chapter-27
階段の下で待っていたマツリ姉が、戻ってきた俺に気付いて手を振りかけて、眉をひそめた。
「──サクちゃん? ちょっと、本当に、もう大丈夫なんか? 顔色が悪いみたいだけど……。まだ調子悪いんなら、遠慮せんで、言ってくれたらいいんだからね?」
「え? 俺、顔色悪い? 俺は大丈夫だよ。マツリ姉の気の所為だって」
俺はマツリ姉に、大丈夫と笑ってみせた。
俺、そんなに顔色悪いのか? 自分ではよく解らない。
「無理、なさらないで下さいです」
ビオラも心配そうな顔をして、俺を見上げてきた。
シュテンまで口元をヘの字にして唸っている。
なんでだ。なんでこんなに心配されてんだ。俺、そんなに弱ってるようにみえるのか。由々しき事態だ。確りしなければ。
顔色って、どうやって治せばいいんだろう。顔、擦れば治るかな。
腕を組んで仁王立ちしていたシーマが、シグさんを半眼で睨んだ。
「ちょっと、シグさんよォ。何か怖がらせる様な事、サクヤさんに言ったんじゃねえっスか? さっき、無理やりサクヤさん引っ張ってったじゃん。何しに行ってたんスか?」
「別に。退路の確認に行っていただけです。サクヤさんにも、確認しておいてもらおうと思って。ついてきてもらっただけですよ」
シグさんは横目でシーマを一瞥してそれだけ答えると、話は以上、と言わんばかりに階段の上へと視線を向けてしまった。
「ハァ!? 何スかそれ!?」
あからさまに素っ気ない返答に、腹を立てたシーマがシグさんにくってかかった。
大人にからむヤンキーみたいだ。まあ、シグさんの方の態度も問題あるといえばあるが。大人の態度ではないな。あれは。極稀に、とても子供っぽい事するよな。
ていうか何で喧嘩みたいなことしてんだよ。しかも内容は非常に低レベルだし。
仕方なく、俺はその間に入った。こんなことでもめてる場合ではない。
「シーマ。本当に、退路の確認にいっただけなんだ。顔色悪い?のは、ここ、やけに寒いから、冷えただけだよ」
シーマが目をぱちくりさせた。
「そ、そりゃ、確かにこの階層にはいってから、やけに寒いっスけど……本当に、それだけっスか?」
「うん」
「それなら、いいんスけど……」
まだ少し不服そうな顔をして、シーマが口を尖らせて渋々身を引いた。足下の小石をシグさんに向けて蹴る。
子供みたいな仕返し方法に、俺はちょっと笑ってしまった。
俺に笑われて恥ずかしかったのか、シーマが顔を赤くしてそっぽを向いてしまったが。
「……よし。じゃあ、そろそろ行くかー。扉を開けてみよう。ただし。深追いや、無理はしないこと。──いいな?」
マツリの指示に、俺達は頷いた。
階段から扉の前までは、そこそこ距離がある。
1つ1つの段が、広くてゆったり作られている。
ごつい鎧を着た騎士団とかが隊列組んで行進したりするからだろうか。
三段目に足をかけた時。
一瞬────視界がブレた。
気がした。
「──え?」
なんだろう。
気のせいかな。疲れが、目にきたのかな。
俺は目を擦った。
「サクヤさん?」
「いや、なんでも……ない」
まばたきしてから、もう一度、前を見る。
目の前に見えるのは、白い霧と、黒い霧。
────ノイズのようなものが、横に、走った気がしたんだけど。
気のせいだったのだろうか。
階段を登りきる。
金と銀で豪華な装飾が施された両扉は、固く閉じられている。
俺は、唾を飲み込んだ。
やっぱり、見間違いじゃなかった。
なんだろう。これは。どういう現象なんだろう。
霧に混じって──ノイズのような細い陰が、微かに走っている。
マツリ姉たちも、やっぱり俺と同じように、困惑したような、何とも言えない微妙な表情をしていた。
シグさんも難しい顔をしたまま、じっと何かを見ている。
俺だけじゃないみたいだ。
みんな、俺と同じようなものが見えている。
「ノイズみてぇなのが……」
ぼそりと零されたシュテンの呟きに、皆が目を見合わせた。
「んー」
マツリ姉が腕を組んで、扉をじっと見つめている。
それから1つ息を吐くと、俺達を振り返った。
「──まあ。ここで扉を眺めてうんうん唸って考えて込んでいても、仕方がないしな。──開けよう。心の準備は良いか」
全員が、頷いた。
ここで立ち尽くしていても、しょうがない。
ここまできたら、もう行くしかない。
この奥には、ユズさんがいて、杖があるのだ。
「……キュー」
それまで大人しかったコケ太郎が、足下で小さく鳴いた。
俺の服の裾を、小さな手で掴んでいる。
「コケ太郎?」
丸い頭についているデイジーみたいな花が────脅えるように、小刻みに震えていた。
俺の心臓が、大きく跳ねた。
マツリ姉とディレクさんが左右に別れて、扉に両手を置いた。
二人が目配せして、同時に力を込めて押し始める。
天井まで届きそうなほど大きな扉は、軋みながらも、ゆっくりと動き出した。
扉の隙間から、冷気と、真っ黒な霧が。
内側から、ごぽり、と溢れ出してきた。
寒くもないのに、悪寒が走った。
心臓が、激しく打っている。
──やっぱり、中に、いるのだろうか。
俺は使い慣れた紫葉の木の杖を装備して、【マダム・蝶々】をもう一度呼ぶべく、召喚の詠唱を始めた。
* * *
扉がゆっくり開かれていき、徐々に内部が見えてきた。
天井の高い、広すぎるぐらいに広い部屋。
奥には、天井まで届くぐらいの縦長のステンドグラス。
そこから、今が朝なのか夜なのかわからないぐらいの、ほんとに微かな光が差し込んでいる。
辺りには白い霧と、黒い霧と、ノイズのような暝い陰と────
──広い空間いっぱいに、大小様々なウインドウと、光の筋で描かれたモノがひしめくように漂っていた。
光の筋は、ただの文章のようなものだったり、魔方陣のようなもの、幾何学的な図形、紋章のようなもの、記号、ありとあらゆる形を描いている。
そして時折、どこからか聞こえてくる、鈴のような音。
「なんだ、これ……」
見た事ない光景だった。
ここは、俺の知ってる【謁見の間】じゃない。
鏡面のように磨かれた石の床は、無数の亀裂が網の目のように走っており、所々割れて崩れ、無残な有り様だ。
中央辺りの窪みには、七色に輝く玉のようなものが、置いてあった。
その玉の周りからは、黒霧がじわじわと滲み出してきている。
そして玉の表面には──細かな亀裂が入っていた。
玉の側には、男がいた。
玉に片手をかざしながら、あぐらをかいている。
男がゆっくりと顔を上げた。
あぐらをかいた膝の上には、開かれた真っ白な装丁の本。
男の周りには、数本のペンと、膨大な紙面が山積みされ、殴り書きされた紙が散乱している。
その脇には、いろんな種類の回復薬がケースでいくつも積まれてあった。
黒いジャケットと、とび職の人が着ているような腿が膨らんだズボン、顔の上半分を隠す黒い鬼面。
腰の両脇には、二本の短剣。
その薄い唇が、口角を上げた。
「──よーうこそー。【謁見の間】へ!」
「──────こ、コクトー!!?」
マツリ姉とシュテンとディレクさんが、同時に名を叫んだ。
「え、コクトー!?」
なんで、こんなところに。あの男がそうなのか?
でも、こんなところで、一体何をして────てっきり、狂王が立っているものとばかり思っていたが、違った。
なんだ、これは。どういう状況なんだ。いや、今はそんな事考えている場合ではない。
若干拍子抜けしながら、俺達は【謁見の間】に駆け込んだ。
とにかく今は、ユズさんと、杖を探さなければいけない。
足を踏み入れた瞬間、ひゅう、と、凍るように冷ややかな空気が、横から流れてきた。
『──主! いかん! あれは────逃げよ!』
先程、再召喚されて喜んでいた【マダム・蝶々】が、緊張した声音で俺に忠告してきた。
──【あれ】、て何だよ。
冷気を感じた方角に視線を向ける。
石壁を背にして、遠目でも分かるほど、綺麗な男が立っていた。
白銀の長い髪、白銀の瞳の、若い男。
休日に着る普段着のように、ゆったりしたラフなシャツをきている。
武器らしきものは何も持っていない。素手だ。
俺達みたいに、戦闘用の装備など、まったくしていない。
ごく普通の、どこにでもいる一般人のような格好をしている。
ただ、男の前には────全く普通ではない、細い氷柱のような鋭い氷の固まりが、びっしりと無数に浮かんでいた。
氷柱の鋭い先端は全て、俺達に向いている。
白銀の男が、俺達に向かって、ゆっくりと右手を上げた。
それが合図だったのか、浮かんでいた氷柱が一斉に動き出した。
猛スピードで飛んでくる。
俺たちに向かって。
「キュ!」
「わっ!?」
突然、コケ太郎が俺に飛びついてきた。
瞬間、意識が飛んだ。
「いっつう……」
全身が、痛い。
背中に、冷たい床の感触。
右肩に鋭い痛みが走って、俺は呻いた。
痛みの激しい肩を見る。
細い氷柱が、俺の肩を貫通して、床まで深く突き刺さっていた。
なにこれ。あり得ねえ。痛い。
「キュ……」
コケ太郎の弱々しい声。俺の腹辺りから聞こえてきた。
ころん、と転がっている。頭のデイジーは、力無く垂れている。
「コケ太郎……?」
コケ太郎の丸い小さな身体に、3本の氷柱が突き刺さっていた。
「おまえ……」
まさか、俺を庇ったのか。
「なんで……お前は、いつも、そんなに男前なんだよ……! バカ野郎、しっかり、しろ、コケ太郎! おい!」
コケ太郎は、いくら呼んでも、ぴくりとも動かなかった。
「早く回復、しないと……」
使役魔はHPがなくなった時、強制的に送還される。
そして3分経てば再召喚は可能だけど、俺はそんなのはできればしたくない。
身を起こそうとして失敗した。
標本のように氷柱で右肩を貫かれ、床に張り付けにされている所為で、起き上がることが出来ない。
皆はどうなったんだろう。
可能な限り首を回して、皆の姿を探した。
マツリ姉とマダム・蝶々は壁に。
シュテンとディレクさんは床に。
シグさんは柱に。
ビオラとシーマは石の彫刻の下で気を失っている。
皆、俺と同じように氷柱で突き刺され、床や柱に縫い止められていた。
コクトーが膝を叩いて笑いだした。
「ははははははっ。だーから、1階でボスに喰われて、素直に【死に戻って】りゃよかったんだよ。頑張ってここまで上がってきちまってまあ、ご苦労さんなこって。しっかし、すげえタイミングで邪魔しにきたよなあ、お前等!」
「お前……! いったい、ここで、何してるんだ……!?」
「調べものさ。見りゃ分かるだろ」
コクトーが、おどけたように肩をすくめて見せた。
コクトーの膝の上には、真っ白な本が開かれてある。
初めて見る本だった。
あれが……555階の《天への白き塔》を踏破した者だけが手に入れられる白い魔道書──【魂の書】というものなのだろうか。
「さあーて。ここまで頑張って上がってきちまったお前らに、ご褒美で選ばせてやろうかねえ。そこでじわじわ凍りながら死ぬか、それとも、いっそ、ひと思いに殺してもらうか。さあ、選べよ。どっちがいい?」
「お前、ふざけんな……! っつ」
起き上がろうとして身体を動かそうとしたが、床に突き刺さった氷柱はびくともしなかった。
痛みはさっきよりは何故か、引いてきた。
ただ、肩が、さっきから、ひどく冷たい。
肩の感覚も、だんだん無くなってきた。
見ると、刺さった場所に、霜がつき始めていた。
あそこで凍っている狂王と同じ──青白い霜が。
まずい。
コクトーの言う通りだ。このままだと、あいつと同じように凍らされてしまうかもしれない。
どうする。皆、手足を氷柱で貫かれて動ける者はいない。いや、待て。
俺に刺さってる氷柱は────コケ太郎が庇ってくれたお陰で、右肩の1本だけ。
左手は自由だ。動かせる。
俺だけは、まだ、武器が使える。
いける。いくんだ。今動けるのは、俺しかいない。
俺は腰に提げている紫の葉と白い花の杖を手に取った。コケ太郎、お前のくれたチャンス、無駄にはしないからな。
左上に表示されたままの、自分のステータス簡易表示ウインドウを横目で見る。
俺のHPは残り50%。
ステータスウインドウには、状態異常の表示がでている。
【氷柱による拘束】と【裂傷】【凍傷】【氷結化】。
最後の二つはスリップダメージだ。徐々にHPが減っていく。しかもダブルで。
もたもたしてる時間はない。
まず先に、あの白銀の男の動きを止めておかなければならない。
少しの間だけでもいい。
唱えてる最中に攻撃されたら、詠唱が中断してしまう。何も出来ない。
あの男を拘束状態にしてから、すぐに全員の状態回復とHPの全体回復。
【マダム・蝶々】【コケ太郎】が復帰次第、【攻撃】と【回復】の指示を。
使役魔に攻撃させつつ、自分は回復補助に回るというのが基本戦闘スタイルの【幻草使い】でも、攻撃魔法スキルくらいはいくつか持っている。
攻撃と拘束のスキルは確か──
俺は白銀の男に杖の先を向けた。
「──幻界の大樹よ。我は汝の落としたる万の種より生る緑児の1つなれば、請い願う。虹の橋を通じて我が願いを聞き届け給え。幻界の泉に立ち入らんとする、穢れし者を貫かん。彼の林より、鋼の如き尖槍の枝葉を持つ木を我が元に──【ウールズの尖槍樹】」
白銀の男の足下に、鋼色の根が網の目状に広がった。
根から、槍のような鋼色の細くて長い棘が無数につき出す。
剣山のように。
これで、しばらくの間、【拘束】されるはず──
「え?」
白銀の男が、ふわり、と浮き上がった。
槍の棘がむなしく空をきる。
「う、浮いた……!?」
どうやって。そんなこと、誰も出来ない。翼もなく、飛べるような種族もいないはずだ。
じゃあ、あれは……あの男は、何なんだ。
『主! 気をつけられよ! そやつ────人ではないぞ!』
「人、ではない……?」
白銀の男が、また静かに手を上げた。
まずい。あれは、さっきと一緒だ。
攻撃の合図だ。
俺は慌てて、もう一度杖を構えた。
「──幻界の──」
「……サク、ヤさん! やめなさい!」
シグさんが、後ろで怒鳴った。
なんだよ。怒る時だけ、大人の顔をするんだから。
それにやめてどうなる。俺がやらなきゃ、みんなが──
「おおーと。させねえよ」
コクトーが俺に視線を向け、黒い鎖を投げてきた。
黒い鎖は生き物のように空中を泳いで、俺ではなく、杖に絡みついた。
コクトーが軽く手を引いた。
絡みついた黒い鎖は、俺の杖を強く締めつけて────枝の杖は堪えきれずに、バキリ、と折れた。
紫色の葉と白い花が散って、ぐしゃぐしゃに折れた枝の一部と一緒に、床に落ちていく。
「武器、が……」
──ああ。
シグさんが言った通り、この世界は本当に────全てがPVPフィールドなのか。
プレイヤーの武器を、【破壊】できるなんて。




