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chapter-31

2016.11.20 後半加筆修正。気になってた悩みの部分を追加しようとしたら甘さも追加されてしまst

 亀裂やひび割れは謁見の間だけでなく、階段や廊下の方まで続いてた。

 激しい揺れも断続的に続いていていたし、あちこちで何かが落ちる音もしていた。あのままだったら、城が崩れてしまうのも時間の問題だったかもしれない。


 ぱっかり割れてしまった床の隙間からそっと覗き込んでみると、そこにはもう、深く暗い闇がどこまでも、果てなく広がっている底ではなく、4階層にある階下の部屋が見えた。


 その部屋の中も、霧はすっかりなくなり、陽の光さえ差し込んでいる。



 一緒に覗き込んでいたシーマとビオラが、首をひねりながら顔を見合わせた。

「あれえええ!? この下、真っ暗で何も見えなかったのに。下の部屋が見えるっス……」

「本当です。下のお部屋が、見えるです……」


「……【黒霧の狂王】が倒されたからでしょうね。それに因って、起きるはずのなかったクエストの強制リセットがかかり、人為的に作られていた【歪み】も消失した。そして、無理矢理こじ開けられていた魔の領域への接点も、その要であった【狂王】がいなくなったことで、閉じてしまいましたから」

 

 シグさんが詳しく説明してくれたが、詳しすぎて逆によく分からなかった。

 他のみんなも無言だ。思考が一時停止した、きょとんとした顔をしている。それに気付いたシグさんが、顎を撫でながら唸った。


「うーん。そうですね。まあ、簡単に言えば……元に戻った、ということです」


「元に、戻った?」

「はい。ほら、マップも元に戻っているでしょう?」

 見せてくれた城の地図には、【フォンガルディアの古城】という名がきちんと表記されていた。来た時のように、変に文字化けもしていない。


 よくは分からないが、元に戻ったんなら、まあよかった。


「そうか。なんか、あんだけあった霧もキレイに消えちまってるしよォ。敵の気配も全然感じねェんだよなあ。もしかして、いなくなっちまってたりするんかな?」

「どうでしょう。そこまでは俺には分かりませんが。魔の領域との接点が切れているので、少なくとも、【狂王】クエストに出てくるモンスターは全ていなくなってるはずです」


「ほお」

「ええええ!? それ、マジッスかあああ!? ちょっと、俺、見てくるっス!」

 横で聞いていたシーマが好奇心いっぱいに目を輝かせて、あっという間に部屋を飛び出していった。いつもながら落ちつきなく忙しない奴だ。

「あっ待ってくださいです、シーマさん! 1人は危ないのです!」

 ビオラがびっくりして、慌ててシーマの後を追っかけていく。ただ、その表情はどことなく楽しそうだ。


「おいおい! お前らァ! ちょい待てって! 勝手に行くなってコラァ! ったく、しょうがねえなァ……」

 シュテンがフリーダムに動きまわる子供の世話を任された休日のオヤジみたいに、ブツブツ文句を言いながらも追いかけていった。


「なんであいつら、あんなに元気なんだ……」

「そうですねえ」

「元気が余りに余りまくってる奴らだからなー。でもまあ、ちょっと身体を思いきり動かしてきたいってのはあるよなあ。私もちょっと見てくるわ。適当な奴いないかなー」


 不穏なことを呟きながら、鼻歌でも歌いだしそうな軽い足取りでマツリ姉もシュテンの後を追っていった。どうやら戦い足りないらしい。俺はもう戦いたくない。




 俺とシグさんは、元気すぎる奴らの後ろ姿を大人しく見送った。

「ありえねえ。どうしてあいつら、あんなに元気ハツラツなんだよ……。しかも、なんかもう、遊びにきた観光客みたいなノリになってるし」

「まあ、この状況では、そうなってしまうのも無理はないですよ。すっかり、いい天気になっちゃいましたね」


 眩しそうに目を細めながら、シグさんが崩れた石壁の方を見ながら言った。

 壁の向こう側には、白い雲と、澄んだ青空がどこまでも広がっている。

 気持ちのいい、やわらかな午後の風も吹いている。


「まあな……」


 古城の中は、黒い霧も、白い霧すらなくなり、やわらかな陽の光が城の奥まで差し込んでいて、とても明るい。

 そこかしこに闇が凝っている、あの暗く淀んだ雰囲気はどこにもない。


 ここはもう、どこにでもある、ただの古城だ。

 ガイドブックの端に小さく載っていそうな、人里から遠く離れすぎて観光客も滅多に来ない、後はただ、風化していくのを待つのみの、寂れた古い城。


「ああ……まるで、夢から、覚めた気分だよ」

 ディレクさんが青い空を見上げながら、呟いた。


 ディレクさんとユズさんが、俺達を振り返って深々と頭を下げた。

 二人の顔はとても疲れてはいるが、ほっとした笑顔が浮かんでいる。

「礼を言う。この恩は、いつか必ず」

 ディレクさんはそう言うと、まだ少しぼんやりしているユズさんを気遣いながら、もう一度、俺たちに御辞儀をしてから部屋を出ていった。






 俺は謁見の間を出る前に、もう一度だけ、振り返ってみた。

 シグさんも、俺につられて、同じように振り返る。


 開け放たれた扉の奥に残った、ボロボロに壊れた王座。


 何もない、誰もいない部屋の中にぽつんと在る、もう誰も座ることのないであろう、王様の椅子。


 そこにも、割れたガラス窓や崩れかけた天井から、柔らかな日差しが降り注いでいた。




「あれ……?」


 一瞬、王座の前が、ぶれた・・・。ように見えた。



 それまで聞こえていた、木々の葉のこすれる音や、小鳥の鳴く声も急に遠くなる。

「音、が……」


 恐ろしい程の静寂が辺りを包み込んだ。

 風も止まる。

 流れる雲も。

 飛んでいく鳥の群れも。


 全ての動きが止まった。


 音すらも止まった、無音の空間。 



 そこに、男が立っていた。



 いつからそこにいたのかは分からない。

 どうやって現れたのかも分からない。

 あまりに唐突すぎて、思考が追いつかない。


 白金の髪。

 高級そうな薄水色のストライプ柄のスーツ。

 薄い笑みを浮かべた、恐ろしい程に整いすぎた美しい顔。


 スミレ色の瞳が、楽しそうに細められた。


「……この辺りの【歪み】が、見過ごせないほど酷くなっていたんでね。直し・・にきてみたんだけど。どうやら、もう直ったようだね。よかったよかった」


「おまえは……!!」

 前に出ようとした俺を、シグさんが腕を上げて止めた。何で止めるんだ。止めてくれるな。あの能面みたいにキレイなつらを、一発殴らせてくれ。


 笑い顔の男は俺とシグさんを交互に見て、さらに笑みを深くした。


「おやおや。僕の可愛い子は、彼に溶け込んで、【使役魔】となってまで、君の側にいることを選んだんだね。ふふふ……。なんともまあ、健気な可愛い子に育ってしまったものだ。──愛、というものに罹ると、みんな面白いぐらいに盲目的になるよねえ。人も、人非ざるものも、全て。何をするか全く予想がつかなくなる。不確定因子。揺らぎを与えるもの。──まあ、あの子の願いは、叶ったことにはなるのかな」


 スミレ色の瞳が、笑みを浮べたまま、俺をじっと見た。


 なぜだか、俺はどっと汗が出た。

 震えが走る。俺は自分を叱咤して、必死で抑え込んだ。確りしろ。弱みを見せるな。見せたら終わりだ。何故かはわからないけど、そう思う。

 何者なのかは、未だにわからない。

 ただひとつ、分かっているのは、



 あれは、人ではない、という事。



「ふふ。君は僕の可愛い子を海原に戻さず、手元に残すという結末に導いてくれたんだねえ。ありがとう。お礼と言ってはなんだけど、君に【祝福ギフト】を1つだけ授けよう」

「ギフト……?」


 白金の男の指が、演奏を指示する指揮者のように優雅に上がった。

 何かを操作するように指が上下左右に動いたかと思ったら、すぐに腕は下ろされた。


「……はい。できた。特別に君の【メイン使役魔】の枠を1つ、増やしてあげたよ。確認してみて。彼を召喚し続けるのは、流石に、君にはきついでしょう?」

「っ!」


「サクヤさん……」

 叱る様な雰囲気とシグさんの視線が俺に向かってきた。

俺はさりげなく目をそらした。見なくても、なんで早く言わなかったんですか、という非難が多量に含まれた視線が、俺に突き刺さってくるのが分かる。

「道理で、さっきからこそこそと、やたらMP回復薬を飲んでいるなあと……」


 ばれていたのか。

 俺は額の汗を拭った。

 

 ああそうだよ。毎秒、ものすごい早さでMPが減っていっていってるよ。町までMP回復薬がもつか心配するほどだ。マダムの比じゃない。

 でもそんな事いったら、絶対シグさんは【送還】しろって言うだろう。だけど、どこに送還されるのかはわからない。幻界なのか。それとも──

 ──もしまた、あんな暝い底に、独りで送る事になるのなら。

 俺が嫌だ。したくない。絶対に。


 神木の杖の特殊効果で、MP自動回復の効果がついているのは助かった。本当に助かった。

 自動的にMPは回復はするけど、それはささやかなもので、減る早さには到底追いつけない。

 シグさん、どんだけ、レベルが高いんだよ。


 ちくしょう。あんな奴の世話になるなんて絶対嫌だが、背に腹は代えられない。

 俺は苦渋の思いで、設定ウインドウを開いた。

 不信際まりない笑い顔の男が言った通り、確かに、使役魔に関する項目がひとつだけ増えていた。



 【メイン使役魔1】コケ太郎

 【メイン使役魔2】



 俺は、増えた項目の空欄に、黒霧の王を入れた。

 それまでガンガン減っていっていたMPの数値が、嘘のようにぴたりと止まる。

 俺はあいつに気付かれないように意識しながらも、ほっと胸をなで下ろした。


「ていうか! お前がそもそもの原因だろ! 俺達を、元の世界に戻せよ!」


「えー。どうしてだい? この世界も、なかなか良いでしょう? 君たちが遊んでいたゲームと一緒だよ。何が気に入らないの?」


「てめえ……! 何を勝手な、」


「勝手? 違うでしょう? 内容も確認せずに特典を受け取ったのは、君たちじゃないか。あの子の欠けらを拾ったのも、君。全ての事象は、因果に従って起こっている。例外はない。君たちはどうも、見えるものだけしか、判断材料にしないようだけれどね。言動や行動だけじゃないんだよ。感情、意思────心の奥底に押さえ込んだ、【欲】さえも。その因と成る」


「何……?」


 男の口が、三日月を描く。

 スミレ色の瞳が、何かを見通すように細まった。


 俺は、背筋がひやりとした。

 

 知られるすべもないのに、何もかも、奥の奥まで暴れてしまっているような気分になるのは、何故だろう。

 


「全ての事象が作用して──至るべくして至るんだよ」



「何を、言って……!」


「君たちが、本当に帰りたい・・・・・・・と思ったならば……そこへ至る道が開けるはずだよ。真に願うならば──三冊の魔道書へと辿り着くはずさ。真に・・、願うならばね」


 三冊の魔道書。

 揃えば、一つだけ願いが叶うという。

 願えば、元の世界に帰れるという。

 その時には、


「──シグさんも、帰ることができる?」


 思わず尋ねてしまった。

 答えてくれるかどうかも分からないのに。


 男は笑みを浮べながら片方の眉を上げ、肩をすくめた。


「残念だけど、それは無理だねえ。彼はもう、あちらの世界へ繋がる紐を、自ら断ち切ってしまった。そして、この世界に同化してしまった。もう彼は──こちらの世界のモノだよ。君も、もう解ってるんじゃないのかな?」


「な、なに言ってんだよ……! 嘘をつくなよ! もう騙されないからな! そんな、嘘を、信じるとでも」


 男が嗤った。


「嘘? 僕は、君たちのように、嘘は言わないよ。必要がないからね」


「なんだと!? お前が、」

 肩に手を置かれて、俺は言葉を止めた。

 シグさんが、首を横に振っている。なんで。


「さあて。僕の用事は済んだから、この辺で失礼させて頂くよ。これでもなかなか忙しい身の上なんでね」

 男は笑いながら、慇懃無礼すぎて苛立つくらい優雅に一礼した。


「待っ──」

 

 

 それまでずっと黙っていたシグさんが、俺の前に歩き出た。

「──最後に1つだけ。いいですか」


「ん? なんだい?」

 シグさんは俺を横目で見て、一瞬だけ目を伏せて、笑い顔の男に向き直った。



「叶うのなら。今まで働いた報酬を1つだけ、頂けませんか」

「ふうむ? なにかな?」


「俺を──人と同じ寿命にしてください」


 男の目が、面白そうに煌めいた。

「おやおや。君はそれでいいのかい? 人の一生は短いよ。僅か100年程度だ。いまなら、永遠にも近い時を生きられるというのに。瞬きの間に燃えつきてしまう流星の如き、儚き一生でもいいのかい?」

 シグさんが、静かに笑みを浮かべて──首を縦に振った。



「────ええ。それで十分です。瞬きの間だけでもいい、側に、いられるのなら。それに。独りで生きるのは、もう、たくさんなので」



 男が腹に手を当てて、さも可笑しそうに声を立てて笑った。何か可笑しいんだ。俺は悔しくて思いきり睨みつけたが、効果は全くなく、笑い続けている。


「ははは。そうかい。永遠に近き命より、刹那の逢瀬を取るのかい。なんとも盲目的な事だ。いいだろう。長きに渡る労働の対価として、君の願いをひとつだけ聞き届けよう。僕の、愚かで愛しき緑児みどりごよ」

 男が笑いながらもう一度、優雅に腕を上げて、遊ぶように指を動かした。



「さて。それでは、これにて失礼するよ。君たちが真実願うならば、再び会うこともできるだろう……」


 男はもう一度優雅に一礼すると同時に、消えてしまった。







 鳥の囀りと、木々の葉の擦れる音が、前触れも無く突然に戻ってきた。

 風も戻ってくる。

 雲もゆっくり流れ出した。


 俺は息を吐いた。

 肩や首が急に痛みを訴えだした。無意識に緊張して固まっていたようだ。


「……ちくしょう。あいつ……言いたいことだけ言って、消えやがった!」

「うーん。困りましたねえ」


 いつもの、のんびりした口調で返されて、俺は脱力した。


 どうしてそんなに落ち着いていられるんだ。そりゃまあ、慌てたってしょうがないけど。


「あ、あいつがあんなこと言ってたけど、本当かどうかは分からないからな! あの魔道書があれば、いろんなこと、調べられるのが分かったんだ。知りたい事、検索できるって言ってた。だから、絶対シグさんが帰れる方法も、きっと見つかるはずだ。絶対に見つけて、一緒に、帰ろう」

「……はい」

 シグさんが、静かに微笑んだ。


「しかし、三冊集めないと行けないなんて、なかなか大変そうですねえ」

「……うん」

「大丈夫ですよ。そんなに気を落とさないで下さい。必ず、見つけましょう。大丈夫ですよ。皆で手分けすれば、見つかります。だから、きっと、帰れますから」

 

「──うちの農園に?」


 シグさんが目を見開いた。

 なに驚いた顔してんだ。帰ったら、うちの農園に就職するんだろ。


 嬉しそうに、黒っぽい紫色の瞳が細められる。

「そう。サクヤさん家の農園に!」


 俺は笑顔で返そうとして、泣きそうになって、慌てて俯いた。


「サクヤさん?」

「──な、なんでもない」



 ──────でも。

 


 もし、帰れなかったら。

 あいつが言ったことが、本当だったら。



 考えたくはない。考えるべきじゃない。ネガティブ思考は禁止だ。引きずられるから。そんなのわかってる。

 だけど。


 シグさんはさっきあいつに────人の寿命をお願いしていた。


 もう考えてるんだ。

 もしも、帰れなくなった時のことを。


 想像すら出来ない長い時を、独りで生きたくないから、という理由で。



 もし、その時が来たら、俺は──

 

 

 確かめるような手つきで、頬を撫でられた。

 顎の下に回った指で掬うように持ち上げられて、黒っぽい紫色の目と合う。あまりに穏やかすぎる笑顔に、また泣きそうになる。

 なんで。さっきの話をきいてたのに。どうして、そんなに平静でいられるんだ。


 ゆっくり顔が近づいてきて、俺は目を閉じた。

 どうしてか、避けられなかった。そうだ、不意打ちで。だから。

 唇にぬくいものが当たった。


「……これぐらいなら、セーフですかね」

「……し、知らない」


 何が今更セーフなんだ。

 さっき、もう駄目なやつをやったじゃないか、と言いそうになったけど言わなかった。

 やぶ蛇になりそうだったからな。触れてはいけない。俺は平穏無事な農園ライフを送る予定なんだ。その為にも、あれはデリートリストに追加しておかなければ。

 

 じっと見つめられて、どうにもいたたまれない。

 俺はシグさんの胸に額を付けて、目を伏せた。


「……逃げないってことは、そういうことって事で、いいんですかね」

「……い、言ってる意味が、分かりません」

「そうですか?」

「そうです」

 頭の上から、どこか含みのある、小さな笑い声が聞こえた。


 なんとも言えない沈黙が流れる。

 俺も何も言わないし、シグさんの方も、それ以上は何も言わず、静かに笑ったまま黙っている。

 何も言わないのは、俺もだけど。


 俺は目を閉じて、ため息をついた。

 なんだかなあ、と思う。

 一体、どこから、こうなってしまったんだか……


 向こうで一緒だった時も、ふとした瞬間に、声が、陰ってる時があって。

 シグさんは、俺とタツミだけの時は、音声チャットしてくれたから、俺とタツミだけは知ってる。

 ……いや、違うな。あいつは絶対気にしてないか。

 俺は気になってて。

 一緒にいるときぐらい、楽しい気分になっててくれればいいなあ、と、ずっと思ってた。


 そうだ。そもそも、シグさんも悪いんだ。

 俺を大事にしすぎるから。

 だから、勘違いして、変な感じに気持ちが、斜め上に、行ってしまったんだ。きっと。


 でもまだ大丈夫だ。うん。問題ない。

 今のうちに蓋を閉めてしまえば、どうってこない。

 そしたら──もしも、向こうの世界に帰れたとしても、一緒にいられる。今まで通りに。


 一緒にいてさえくれれば。 

 もう、いなくなったりしないなら。

 それだけで、十分だ。


 ちょっと胸が痛くなるけど、これも気の所為だ。きっと。

 時間が経てば、元の身体に戻りさえすれば、きっと薄れて、消えていく。はずだ。ていうか、薄れていってもらわないと困る。


 それにシグさんはきっと──俺が、こんな見た目だから。ちょっと、気が迷ってしまっているんだろう。そうに違いない。


 俯いたまましがみつくと、抱きしめ返された。

 大きな手が背中を辿って、腰と肩を抱え込んでくる。

 すっぽりと包まれて、何も見えなくなって、ほっとした。 

 ああだから、ほっとしてどうするんだ自分。それって男としてどうなんだ。こんなのに慣れたら駄目だろ。しっかりしろよ、俺。

 ああ、くそ。


「……シグさんの所為で、ぐらぐら、してきて困る……」

「ぐらぐら?」

 俺は詳しく説明する気が起きなくて、ロングコートの背中を握りしめた。やつあたりしたい気分になった。

 少しは、シグさんも困ればいいんだ。


「き、キスしたり抱きしめてきたり、好き放題しやがってこの野郎。シグさん、俺の中身、絶対忘れてるだろ。向こうの世界に戻っても、こんな、ぐらぐらした気持ちのままだったら……責任とってもらうからな……!」


 動きが止まった。


 考えるような沈黙が数秒あって。

 小さく笑い漏れる声が、頭上で聞こえた。


「ああ……なるほど」

 なるほど、ってなんだ。何が分かったっていうんだよ。


「……はい。もちろんです。責任取りますよ。いえ、取らせて下さい。是非」

 なんで声が、ものすげえ嬉しそうなんだよ。是非って何だ。

「もしも、向こうに戻れたとしても、必ず。俺の全てをかけて、責任をとりますから」


 まじか。本気か。

 責任とるってどういう意味だ。いやいい。なんか聞いたら終りな気がする。

 自分で話をふっときながら、それで良いのか?と思考が渦を巻いている。


 痛いぐらい、強く抱き込まれた。

 嬉しそうな気配が、伝わってくる。

 抱きしめ方が、友人にするようなフレンドリーなやつじゃなくて。

 非常にまずい感じに行き過ぎてしまってる気持ちまで伝わってきてしまって、俺は焦った。

 めた方が、いいのだろうか。

 

「……あ、あのな。先に言っとくけど。向こうの俺も、俺が言うのもなんだけど、ひ弱で身体弱いから、すげえ面倒くさいと思う!」

「いいですよ。大丈夫です。任せて下さい」


 何を任せるんだ。そしていいのか。

 

 ああもう本当。

 どうしようか。


 ああだめだ。

 俺は今、とても疲れている。

 だから思考は同じところをぐるぐるするし、これ以上考えるのは無理だ。

 そう判断して、思考は一旦放棄することにして、力を抜いた。




 肩に置かれたままの手が視界に入って。

 その手首に、あるべきはずのモノが、ない事に気づいた。


「あ、バング──」

 俺は思わず言葉に出しかけて、すぐに口を閉じた。



 その腕には──もう冒険者バングルは、はまっていなかった。



 冒険者であることを示す通し番号が刻まれた、その腕輪。

 向こうの世界から繋がっている、その番号標。


 あのいけすかない不信極まる男の、ふざけた内容は、信じたくはないけど──

 そこにあるべきはずのものが無くなってしまった事に、どうしようもなく動揺して、泣きたくなってくる自分がいる。



 俺は、何もなくなってしまった手首から視線を外して、鼻をすすった。別に泣いてはいないんだからな。もともと鼻が弱いんだ。


「サクヤさん」


 心配そうな声で名を呼ばれたけど、俺はすぐには顔を上げられなくて、ただ首を振った。


「……ううん。なんでもない。なんでもないんだ。早く、町へ帰ろ。さすがに疲れて、俺もう、くたくただよ」


 少しだけ、間が空いてから。


「そうですねえ。早く町に戻って、何か美味しくて温かい物でも食べましょうかね」


 いつもの、どこかのんびりした、ゆったりした口調。


 変わらない雰囲気と口調に、思わず少し声を出して笑ってしまった。

 ようやく少し落ち着いてきて、顔を上げてみる。


 いつも通りの、静かな笑みが目の前にあった。


 だから俺もいつも通りに笑えて、頷けた。 


「うん! ふおわっ!?」

 軽々と抱き上げられて、床から足が離れる。突然訪れた視界の上昇と浮遊感に、俺は驚いて思わず声を上げてしまった。腕に座らされても、不安定感はんぱない。そして高い。2メートル以上の視界。怖え。床が遠い。自慢じゃないが高い所は得意ではない。

 シグさんがいたずらっぽく笑っている。わざとか。

 おそらく、落ち込みかけてた俺の気分を変えようとしてくれたんだろうけど、確かにびっくりして吹き飛んだけど、心臓にとても悪い。

「び、びっくりするじゃんか! しかも高い! お、下ろして!」

「このまま、町まで運んでも良いですよ。サクヤさん、とても疲れてるようですから」

 そんなことされたら、恥ずかしくて死ねる。

「結構です! いいから下ろしてって!」

「いいからって事は、いいんですね。分かりました」

「違っ、うわっ」

 いきなり歩き出されて、不安定な上体が揺らいだ俺は、慌ててシグさんの首にしがみついた。笑っている。


 笑ってる。

 無理してる、感じでもない。

 俺は内心、ほっとした。

 なんだかとても楽しそうにしてるし、町まではマジで嫌だが、少しの間だけなら、まあ、気の済むまで好きにさせてても──



 いいか、と思いかけたがやっぱり怖いものは怖かった。

 地面がものすごく遠すぎる。

 だめだ。やっぱり下ろしてもらおう。これはちょっと高すぎる。下が見れない。足がつかない状態って怖すぎる。

「ち、ちょっと、やめ、やっぱり降ろし──」





 

 ダダダ、と、賑やかな足音が戻ってくるのが聞こえてきた。



「ああああああ〜!! なにやってんスかあああ!!? なかなか来ないと思ったら、またアイツがサクヤさん襲ってるっス!!」



 シーマの大声が、だだっ広い廊下に響き渡った。なんて事を大声で言ってんだ。


「シーマ、これは違、」


 シグさんが目を細めて、俺の背後に視線を向けた。

 ぼそりと呟く。


「またあいつか……やっぱり、あそこで、下に蹴り落としておけばよかったな……」


 なんか、怖い事言ってるんですけど。

 それ、溶けて消えちゃうんじゃなかったっけ。



「ちょっとおおお! あんた、サクヤさん無理矢理どこ連れて行く気っスか! 暗がりに連れ込む気っスよね!? レッドカードっス! 早く下ろすっス!」

「嫌です」

「ああ!? 嫌ってどういう事っスか! サクヤさん、嫌がってるじゃないっスかよ! サクヤさん、俺が助けてあげますから安心して下さいっス! ちょっと俺がこいつに、キツイ一発くらわせてやるっスから!」

「いや、あのな」

「……何を言っているんですかねえ。君が、俺に、勝てるとでも思ってるんですかね?」

「は! やってみないとわからないっスよ!」



 まだ言い合いは続いている。

 お前ら、なんでそんなに仲が悪いんだ。

 馬が合わないってやつなのか。


 延々と言い合っているシグさんとシーマを眺めながら、早く下ろして欲しいな、と俺はため息をついた。

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