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家政婦の彼女 -ふたりが夫婦になるまで3―  作者: 海來島オーデ
そして僕たちは新たな関係を始める
31/39

由佳の恋



中学2年の春。


「悠人、また同じクラスだね。」


僕に声を掛けてきたのは、1年のときにクラスメートの下川由佳だ。席が隣だったこともあり仲良くなり名前で呼び合うようになったが、それは特別な関係ではなく、クラスの中で友達を名前で呼ぶことが流行ったことからそうなっただけに過ぎない。


「ああ。また1年間よろしくな。」


右手を挙げて拳を作る。由佳が左手をグーにして僕の拳に合わせた。



いつものように放課後に教室に残りひとりで自学自習を始める。教室の生徒たちは次第に少なくなっていく。予定の1時間が過ぎたころには、教室には僕のほかにひとりとなっていた。勉強を()めて教科書を閉じ、体を解すために伸びをする。少し離れたところに座るクラスメートは、教科書を見ながら唸っていて、勉強は捗っていないようだ。その様子を見て苦笑し、席を立って彼女の側に歩く。


「部活はどうしたんだ、陸上部だろ?」


僕が声を掛けると、由佳がこちらを向いて苦笑する。


「部活は()めたんだ。今の成績だと進学が難しいんだって。」

「そうか。夢を選んだんだな。...辛かったな。」

「随分と悩んだんだ。だけどお母さんの背中を見たら、やっぱり理容師になりたいんだって思った。」

「そうか。」


僕は優しく微笑んで、手を伸ばして由佳の頭を撫でる。それは幼馴染が泣いているときに僕がする仕草で、由佳の涙を見て思わず手が伸びてしまった。

由佳はビクっと体を震わせたが、すぐに落ち着いて、撫でられたままで僕を睨む。


「なに?」

「ごめん、思わず手が出た。泣いている子をほっとけないだろ?」

「えっ?」


由佳は両手で自分の頬を拭き、手のひらを見て雫が付いたことを見る。恥ずかしかったのか頬を染めて顔を背けた。


「あれ、なんでだろ?」

「部活が好きだったんだろ。...勉強を見てやるよ。部活も続けたらどうだ?」


由佳は黙っている。僕は静かに彼女の返事を待った。少し経って彼女は苦笑し、僕を見て「もう決めたことだから」と囁く。


「僕はもう帰るよ。...ほどほどにしろよ。1日だけ頑張るんじゃない、毎日続けることが大事だからな。」


鞄を持って教室を出る。由佳を見ると小さく手を振っており、後ろ手に手を挙げて答えた。



翌々日の放課後。自学自習をしていると隣の席に由佳が座った。僕は彼女を見て唖然とする。


「一緒に勉強しよっか。、、、どうしたの?」

「いや、昨日は居なかったから、居残りはしないのかと思った。」

「昨日は家の手伝いだったんだ。火曜日はお客さんが多いから。...気にしたんだ?」

「いや、まあ、泣かせたんじゃないかって思った。」

「あはっ、ありがと、心配してくれて。」

「頭を触ってごめんな。従姉が泣いてるときにいつもやるんだ。それでつい、な。」

「いいよ。今日は何を勉強してるのかな?」

「国語だ。」

「ん。じゃあ、あたしも国語にするね。」


その日から放課後に一緒に勉強をする日々が始まった。



5月のある日。昼休みに売店に向かう僕を由佳が呼び止めた。


「来週の火曜日、放課後に時間あるかな? 中間試験の勉強を一緒にしようよ。」

「ごめん、その日は予定があるんだ。」

「...そうなんだ。じゃあ、またあとでね。」


由佳が背中を向けて駆けていく。すこし寂しげな表情をしたように見えたが、売店に向かうことに気を取られて気にならなくなった。



5月20日。中間試験の前日。

午前中で授業が終わり、帰宅のために下駄箱に向かう。下履きに履き替えたところで上級生の女子に声を掛けられた。


「岡田くんだよね。ちょっと話があって、こっちに来てくれる?」

「なんの用で?」

「手伝って欲しいんだ。ちょっと来て。」


校舎脇の普段は立ち入らない場所にいる。告白するのによく使われると噂されている場所だ。上級生がこちらを向いて仁王立ちになり、僕の背後に別の女子が現れて道を塞いだ。


「告白でもされると思ったか?」

「いや。で、何の用? すこし急いでるんだが。」

「女のところに行くのだろう?」

「ん?...従妹の勉強を見る約束をしている。まあ、女ではあるかな。」

「あの子のお願いを断って、あの子を泣かせて、それでも行くのだろう? クズが!」

「泣いた? 誰のことだ?」

「泣いたことも気が付いてないのか、お前は。」

「だから、誰のことを言っている?」

「誑かして利用して。部活を止めさせたのもお前の指示なんだろ。あの子の誕生日を蹴って他の女のところに行くなんて。泣いてたんだよ、気持ちを踏みにじりやがって。許さないよ!」


右腕を振りかぶる姿が目に入り、顔はまずいと思ってそれを避ける。話の内容から由佳のことだと気が付き、今日は誕生日で、あのとき廊下での誘いがその件だったんだと気が付いた。背中に衝撃があり、直後に胸に強い痛みを感じて意識を現実に戻す。いつの間にか地面に倒れていて、振りかぶった脚が見え、再び胸に強い痛みを感じた。

蹴られたときにスカートが翻ってパンツが見えたことは黙っていようと思い、痛みの中で何を考えているんだろうと他人事のように思い苦笑する。僕が笑ったのを見て上級生が顔を顰め、「クズが!」と吐き捨てて強く僕を踏みつけた。


いつの間にか誰もいなくなり、僕は立ち上がって服に着いた砂を(はた)く。左腕と胸の痛みを感じるが、動くことから問題ないと判断して帰宅する。シャワーを浴びて着替えてから従妹の家に行き、衿ちゃんに数学を教えている最中に痛みで倒れ、意識を失った。

病院のベッドの上で目が覚め、発熱もありそのまま数日入院する。母さんには学校で転んだと伝えた。退院後に家で2日間過ごしてから、母さんに連れられて学校に行った。


教室に入る。由佳が僕を見て駆け寄り、僕の体を触って怪我の具合を確認する。


「大丈夫なの? 心配したんだから。」

「ああ、大丈夫だ。ちょっと声を出すのが辛くてね。いいかな。」


目配せして自席を見る。由佳は察して道を空け、僕の後ろを一緒に付いてくる。僕が席に着くと由佳が隣の座った。


「席を代わってもらったんだ。苦しかったら言ってね。」

「ああ、ありがとう。」


由佳がギリリを歯を食いしばる音が聞こえる。僕は傷の痛みを堪えて微笑み、「大丈夫だから」と強がった。


先生が来てHRが始まる。先生が全員を見渡して、僕を見て「無理するなよ」と声を掛け、その後に由佳を見る。


「下川の席はそこではないだろ? 席に戻れ。」

「席を代わってもらいました。」と由佳は荒れた口調で答える。歯軋りの音がまた聞こえた。

先生は「そうか」と呟き、再び僕を見る。


「岡田は追試を受けること。今週の土曜日だ。いいな。」


返事をしようとしたが胸が痛くて声が出ない。由佳が僕を心配そうに覗いているのが見えた。先生が「返事は?」と言い、由佳が机を叩いて立ち上がった。


「痛くて返事が出来ないのが分からないの!?」


由佳の涙が机に落ちる。僕を見て何事か呟いた後、乱暴に教室を出て行った。僕は慌てて彼女を追いかけるが見失う。3年生の教室が騒がしくなり、その教室に入ると、彼女があの上級生を殴ったところだった。



校長とそれぞれの担任、生徒指導の先生、僕の母さん、上級生と由佳と僕が、同じ部屋で向き合っている。母さんが「録音しますね」と言い、スマホをテーブルの上に置いた。テーブルの上にはもうひとつレコーダーが置いてある。

生徒指導の先生の指示で話が進められた。

各人の物言いが終わり、担任と生徒指導の先生は意識合わせのために部屋を出ていく。


上級生が神妙な顔をして口を開いた。


「ごめん。由佳が騙されていると勘違いしていた。怪我をさせてしまい本当に申し訳ない。」


そう言うと深々と頭を下げる。


「誤解が解けてよかった。最初に話し合いをしてほしかったかな。」

「そうだな。言葉もない。」

「由佳に謝って欲しい。由佳は僕を心配して心を痛め、尊敬する先輩を殴るしかなかった。その気持ちはとても痛くて辛いものだと思う。」

「そうだな。、、、由佳。すまなかった。」


由佳のほうを向いて深々と頭を下げる。由佳は冷ややかな目をしており、一呼吸おいてから先輩に答える。


「先輩の気持ちは理解できる。...だけど、あたしは先輩を許さない。だから由佳って呼ばないで。」


まだ怒りが収まっていない。おそらく僕の怪我をしている姿を見るたびに怒りが沸くのだろう。だから収めるためには時間が必要だ。

宥めるために僕は右手で由佳の頭を撫でる。


「由佳。落ち着こう。」

「...ん。」

「先輩は心から反省していて頭を下げている。そう思わないか?」

「わかるよ。だけど...」


僕の包帯を見ている。


「僕の傷が治ったら、また先輩と話をしようか。」

「...うん。」

「先輩を殴ったことを謝らないとな。」

「...うん。」


由佳の頭から手を離すと、由佳は両手で頭を押さえて頭の上にあったものを懐かしむ。その仕草は幼子のようで可愛らしく、僕はくすりと笑った。


「先輩。ということなので、傷が治ったら話をさせてください。」


先輩は「すまなかった。」と言い頭を下げた。



いままで黙って様子を見ていた校長先生が口を開く。


「話が終わったようだね。実に理知的な話し合いだった。自分たちで問題を解決できる優秀な生徒だ、誇らしく思うよ。不幸にも喧嘩をしたが、君たちはまたひとつ成長したと思う。」


校長先生は僕たち一人ずつに笑顔を見せて頷く。その後、硬い顔になり話をつづけた。


「いま先生方が処分を検討している。岡田くんが入院したのは事実だし、下川さんが殴ったことは多くの生徒が見ている。できれば穏便に済ませたいが...少し重い処分になるだろう。そこは心して欲しい。そして今しがた冷静に話し合いをしたように、先生方とも冷静に向き合って欲しい。」


優しいが重い声だ。女子ふたりを見ると戸惑っているように見える。母さんは腕を組んだまま見たことのない険しい顔をしている。母さんは僕に気が付いて一度頷いた。...任せた。そう聞いた気がした。


「先輩。由佳。冷静になろう。先生方が戻ったら僕が話をする。何を言われても直接話さない。僕たちで相談してから答えよう。」


ふたりは黙ったまま何も答えない。合意ということなのだろうと思った。



先生方が戻り、処分を言う。先輩は退部と停学、由佳は停学、部活は活動停止、僕は処分なし。それを聞いた女子ふたりの顔色が変わる。

その発言をした生徒指導の先生を見る。先生は無表情で、何を考えているかわからない。私情は挟まないと言う表れなのだろう。


「理由を聞いてもいいですか?」


僕が問う。先生は少し表情を崩してから話し始めた。


「個人の罰として停学とする。怪我をさせたこと、多くの生徒が見ていたことだな。部活動のトラブルが発端のため、期限付きの部活動停止。当事者は退部とする。以上だ。」

「ありがとうございます。少し待ってください、相談します。」


ふたりを見る。先輩はとても話ができるような状態には見えない。由佳は先輩に何かを話そうとしているが、言葉が出ないようだ。

由佳に短く声を掛ける。


「部活か?」


由佳は小さく首を振る。


「そうか。わかった。」


僕は苦笑する。まさか自分がこのようなことをするとは思ってもいなかった。

頭の中はクリアに澄んでいて、これから発言することに不安はなかった。


「先生。僕の怪我はひとりで転んで出来たものだ。先輩は関係ない。」

「ふむ。それで、下川さんの件はどう説明する?」

「適当にでっちあげるが、部活のしごきに耐えかねて部活を辞め、怒りを抑えていたが、ちょっとした切っ掛けで爆発したという話しではどうか。」

「ははっ、面白いな。」


先生は笑うが、目は真剣なままだ。


「切っ掛けとは?」

「僕の怪我を見て、自分自身のことを思い出したとか。」

「なぜHR中に教室を出て行った?」


僕は言葉に詰まる。手の平を上げて待ったをする。

由佳を見るときょとんとしている。「任せて貰ってもいいか?」と聞くと、頷いて答えた。


「ここは提案ではなく、ありのままで話します。HRの最初に先生が僕に、無理をするなと声を掛けました。僕の隣に由佳が居て、僕が苦しんでいたのでケアしてくれてたのですが、先生が由佳に席に戻れと言いました。そして先生が僕に、追試は週末だから出るように言います。僕が痛みで返事が出来ないでいると、返事をしろと怒鳴りました。そして由佳が怒って教室を飛び出した。」

「...真実かね?」

「はい。」


担任の先生が話に割り込む。


「自席に座っていない生徒を注意する。重要な連絡事項が伝わったか返事を求める。当然の対応だろ! それに、決まったことが気に入らないからひっくり返そうとしやがって。だったら最初から言わなければいいだろうが!」


僕は首を振ってその言葉を無視する。


「ですので、その辺は適当にしましょう。」


担任の先生が顔を赤くして怒鳴る。


「おい、何とか言ったらどうだ!」


僕は担任を見て答えた。


「聞かれたから事実を答えた。そしてどうするかを議論するのがこの場と思ってますが、違いましたか?」


場が騒然となり先生方が揉めるが、校長が一喝し、担任の先生は退室した。

生徒指導の先生が目の前に座り、話が再開する。


「すまなかった。それで、君が怪我をしたのは校内でいいかな?」

「はい。そうですね...下駄箱の外、花壇があるところで転んで、当たり所が悪かったのだと思います。そこで先輩方に介抱されたが、大丈夫と言って一人で帰った。」

「下川さんは、部活の厳しさに耐えかねて辞めたが、執拗に戻るように言われて殴ったってことで良いかな。」

「はい。」

「ではそうしよう。」


校長の前で先生方が打ち合わせをしている。僕たちはその結果を静かに待った。結果は、先輩と由佳は停学。僕は処分なしとなった。先輩は停学だが、公的には処分なしで自主的な謹慎の扱いとなった。部活動への処罰はない。

この日は3人とも授業は受けずに帰宅となり、ふたりはそのまま停学。僕は再び発熱して数日間学校を休んだ。


久しぶりに学校に登校をすると、この事件が噂になっており、あることないことが出回っていた。由佳の席は僕の隣に替えられており、由香と先輩の停学が明けて仲直りをした後、僕の周りに先輩とその取り巻きが頻繁に現れるようになる。そして僕についての悪意のある噂が広がった。



夏休みに入る直前のある日。いつものように教室で由佳と勉強をしている。途中で色々とあり毎日ではなかったが、用事の無い日はいつも教室に居残りをしてふたりで勉強をしてきた。毎日たったの1時間だが、その間に彼女の悩む顔、悲しむ顔、泣く顔、怒る顔、喜ぶ顔、笑う顔、様々な彼女の顔を見てきた。そして彼女の想いを感じ取るには十分な時間を過ごしてきた。

1時間が過ぎて勉強会が終わり、彼女が立ち上がって僕の隣に立つ。彼女は神妙な表情おして、その瞳はうるうるとしている。


「今日で1学期の勉強会は最後だったよね。」

「そうだな。」

「あたし、悠人が好き。」

「知っている。だが僕にはもう、好きな人がいる。」

「うん、そうだと思ってた。ケータイに双子の女の子が写ってた。」

「そうだ。すまない。」

「ううん。...デートしてくれる? 1回だけでいいから。」

「ダメだ。僕は君を好きになる訳にはいかない。」

「え?」

「ダメだ。」


彼女は振り向いて背中を向ける。たぶん涙を流している。そう感じた。

黙って彼女の次の仕草を待つことにした。彼女の背中を見ると、夏服のワイシャツ姿だが、ワイシャツの下にタンクトップを着ており下着は透けていない。そういえば栞里ちゃんと衿ちゃんも、下着が透けるような着こなしはしないなと、変なところで共通点を見つけた。


「今日、家まで送ってもらえる? それだけでいいから。」

「わかった。」



学校を出て、少し遠回りをしながら彼女の家に向かう。駅前のコンビニでアイスを買い、彼女に渡した。


「勉強に付き合ってくれてありがとう。ささやかなものですまないが、その礼だ。」

「...ありがとう。」


アイスを食べながら彼女の家までの道を歩く。無言のまま5分ほど過ぎたところで彼女が口を開いた。


「楽しかった。悠人と勉強できて、試験の点数も上がって、すごく嬉しくて。この時間が長く続けばいいのにって思った。...知ってたんだ。1年の時に悠人のケータイを偶々見たときに、彼女?って聞いたときの悠人の嬉しそうな顔を見ているから。」


彼女が足を止めた。それに気が付いて振り向くと彼女が間近にいて、顔を寄せて僕たちの唇が触れ、すぐに離れていった。


「送ってくれてありがと。ごめんね。...またね。」


由佳が駆け出して離れていく。僕はその場で立ち止まり、彼女の背中を見送った。

僕の胸はドキドキとして暫く煩かった。




夏休みが明けると、また彼女との勉強会が続いた。あの時のことは無かったかのように、それまでと同じに友達として話しをする。関係が変わらなくてよかったと思いホッとした。


そして僕は、彼女と栞里ちゃんのことを想いながらも、衿ちゃんに告白をする。




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