家政婦さんが来た日
「父さん、来週から海外に転勤するから。二年間の予定だ。土曜日に出発する。」
「お父さんの転勤に私もついていくわ。」
僕にそういうと、目の前で両親がいちゃいちゃしだした。「新婚旅行みたいね」とか言っている。仲の良い夫婦で結構だが、僕は穏やかではない。
「僕はどうなる。ひとりで暮らせということか?」
「あなたひとりでは不安なので家政婦さんを呼んでいるの。私達が出発する日、土曜日の午後に来るから仲良くしてね。」
「お金は?」
「お小遣いは銀行に振り込むわ。食費などの生活費は家政婦さんに渡すから、必要になったら家政婦さんに聞いて。」
通帳とハンコを受け取った。岡田悠人と書いてある。僕の名だ。
「高校にはきちんと通ってね。次は三年生なのだから受験勉強を頑張ってよ。必要なときには帰って来るからね。」
準備が出来ているようで、何を言っても無駄と察した。
「わかったよ。何かあればメールするから。」
「ん、そうね。母さん達が帰るまでこの家を頼むわね。」
一週間が経ち土曜日が来た。父さん達が出発し、居るときは邪魔と感じるときもあったが、今日からしばらく居ないと思うと少し寂しくなる。
午後に家政婦さんが来ると聞いており、どんな人が来るのか不安と緊張で何も手に付かない。ゲームをして時間を潰していると玄関の呼び鈴が鳴った。
玄関を開けると若い女性がいる。僕より頭ひとつ低い程の背丈。ブラウンのロングヘアー、眉毛が細くきりりとしている。ナチュラルな化粧だが、肌が艷やかだ。可愛い顔立ちで、どことなく見覚えがある。
「こんにちは。悠くん?」
聞き覚えのある声に知人を思い出した。
「栞里さん? 久しぶり。」
彼女は微笑んだ後、真面目な顔をしてから挨拶をする。
「家政婦として来ました、真木栞里です。今日からお世話になります。」
「こちらこそお世話になります。悠人です。」
僕は平静を装うが、内心は慌てている。家政婦の人は勝手におばさんだと思い込んでいたのだが、若い女性が来るとは思ってもいなかった。
僅かな時間固まっていたが、彼女が僕を見ていることに気が付き、ドキッとする。
「あの、お邪魔してもいい?」
「ああ、はい、どうぞ。」
居間に導く。彼女は大きな旅行バッグを持ってきていた。家政婦の仕事道具でも入っているのだろうか。
椅子に座るように促し、僕はお茶の用意をしてから彼女の対面に座った。
「栞里さん、ずいぶんと印象が変わってて、誰だか分からなかったよ。」
「1年ぶりね。だいぶ痩せたから変わったかも。悠くんも変わったね。大人っぽくなった。」
栞里さんは僕の従姉になる。幼少のときから中学生になるまで一緒に遊んでいた。その後は親戚として法事などで会う程度になる。
何を話したらよいのか分からず無言の時間が流れる。彼女は静かにお茶を飲んでから、マグカップをテーブルに置いた。
「荷物を運びたいけど、わたしの部屋を教えて貰える?」
「え?」
「今日からここに住むの。聞いてない?」
僕は聞いていない。一緒に住む? 栞里さんと?
「どうしたの?」
彼女に声を掛けられ、我に返る。
「ごめん、ちょっと考えてた。」
空き部屋はひとつしかない。倉庫になっていたはずで、片付けてあるのか不安だが、行ってみることにした。駄目なら今日は両親の部屋に行ってもらおう。
「たぶんあの部屋だろう。案内するよ。あ、荷物は僕が運ぶよ。」
「ありがとう。」
彼女の荷物を持ち2階に上がる。手前が僕の部屋。その奥の部屋が空き部屋だ。ドアを開けると見覚えのない部屋になっていた。白いカーテンが掛けられ、ベッドが置かれている。
部屋が整っているので、ここで良いのだろう。僕は荷物を置いた。
「多分ここかな。何かあったら言って。」
「うん、ありがとう。」
彼女を部屋に残して居間に戻りテレビをつける。少しすると彼女が降りてきた。デフォルメしたナマズの絵が書かれたエプロンをしている。
「早速だけど、夕食を作るわね。」
台所に立つ彼女の後ろ姿を見ながら、母さんにメールを送る。すぐ返信があったので何度かやり取りした。
「家政婦さんが来た。栞里さんだとは聞いていないし、ここに住むってことも聞いていない。」
「言ってなかったっけ? 以前は仲良かったんだし、問題ないでしょ。もし手を出したら責任とるのよ。」
「仲良かったって言うけど、もうあの時とは違うよ。」
「簡単ではないのは分かるけどね。割り切りなさい。では、仲良くするのよ。可愛いお姉さんが出来て良かったね。じゃあね。」
栞里さんが料理を運んでくる。
「彼女?」
「いや、母さんに。栞里さんが来たとメールしたんだ。」
食卓に料理が並んでいく。温かいご飯に豚生姜焼き。ふたり対面で座り、一緒にいただきますをして箸をつける。
「栞里さんは、なぜうちに?」
「4月から通う大学がここから近いのと、アルバイトを探してたので、丁度良いと思って。」
「其処野大学?」
「うん。」
「家からでも通えるのでは?」
「まあね。住んだほうが交通費が浮いて得だったの。迷惑だった?」
「・・・分からない。正直なところ、どう接していけば良いのか悩んでる。」
「そうね。わたしも悩んだけれど、居辛くなったら家に帰ればいいかなって。」
そういうと栞里さんは、少し寂しそうににっこり笑う。相槌をしながら僕は苦い顔をした。
「悠くんは今度高校三年生でしょ? 進学するの、それとも就職?」
「大学に行く。」
「そう。受験勉強、手伝うわね。」
「ありがとう。」
食後、自分の部屋で寝転びながらマンガを読むが、モヤモヤしてマンガの内容が頭に入らない。気を紛らすためにTVゲームを始めた。
しばらくして、階段を上がってくる音が聞こえる。
「ゆうくん、お風呂できたよ。」
「わかった。」
階段を下りると栞里さんが待っていた。
「明日は時間空いてる? 近くを案内してほしいの。近所に何があるのか知りたいわ。」
「ああ、いいよ。」
「朝ご飯はいつも何時?」
「7時からかな。」
「明日も7時に用意するわね。」
「ああ。」
「出掛けるのは9時ころでいい?」
「わかった。」
いつものように1時間ほど勉強をしてからベッドに入る。勉強の時間は決めていて、22時から1時間だ。科目は曜日で分けている。開始時間は成長につれて後ろにずれて行ったが、寝る前に勉強する習慣はいつの間にか根付いていた。
ベッドに入って間もなく、階段を上がってきてドアを閉める音が聞こえた。栞里さんが隣の部屋に入ったのだろう。
気になって、息を潜め聞き耳を立てると、微かにカチカチと音が聞こえる。パソコンのキーボードを叩く音だろうか。
しばらくして音が聞こえなくなり、僕はいつの間にか寝ていた。