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家政婦の彼女 -ふたりが夫婦になるまで3―  作者: 海來島オーデ
そして僕たちは新たな関係を始める
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栞里と小鳥の思い出


パタパタと階段を下りる足音が聞こえる。洗濯物を栞里さんがベランダで干していたが、干し終わったのだろう。

居間のドアが開き栞里さんが姿を見せて、いつものように優しく微笑む。


「悠くん、どう、終わりそう?」

「ああ、もう終わる。あとはシンクを流して拭くだけだ」

「そう。ではお願いね、わたし着替えてくるわ」

「ああ」


くるっと背を向けて居間から出ていき、またパタパタと足音を立てて階段を上っていく。

着替えてから降りてきたとしても文句は言わないのだが、面倒でも割り当てられた仕事が終わったと一度顔を見せに来るところが栞里さんらしいと嬉しく思う。




天気の良い休日の朝。

少しだが家事を分担するようになった。これまでは朝食後の食器は洗い桶の中に洗わずに漬け置きしていたが、暖かくなってきたこともあり、シンクにコバエが集ってくるようになったことで、朝は僕が食器を洗うことにした。

常々何か手伝いたいと考えていたが、自分の仕事だと頑固に拒んでいた栞里さんを説得できず、コバエの発生は丁度良い理由として活用した。また、まだ出来る事が少ない僕にとって食器洗いは丁度良い仕事だった。


家事の後に身支度を整えて、居間で顔を合わせた。

栞里さんは、うちに家政婦として来た日の服装だと思う。白のブラウスに淡黄色のカーディガンを重ね、青味のあるグレーのロングスカートを履いている。

僕は白のワイシャツの上にライトグレーのジャケットを着て、黒のスラックスを履いている。ジャケットは栞里さんに買って貰ったものだ。

フォーマルでも通じると思う身支度だが、お洒落な場所に行くわけではない。栞里さんが来てから1か月が経ち、息災であったことのお礼と今後の無事を願うために近所の神社に参拝に行くのが目的だ。それだけなのだが、1か月という節目はとても重要なことだと思い身綺麗にした。おそらく栞里さんも同じ気持ちなのだろう。

互いに似合うねと褒め合ってから外に出た。栞里さんが玄関の鍵を締め、僕が門の開け閉めを行う。栞里さんが来てから1か月が経ち、ふたりの役割が決まりつつあると思う。なお、荷物と財布は僕が持つというところは子供の時から変わっていない。


10分ほど歩いて神社に着いた。参道前に丸太を組み合わせた作りの鳥居が立ち、その奥に拝殿へ向かう階段が見える。階段の足休めには朱色の鳥居が立っていて、登りきったところにも鳥居が立っている。

地元では歴史のある神社だが、大衆に名前の知られている神社とは比べるまでもなく規模の小さなところだ。

鳥居の前で礼をして、勾配が急な階段を上る。栞里さんが前を歩き僕が後ろを歩く。彼女が足を踏み外したときに助けるための配慮だが、いつもなら身長差などの理由により視界に入らない彼女の膨よかな臀部が、丁度目の前で左右に揺れているのを見ることになるとは予期しておらず、居心地が悪い気がして目線を逸らした。


階段を上りきり、開けた場所を20メートルほど歩いて拝殿の前に着いた。


「お賽銭はある?」

「ああ大丈夫だ。栞里さんは?」

「うん、大丈夫」


財布から小銭を取り出して、ふたりで並んで賽銭箱の前に立つ。

賽銭の小銭は各々の財布から出した。持ち歩いた小銭を賽銭とすることで身の代わりになるというおまじないだ。幼い頃に祖母から教わり、今でも続けている。

賽銭箱に小銭を入れて、目配せをしてふたりで鈴を鳴らした。二拍手の後、手を合わせて礼をして願い事を心の中でつぶやく。

衿ちゃんのことがあってから僕の願いはひとつになった。僕の近しい人達が健康であること。特に栞里さんが同じ病気にならないことを二重にお願いする。


顔をあげて隣を見ると栞里さんはまだ手を合わせている。終わるまで静かに待った。祈りが終わり彼女が僕を見る。頷いて、ふたりで揃って拝殿に礼をした。



帰路の途中、茂みからチッチッやクックッと鳴き声が聞こえて足を止めた。近くにリスがいるのだろう。彼女も周囲の音を耳を澄ませて聞いているようで空を見上げていた。鶯の声が聴こえる。

以前にもここに来たことを思い出す。衿ちゃんのふりをして家に来た日のこと。ピンクのワンピースを着て、月の髪飾りで黒色の前髪を纏めていた。丁度3年前になる。その時も鶯の声が聴こえていた。

当時と同じように神楽殿の縁に腰を下ろす。彼女も僕に続いて隣に座る。


栞里さんが神社の奥の広場を指差した。僕を見てにこりと笑う。


「ねえ見て、あそこに鳥がいるの。スズメ? ちょっと大きいかしら」


指差したほうを見ると、踝までの雑草が茂る草むらに野鳥が十数羽居てピョンピョンと歩いている。時折、キュイキュイと鳴く声が聞こえる。


「ツグミだな」


僕が答えると、彼女がくすくすと笑う。


「ひと目でわかるのね。まだ鳥が好き?」

「どうだろうな。気にはしているよ」

「小さかった頃、悠くんが作った巣箱や餌台を裏の林に置いていて、毎日様子を見に行ったわね。鳥がいると喜んで...懐かしいな」

「ああ。餌台にスズメが居て、飛び立って巣箱に止まって中に入っていった。あの時は嬉しかった」

「一緒に見てたとき?」

「ああ。君の手をとって、ふたりで踊るように喜んだ。忘れられない思い出のひとつだ。あの後、父さんに頼んで辞典を買ってもらったんだ。そして外に出掛けると鳥を探すようになった」


栞里さんは微笑んだ後、申し訳なさそうに眉をハの字にして俯く。


「ごめんね、あの林を潰しちゃって」

「お爺ちゃんが亡くなってから、本当の理由を聞いたよ。叔父さんが悪者になったんだそうだ。...あれから君と叔父さんの仲が悪くなったと聞いた」

「...」

「巣箱を作っていた時、鳥を集めるには餌場と水場が必要だと叔父さんが教えてくれた。叔父さんが水場を作ってくれて、餌台の場所や巣箱の位置も叔父さんの指示だった。あの時にはもうアパートにすることが決まっていたと母さんから聞いた。もちろん叔父さんも知っていただろう」

「...」

「叔父さんと一緒に巣箱を置いたんだ。その時の叔父さんは楽しそうだった。僕が作った餌台を慣れた手つきでしっかりしたものに直してくれた。餌受けの真ん中を削って餌が零れにくくしたのも叔父さんだ。たぶん以前にも作ったことがあったんじゃないかな」

「...」


栞里さんの言葉はなかった。だがその表情は和らいだように思う。


「今度会ったときに聞いてみよう。連休中に行くだろ?」

「...うん」

「大丈夫だ。悪いことにはならないよ」


5月の連休に栞里さんの両親に会う予定だ。離婚するかもしれないと言った理由と、雰囲気次第だが夫婦とは何かを聞こうと思っている。そのときに叔父さんに、巣箱の設置について以前から何かやっていたのかを聞くのは良い機会だと思う。

栞里さんを見るとその表情は暗かった。叔父さんに会うことが重荷なのかもしれない。叔父さんと栞里さんの仲はギクシャクしている。


栞里さんは黙っていて、間が悪く鳥の囀りも聞こえなくなった。辺りは静寂に包まれて、風で葉がこすれる音が聞こえる。普段であれば無言でも気にならないのだが、今は息が詰まる感じがして居心地が悪かった。



何でもいいからと話題を探し、ここでの思い出から、御的について話すことにした。


「小さい頃、ここで御的って言う、神主さんが大きな弓を構えて的を射る神事を行っていた。憶えてる?」

「覚えてる。わたし達も小さな弓を引かせてもらって、詩衿が的に当ててたね」

「ああ。射た後に的をお守り袋に入れてもらった」

「わたしもお守りを貰ったように思うわ。的には当たらなかったのに」

「外しても、手に持った矢を的に当ててお守りにしてもらうんだ」

「よく覚えてるね?」

「あの後も、僕は毎年来ていたから」

「そうなんだ。来年も来る?」

「今はやってないんだ。神主さんが歳を取って弓を引けなくなったそうだ。小学6年のときが最後だった」

「そう」

「最後の時は、的に当てたよ」

「うふふ、良かったね」

「ああ、とても嬉しかった」


栞里さんがにこりと笑い僕を見る。僕も微笑んでいる。


「話が変わるけど、この神社では例祭を10月に行うんだ。そこの広場で神輿を担いで、屋台もいくらか出るよ。一緒に来よう」

「ん。いいよ」



ふたりで微笑みあっていると、鳥の鳴き声が煩くなった。その音の出元に目を向けると、ツグミが30羽ほどに増えており何匹かが跳ねるように歩いている。半数はお腹を地面につけて(うずくま)っているので、ひと休みしているのだろう。


「可愛いね。ちょっと重たそう」


ピョンピョンと跳ねる姿は不自然には思えなかった。なぜ重たそうと思ったのか分からなかったが、話を合わせることにした。


「渡り鳥なんだ。沢山食べてこれから北に移動する。太ったのかな?」

「そうかも。あの子、こっちを見てる。首を傾げて...可愛い」

「ん?」

「左側の真ん中あたり。ほら、いま翼を広げた」

「ん。いま座った子かな?」

「うん、その子。こっちを気にしているみたい、ずっと見てるね」

「そうだな」


しばらく無言で鳥を見ていた。栞里さんは微笑んでいて、楽しそうにツグミを見ている。

不意にツグミが騒ぎ出し、1匹が飛び立つとそれに続いて周りも飛び立っていく。出遅れた数羽が後を追うように飛び立つと、あたりは再び静寂に包まれた。


「行っちゃったね」

「ああ」

「何処に行くのかな」

「北へ行くんだ。海を越えてオホーツクに行く」

「そこで子供を産むの?」

「そうだ」

「無事に着いて欲しいな。無事に子供を産んで欲しい」

「...そうだな」


彼女が切なそうに空を見上げる。もうツグミの姿は見えず、ふっくらとした綿菓子のような雲が浮いている。その雲を見ながら僕は『子供を産む』という言葉から連想した思い出を浮かべて感傷にひたっていた。


少し経って、栞里さんが手を伸ばして僕の手に重ねる。いつの間にか冷えていた僕の手に、その柔らかい手はとても暖かかった。


「大丈夫? そろそろ行きましょう」

「ん、ああ。行こうか」



立ち上がる時も栞里さんの手は離れず、振り解くのもどうかと思って手を繋いだままで歩き出す。

神社から外に出るまで黙ったままだったが、その手の温もりを感じていた。




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