優位を標榜し扇動したために劣等人種、つまり人間のことですが、を滅ぼそうと目論見をたて、大規模な戦争が勃発しました。各人種間の均衡が崩壊しそうなのです」



「よく聞く話ですね。僕の世界ではゲームの範疇の話ではありますが」



女神は唇を少し噛み締めた。



「どうか、その存在の軍勢が世界を蹂躙する前に阻止して頂きたいのです。然ればあなたは赦しをえるでしょう」



僕は哄笑した。



「全く理解できません。もし、あなたが超自然的存在者であるのならば手出しをすることは自然の道理に反する禁忌なのではないのでしょうか。自然に任せ、自然の赴くままに世界を傍観するのがあなたの使命でしょう」



女神は遠くをみつめた。



「たしかに、超自然的存在者が介入してはならない。それは承知しています。しかし、その存在は超自然的な能力を獲得した、いわば突然変異種であることが判明したのです。本来ならばそのような力などあり得ないのですが、何かしらの手違いにて発生した惨禍であり、このまま見過ごすことはできないのです」



「僕に何ができるというのです。病弱で凡人にすぎない僕に」



女神はこちらを見据えた。



「あなたは死人ですよ。病弱であることの方が素晴らしいくらいに。…世界の成すことは我のみぞ知る。最初に申し上げたようにあなたは罪を犯しました。あなたの属する信仰によればそれはあってはならぬこと。ゆえに、あなたには真理の名元に罪への審判が下されたのです」



「答えにはなっていませんよ」



「罪には罰を。私とて人の子らと同じ。良心は持ち合わせています。ゆえに機会を与えるのですよ。また、私情を挟む願い事であり、こうしてあなたと対面した訳です、真に無を選好する人間は稀でありますので。お分かりいただけませんか?」



物分かりの悪い子供を相手にするときのように焦れったそうに訪ねる。



「本当に理解できません」



すると、外から何かが近づいてくる足音が聞こえた。それも、一人でなく何人も何十人もの。



女神は俯きそして立ち上がった。



「時間が無いようですね。…我が名はイデア。導かれし子羊よ。偉大なる御名のもと、そなたに罰を下す。永遠の苦しみに償うがよい…。急なことで申し訳ないです。何かあれば私の名を心に浮かべてくださいね」



視界が霞み体がねじ曲がる、その苦痛には到底耐えられるものではなく、意識が朦朧とし膝まずいた。そうして世界が流転した。

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