詩衿への報告
朝起きて居間に向かう。テーブルに朝食が用意されており、栞里さんは台所にいる。おはようと挨拶を交わし席に座ると、栞里さんも席に座り、頂きますと言って食事が始まる。
いつもと同じ朝。いつもと同じで会話は少ない。違ったのは、栞里さんが僕の予定を聞いてきたことだ。
「悠くんは、今日は何をするの?」
「いや、特には決まっていない。」
「そう...」
「どうした?」
「ううん、なんでもない。」
「用事がないなら、走ってこようと思う。いいかな?」
「いいよ。お昼御飯は?」
「外で食べるよ。」
「ん。...わたしも出掛けるね。夕方には帰るから。」
「わかった。」
出掛ける準備をしながら行き先を考える。今日も良く晴れており日差しが強い。サングラスを着け、リュックを背負ってヘルメットをかぶる。ロードバイクに跨って、気を吐いてペダルを蹴る。交通量の多い国道を自動車と並走しながら走った。
目的地の最寄り駅で自転車を止め、駐輪場に停車してトイレで着替えをする。近くの花屋で仏花を購入してから、緑豊かな街路樹の歩道を歩き、小川を渡って墓地の門を潜った。衿ちゃんが眠る場所だ。
墓前で手を合わせた後、花立の枯れ草と墓石の周りの落ち葉を片づける。先月来た時に活けた花束よりも枯れ草が多いため、その後に誰かが来たのだろうと推察した。バケツに水を汲んで、墓石に柄杓で水を掛けてタオルで洗う。
手を動かしながら衿ちゃんに話しかけた。
「いつか君と行く約束をしていた場所に行って来た。君に声を掛けずに行ったけど、一緒に行ってくれたかな。栞里さんと由佳ちゃんも一緒だったから怒っていたらごめんよ。
君の御朱印帳に御朱印を貰ったよ。いままでどおりに貰わないことも考えたんだけど、君が日付を書くことはもう出来ないし、君と一緒に旅をするのが目的だったから。
富士山が綺麗だったよ。雲ひとつなくて、夕焼けの中で富士山の表情が変わっていくんだ。君に見せたかった。
あの場所に、幼いころに行ったことがあったね。忘れていたんだけど、お土産を買う時に思い出したんだ。お土産を買って遊覧船とロープウェイに乗った。僕の隣に女の子が居て、ふたりのどちらなのかは思い出せなかったけど。
少し前から栞里さんが家に来てるんだ。家政婦として住み込みでね。そしていつも僕に声を掛けてくれる。
僕はずっと栞里ちゃんを避けていたんだ。君を選んだけど、栞里ちゃんも好きだったから。君の代わりに栞里ちゃんが来るようになって、栞里ちゃんから暫らく会わないと言われて。そんな僕のはっきりしない気持ちを知って、ふたりとも離れていったのかなって思ったんだ。...君が病気と知らなかったから。
君の病気を聞いて、そう言ってくれよって思った。君が僕には黙っていてほしいと言ってたのも聞いたよ。それでも割り切れなくて。僕が君を疑ったことを僕が許せなくて、その原因を作ったのは栞里ちゃんだと思いこんだんだ。
馬鹿だったよ、誰も悪くないのに。...それを飲み込むまで1年もかかった。
旅行には栞里さんと由佳ちゃんを連れて行ったんだ。由佳ちゃんは僕を好きだと言ってくれた。栞里さんはなにも言わないけど、嫌いなら家に来ないだろ。
僕は衿ちゃんのほかにもう一人くらいしか想えないから、ふたりのどちらかを選ぶよ。どっちも良い子なんだ。旅行で見ていてくれただろ?」
掃除が終わって顔を上げる。バケツを持って歩きだすと、目の前に人影があった。白地で7分袖のTシャツに足首まであるライトブルーのフレアスカート。その配色は栞里ちゃんが好んで着ていた服装で、ひと目で栞里さんだと分かった。
「悠くん、来てたんだ。」
「栞里さんも。」
彼女がにこりと笑み、僕の脇を抜けてお墓に手を合わせる。
「ありがとう、掃除してくれて。お花、買ってきたよ。」
「ああ、僕も買ってきた。水を汲んでくるよ。」
「わたしも手伝うね。」
僕がバケツと柄杓を洗い、隣で彼女が花立を洗う。花立に水を汲み、ひとつずつ持ってお墓に向かう。買ってきた仏花を花立に立てて見た目を整えた。
「そこの駅前で買ったけど、悠くんも?」
「ああ。」
ふたりで並んで墓前に手を合わせた。
「栞里さん。」
「なに?」
「よく来るのか?」
「毎月来てるの。悠くんは?」
「時々、気まぐれで。1月に1回くらいかな。」
「ありがと。詩衿を悼んでくれて。」
栞里さんがお墓に向いたままで微笑む。少し寂しそうに見えた。
「僕はもう帰るよ。栞里さんは?」
「わたしはもう少し此処にいるよ。悠くんは先に行ってて。」
「わかった。先に行くよ。」
「うん。」
墓地の門の前で彼女を待つ。約束はしていないし、ひとりで思う時間が必要かもしれない。また、待っていても僕は自転車だから一緒には帰れない。迷惑かもしれないと迷った末に待つことにした。昼食を一緒にと誘おうと思う。
20分ほどして栞里さんが来た。僕を見つけて微笑む。
「待ってたの?」
少し寂しそうに彼女は言う。その表情から、待ってて良かったんだろうかと過ったが、もう取り消すことは出来ないため、考えていた通りに昼食を誘うことにした。
「一緒に昼食でもどうかと思って。」
「いいわよ。お勧めはある?」
「駅前の野菜カレーのお店。知り合いが勧めてたんだ。初めてなんだけど、どうかな?」
「ん、そこでいいよ。わたしも行ったことないし。」
ふたりで街路樹のある歩道を歩く。ハクセキレイが早足で歩いてきて、僕たちの前で翼を広げて飛んで行った。僕が前を歩き、栞里さんは僕の左を一歩遅れて歩く。
「出掛けに思い立って、ここに来たんだ。来週はゆっくり話が出来ないだろうからってね。」
「そうなんだ。わたしは朝ごはん作っているときに来ようと思ったの。詩衿と話がしたくなって。同じ理由だね。」
「だから予定を聞いたのか。」
「うん。来週も来るし、悠くんを誘うか迷ったの。」
「そうか。...もう一周忌だな。」
「うん。」
「来週はどうする?」
「日曜日に一緒に行ってくれる?」
「いいけど、自宅には泊らないのか?」
「うん。」
「命日は?」
「入学式を休んで悠くん家で静かに過ごすよ。悠くんは?」
「僕も、家にいるよ。」
お店に入り取り留めのない話をしながら昼食を取った。
墓前で栞里さんが何を話したのか。それが気になったが、墓地から出るときの栞里さんの表情を思い出し、聞くことは出来なかった。
お店を出て、駅の改札前に着く。
「では、僕は自転車で帰るよ。」
「うん、気をつけてね。」
「ああ。栞里さんも気をつけて。」
栞里さんがくすくすと笑う。
「どうした?」
「同じ家に帰るのに見送りって、面白いね。」
「そうか?」
「別れを惜しむ恋人みたいかも。」
「ふっ、そうだな。」
ふたりで顔を見合わせて微笑む。その笑顔はいつもの栞里さんだ。冗談を言ってから別れることにした。
「では、別れ難いがしばらくお別れだ。次はいつ会える?」
「御飯の準備があるから、4時頃には帰るね。」
「わかった。僕もそれくらいかな。」
「ん。」
「では再会を楽しみにしているよ。」
「うん、悠くんまたね。」
「ああ、またな。」
改札に入っていく栞里さんを見送る。彼女が振り向いて手を振った。




