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chapter-26

 俺達は、最上階層で一番広くて奥行もある、広場にもなりそうなくらいの廊下の前に到着した。

 最奥は、30段程の上り階段へと続いている。


 ここでも白と黒が入り混じる、中途半端に斑らな霧が立ち込めている。

 その上、陽すらも差し込まないから、暗く、とても肌寒い。


 床には破れて薄汚れた緋色のカーペット。

 扉の前まで伸びている階段の両脇には、彫刻の施された柱と高価な金の燭台が、等間隔に並んでいる。

 燭台には火が灯っているが、黒い霧に遮られて、辺りは薄暗いままだ。


 その広い階段を登った先には────【謁見の間】へと続く、一際豪華な装飾で彩られた、大きな扉がある。




 マツリ姉が、唸った。

「んー……。あの扉の奥に、まだいるのか、いないのか……。シグ兄、わかるか?」


 一斉に向けられた視線に、シグさんは肩をすくめてみせた。

「……すみません。さすがに、俺にもそれは分かりません」

「むー。そっかー」

「まあ、見てみるしかねェよなあ」

「う、うむ……」

 ディレクさんは青ざめた顔で扉の方を見つめている。ビオラはもうすでに今から涙ぐんでいる。


「だーいじょうぶっスよ! なんか、チョーラクショーな感じしないっスか!? 心配しすぎっスよ! だーい丈夫っス!」

「そりゃお前だけだろ……」

 シーマのお気楽な感想に、みんなが生ぬるい視線を送った。


「さて。泣いても笑っても、ここが最後だ。行く前にもう一度、最終打ち合わせをしておこう」


 全員が頷いた。


「目的の優先順位は、ユズの救出、杖の回収、コクトーがいたら協力の交渉。ただし──もしあの部屋に【狂王】がいた場合は──戦闘はしない。まあこの人数では、どう頑張っても勝てんけどな。戦って全滅でもしたら、みんなバラバラだ。【死に戻り】する場所がみんな違うからな。それを考えると、これは駄目だと判断したら一時退却して、本部に帰還して、人集めてリトライするのが、今の私等にできる最善策だと思うが。──そんな感じでいいかな、ディレク。サクちゃん。シグ兄」


 ディレクさんが、硬い表情で頷いた。

 俺とシグさんも、頷いた。

 杖に関しては俺たちだけの問題だから、皆にこれ以上迷惑かけるわけにはいかない。最悪、二人で行かないといけなかった事を考えたら、ここまでこれただけでも、十分だ。


 マツリ姉が、俺たちに向けて、すまなさそうに笑みを浮べた。

「ありがとう。冷たいようだが、二次遭難はできれば避けたいんだ。ユズを救出できても、他の誰かがまた同じような状況になったら意味がない。【死に戻り】前提で特攻かけて回収する手段もあるにはあるがなー。それも運だろうな……。とにかく、戦闘は回避だ。しない。場合によっては退却も視野に入れておいてくれ」


 ディレクさんが頷いた。

「了解した。ここまで連れてきてくれただけでも、感謝している。ありがとう。ユズのことは、俺が責任を持つ。必ず、俺が連れて帰る」

「ディレク……気持ちは解るが、無理はするなよ」

「ああ」


 マツリ姉が息を吐いて、頷いた。

「じゃあ、決まりだなー。ということで、何が起こってもいいように、各自最終チェックを。準備できたら──────扉を、開けてみよう」


 マツリ姉が緋色の目を細め、扉の方へ視線を向けた。


 あの部屋に、ユズさんがいて、杖もある。

 どうか、何事もなく、上手くいけばいいと願う。どうか。





 ビオラとディレクはやや緊張した表情でチェックを始め、シーマは気楽な様子で背伸びをしている。シュテンはやれやれ、といった感じに座り込んで、斧の整備を始めていた。


 シグさんはまだ扉をじっと見つめている。

 目を細めて、探るように。


「シグさん?」

「……あの部屋……何か……別の……」

「別の?」

 シグさんが額を押さえて、眉間に皺を寄せていた。

「どうしたんだ? ……頭、痛いのか?」

 俺がきくと、すぐに手を下ろしてしまった。いつもの笑みを浮べて首を横に振る。

「……いえ。大丈夫ですよ」


 少しだけ、嘘臭い。ああ、マツリ姉が言っていたのは、これのことか。


「……シグさんの大丈夫は、当てにならない!」

 睨むと、笑って肩をすくめられただけだった。笑い事ではない。

 ちょっと一言申そうとしたら、手を上げて止められた。

 ディレクと話し込んでいるマツリ姉の所へ行ってしまう。おい。


「マツリさん」

「ほい?」

「5分ほど、ここを離れてもいいですか? すぐ戻りますので」


「ん? まあ、それくらいならいいけど。どこいくん?」

「──退路の確認をもう一度しておきたいので。ちょっと見てきてもいいですか?」

「ああ、成程。いいよー。お願いするわ。気をつけてな」

 シグさんは笑顔で頷いて返すと、俺のところに戻ってきた。


「──サクヤさん、ついてきてくれますか?」

「あ、うん。いい、けど」

 手招きされて、俺はシグさんの後についていった。






 角を曲がって、少し歩いて。

 分かれ道の手前でシグさんは立ち止まり、目印用のナイフを壁に突き立てた。

「──帰りは視界が逆向きになって、迷いやすいので気をつけて下さいね。ここに目印を付けておきます。俺が通った道を戻れば、この城から最短で出られますから。分からない場所はありますか?」

「ない、けど」


 何か、今の、言い方が。

 自分がいなくても行けますか、って言ってるみたいに聞こえたのは気のせいなのか。


「どうしても迷ってしまったら、コケ太郎に案内を任せるといいです。コケ太郎。できるな?」

「キュー!」 

コケ太郎が自信満々に返事をした。


 シグさんが戻ってきて、俺の左手首を持ち上げた。

「……痣は、ちゃんと綺麗に消しましたか?」

「あ、うん。ちゃんと【浄化】して、消したよ」

 俺の手首を検分して1つ頷くと、目を伏せて、溜め息をついた。


「サクヤさん。やっぱり今からでも、町へ戻……」

 まだ言ってるよこの野郎。諦め悪いな。

「だから、戻らないって言ってるだろ! ここまで来たら、行くからな。ユズさんを助けないと。杖も手に入れなきゃ」

 シグさんが一瞬視線をさ迷わせた後、濃い紫の瞳で、俺を見た。



「ですが。あの部屋には、おそらく【狂王】が────いるでしょう。まだ、あそこに」



「いるの、かな」

「いるでしょうね。いないという可能性の方が、限りなく低い」


 確かに。俺も、そんな気がする。

 皆も、そう思ってる。マツリ姉も。だから、あんな話をしたんだ。


 ディレクさんの話。黒い霧。特殊モンスター。王のしもべたち。


 クエストキーはないのに、クエストは動き出している。

 この不具合みたいに中途半端な状況の理由は分からないけど。


 シグさんの中には、俺たちの世界の【狂王】がいる。

 そしてあの扉の開けて、もしも、こちらの世界の【狂王】がいたら──


 ──どうなるんだろう。


 出会うはずがない二者が出会った時。

 何も起こらなければ、それでいい。

 でも、もし、また刺激してしまって、あの時みたいにあいつが表に出てきてしまったら。

 最悪、あいつがこちらの狂王と同化してしまったら。

 こちらの狂王に、シグさんごと全部取り込まれてしまったら。

 嫌な想像だけは、いくらでも出てくるのが、嫌すぎる。


「扉を開けて、もし、あいつがいた時には────あなたはすぐに杖とユズさんを探して下さい。みつけたら取りに行く前に、必ず、報告を。あなたは少し、考える前に動いてしまうところがありますから」

「わ、わかってるよ!」


「手に入れたら、あとは逃げるだけですが。──あいつはきっと、追ってくるでしょう。この世界の狂王の方がたちが悪い。全てのものを消してしまいたい、と思っていますからね」


「追ってくる……?」


「ええ。間違いなく。此処は、ゲームみたいな要素を無理やりに組み込んだ、リアルに近い世界です。同じように考えない方がいい。扉を閉めて終わり、という訳には、きっといかない。ですから、最短コースを戻って、城の外へ脱出を。あとはひたすら町を目指して下さい。城から離れるほどに、あいつの力は弱まります。あいつの力の源は、この城にありますから。ある程度逃げ切れれば、反撃する事も可能かもしれません」


「そ、そうなのか」

 なら、どうにか、逃げ切らなければ。逃げ切れれば、どうにかなるってことだ。


「──それから、もう一つ。杖の入手ができないまま、俺が乗っ取られてしまった時の場合ですが……」

「ばっ……何言ってんだ!? そんな事、」

「これはネガティブ思考じゃないですよ。もしもの時の対策──保険、です」

「保険……」

 見上げたら、シグさんが微笑んで、俺の頭を撫でてきた。


 いつもの柔らかい笑顔。

 撫でられているのに、どうしてこんなに不安になるんだろう。


「サクヤさん。──俺が前、あなたに言った事、覚えていますか?」

「前?」


「もしも、俺が。乗っ取られてしまって、どうにもならなくなってしまった時は────迷わず、俺を倒して下さい」


 何を言っているんだ。


 俺はシグさんを睨んだ。

「……俺に、────PKしろって、言ってるのか」

 俺は、その直接的な言葉を口に出すのが嫌で、別の、間接的な言葉にすり替えた。


 PKプレイヤーキル。──その名の通り、プレイヤーが、プレイヤーを倒すこと。

 意味は、どちらも、同じことだ。


 シグさんも気付いている。この世界には、ゲームの世界ではあった、俺たちを守る為の様々な【規制】と言うものが、全く無いということに。

 俺もようやく、気付いた。


 誰に対しても、攻撃が可能だということ。

 敵にも──味方にも。


 ────ソルティが、俺達に攻撃できたように。


「そうです。お願いできますか。マツリさん達にもお願いしてあります。どうにもならなくなったら、俺を殺してもらうように」

「なっ」

「お願いします。 ──あいつには、どうしても、俺の身体を渡したくないんです」

 シグさんが、笑みを浮べた。

 俺は目をそらして、俯いた。


 鞄を開けてアイテムを探しだしたシグさんが、短剣を1本、取り出した。

 俺に差し出す。


 促されるままに、俺は受け取ってしまった。

 銀製の鞘と束には、美しい文様が掘り込まれている。

 そして恐ろしく軽い、細身の短剣だった。


「これなら、サクヤさんでも扱えて、俺の装備も貫通できるはずです」


 何故、もう、こうなることが確定してる事みたいな感じで言ってるんだ。


「──昔、タツミとサクヤさんと行ったダンジョンで拾った、レアアイテムです。PVP用のアイテムだし、効果も微妙だし、しかも特殊アイテム扱いで売れなくて、何となく持ったままだったんですが……役に立つ時がくるとは、思いませんでしたね」

 シグさんが、懐かしそうに語る。


 俺は、アイテム説明のウインドウに目を落とした。



【クレイヴ・ソリッシュ】

[特殊アイテム]

 特殊効果(PVPフィールド限定):即死 もしくは 相手を瀕死状態にする。

 発動率:50% 急所攻撃時:99%

 [説明]伝承の光の短剣。ひとたび抜刀すれば、その閃光はどんなに軽い一撃でも、神性のものも魔性のものも問わずに殺してしまう。売買不可。使用回数:5/5回



 武器ではなく、これはアイテムだ。

 ダメージを与えるのではなく、戦闘中に使用して相手を状態異常──【即死】か、【瀕死】にする。

 効果を発揮するかどうかは、使用者と相手側の、運と確率次第だ。




 俺は短剣を握りしめ、シグさんの胸に叩き返した。

「何が、役に立つんだよ……!」


「サクヤさんも気付いていると思いますが……この世界、全てがPVPフィールドのようになっていますから、効くはずです。一撃で倒すには、ここを。心臓を狙って下さい。急所を狙えば、高確率で【即死】が発動する。もし発動しなくても、【瀕死】状態にはなるはずです」


 シグさんが、自分の指で胸の真ん中を指し示した。


「抜かずに、そのままで。抜いたら血が噴き出して、サクヤさんは、きっとパニックを起こしてしまうかもしれませんから。サクヤさんの心臓まで止まってしまったら大変なので」


 なにそれ、冗談のつもりなのか。笑えない。

 なに、殺人の講習なんてしてんの。俺に。そんなの知りたくもない。


「……頼みます。どうにもならなくなった時は、これを使って下さい。俺が俺でなくなった時どうなるのか、俺にも分からない。けれど……これだけは言えます。もし取り込まれたとしても。あいつが俺の中にいる限り……俺の中にいる間は、あなたを絶対に傷つけない。その隙に、使ってください。────手仕舞いの覚悟は、決めてきたんでしょう?」


 俺は、シグさんを見上げた。


 昔、シグさんにも言ったことがある言葉。覚えてたのか。何の相談の時かは忘れたけど、ひどく落ち込んでいたから、お嬢様のような母さんの、男らしい格言を、冗談混じりに教えてあげた。笑い混じりに。元気づけようとして。


 俺は、シグさんの胸に叩きつけたままだった短剣を、静かに、下ろした。


「ケジメは、つける。けど──杖を手に入れて、逃げ切って、シグさんからあいつを追い出せばいい話だろ。こんな、最悪な、展開は、無しにして……お願いだから」

 声が震えてしまった。


 ────もし、シグさんがシグさんでなくなってしまったら?


 この短剣で倒した後、ちゃんと【死に戻り】が発動するのだろうか。もし発動しなかったらどうなるんだろう。


 何が起こるか、本当に、わからなくて、心臓に悪すぎる。

 頼むから、最悪の展開だけは。どうか。


 シグさんの胸ぐらを掴んで、引き寄せる。

「頼むから……何があっても、何が起こっても、俺1人、残すとか無し。そういうの、無しにして。共有案件って、言っただろ。置いてくの、なしだからな。もう無しで。俺置いてくな。お願いだから。ていうか、諦めんな。最後まで。一緒に、俺と、帰るんだろ? なあ」


 濃い紫色の瞳が、揺らいだ。


 顔が急に近づいてきて、びっくりして思わず目をつぶる。

 唇に、ぬくいものが、強く押し付けられた。


 なんか、前にも、同じような、ことが。


 俺は息が苦しくなって、シグさんの胸を、拳で叩いた。動揺と酸欠で、力は全く入っていない。

 息を吸おうと口を開いたら、顎を掴まれて、さらに深く噛みつかれた。

 苦しい。息が出来ない。


 もうだめだ死ぬ、と諦めた頃にやっと唇が離れて、俺はようやく息を吸い込めた。

 動悸と、息切れが、収まらない。


「……し、シグさん、さすがに、これは、」

 シャレにならないかと……思うんですが。

 しかも、もう、これ、いろいろとアウトなやつな気が。


 シグさんが、笑みを浮べた。

「……そうですね。もう、アウトですね」

 なに、認めちゃってんの。





「──そろそろ、戻りましょうか」

 シグさんが、俺に手を差し出した。


 俺はその辺にでも投げ捨ててしまいたい短剣を、震えそうになる手でどうにか鞄に仕舞いこんだ。

 差し出された手を見て、シグさんを見上げて、もう一度、手に視線を戻して──


 ──その大きな手のひらに、自分の手を乗せた。


 シグさんが乗せられた俺の手を見下ろして、俺の顔をじっと見て────嬉しそうに微笑んだ。


 なんで、そんなに嬉しそうなの。だめだろ。

 俺も、なんで手を伸ばしてしまったんだろう。そんなことしたら。


 強く手を握られて、同じように握り返す。



「……ずっと。一緒に、いられたら、いいですね」

 至近距離で見下ろされ、俺はいたたまれなくて目をそらしながら────頷いて、返した。


 最後にもう一度だけ、引き寄せられて、かすめるように唇が触れた。

 ああこれはされるな、と引き寄せられた時に気付いたけれど、俺は目を閉じて、受けとめた。




 ああ。

 もう、だめだな。これは。

 俺も。



 ────引き返せなくなる前に、今のうちに、蓋をしてしまわなければ。



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