僕は君の笑顔が見たい(3)
目の前に座る由佳ちゃんと栞里さんに、僕が衿ちゃんを好きになった理由を話した。僕の話を、由佳ちゃんは前のめりで、栞里さんは俯いて聞いている。
「衿ちゃんが僕を好きだと言ってくれて、甘えてもいいと言ってくれた。そして僕を見ていてくれて、笑顔を向けてくれる。僕にはそれで充分だった。...理由はそんなところだな。」
「その後、チューした?」
「その日は何もせずに帰った。恋人となったのはそれから4か月後かな。」
「もう少し、聞かせて欲しいな。なんか切りが悪くてモヤっとしてる。」
「わかった。...告白した時のことを話すよ。」
栞里さんが席を立ち、「お茶を入れるね」と台所に行く。
僕は栞里さんの姿を目で追いかけながら、話をつづけた。
「彼女の誕生日までに決めると、それまで待っててくれと言ったんだ。彼女は、いいよって言ってくれた。その後、僕たちはそれまでと同じように過ごしたけど、僕は衿ちゃんを見てたよ。たぶん衿ちゃんも同じだろう。...そして9月のその日になった。」
中学2年の9月。衿ちゃんの誕生日の前日。
衿ちゃんと栞里ちゃんが僕の家の台所に立ち、母さんが指示を出している。僕はその様子をソファーに座って見ていた。
そろそろお昼ご飯にすると聞いて食卓に移動する。椅子に座ると、衿ちゃんが料理を持ってきた。
「はい、お待たせ。ハンバーグだよ。」
僕が好きな笑顔を見せて僕の前に皿を置く。数瞬視線を合わせた後、彼女はくるっと回ってカウンターから次の皿を取り、またくるっと回ってテーブルに皿を置いた。僕はその様子を可愛いと感じて見ていた。
昼食が始まり、僕から明日の衿ちゃんの誕生日についての話しをした。
「明日なんだけど、衿ちゃんとふたりで出かけたい。どうかな。」
「いいよ。何処に行くの?」
「特には、決めていないんだ。」
「浅草に連れて行って。浅草寺。」
「わかった。...栞里ちゃん、わるい。衿ちゃんとふたりきりにさせて欲しい。」
「ん。いいよ。」
夕方になり、ふたりを家まで送る。あの公園の前を通り、あの日のことを思い出す。
『わたしね、悠くんのことが好きになったんだ。』
『わたしを見て欲しい』
『わたしに甘えてもいいんだよ』
僕の気持ちは決まり、覚悟ができた。
彼女たちの家に着き、また明日と挨拶をする。栞里ちゃんが家に入り、その後から衿ちゃんが続く。僕はドアを潜ろうとする衿ちゃんの腕を掴んで引き止めた。
「衿ちゃん。」
彼女は驚いた顔をして僕を見る。彼女を強く引いて抱きしめ、僕の胸に彼女が収まった。玄関のドアは支えるものが居なくなって、ゆっくりと閉まっていく。閉まったのを確認してから、僕は想いを口にした。
「君が好きだ。僕の恋人になってほしい。」
僕の胸の中で彼女が僕を見上げる。彼女の腕が僕の背中にまわり、温かみを感じた。
「いいよ。なってあげる。」
彼女が背筋を伸ばす。僕のほうが彼女より少しだけ背丈が高い。僕の目の前に彼女の顔があり、互いの額を合わせた。どちらともなく額をずらし、僕たちはキスをする。
衿ちゃんの手を引いて居間に入る。叔父さん、叔母さん、そして栞里ちゃんの姿が見える。
「話したいことがあります。」
僕は3人を見渡し、最後に詩衿を見る。
うろたえる栞里ちゃんが見える。だが、僕の決心は変わらない。
「明日じゃ、ないんだ。...わたし、2階に...」
栞里ちゃんが僕の脇をすり抜けてく。彼女の涙を見て、僕はつぶやいた。
「ごめん。」
「叔父さんと話しをして、衿ちゃんとのことを認めてもらった。叔父さんから、僕の父さんの話と、叔父さんと叔母さんの馴れ初めなどを聞いたよ。
そして翌日、浅草に行って、浅草寺と浅草神社に参拝した。そのとき御朱印を知って、あの御朱印帖を買ったんだ。夕方に叔父さんと合流して、牛鍋を食べさせてもらった。叔父さんはいつもと違ってとても優しかったよ。
そして浅草神社から燈籠祭で飾られた道を歩いた。最初はね、燈籠と燈籠に照らされた街並みを見ていたんだ。途中から衿ちゃんを見ていた。燈籠に照らされた衿ちゃんは綺麗でね...最後に吾妻橋で夜景を見て、...幸せな時間を過ごしたんだ。」
衿ちゃんの姿、衿ちゃんの笑顔、衿ちゃんの声。
『悠くん、好きだよ』 吾妻橋での彼女の笑顔。
『悠くん、好きだよ』 別の日の彼女の笑顔。
『悠くん、好きだよ』 また別の日の彼女の笑顔。
不意に、暖かいものに顔を包まれる。それは柔らかくて、懐かしかった。
「悠人、思い出したんだね。」
由佳ちゃんの声が頭の上から聞こえる。手を伸ばすと柔らかいものがあたり、それを抱きしめた。
「その想いを小説に書こうよ。そしたらたぶん、...思い出になるから。」
抱えられている頭の締め付けが強くなる。首筋に暖かい何かがあたり、流れていく。おそらくそれは涙で、由佳が泣いているのだと気が付いた。
以前に感じた感触。僕が絶望の淵で藻掻いてるときに、由佳に抱きしめて貰った記憶。朦朧とした意識の中でうっすらと覚えていたが、それが本物だったと気が付く。
「由佳、泣いているのか?」
「泣いているのは、...悠人でしょ?」
僕の目と頬に涙が流れているのを感じた。僕は泣いているのか。そして由佳が僕を抱えていて、僕は彼女を抱きしめ、彼女も泣いている。
栞里さんはどうしているのか。さっきから声も気配も感じない。
抱きしめていた手を放し、彼女の腰を掴んで押し出すように少し力を入れる。
「僕は泣いていたんだな。...衿ちゃんを思い出していた。その笑顔を思い出した。...僕はもう大丈夫だ。」
「そう。」
彼女もその腕の力を緩める。僕の視界に周囲の明かりが見えてきた。
「ありがとな。以前も同じように抱きしめてくれた。感謝している。」
緩めようとしていた彼女の手が止まる。
「悠人、覚えてたの?」
「いや、覚えてなかったよ。いま気が付いた。」
「ううん、それでもいい。」
彼女の声が震えている。なぜそうなったのか想像がつかない。衿ちゃんが亡くなった後の僕が閉じ籠っていたとき、彼女が抱きしめて、僕は泣き疲れて眠った。それだけのはずだ。
「どうした?」
「ううん、覚えていてくれて嬉しかった。」
彼女の手が僕の頬を包む。彼女が笑顔で泣いているのを見た。
彼女が近づき、僕にキスをする。
彼女の後ろに、栞里さんが立っているのが見えた。




