夫婦ごっこ(2)
一周忌の法要を執り行う場所、衿ちゃんの眠る墓地の礼拝室に到着した。
開始時刻の5分前に到着し、栞里さんと手を繋いで部屋に入る。既に参列者のほとんどが席についていて、話し掛けられること無く席についた。栞里さんの両親に挨拶をしてから席に座る。座席は、父、母、栞里、僕の並びだ。
一息ついていると年配の小父さんが僕の肩を叩く。
「そこは故人の御家族の席だ。席を移りなさい。」
僕は立ち上がり礼をする。小さな部屋のため普通の声でも端まで聞こえそうだが、参列者全員が聞き取れるように大きめの声を出した。
「申し遅れました。岡田悠人です。故人の姉である栞里さんの夫になります。よろしくお願いします。喪中でしたので結婚を控えておりまして、現在は事実婚の関係となります。」
「川田の小父さん。悠人くんの言うとおりで家族と同じですから、この席でお願いします。」と叔母さんが補った。
川田の小父さんは笑顔となり、ポンと手を打つ。
「紗奈ちゃんが言うなら問題ない。悠人と言ったな。真奈ちゃんのところの坊主か?」
「はい、真奈は僕の母です。」
「大きくなったな。栞里ちゃんを幸せにしてやってくれ。」
僕の肩を叩き、笑顔で離れて行った。
法要が終わり、墓前での合掌礼拝も何事も無く終わった。
皆で揃って食事に行くと誘われたが、丁寧に断ると、様子を見ていた小母さん達が集まり、栞里さんが質問攻めに遭う。その様子を横目で見ながら川田の小父さんに礼を言い、程良いところで叔母さん達に挨拶をして、ふたりでその場を離れた。
駅までの帰り道。栞里さんが僕と並んで歩いている。
「質問がすごくて大変だった。助けて~って思って悠くんを探したけど、居ないんだもん。」
「ああ。大丈夫そうだと判断して、川田の小父さんと話していた。近くにはいたんだが、見えなかったか。」
「悠くんが言ってた質問、全部聞かれたよ。予習していなかったら危なかったかも。」
「良かったな。」
「結局、なにも無かったね。」
「そうだな。」
「伯母さまの心配は何だったのかな。」
「さあな。気にしなくてもいいと思うぞ。」
「そっか。」
電車を乗り継ぎ、雑談をしながら家まで向かう。いつものように会話は少なく、そのとき思ったこと感じたことを取り留めもなく話をする。会話のない時間が続くと何かを話さなければと焦燥に駆られるときもあるが、彼女の楽しそうな顔を見ると幸せになった。
いままで考えたこともなかったが、夫婦になり一緒にいる時間が多くなったとき、僕たちの関係はどう変わるのか。答えは出ないが、考えないわけにはいかなかった。
近所の公園の前で栞里さんが急に足を止める。僕は振り向いて彼女を見る。
彼女は俯いて悔しそうに口を結んでいた。先ほどまでの楽しげな表情は微塵も感じられない。
「どうした?」
「悠くんに黙っていたことがあるの。」
「ん?」
「この前のお墓参りの後、お母さんに会った話をしたよね。あのときの話。...お母さんが思いつめた顔で言ったんだ。お父さんと離婚するかもしれないって。...理由を聞いたよ。」
「ん。」
「お父さんがなにを考えているのかわからない。そう言ってた。...わたしそれでずっと考えてたんだ。詩衿はお父さんと仲良くしてた。わたしはお父さんを避けていた。なんでわたしは避けていたのかなって。...分かったよ。足りないの。言葉が足りない。結果だけで事は足りると思う。だけど違うの。結果ではなくて、何を思ったのか、どう考えたのかが知りたいの。...今日のことも、知ってることをちゃんと教えてほしい。」
言いたいことがあってもあまり話さない気怖じをする彼女が、声を震わせて思いを話している。
僕は目を瞑り、栞里ちゃんとの思い出を振り返った。
プレゼントを渡す。どうして?と尋ね、理由を聞いた後に受け取る。
あっちに行こうと誘うと、苦笑いをしてその場に立ち止まり、僕が理由を言って彼女が微笑む。
手を引いて一緒に歩いており、彼女は浮かない顔で黙って付いてくる。僕が歩きながらそこに行きたい理由を話すと笑顔になる。
彼女は意思を示していて、僕は理由を話していた。彼女はそれで安心して僕についてきた。
いつから話さなくなったのか。なぜ理由を伝える必要がないと思ったのか。
チクリと胸が痛くなった。
「ごめん。説明が足らなかった。いつの間にか必要がないと思っていた。そしてそれに慣れてしまっていた。どうすればいいか考えるよ。」
「うん」
「今日の件、説明するね。」
「ん。」
「あくまで推論だから、不用意に決めつけないで欲しい。...今日は夫婦となることが必要だった。それは...」
夫婦と宣言することで相手が諦めること。考えられることは少ない。親戚一同が揃う場で強行することで得られるメリットについても考慮すると、あの場で栞里さんに求婚を申し込んで親戚の同意を得ることだろう。
一周忌の法要の場では相応しくないので、その後の食事会が妥当だろうが、食事会の出席を断った場合は、墓前での解散の直後でもいい。
そう仮定した場合、僕が恋人として付き添うだけでも良いように思う。夫婦とする理由が無い。その疑問は、強制力のあるなにかを用意すること。すなわち、親が同意している許嫁だ。
事前に母さんに伝わったということは、母さんの妹である母親は可能性が低い。また祖父祖母は既に亡くなっている。したがって、父親が勝手に許嫁の約束をしたと考えられる。許嫁の約束はずいぶん前のものだろう。最近なら見合いをしてから決めればいい。
栞里さんが断れば済む話ではあるが、最も確実なのは、言わせないことだった。
「ありがと。説明してくれて。」
「川田の小父さんが丁度いいタイミングで声を掛けてくれた。僕たちのことを全員に伝えることができ、小父さんが認めたことで、あの場の全員が認めるしかなかった。だから何も起こらなかった。」「うん。」
「ひとつ謝らなければならないことがある。」
「なに?」
「相手は良い人だったかもしれない。その確認をせずに機会を潰した。ごめん。」
「ううん、いいよ。もしそうだったとしても、たぶん断っていたから。...それは悠くんの意思だったのかな?」
「そうだ。」
彼女が顔を上げた。すこし寂しそうだが、そこには笑顔があった。
無言で僕が手を差し出す。彼女が僕の手を取る。手を繋いで再び歩きだした。
彼女と手を繋いだままで家に着いた。
玄関のドアの前、手を離すのが名残惜しく感じて彼女を見る。彼女が僕を見て憂いた表情を見せる。
「ありがと。手を繋いでくれて。」
「いや、、」
彼女が手を放してバッグから家の鍵を出す。手に感じていた温もりが失われていくのを感じながら、何も考えずにその手を見ていた。
玄関のドアが開き、彼女が心配そうに声をかける。
「悠くん、どうしたの? 入っていいよ。」
「ああ、すまない。」
夕食と風呂を済ませ、自室でパソコンを使っている。いろいろあった1日で、日記を書くのに時間がかかった。なにより、彼女のことをどう思っているのか、自分の気持ちがわからなかったことが執筆に時間がかかった要因だった。
今日は日曜日でもうすぐ21時となる。いつもなら衿ちゃんへのメールを送る時間だ。だがメールは書かなかった。一周忌の法要を済ませたことで、送るのは不適当と考えたからだ。...本当にそれでよかったのか。最後のお別れを送らないでいいのか。心の中でしこりとなった。
22時になる直前、スマホのメール着信音が鳴る。衿ちゃんからのメール。「今までありがとう」。ただ一言だけのメッセージ。
心に突き刺さり涙が溢れた。ベッドにうつ伏せて嗚咽を漏らし、声にならない声を出して衿ちゃんにお別れをした。
夢を見た。衿ちゃんの夢。
「今までありがとう」と言って彼女が遠ざかっていく。僕は手を伸ばすが、衿ちゃんには届かない。次の瞬間に衿ちゃんが目の前にいて「わたしは此処にいるよ」と言って色が薄くなっていった。
もやもやした柔らかい光を感じ、手が暖かくなる。赤ちゃんをあやすように、なにかが僕をトントンとしている。光が失われていき感覚が遠のいていき、頬が暖かくなり、心地よい音色が聞こえた。
なにかホッとして、ぐっすりと眠った。




