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chapter-29

 俺は装備一覧ウインドウを開いて、目を走らせた。


 武器:清らかなる神木の杖

 頭 :月光花と月草織のラリエット

 身体:幻草染めのイノセント・ドレス

 足 :月木獣の革のロングブーツ

 アクセサリ:白花水晶のブレスレット

 アクセサリ:白花水晶のピアス



 武器の欄はちゃんと埋まっている。

 装備できている。

 そして、俺にもこの杖は。


 使える。


 俺は急いで、真っ白な杖を構えた。

 まず自分に状態異常回復のスキルをかけた。

 手首と足首を拘束していた氷が、勢い良く砕け散る。指を動かしてみたが、ちゃんと動いた。大丈夫そうだ。


 これで自由に動ける!


 俺はすぐに立ち上がった。

 早くしなければ。揺れは続いている。床にも、柱にも亀裂が入り出している。

 どうみても、時間の余裕は余りない。

 急げ!


「みんな! 今、助けるから!」



 パーティ全体を指定して、状態異常回復のスキルと、全体回復のスキルをかけた。

 ディレクさんはまだ別パーティ状態なので個別に。


 シグさんたちを張り付けにしていた細い氷柱が、全て砕け散った。


 シグさんとシュテンが立ち上がった。

 マツリ姉とマダムも壁から離れて、床に着地した。

 気絶していたシーマとビオラも目を覚まして、驚いてキョロキョロしながら起き上がりかけている。


 俺は、よたよたしながら近づいてくるコケ太郎を抱き上げて、抱きしめた。

 頭のデイジーが、ご機嫌に揺れている。

 俺は少し涙が出そうになったけど、笑ってごまかした。


「──ありがと、ありがとなコケ太郎……俺を庇ってくれて」

「キュー!」



 どん、とまた地響きが起こった。




 床の亀裂が、どんどん広がっていく。それは王座まで走り──

 



『主! そこから逃げよ!』

「サクヤさん! こっちへ!」

 駆けてきたシグさんに腕を引かれて、柱の近くへ逃げ込む。

 俺がさっきまで立っていた場所にも、亀裂が走っていた。

 俺は冷や汗をかいた。危なかった。



 王座の下まで走った亀裂が、左右に割れた。



 割れ目から立ち昇る黒い霧とノイズの陰が、【狂王】を包む。


 狂王を王座に張り付けにしていた無数の氷柱に、ひびが入っていくのが見えた。

 俺は氷柱のひびをみて、息を飲んだ。

「ひび、が……」



 まずい。あの氷柱が砕けてしまったら──



「おいおいおい! あれ、まずくねェか……!?」

 反対側の柱へ逃げていたシュテンが、王座を見て顔を引きつらせていた。マツリ姉も険しい表情で王座を睨んでいる。

「なんか、やべェぞあれ! 今、【黒霧の狂王】が目ェ覚ましちまったら、どうする!?」

「阿呆! 不吉なことを言うな! 皆、一時退却だ! 【謁見の間】の出口まで、全速力で走れ! 後ろは振り返るな!」


「り、了解した!」

「うわわわ分かったッス!!」

「は、はいです!」

 別の柱の側に逃げ込んでいたディレクとシーマとビオラが、頷いて、駆け出した。ディレクさんはユズさんを両腕で抱えている。

 4人が一番出口に近い。あれなら、どうにか扉の向こうに駆け込めるはずだ。



「シグさん、俺たちも──」



 ──王座から、バンッ、と弾ける音がした。

 


 見ると、【狂王】を繋ぎ止めていた氷柱が、全て、粉々に砕け散っていた。



 黒糸と金糸で編んだ肩章のついた、詰め襟の、裾の長い黒い上着。

 銀糸と金糸の刺繍が施されたカフス。

 上着の胸元には、大きな勲章。豊かで重厚なベルベッドのマント。

 ダークシルバーの、少しウエーブのかかった髪。

 長めの前髪で顔は隠されているが、彫刻のように整った顔をしている。



 あの暝い底のような場所で、見た姿と、全く同じだ。


 俺は震えそうになる身体を叱咤した。




 その闇色の瞳が──ゆっくりと開かれた。




 王座の元から、棘だらけの黒い蔦が、無数に、何本も、伸び始めた。

 黒い波のようにうねって、流れて、こちらに向かってくる。


 それはものすごいスピードで、床を這っていった。

 俺達が走るよりも、蔦が伸びていくほうがずっと早い。

 あっという間に追い抜かれた。


「うおあ!? なんじゃこりゃ!?」

「うぬう……!」

 シュテンとマツリ姉の前方に、黒い棘だらけの蔦が回り込んでいた。

 覆い被さってこようとする棘の蔦を刀と斧で斬って払っているが、伸びてくる数が多くて捌ききれていない。

 どうにか蔦のない床を探そうと走りかけ、行き先を塞がれてまた戻る、を繰り返している。苦戦してる。手伝わないと。


「シュテン! マツリ姉!」


 思わず身を乗り出しかけた俺を、シグさんとコケ太郎とマダムが掴んで引き戻した。


『主! 落ちるでないぞ! そこに落ちれば、助からぬ!』


「え、助からない?」


 マダムが、珍しく厳しい顔つきで、床に空いた穴の下を紅い瞳でじっと睨んだ。


『この下は、全てのものが集り、全てのものが混じり合い、溶け合った大海……何ものもあり、何ものも無い場所……』


 マダムが言ってる内容が、俺にはよくわからない。

「なんだって?」


『あの者が言っていたであろう。──【虚空】だ。あの者は、乱暴なやり方で壁を壊して穴を開け、【虚空】より叡知を引きずり出した。そしてここは、起きるはずの無い事象を歪んで引き起こしておる故、ひずみが生まれておる。歪みを正さねば、穴は広がるばかりだ。世界は自身を保とうとして、歪んだものは全て──消し去りにくる。よって、この城は崩れ去ろう……この城だけで済めば良いが』

 なんとなく、わかるようでわからない。ここにいたら、城が崩れるのだけはよく分かった。

「それで結局ここに落ちたら、どうなるんだ?」


 マダムが綺麗な眉をひそめたまま、俺を見た。




『荒れ狂う大海原おおうなばらに身1つで落ちた者がどうなるか……分からない者は、さすがにおるまい?』




 黒い霧とノイズが酷くなった。


 黒い棘の蔦が、回り込んできた。

 何本も折り重なるように壁を作ってくる。


「くそっ……!」


 行きかけると蔦に先回りされ、なかなか出口までたどり着けない。

 マダムが黒い蔦を切り裂いてくれるが、伸びてくるスピードの方が早すぎてほとんど進めない。

 出口までが、ものすごく、遠い。




『ああああああああァアああああアあアああああアアああァアあああアあアあアァあああああアあアァアあああアあアああああァ!!!』




 耳を塞きたくなるような怨嗟の咆哮が、王座の方から聞こえてきた。

 全てを憎むような、恨むような声。



 振り返ると、狂王の身体が2倍ぐらいに膨れ上がっていた。


 ノイズが大きく走る度、王の身体が歪にゆがんでいく。

 蠢く黒い棘の蔦で覆われた身体は、もう人の姿すらしていない。

 前衛的な、人とモノと何かをごちゃまぜに混ぜたような、歪なオブジェのようになってしまっていた。

 

 そこにいるのは、俺の知ってる【黒霧の狂王】の姿ではなかった。

 

 

 中央上側に浮いている、簡易エネミー情報のウインドウを見る。




【kおk%u霧の狂#uoう】

 ー%ーーーー!/ーーー




 なんだこれ。文字が。エネミーHPを示す赤いバーもおかしくなってる。

「ば、バグってる……?」




『……まずいぞ。【深淵】からだけでなく、【虚空】からも、力を吸収しておるようだ……あのままでは……』

「どうなるの!? ていうか、ど、どうしたらいいの!? あれ!?」

 マダムが、覆いかぶさってくる黒い蔦を払いながら、途方に暮れた様子で首を横に振った。


『わからぬ。すまぬ……妾には、どうにもできぬ……こうなってしまっては……』



 また、地響きが起こった。さっきよりも大きい揺れが続く。天井から、剥がれた破片が振ってきた。



「うわっ!? な、なんか、揺れが」

「──サクヤさん」

「なに!?」


「──────手仕舞いの準備を」



 

 手仕舞い……?




 俺は、シグさんを見上げた。

 シグさんの濃い紫色の瞳が、俺を静かに見下ろしていた。


 その左の瞳孔の下側には────黒い色が。滲み始めている。


 どうして。



「……俺と、俺の中にいる【狂王あいつ】が、【黒霧の狂王】を取り込みます。ですが、押さえ込める時間は、そう長くはないでしょう。俺が完全に、狂王と同化してしまったら終わりです。俺が【プレイヤー】でいる間に──あの短剣を使って下さい」



「なに、を、言ってるんだ……?」


 その左目の瞳孔が、完全に、闇色に染まる。

なんで、瞳の色が、黒に。



 【狂王】からは、逃げたはずじゃないか。

 あの時。逃げ切った。

 シグさんは解放された。

 なのに。

 どうして。



 シグさんが、片目を黒く染めて、静かに微笑んだ。

「──アイツ・・・と利害が一致しましたので。不本意ですが、協力することにしました」

「利害……?」

 協力って。どういうこと。




 大きな腕が、俺を抱きしめた。

「──俺は、もう失いたくない」

『──私は、もう失いたくナイ』




 二重音声のように、俺の耳に、言葉が重なって聞こえた。ひとつは、シグさんの声。もう一つは──


 シグさんが、俺を離すとマダムに押し付けた。

「【マダム・蝶々】! サクヤさんを頼む! サクヤさん、俺が同化を始めたら、短剣を使って下さい。もしも【即死】が発動しなかったら──とどめを。すみません、危険な事をさせますが……あなたしか、【狂王おれ】に近づけない。お願いします」


「や、いやだ! そんなの、」

 それじゃあ、シグさんはどうなるんだ。



 返事はない。シグさんは王座の方を睨んだまま、紫黒の大剣を抜いた。

「【マダム・蝶々】! 【コケ太郎】! 主人を助けたかったら、俺の援護を! 【狂王】の元に俺がたどり着く迄でいい」 

『おぬしが何をしようとしているのかは解らぬが……主を救えるのならば、承知した。妾も手を貸そうぞ』

「キュー!」

 マダムとコケ太郎が、頷いた。何、おまえら、マスター以外の言うこと聞いてんの。


「シグさん! 俺、いやだ! 他に、他に方法は、」


 シグさんが俺を振り返って、困った笑みを浮べた。だだをこねる子供を見る大人の表情で。こんなときだけ、大人の顔で。


「お願いします。──マツリさんたちを救いたいでしょう? このまま、皆を死なせたいんですか? あの底に落ちたら、死に戻りは発動しません。溶けて消えるだけです。ソルティのように」


 俺は息を飲んだ。

 後ろを向く。シュテンとマツリ姉は、まだ黒い棘の蔦に苦戦して出口にたどりついていない。シーマとビオラは後もう少し。ディレクさんは、ユズさんを抱えている所為でシーマたちから少し遅れている。

 床には、亀裂が入り続けている。

 壁や柱にもヒビが入っていて、いつ全体が崩れてもおかしくない。

 黒い霧とノイズは、どんどん酷くなっている。


 どこからが聞こえてくる、耳の奥をこするような、不快な鈴の音。


 まだ誰一人、出口にはたどり着いていない。

 このままだと、全員、城から脱出するのは不可能に近い。

 ソルティのように、暝い底に落ちてしまったら──


 溶けて、消える。

 




 俺は、震える手で、鞄から短剣をとり出した。


 銀製の、綺麗な紋章や図が掘り込まれた、細身の短剣。


 動悸が酷くて息が苦しい。手が震えすぎて、短剣を落としてしまいそうになる。

 これしか、もう、方法はないのだろうか。他に、何か、助かる方法は。何か。思いつけ、考えろ、俺。


 シグさんを見上げると、微笑みながら頷いて──


 黒い棘の蔦の上を、駆け出した。



「おい!? シグの旦那ァ!?」

「シグ兄!? 一体何を……!」


「シグ!? なにやってんっスかああ!?」

「シグさん!?」

「1人で戦うつもりか!? ……ばかなことを!!」





 マダムが蔦を切り裂いて、道をつくる。

 コケ太郎が、シグさんに回復と補助と防御スキルをありったけ、とばす。

 シグさんは剣で払いながら走っていく。


 シグさんは、蠢く黒い蔦の塊になってしまった【狂王】の前までたどり着くと──



 その塊の中に、左腕を突き込んだ。



 それまで蠢いていた黒い蔦が──ぴたりと動きを止めた。


 断続的に続いていた揺れも止まる。




 中央上側に浮いている、簡易エネミー情報のウインドウが、一瞬ぶれた。

 ように見えた。


 目をやると、エネミー名の欄の文字が様々な文字に入れ替わっていっていた。目が追えないぐらいの早さで文字が切り替わっていく。それは徐々にゆっくりになり、数秒後、ようやく文字が止まった。

 そこには。



 

【シグ・ルシーd黒おk%u霧の狂#uo】

 ー%ーーーー!/ーーー




 と表示されていた。



 ピィー、と聞いたことのない警告音が頭に鳴り響いた。

 俺はビクリと肩を震わせた。

 今度は何。何の音。


 唐突に前触れもなく、俺の目の前に、赤い半透明の、細長い警告ポップアップウインドウが現れた。



[■CAUTION■──【シグ・ルシード】の素体情報に予期せぬエラーが発生しました。データが破損/エラー/変更されており、正常な素体認識が出来ません。アカウントが認識できません。予期せぬ誤動作を引き起こす可能性もある為、自動的にパーティより【強制脱退】となります。恐れ入りますが問題解決次第、再度、ご本人様にご連絡して頂くか、もしくは──]



 警告文。


 予期せぬエラー。

 破損。

 強制脱退。


 

 俺は右上の、パーティー欄を見た。

「名前が……」



 そこにあるはずのシグさんの名前は──消えてしまっていた。



 シグさんが、振り返った。

 俺を見て、頷いた。合図だ。

 俺は、銀色の短剣を握りしめた。


「手仕舞いの、覚悟……」


 黒い棘だらけの蔦が、俺の前で、左右に引いた。

 1人がようよう歩けるほどの細い道が、シグさんのところまで続いている。

 いくしか、ないのか。もう。


 俺は、よろけながらもその道を歩いて、シグさんの側までいった。



 黒い棘の蔦は、もうシグさんの肩まで巻き付いていた。黒い靄をまといながら。

 黒かった髪も、俺の目の前で少しずつ、【狂王】と同じ、ダークグレーに変わっていく。

 瞳の色は、片方が濃い紫、片方が闇色のまま。




「……時間が、ありません。早く」

『……時間が、なイ。早く』


 

 シグさんが、大剣から手を放した。

 お気に入りだと言っていた大剣は、床に落ちる事なく、すぐに黒い蔦に搦め捕られて、沈んで、見えなくなってしまった。


 ゆっくりと、上体をこちらに向ける。

 俺が、刺しやすいように。


 俺は、銀製の鞘を抜いた。

 手はずっと震えっぱなしで、止まらない。

 恐ろしく鋭い剣先は、震えて、上手く定まらない。


 シグさんがやっぱり困ったように笑って、俺の手を掴んで──引いた。


 なんの抵抗もなく、するりと、剣先はシグさんの胸に埋まった。


 恐ろしく軽い、軽すぎた感触に、俺はすぐに実感が湧かなかった。



 ずっと聞こえていた不快な鈴の音が、止まる。



 

 シグさんが耳元で何か呟いたけれど、俺はうまく聞き取れなかった。


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