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家政婦の彼女 -ふたりが夫婦になるまで3―  作者: 海來島オーデ
そして僕たちの関係が始まる
22/39

キスの理由


詩衿の一周忌の法要を明日に控えた日の夕食時。

母さんが一時帰国する予定であったが、体調を崩したため見送るとメールがあり、夕食の前に栞里さんに話をする。


「昼にメールしたけど、母さん体調崩したようで来れなくなった。ごめん。」

「ううん、仕方ないよ。伯母さまは大丈夫なの?」

「詳しくは聞いてない。父さんからの連絡は無いから大丈夫だと思うぞ。」


スマホの着信音が鳴る。見ると母さんからの電話だ。


「丁度、母さんからの電話だ。」


ビデオ通話での着信で、電話に出ると画面に母さんの顔が映った。


「悠人、元気?」

「こっちは問題ない。母さんこそ体調はどう?」


スマホを置く場所を探す。食卓の上は料理が並んでいるため、ソファーに移動してテーブルにスマホを立てた。カメラの位置を調節しながら会話を進める。


「発熱があってね。単なる風邪だと思うから心配しないで。そっちで困ってることや変わったことはある?」

「特には無いよ。」

「栞里ちゃんは近くにいるの?」

「いるよ。呼ぼうか?」

「そうね。顔が見たいわ。」


栞里さんを見ると、こちらの様子を見ていた。手招きをする。


「母さんが栞里さんの顔を見たいってさ。こっちに来て。」

「うん。」


僕は少しずれて場所を空ける。栞里さんが屈んで画面を覗いてからソファーに座った。


「伯母さま、栞里です。お元気ですか?」

「元気よ。仕事も順調。いまはちょっと風邪引いちゃったけどね。ごめんね急に行けなくなっちゃって。」

「いえいえ、大丈夫です。」

「悠人とはうまくやってる?」

「はい。仲良くさせて頂いてます。」

「よかった。悠人に言いたいことをちゃんと言ってるの?」

「...まあ、ほどほどには。」

「黙っていないで言いなね。悠人は無愛想だけど何でもやってくれるから。ね、悠人。」

「否定はしない。」

「なんなら結婚してって言ってみたら。してくれると思うわよ。」

「いやいや、さすがにそれは考えるよ。」

「あはは、まあ仲良くね。」


呆れて大きくため息を吐いた。隣に座る栞里さんを見ると、顔を赤くして俯いている。


「それで、明日はどうするの? 式には出る?」

「そりゃ行くだろ。なぜ?」

「聞いてない?...そう...」

「何かあるのか?」

「明日はあなたたち夫婦として参加してね。年齢が未だなので籍は入れていないって(てい)でお願い。」

「...理由は?」

「知らなくていいよ。」

「悪戯ではないよね?」

「もちろん。紗奈(さな)には私から伝えとくから。」

「わかった。」


紗奈とは母の妹で、栞里さんの母親だ。


「栞里ちゃん、よろしくね。明日は夫婦なんだから、悠人をこき使っていいよ。」

「はい。頑張ります。」


栞里さんが絞り出すように返答し、顔がさらに赤くなった。


「それじゃ切るわね。ふたりの顔が見れて良かったよ。」

「おう、じゃあな。」

「伯母さま、お元気で。」

「あ、ちょっと待って。」


母さんが画面の向こうで何か操作をしている。


「ん、いいかな。では切るよ。じゃあね。」


画面が閉じて通話が終わった。

一息ついて体の力を抜き、隣に座る栞里さんを見ると、彼女がちらっと僕を見て顔を伏せた。


「明日は夫婦だそうだ。」

「うん。」

「母さんは真面目に話していた。従うべきかな。」

「うん。」

「一緒にいるだけでいいと思う。それだけで雰囲気は出るだろう。」

「うん。」

「あとは質問されたらどうするか...」

「悠くん、冷静だね。わたしはどうしたらいいのか戸惑ってる。」

「ん? えーっと、冷静でいられるように別のことを考えている。だから...」


頬を赤らめた彼女が上目遣いで僕を見ているのに気が付き、彼女の長い睫毛や大きな瞳を見てドキッとした。かつてのように彼女を抱き寄せたい気持ちが芽生えるのを感じた。

不意にスマホが鳴り、慌てて掴む。母さんからのメールが開き、添付の画像が映し出された。

それはさきほどの電話の画面キャプチャで、僕と彼女が並んで座り、顔を寄せて談笑しているように見える。ふたりとも顔を赤らめており、まるで恋人同士のようだと思い、意識をしたことで胸が高鳴り上気した。

彼女が画面を覗き込み顔が火照ったのを見て取る。恥ずかしそうに身を竦める彼女の仕草を愛おしいと感じ、ふっくらとした彼女の唇に吸い込まれるように、彼女を両手で包み、その唇にキスをした。


長いキスの後、唇を離すときに吐息を感じ、またキスをしたくなる気持ちが走るが、強く意識して彼女から手を離した。彼女が名残惜しそうに僕を見てから、恥ずかしそうに頬に手をあてて俯いた。


「ごめん。驚いたよね。」

「うん。」

「ごめん。」


無言のまましばらく座っている。触れてはいないが相手の体温を感じるほど近い距離で、頭はぼうっとしており何も考ることができず、彼女を抱きしめたい気持ちは何処かに行ってしまったが、離れたくないという気持ちが残っていた。

不意に彼女が立ちあがり、瞬間、一緒に立ちあがろうと足が動くが、気持ちを抑えて座ったままの姿勢を維持した。


「ご飯冷めちゃったから温めるね。」


彼女が食卓に向かい、いくつかの皿を持って台所に行く。その姿をぼんやりと眺めていた。



夕食を取っているうちに冷静になり、風呂に浸かりながらさきほどの行動について考える。風呂の後、栞里さんが風呂から出てくるのを居間で待つことにした。

風呂から出てきた彼女に食卓の椅子に座るように促し、さきほどのことの謝罪と気持ちを話した。


「さっきはごめん。キスした理由だけど、君を愛おしいと思った。だけどそれは一時(ひととき)のもので、雰囲気に流された結果だと思っている。以前のことを思い出して懐かしくなった。君を好きだったころのことを思い出して胸が苦しくなった。君を見て押さえきれなくなった。だけどそれは以前の気持ちで、今はどうなのか分からない。...君を裏切るようなことを話しているよね。ごめん。」

「教えて。それはわたし?」

「ああ、もちろん。衿ちゃんの姿で、衿ちゃんの話し方を真似ていた。だけど間違いなくそれは栞里ちゃんで、頑張る君を僕は好きだった。そして一緒に鐘を叩いて、帰りに公園でキスをした。」


彼女は驚いた表情を見せるが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「やっぱり知ってたのね?」

「ああ。」

「御朱印帳?」

「違う。...会えばわかるよ。ずっと君を好きだったから。...誤解しないでほしいけど、衿ちゃんと君のふたりとも好きだった。...ごめん、不誠実なことを言っていると分かっている。」

「ううん、いいの。わたしはあなたを騙していたから。」

「騙されたとは思ってないよ。君だと気が付いたときは嬉しかった。だけど、いま君を好きかは、分からなくなっている。...考える時間があって、僕は分からなくなったんだ。君に君だと言って欲しかった。衿ちゃんはどうしたのか言って欲しかった。」

「...ごめんなさい。わたしは覚悟が無かった。悠くんがわたしを拒否したらと思うと怖かった。」


テーポットを持ち、テーカップに紅茶を注ぐ。ふたりでその注がれる紅茶を見た。


「分かってる。そして、過去のことはもういいんだ。僕はこれからのことを考えたい。僕は君を好ましいと思っていて、これからもっと好きになっていきたいと思っている。だけどそれはまだキスをするほどの強い気持ちではないんだ。」

「ん。わかった。ごめんなさい。これからもよろしく。」

「...なんか適当になってないか?」

「ん。今日は疲れちゃった。...ありがと。」


彼女は紅茶を一口飲む。


「うん、美味しい。」



自室でベッドに横になっている。明日のこと、これからのことを考え、眠ることができずに時間が過ぎて行く。

カチャと音がして部屋のドアが開いた。部屋の明かりは消灯しており、外の街灯の明かりでぼんやりとした部屋の中、白い人影が見えた。


「悠くん、まだ起きてる?」

「どうした?」

「眠れなくて、いいかな?」

「ん?」

「一緒に寝てもいい?」

「狭いぞ?」

「いいよ。」


もぞもぞと布団の中に入ってきて、枕元に顔を出した。


「一緒に寝るの久しぶりね。抱き付いてもいい?」

「ああ、いいぞ。」

「ん。」


僕の胸に顔を埋める。少しすると寝息を立てていた。

僕は欠伸をして、彼女を抱きかかえるとすぐに眠りについた。




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