chapter-32
────────あれから、4ヶ月ぐらい経った。
俺達はというと、まだ、グラナシエールの世界にいる。
ここまで長かったような、短かったような、不思議な感覚だ。
あの暝い霧の城で。
魔道書は、神様の叡知に繋がっていて、それにアクセスできる【ツール】だ、とコクトーが言っていた。
ロッソの持つ赤本【魄の書】を借りて、シグさんが調べてみたところ、確かに元の身体を復元して再構成する事は可能だということだけは分かった。
但し、それだけではダメだということも。
魂を別の身体に移す為には、白本が。
魂と身体を元通りに紐付けする為には、黒本が。
結局、元に戻す為には、三冊必要なのだという事も。
それ以上の事は調べられなかった。
ボスクラスの能力を持つシグさんですら、調べるだけで死にかけたから。
神の叡知から情報を検索するには、恐ろしいほどの莫大な代償──アイテールが必要だった。
だからコクトーは、あの魔の城と狂王を代償として捧げ、調べていたのだ。
俺たちは、世界を駆け回った。
皆は、三冊の魔道書を集めて、元の世界に戻る為に。
俺とシグさんは、三冊の魔道書を集めて、元の身体を取り戻して、皆と一緒に帰る為に。
マツリ姉をリーダーに、シュテン、シーマ、ビオラ、俺、シグさん、コケ太郎。
俺も含めて、ここまで誰1人、パーティを抜けることはなかった。
結構大変なことも、きついことも、沢山あったけど、楽しいことも沢山あった。
多くの人達がいる中で、こうして出会えて、本当によかったと思う。
でも──それも、もうそろそろ、仕舞いになりそうだ。
最近、あの男の言っていた言葉を時折、ふと思い出す。
白金の髪にスミレ色の目をした、笑い顔のあの男。
男、いや──あれは、人ですらない。
人の形で偽装した、何かだ。
あいつが何なのかは、今でもよく分からない。
何のために、こんなことをしたのかも。
ああでも。もしかしたら。
────自分だけの【世界】を、創ってみたかったのだろうか。
──────君たちが、本当に帰りたいと思ったならば……そこへ至る道が開けるはずだよ。真に願うならば──三冊の魔道書へと辿り着くはずさ。真に、願うならばね。
──君たちが真実願うならば、再び会うこともできるだろう。
今から少し前に、【魔道書探索本部】のロッソのところに、【宵月】という名の青年が尋ねてきた。
彼は、みんなが言葉にしなかったけれど、心のどこかで諦めかけていた黒本──【暝の書】の持ち主だった。
それまでコクトーの行方もわからず情報も少なく、膠着状態だった物事が、一気に動き出した。
まるで、クエストキーを手に入れた時の様に。
それまで雲隠れしていたコクトーの情報も、徐々に入ってくるようになった。
あろうことか、ロッソの赤本【炎躯の書】を盗んで、極寒の北方面にある、雪に埋もれた遺跡──【忘れ去られた神殿】に逃走したという。
俺達が【魔道書探索本部】に戻った時には、ロッソと宵月たちは、既に北に旅立った後だった。
こういうとき、メールなりなんなり、連絡手段がないのは本当に不便だ。メール機能とテレポート機能が削除されているのは、かなり痛い。
俺達は、【忘れ去られた神殿】に向かったロッソ達を追った。
遺跡のある雪原地帯は、防寒対策をちゃんとしておかないと【体温低下】して死に至る危険なフィールドだ。
しかも周りが雪で白い為、吹雪にでも遭遇した日には、高確率で遭難してしまう。
コクトーは、すでに白本と赤本を手に入れていた。
残るは、黒本のみ。
もしかして、あの古城でやっていたような事を、またするつもりなのだろうか。
自力で、元の世界に帰るつもりなのだろうか。
あの白銀の男は──あの女性を蘇らせるつもりなのだろうか。
コクトーが、先に三冊の魔道書を使ってしまったら。
俺達は焦りと嫌な予感を覚えつつ、雪原の中、遺跡を目指した。
途中、怪我をした冒険者を助けたり回収したりしながら進み、ロッソ達と合流した時は、すでに宵月は攫われた後だった。
──18枚羽の白銀の竜に。
マダム・蝶々がいつだったか、話してくれた。
竜は、とても情が深い生き物らしい。
よって、一見無情に見えるが、あれは情を移さぬように振る舞っているのだという。
けれど、もしも、ひとたび想いを寄せてしまったなら──生涯想い続けてしまう。
故に、愛する者を失った時には、ほぼ全ての竜は──気が狂うのだと。
俺は、それを聞いて何故だか、あの白銀の男を思い出した。
何故だか、わからないけれど。
あの時は、灰色の化け物みたいな竜も何故だか後を追ってきたりして、結構、いや、ものすごく、大変だった。
シグさんがいなかったら、マジで全滅していたかもしれない。いやマジで。途中で戦闘になったけど、まともに戦えてたのはシグさんぐらいだ。
いや、普通こんな少ない人数で大型の【竜】とかと戦わないから。あれ、2、30人以上のプレイヤーたちで戦うことを前提にした超大型レイド系のボスだから。大砲とか拘束具の迎撃設備とか使わないと倒せないやつだから。
今思えば、みんなよく生きて帰ってこれたなと思う。いやいやマジで。
遺跡の中に駆け込んだ時には、すでに決着がついている状態だった。
白銀の竜も、灰色の歪な竜も、コクトーも、宵月も、宵月と一緒にいた灰色の男も、いなくなってしまっていた。
────三冊の魔道書と、まるで兄妹みたいに宵月と一緒にいた、幼い犬人族の双子の子供を残して。
俺達は犬人族の双子の子供と、三冊の魔道書を持って、本部にもどった。
竜は、人に変化もできるらしい。
もしかしたら、あの白銀の男は──
──いや、今となっては、もうわからない。
わかる者は、みんな、いなくなってしまった。
遺跡をあとにして、持ち帰った三冊の魔道書は、凍結している状態だった。
文字通り──凍りついていた。
ロッソが言うには、持ち主を探している状態の様らしい。
ということは、宵月は、どこかで生きている、ということだ。
俺達は魔道書ではなく、今度は、宵月を探して世界中を飛び回った。
しばらくして、宵月はひょっこり戻ってきた。
ようだ。
この野郎、お前一体どこに行っていたんだよ。ローラー作戦並に世界中を探したけど、まったく、ちょっとした情報すら見つからなかったのに。
三冊の魔道書も、宵月が現れると同時に解凍された。らしい。
その時、俺達はウェイフェアパレスがある中央部から離れて、西の方へ探しにいっていたから、詳しいことはよく分からない。
ずっと、ずうっと後に、本部に戻ってから聞いた話だ。
遠く離れていて、どうして宵月が戻った事がわかったのかと言うと。
それまで使用不可能だったメール機能が、突然使えるようになったからだ。
宵月とロッソからの、メールの着信と同時に。
俺の知らない間に何かが起こっていて、宵月がその間に何をしていて、どうやって機能を使えるようにしたのかは、俺には分からない。
でも──
分かっているのは、宵月たちが知らない間に、俺たちの物語は進んでいて、
俺たちが知らない間に、宵月たちの物語も進んでいた、ということだ。
シュテンや、マツリ姉や、シーマや、ビオラの物語も。
ディレクやユズさんの物語も。
コクトーと、
白銀の男の物語も。
俺たち以外の、俺たちの知らない、誰かの物語も。
見えないけれど、何処かでは、誰かの物語は動き続けている。
そうやって、時には誰かの物語と絡み合って、離れて、紡がれていくのだ。
あの男が言ったように──全ての事象は、因果に従って起こっている。
俺の知ってる人の、俺の知らない人の、無数の、沢山の物語が因になり──紡がれて──
今、此処にようやく。
帰結する。
手仕舞いの準備が、整ったようだ。
* * *
長く本部を離れていたから、そろそろ一度、報告する為に戻ってみようかと、ウェイフェアパレスの1つ手前の町、【ルースト】まで俺たちは帰ってきていた。
ルーストに着いたと同時に、前触れもなく突然に、全員の冒険者バングルから着信音が鳴り響いた。
少々デジタルチックな響きの、鐘が鳴るような音。
俺たちは動揺した。
その着信音は、聞きなれない、いや、嘗ては聞き慣れていた音だったからだ。
「め、めめめめめ、メールが、と、ととと届いてるです……っ!!」
「ええええっ!? マジでええええ!?」
「マジかァ!?」
「おおおー!? 本当だ……メールが届いてるー!?」
「メールだ……」
全員が冒険者バングルを操作して、メールウインドウを開いた。──シグさんを除いて。
【冒険者各位
一斉メールにて失礼します。
帰還の手段が見つかりました。
帰還したい者は、今から約2週間後の、星魚月1日に、ウェイフェアパレスの魔導書探索本部に集合してください。もしも 期日までに本部へ来る事が出来ない方は、このメールに理由等を返信して下さい。折り返し、こちらより送迎手段等ご連絡致します。
一度帰還した者は、二度とグラナシエールには戻れません。よく考えて、各自、御自身の意志にて選択してください。
魔導書探索本部 ロッソ 宵月】
ビオラが、泣きそうな顔で両手を握りしめた。
「き、ききき帰還の手段が見つかりましたって……か、かかかか、帰れるって、書いてあるですううううわああああん!!」
「ま、まじだああああうわあああん!」
ビオラが泣きながら抱きついてきたので、俺は頭を撫でた。
泣きながらシーマも抱きついてきたが、シグさんがものすごく慣れた手つきで、猫の子を掴むように釣り上げた。いや、ありがたいんだけど。別に、もういいけどな。予想通り、やっぱりシーマの奴、ぴっかぴかの中学1年生だったし。寝言で母ちゃんって呼んで泣いてるし。ビオラと一緒で、最近ちょっと、ホームシックに罹ってたしな。
シュテンが両手を打ち鳴らした。
「おっしゃあああ! ウェイフェアまではもう目と鼻の先だ! おまえらああァ! 今日は飲むぞおおお──おごああっ!」
「だから未成年に酒を勧めるなと言ってるだろうがこの酒飲みオヤジめ!」
マツリ姉が、呆れながらも嬉しそうにシュテンの脇腹を殴った。急所に綺麗に入ったようで、シュテンが悶絶している。
帰れる……?
俺もやっと、今頃になって実感が湧いてきた。
本当に、帰れるのか。マジか。
──俺たちがいなくなった後の、向こうの世界は今、どうなっているのだろうか。
ロッソ達から聞いた話だと、どうも、俺たちの代わりに俺たちのダミーみたいな奴が当て込まれている。らしい。
あいつか。あの、笑い顔の男がやったのだろうか。一体なんなんだ、あいつ。
考え出すと、何故だか、とても、怖くなる。
その話を聞いた時、失った穴を仮補修して、何も変わっていないよ、と騙しているみたいに感じた。そしてそれは、大きく違ってはいないようだ。
シグさんが、いつか言っていた。
【歪み】は世界を不安定にさせる。だから、何も歪んでないですよ大丈夫ですよ、と世界を騙してるのかもしれませんね、って。
でも、話を聞くとあまり良いダミーじゃないらしいから、とても不安だ。ダミー俺、ちゃんと【俺】をやってるんだろうか。
親父や母さん、兄貴たちは元気かな。
友達も、元気でやってるかな。
巽は相変わらずだろうけど。
あいつ、根本的に深く物事を考えない奴だからな。
俺が農園に植えた野菜の苗は、もう花が咲いた頃かな。
「良かったなあ、旦那! やっと帰れるぞ!」
シュテンが、豪快にバンバンとシグさんの背中を叩いた。
「そうですね。良かったですね」
シグさんも笑顔で答える。
「途中になってた仕事がどうなってんのか、怖ェけどな……」
「そうですね……。そうだ、シュテン。向こうの世界に戻ったら、お願いしたいことがいくつかあるんですが、いいですか? 知り合いに連絡だけでも。先にしてもらえたら助かります」
「おう! いいぞ! ……つーか、今までしなかったのも不思議だけどよ。皆、連絡先だけでも交換しとかねェか? あと、本当の名前とかよ。まあ、良ければでいいけどさ」
シーマとビオラが嬉しそうに頷いた。
「は、はいです!」
「そうだそうだ、しようっッス! んで、今度オフ会とかしないっスか!?」
「お。良いねェ! ビールと焼酎が恋しいぜ」
「まったく、いつもお前らはお気楽だなあ……。でも、連絡先の交換は、うれしいなー。向こうに戻ったら、よければ連絡ちょうだいな」
「もちろん、するっスするっス!」
皆が嬉しそうに盛り上がっている。
「お、それで、連絡ってなにすりゃあいいんだ? 旦那」
「ええ。ロジスティクスシステム・インターナショナル・SNC、という会社の企画本部長、巽晃一郎という人に伝えて欲しいことが──」
みんな、今まであまりしてこなかった、向こうの世界のことを、堰を切ったように話し始めた。
それというのも、なんとなく、その話題を避けていたところもある。
話せば、必ず思い出してしまうから。
帰りたい者にとって、帰れるかもわからない状況で、その話をするのはとても辛い。
それが今、晴れて解禁されたのだ。
「つーかよ、旦那。どうせ戻るんだし、いいんじゃねえか? ちったぁ連絡遅れても」
「──いえ。俺が……すぐに動けなかったら困るので」
「そっか。まあ、いいけどな。まかせとけ!」
「仕事人だなあ、シグ兄は……」
「お仕事、すごいです!」
「おおお!? ロジスティクスシステム・インターナショナル・SNCって言ったら、めっちゃ大企業じゃないっスかあああ!? 世界中に支店があって、銀行からデータバンク、クラウド、いろんなことやってて、未だ破られてないセキュリティシステム持ってて、世界一の巨大サーバ持ってんスよね!? すげええ! 俺が大学でたら、あんたの会社に連絡するっスから、俺の事も宜しく伝えておいてほしいっス! そしたら、もう就職活動しなくても済む──あだっ」
「楽をしようとするな、少年」
マツリ姉に頭を叩かれて、ちぇー、とシーマが口を尖らす。
「おっまえ、大学までいける気でいるのかよ!」
「ひ、ひでえっス!」
皆で、笑いあった。
そう。
──皆は、知らないのだ。
気にしたらいけないから、とシグさんが、詳しくは話さないことに決めてたから。
だから、俺だけが、知っている。
「よかったなー! サクちゃん! 帰れるよー!」
「……うん」
俺は気力を総動員して、どうにか、皆に合わせて、笑顔を作った。
作れているだろうか。頑張れ、俺。泣くな。
シグさんが、────嘘を、皆に最後までつきとおす気なら、俺もそうしなければ。
うん。
そうだよな。
最後は、苦しくて辛い思いが残るお別れじゃなくて、できれば、笑って、よかったね、って幸せな思いだけを残して、お別れしたいもんな。
皆は、知らなくてもいい。
これは、俺と、シグさんだけが、分かっていたらいい。
元の身体──元の素体情報を、取り戻せなかった時。
冒険者番号は魔道書の力をもってしても、復元は不可能である事。
元の世界に戻る為には、あの番号は唯一の標であり、必要不可欠である事。
もしも、冒険者番号が取り戻せなかった場合。
シグさんだけ────────帰ることができない、という事を。
狂王にまつわる物語とはまた別の、魔道書探索という物語になる部分は、回想シーンにしました。
(でないと、70話ぐらいになってしまいms)




