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家政婦の彼女 -ふたりが夫婦になるまで3―  作者: 海來島オーデ
そして僕たちは新たな関係を始める
34/39

由佳と動物園


駅前で由佳が来るのを待っている。彼女の希望で動物園へ行く予定だ。

約束の11時までにはまだ時間があり、駅舎の壁を背にして立ち待つことにした。


由佳が来るのを待ちながら、いままでの由佳との出来事を振り返る。



中学1年のとき同じクラスで席が隣になった。話をすると気が合い友達だと言えるようになった。学校の中だけの友達だ。

2年から放課後に教室で一緒に勉強をするようになった。それが切っ掛けで事件になり、その後から互い意識するようになって距離が近づいた。

夏休み明けに由佳から想いを打ち明けられたが、その想いは受け取らなかった。

その後も友達を続け、同じ高校を受験して、合格発表で一緒に喜び、高校でもクラスメイトとなった。


しかし高校に入学してからは距離を置くようになった。いつの間にか名前ではなく苗字で呼ぶようになり、さらに距離が離れていった。

2年の春に衿ちゃんが他界し、それから1年が経って今は3年生となった。いつの間にか由佳が近くに居て、中学の頃のように気軽に話しかけてくる。僕も当時のように話をして、沈みこもうとする心が支えられていた。

良いも悪いも思い出の少ない高校生活だが、思い出してみるとほとんどが由佳との出来事だと気が付いた。



道を歩く由佳の姿を見つける。気が付くように手を上げると、彼女が手を振って小走りで駆けてくる。


「お待たせ。待った?」


僕の前で足を止め、目線はこちらに向けたままで頬を染めて恥ずかしそうに身をよじる。普段のボーイッシュな態度とは異なる様子に違和感を感じて苦笑した。最近は女の子っぽい様子を時々見るようになったと思い、思い上がりかもしれないが僕のためだろうと思って頬が緩んだ。


「今来たところだ。行こうか」


(うそぶ)いて微笑む。

手を繋ぐために右手を差し出すと、彼女は少し驚いて、おずおずと左手を出して僕の右手に合わせた。僕から彼女の手を握ると彼女が握り返して頬を染める。歩きだしてから隣を歩く彼女を見ると、恥ずかしそうに顔を伏せている。


駅構内に入り、切符を買ってホームに降りると、タイミングよく電車が来てそれに乗る。車内は(まば)らに乗客が座っていたが、都合良く空席のふたり掛けの座席があり並んで座った。一緒に乗車したおばさん達が斜め前の座席に座るのが見える。


彼女は顔を伏せていて表情が分からないが頬が赤い。普段の彼女とは違う態度に体調を崩していないかと心配になった。顔を覗き込むのは失礼だと思い聞くことにする。


「ずっと顔が赤いが、調子が悪いとか大丈夫か?」

「大丈夫。ちょっと恥ずかしくて...さっきから見られているよね。悠人は気にならないの?」


周囲を見ると先ほどのおばさん達がこちらをちらちらと見ながら話をしている。僕が見たことに気が付いたのかおばさんのひとりが会釈をした。僕も思わず会釈をしてにこりとした。おばさん達の会話が再び始まり「デートかしらね、若いっていいわね」と楽しそうに話しているのが聞こえる。

由佳を見て「見られているね」と言って苦笑すると、由佳がちらりと僕を見た。恥ずかしいが嬉しい。そんな顔をしている。やっと顔が見れたと僕は微笑んだ。


由佳が手を動かして繋いでいた手を離した。

「恥ずかしいから」と呟く。

「仕方がない」と僕は微笑む。

おばさん達が「手を離したよ、恥ずかしかったのかな、ごめんね」と笑いながら話しているのが聞こえた。


『慣れたんだ』という友幸の言葉を思いだす。

従姉妹のふたりと一緒に電車やバスに乗ると、双子に見える彼女達はとても目立った。一緒にいる僕は兄弟だと見られることが多かったが、ときには恋人と見られて恥ずかしかったことがある。何度もそういく機会があり、少しずつ周りを気にしなくなって、いつの間にかそれが普通になっていた。




下車駅に着いて動物園までの道を歩いている。

動物園に近ずくに連れて由佳のテンションは高くなる。いつものように楽しそうに話す彼女の声を聴きながら僕は微笑んでいる。


途中で公園の案内板が目に入り僕は足を止めた。彼女は気に留めずに通り過ぎようとしたが、呼び止めて一緒に見ようと誘う。彼女は一瞬面倒そうな顔をしたが、すぐに微笑んで僕の脇に駆け寄る。

ふたり並んで案内板を見た。


「この公園は動物園まで続いているようだ。それほど遠くもないし、公園の中を歩いていこうか」

「いいよ。悠人はこういうの好きなんだね」

「ん?」

「前にうちまで送ってもらったとき、道路を歩いたほうが早いのに公園のなかを歩いたから。悠人は公園が好きなのかな。そのとき悠人が蜘蛛の巣にかかって笑ってた」

「ああ、そういうこともあったな。...そうだな、同じ場所に通じているなら草木の多い道を選ぶと思う。なんでだろうな」

「ふふっ、なんでだろう」


木々が青々と生い茂り、スズメやムクドリの声が聴こえる。耳を澄ますが思ったよりも鳥の声がしない。遠くから動物の吠える声が聞こえて、由佳がライオンだよと言う。

僕たちは並んで公園の中の道をゆっくりと歩き、あたりを観察した。鳥や虫の姿は見えず、花も咲いていない。見るところはあまりないねと顔を合わせて苦笑する。

しばらく歩くと池を見つけた。人工的な造りの池で生き物の気配を感じられなかったが、気になって池の周りを注意深く歩き回り生き物を探す。だが、ここでも生き物の姿を見つけられなかった。


「生き物の姿は見えないな」

「んふふ。残念そうな顔してる」

「まあな。居ないよりは居たほうが良い。生き物がいると何というか...そうだな、優しい気持ちになれるかな」

「ふうん、それ分かるなぁ。...ここでご飯にしよっか、ちょっと早いけど」


水辺の大きくて平らな石の上に座り荷物を広げる。彼女が手提げ袋から弁当箱を取り出し蓋を開ける。彼女が用意してきたお弁当で、その中には具沢山のサンドイッチと卵焼きが詰まっている。入れ物はひとつしかないため、ふたりで分けるのだろうと見て取る。


「どうぞ」と彼女が弁当箱を差し出す。気を張っているようで、微笑んでいるが表情が硬い。

「ありがとう」と答えてポテトサラダを挟んだサンドイッチを手に取る。ひと口齧って素直に「美味しい」と答えた。


由佳の表情が柔らかくなり笑顔になる。


「えへへ、良かった。あたしも食べよ」


彼女が手を伸ばしてサンドイッチを手に取る。僕と同じポテトサラダのサンドイッチだ。何でもない行動なのだが嬉しかった。




動物園に着いて入り口を通る。

待ち切れなかったのか由佳が楽しそうに走り出す。10メートルほど先行して振り返り、あれ?という顔をしてから遠目でもわかる笑顔になり手招きをする。


「悠人、早く来て。置いていくよ~」


急に子供っぽくなったなと苦笑し少し足を早めて追いかける。彼女は僕を待たずに先に行き姿が見えなくなった。順路の看板があり矢印に従って1番目の檻に向かう。角を曲がると檻に手を掛けて中を覗いている彼女の姿を見つけた。


「ここの動物はなんだい?。姿が見えないな」


彼女の隣に立ち声を掛けた。檻の中には動物がなにも見当たらない。


「いま木の向こう側を歩いてる。レッサーパンダだよ。もこもこで可愛いんだ」


木陰に中型の獣が居るのが見える。歩いており手前に出てきた。その愛らしい顔が見え、ふさふさな黒毛の太い脚でのしのしと歩く姿に愛嬌を感じる。


「あたし小さめのもこもこした子が好きなんだ。この子はちょっと大きめだけどね」


彼女は目を輝かせて無邪気に笑う。どこが可愛い、この仕草が好きと、おしゃべりが始まる。いつもの様子に戻ったようだ。


順路を進み、興味が薄いところはさっと見て通り過ぎ、可愛い動物がいるところでは足を止めて楽しむ。彼女の好きに任せて僕はその後を付いて回る。

以前の旅行でたくさんの小動物を見て燥ぎ、ウサギや猫を抱っこして優しく笑っている彼女の姿を思い出した。動物が心から好きなんだと微笑ましく思う。


順路の中ほどを過ぎたところで急に由佳が駆けだした。苦笑しながら彼女を追いかけ、追いついて手の平で彼女の頭を優しくポンポンと叩いた。


(はしゃ)ぐのは分かるが、先に行くなら一声かけて欲しいな」

「ごめん、そうだね。...じゃあ、勝手にどこかに行かないように手を繋いでくれる?」

「ああ、いいぞ」

「ん。」


手を繋いで彼女は嬉しそうににこりと笑う。僕もつられて微笑する。

彼女が空いている手で手摺りの向こうを指し示した。


「ほら見て。この子を見つけて思わず駆け寄ったんだ」


孔雀が飾り羽を広げて大きな姿を見せている。図鑑やテレビで見たことがあるが、実物は想像していたよりも大きく、ゆっくりと左右に羽を揺らす姿は踊っているように見える。


「凄いな。実物は初めて見た。...綺麗だな」

「うん。こんなに大きな羽を広げて、僕を見てって言ってるんだ。女の子の気を引くために沢山の羽を作って、頑張って広げてね。...ここからは見えないけど、近くに女の子がいるのかな。模様が目に見えるでしょ? あんなに沢山の目で見つめられたら、気になっちゃうよ」


彼女が身を寄せて僕の肩に寄り掛かる。彼女がどんな表情をしているのか気になったが、俯いていて分からなかった。


「この姿が見れるのは今だけで、これからだんだん羽が抜けていって華やかな今の姿は見られなくなる。だんだん羽が少なくなってみすぼらしくなっていくんだ。といっても孔雀の羽は来年また生えるんだけどね」


そのまま暫く孔雀を見ていた。少しすると木陰から雌と思われる孔雀が出てきて、雄に背中を向けて羽を広げて飛び去った。目の前の雄はその後も佇んでいたが少しして羽を閉じて木陰に隠れる。その姿は寂しそうに見えた。


「振られちゃったね」

「そうだな」

「諦めるのかな」

「どうだろう。近くに居るのだから可能性はあるんじゃないか」

「そっか。近くに居たら...か。」

「ん?」

「行こっか」

「ああ。」




その後は由佳が単独行動することもなく、ふたりでゆっくりと園内を回る。順路をひとつずつ足を止めて、彼女がその動物のことを説明する。僕はその説明を聞きながら彼女の様子を見ていたが、彼女はちらちらと僕を見て、あまり楽しめていないように見える。


「どうした? その...表情が曇ってきている」

「え? ああ、えっとね、どんな説明をしようか考えてた。どんな話をすると悠人が喜ぶのかなって。...この前の神社で悠人が説明してくれたとき楽しかったんだ。だから同じようにすればいいのかなって思ったんだけど、悠人、あんまり楽しそうじゃないから、どうしたらいいかなって」

「君が楽しめてなさそうだったから気にしてたんだ。だから、僕のことは気にせずに楽しんでくれないか。多分それで僕も楽しめるから」


ふと、衿ちゃんが言っていた言葉を思い出す。そこは彼女が選んだアミューズメント施設で、彼女が好き勝手に施設を回ることに文句を言うと「わたしが楽しまないと悠くんが楽しめないでしょ。だからわたしは精一杯楽しむんだ。それに悠くんは楽しんでいるわたしを見てたら楽しいでしょ?」と言う。その身勝手な言葉に苦笑してその時は呆れたが、それは僕を理解していた言葉だった。


「君が楽しまないと、僕も楽しめないよ」

「そっか。そうだね。じゃあ、あたしの好きにするね。嫌だったら言ってよ」

「ああ。」




順路を進み、由佳に手を引かれながらいくつもの檻を見て回る。

そして最後に小動物と触れ合う場所に着いた。


「ここが好きでよく来るんだ。ゆっくりしてもいいかな?」

「ああ、いいぞ。気が済むまで居ていいからな」

「ん、ありがと」


小さな子供たちが楽しそうにモルモットを撫でたり、ニワトリを追いかけている。その中に彼女が混ざり、モルモットを抱いて優しい顔で何か話しかけている。僕はベンチに座って景色や彼女の姿を見ながらのんびりとした時間を過ごした。


周囲には十数人の幼児が動物を相手に騒いでいる。母親達が数名のグループに分かれて柵の向こうで子供たちの様子を見ながら談笑しているが、時折、僕を見る視線を感じる。不思議に思っていたが、どうやら僕は場違いなのだろう。平日の昼から男子高校生がふれあい動物園に居て、動物と触れ合わないでベンチに座っている姿は違和感を感じる。急に居心地が悪くなり困ったと思い苦笑した。


彼女が慌てて駆け寄ってきて隣に腰を掛けた。おそらく僕のことを思い出したのだろう。その腕の中にはモルモットが抱えられている。


「ごめんね、放っておいちゃって。」

「大丈夫だ、のんびりしているよ。子供と動物に囲まれて、見ているだけで安らいでいる。...お母さん方の視線がちょっと気になっていたんだが、君が来て和らいだようだ。ひとりで座っていると怪しく見えるんだろうね。」

「んふふ、ごめんね。」


目の前をモルモットを抱えた小さな女の子が駆けていく。抱っこできたと笑い、母親が良かったねと頭を撫でている。

その様子を見て、由佳が優しい笑顔をする。


「ここはね、小さい時にお父さんと来たんだ。初めてモルモットを抱っこしたとき、お父さんに頭を撫でて貰ってね。お父さんのことはもう顔も覚えていないんだけど、その大きな手を覚えてる。...いま何処にいるのか知らないけれど、ここに来たら会えるかなってどこかで思ってる。会えてもたぶん気が付かないんだけどね。」


彼女が空を見上げる。過ぎ去った遠い日のことを思い出しているのだろう。

こんなときどうすればいいのかと迷う。彼女の手が空いていたなら手を握っただろうが、その手の中にはモルモットが収まっている。彼女のお父さんの話を聞いた後に同じように頭を撫でるのは、お父さんの思い出を僕が上書きするようで気が引けた。

迷っていると彼女が僕を見て、憂いた顔でにこりとする。


「あのね、前に、中2の始めの放課後の、まだ一緒に勉強をする前の日。あたしが泣いていて悠人が撫でてくれたよね。まだ小さな手だったけど、優しくて、お父さんみたいだって思ったんだ。それでまた撫でて貰いたくなって、一緒に勉強したんだ。頑張ったねって頭を撫でて貰って幸せだった。......撫でて貰っていいかな?」

「ああ。」


彼女の頭を優しくポンポンとした後、軽く撫でた。彼女は目を細めて喜ぶ。


「悠人の手、大きくなったね。」

「背が伸びたからな。手も大きくなった。」


彼女がふふっと笑い、僕の手を取って両手で揉む。


「男の子の手だったのが大人の手になった。これから仕事をする手になって、歳を取りながら人生を手に刻んでいくんだ。」

「そうだな。...そういえばいつも手を気にしているね。」

「手でお湯と石鹸を使う仕事だから。あたしはまだ大丈夫だけどお母さんの手はとても荒れていて、あたしもそうなるんだって分かってるから手を労わるようにしているんだ。それでみんなの手はどうなのか気になっちゃって。...男の人の手って、みんなごつごつしてつるつるしてると思ってたんだ、幼馴染の男子がそうだし従弟の男の子もそうだから。だけど悠人の手はふっくらでしっとりしてて暖かくて。それで興味を持ったんだ。」


彼女がまたふふっと笑う。


「お父さんはどうだったんだろうってお母さんに聞いたらね、大きくて指がスラっとしていたって。お母さん、その手が好きだったんだって。あたしは、あっ!」


彼女の膝の上で微睡んでいたモルモットが急に藻掻いて、彼女の膝の上から飛び出して逃げていく。彼女がそれを追いかけて、少し苦労しながら捕まえて元々居た籠の中に戻した。


「あはは、逃げられちゃった。...満足した。もう行こうか」

「そうか。じゃあ外に出て喫茶店にでも行こう」

「ん。」





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