chapter-25
「シュテン。俺が先頭にいくので、後方をお願いできますか」
「おお?」
「俺が一番、城の中に詳しいですから。最上階まで、できるだけ最短の、安全なルートを案内します」
シュテンが気付いたような表情で、頷いた。
「……ああ、なるほど。確かにそうかもなァ。よっしゃ分かった! 後ろは任せろ」
「ありがとうございます」
パーティの後方に移動したシュテンと、ちょうど俺の前──隊列の先頭にきたシグさんと、その隣にマツリ姉。ディレクさんはすでに後方で待機している。俺とビオラとシーマは真ん中だ。
俺の視線に気付いたシグさんが、静かに微笑んで、頷いた。
「……マツリさんたちには、俺の件は、話してありますから」
そうだったのか。じゃあ……もう俺が話さなくてもいいんだな。
マツリ姉が、シグさんを横目でちらりと見て、俺を振り返った。
「んー。話は聞いたんけどなあ。シグ兄の中に、あの【狂王】の欠けら? 霊?が取り憑いてるんだっけ? そう言われてもなー。よくわからんし。シグ兄はいつも通りだし。へーそうなんかーまあ頑張れよー、みたいな? まあ、城の中サクサク道案内してくれるから、どっちかっていうと助かってるよなー」
「はいです。シグさん、ものすごくお城の中に詳しくて、助かりましたです」
「ああ。無駄に敵と戦わずにすんで、正直助かった」
「そうっスそうっス。便利っス! つーか、思い込みなんじゃねえッスか? ストレス病みたいな──あだあっ」
マツリ姉がシーマの頭を殴った。
便利……
シグさんが、肩をすくめてみせた。
「……まあ。こんな感じでして」
俺は脱力した。
まあ、確かに。話だけだったら、こんな反応になるかもしれない。
「んでサクちゃんにベタ惚れだから、起きたら襲ってくるんだって? 可哀想に……そっちの方が心配だよー」
マツリ姉が俺の両肩に手を置いて、心配そうに覗き込んできた。
「おそっ……!?」
ビオラは頬に両手を当てて顔を真っ赤にして俯き、シーマが頬を染めながらシグさんを睨んでいる。シュテンはにやにや笑い。ディレクさんも顔を赤くして俺から目をそらした。シグさんは涼しい顔をしている。 なにこの反応。すげえ嫌な感じなんですけど。
ちょっとシグさん、一体どういう話をしたんだ!?
「うんうん。大丈夫だよー。サクちゃんは、私の側にいるといいからねー。お姉さんがシグ兄から──じゃなかった、鬼畜で変態で悪い王様から守ってあげるよー!」
「お、俺も守るっスよ! だから安心してほしいッス! 監禁プレイなんか絶対させないッス!」
「キュー!」
「監……」
俺はすんでのところで言いかけた言葉を飲み込んだ。
怖い。なんか不穏な単語がいくつか聞こえたんだか気のせいかな。うん。気のせいだ。
……いったい、どういう話になってるんだ。いやいい。聞きたくない。きっと俺のメンタルがすり減るのは間違いない。
これはどういうことなのかと悪者認定されている男を睨むと、少し面白そうに片眉と口の端を上げた。この野郎。本当にどういう説明をしたんだよ。
「まあ、ガードは多いに越した事はないでしょうから。──聞きたいですか?」
何を言ったのか気になるけど聞きたくない。どうせ、ろくな話じゃないのは明らかだ。
「け、結構です!」
* * *
シグさんの案内で、ほとんど戦闘をすることなく4階層まで上がってこれた。
この古城は全部で5階層のダンジョンだが、ひとつひとつの階層は意外に広い。そして部屋や廊下が複雑に入り組み、立体迷路のようになっているから非常に迷いやすい。
その中を、俺の知らない裏ルートみたいな道を通って、シグさんは進んでいった。
────ほとんど、マップを見ずに。
途中、ソルティと出くわす事はなかった。探しながら進んだけれど、それらしき陰すら見つけられなかった。
4階層の西奥。
シグさんが鍵を壊して扉を開けると、そこはちょっとした庭園になっていた。
この城の中に、こんな場所があったなんて初めて知った。
床には芝と野花が生い茂り、低木の植え込みには小さな花が咲き乱れている。
池は薄紅色の睡蓮の花で彩られ、白石の繊細な彫刻が美しいアーチの石橋がかかっている。
暗くてじめじめして、薄汚れた廃虚のような古城の中にいるというのが嘘のように、自然で、綺麗な庭園だった。
マップを見ても名称が表示されていない。そういえば、ゲームの中でもここの扉は固く閉じられて、中に入れなかった。あの中は、庭園になっていたのか。
城の端に在る、ひっそりと隔離された、名もなき庭園。
「この庭園の奥にある隠し階段を登れば、最上階に行けるはずです」
「隠し階段?」
そんなものあったっけ。マップを見ても見当たらない。
みんなの不思議そうな視線に、シグさんが苦笑した。
「そういう、シーンを……夢でみましたので」
「夢……」
庭園を眺めながら、シグさんが頷いた。
「ここは────王妃のプライベートガーデンです。ちょっと確認してきますから、少しここで待ってて下さい」
そう言うと、シグさんは1人で庭園に踏み込んでいってしまった。
入った事のない新しいエリアや部屋に、全員で同時に入るのは危険だ。
この場合、索敵やサーチ、罠解除に優れた職が先行して調べてくることが多い。……まあ、所謂、人身御供みたいなもんである。
全員で行って何かあって全滅するよりは、1人死んでも蘇生スキルを使えば傷は少なくて済む、という冒険者たちが編み出した合理的で効率的でドライ且つスバラシイ方法だ。
俺たちの場合、それはタツミの仕事だった。【短剣使い】は素早いから敵がもしでてきても逃げ切れる可能性が高いし、罠発見・解除系のスキルももっているので、俺たちがいくよりは適任なのだ。
けれど今ここに、タツミはいないし、皆どこに隠し階段があるのかは知らない。
だから一番城内に詳しいシグさんが先行するのが適任だ。それは正しい。
でも。何か、胸騒ぎがする。
こういう時の、俺の勘は、けっこう当たる。
俺は、庭に踏み込んだ。伸びすぎた芝がサクリ、と音を立てる。
「サクちゃん!?」
「俺も行ってくる。回復役がいるだろ。何かあった時の保険」
後ろでいろいろ──言っているけど、俺は無視してシグさんの後を追いかけた。
追いついて横に並ぶと、開口一番怒られた。
「サクヤさん。駄目です。戻って下さい」
「いやだ。俺も行く。この辺の敵は嫌な攻撃してくるの、シグさんも知ってるだろ。何かあった時、1人じゃ危ないよ。それに俺の事は、俺が決めるって言っただろ。どうせ置いていってもついてくんだから、同じだ。諦めろ」
何言われても絶対戻らないぞという固い意志を込めてシグさんを見上げる。
にらみ合うこと1分後。
諦めたような、呆れような顔で溜め息をつかれた。
「……俺から、離れないようにして下さいよ」
「おう!」
俺は頷いた。
アーチの石橋を渡り終えながら、綺麗な睡蓮に目を向けた。
絵画のような風景だ。
「こんなに綺麗な庭園、むこうでも実装してくれたら、よかったのにな」
「プライベートなものですからね。──狂った王妃に、前王が贈ったものですから」
「狂った……?」
「王妃は、双子を産んで、ショックでおかしくなってしまったんです。こういう場合、双子というのはたいてい火種ですからね。忌み児、悪魔の子、災厄の子。そんなものを産んでしまった王妃も、当然悪魔憑きだ、と周りから責められ、詰られる。半狂乱になった王妃が片方の王子を殺そうとした。それを乳母が止めた。王族殺しが知られたら、死罪ですから。──たとえそれが、生まれたばかりの我が子でも」
石の回廊の奥に、古びた扉がひとつあった。
様々な花の彫刻で飾られている。それも今は埃を被って、ひび割れ、色あせてしまっている。元はきっと美しい扉だっただろうに。
埃を被った取手には、大きな南京錠がかかっている。
シグさんが拳を打ち付けて、鍵を壊した。ボロボロと崩れていく。錆びきってしまっていたのか、それとも風化してしまっていたのだろうか。簡単に壊れてしまった。
「王は片方の王子を取り上げ、事情を知る乳母ごと地下牢に放り込んだ」
「え」
なにそれ。初めて聞いた。そんな話──
シグさんが、扉を押した。
「乳母は、3年程、生きていたでしょうか。その間に、言葉を少し覚えたようです。乳母は責任感が強く、優しい人でした。死ぬまで、言葉を教え、世話を焼いた。表にでることは一生ないであろう王子に。乳母の死体に抱かれたまま、更に数年──」
俺は、ごくりと息を飲んだ。背筋がうすら寒くなる。
シグさんが、俺を横目でみて、少し困ったように笑った。
「────この先は、話すのは止めておきます。あまりに酷い内容なので」
俺は口を押さえた。
まさか、死んだ乳母と二人きりで──ずっと、地下牢にいたのか。いったい、いつまで。
「王妃は1人しか産んでない、と思い込むようになった。そして狂っていった。狂っていく王妃を少しでも癒そうと、王はこの庭を与えたようです」
扉の奥には石壁の廊下があった。中は真っ暗だ。
シグさんがランタンに火を灯した。
足を踏み入れる。
ひやりとした空気が奥から流れてきて、俺は身震いした。
暗い廊下の奥には、上に続く階段が見えた。
その手前には。
豪奢なドレスを着た、女性が立っていた。
その身体は、透けている。
暗い表情。
纏わりつく黒い靄。
あれは────
【魔に取り込まれた死霊】だ。
シグさんが、ランタンを床に置いてから、背中の大きな剣を抜いた。
「ど、どうして、こんなところに……」
結い上げた頭には宝石で彩られたティアラ。
首元や耳を飾る大きな宝石のネックレス。
裾を引くほど長い、緋色のドレス。
白くて美しい顔。
まさか。あれは。
シグさんが、口の端で小さく嗤った。
「ここで……王妃を殺していましたから。あいつが。────だから、いるような、気が、したんですよねえ」
王妃。
やっぱり、あれは、王妃なのか。
殺されて、死んでなお消える事もできず。
魔に侵されて、ずっとここにいたのだろうか。
「……いや。この世界の狂王が殺したのか。まあ、どちらも同じことですが。いや、違うか。向こうで俺たちが見たストーリーは、こちらをトレースして作られたようですから、こちらがオリジナル……正規版、ということになるんでしょうかね」
俺も武器を構えた。階段の手前にいる。エネミー表示ウインドウには、【魔に取り込まれた死霊】と書かれてある。敵だ。じっと、こっちを見て、伺っている。動かない。倒さないと──いけないのだろうか。
「み、みんなを呼んだほうがいい?」
「いえ。俺だけで十分です」
シグさんが小さく唱えて、大剣に魔属性を付与した。
実体を持たない霊系のモンスターは、神聖属性か魔属性の攻撃しかダメージを与える事ができない。
王妃の魔霊は動かない。
立ったまま、無表情にこちらを見つめている。
俺とコケ太郎で、シグさんに防御と補助スキルをめいっぱいかけた。
全てかけ終えて頷くと、シグさんも頷いて、魔霊に向かって駆けだした。
魔霊も、そこでようやく動き出した。こちらに向かってゆっくりと飛んでくる。
黒い残像を引きながら、剣が下から上に一閃した。
切り裂かれた魔霊の動きが止まった。
剣を返して、床をえぐるぐらいの勢いで胸を突き刺す。
魔霊は、攻撃らしい攻撃をすることもなく、剣を受けた。
胸を串刺しにされた魔霊は、両手を伸ばした。自分を討った相手に。
伸ばされた手は、ゆっくりとさ迷い、まるで抱きしめるように身体を包んだ。
魔霊の輪郭が少しずつ、黒い靄に変わっていく。
最後に、悲しげな笑みを浮べたようにみえたのは、夢なのか現実なのか。
「……少し、だけ。あいつの気持ちも、わかるんですよね」
突き立てられた大剣しか残っていない場所をじっとみながら、シグさんが呟いた。
「欲しい物は1つも手に入らない。残らない。手に入るのは、いらないものばかり。それならもう、いっそ全部────壊してしまえばいい。なんて。思ってしまうのは仕方がない」
「シグさん……」
「何も出来ない。どうせ現状を維持するためだけに、担ぎ上げられた、からっぽの王様ですから。何の力もない。言いなりの。意味のない、飾りのもの。何も出来ない、形だけの王様です」
「シグさん!」
シグさんが、やっとこっちを向いた。
「シグさんは、あいつと同じじゃないよ。重ねたら駄目だ。同じにはならない」
濃い紫の瞳は、今は黒くはないけど、どこか遠くをさ迷っている。
向こうで何があったのか、俺はしらないけど。
話したくなったら、話せばいいと思う。俺に。
話せる人がいるってだけでも、大分違う。はずだ。
「同じじゃないよ。シグさんはあいつみたいに1人じゃないんだから。俺がいるだろ。俺が。横に」
目が大きく見開かれた。
そして無言。
まだ無言。
しまった。引いているのか。
今さらながら、恥ずかしい事をいってしまった気がする。止めとけば良かった。
「い、今のは忘れ──」
シグさんが、微笑んだ。
それから、抱きしめてきた。
「……そうですね。俺には、サクヤさんが、いますね」
「お、おお。そうだぞ。そこ、一番重要なポイントだから」
耳元で笑われた。おい。
「そうですね」
慌てふためく俺にいつもしてくれるように、背中に手を回して、軽く叩いてみた。これ、なんか安心するから。
抱きしめる力が強くなった。
「……今からでも、町に戻りませんか」
「まだいうか」
「だって、俺に優しくした人は、いつも消えていくんです。あなたも消えてしまったら……」
「そういうネガティブな事は言わない事、って言っただろ! 俺は消えないよ。消えたくねえし。消えてたまるか。俺は俺の意志で、」
俺は言葉を切った。また恥ずかしい事を言いかけてしまった。
いや、待て。やっぱ言え。言った方がいい。言った言葉は何であれ、力になる。母さんも言ってた。俺もそう思う。
「側に、いるよ。大丈夫。独りにはしない。絶対に」
シグさんが、顔を上げた。
いつもと違う、どこか弱々しい表情。
「なんて顔してんだよ。らしくないな」
「……俺らしいって、なんですかね」
「のんびり、ゆったりしてること?」
笑われた。
額に唇が落ちてきた。
今度は、あの時みたいに、お別れみたいな感じがしない。
俺は安堵した。
「……側に、いて、ほしいです」
「いるよ」
「ずっとですよ。俺の側に、ずっと、いて」
ずっと、っていつまでだ。
少し考えたが──まあ、いいか、という結論に達した。
別に、今までと、何も変わらないだろう。問題ない。
「いいよ。俺の人生にシグさんが1人増えるぐらい、どうってことない」
笑うと、シグさんは泣きそうな顔をした。
また強く抱きしめられた。
力が強くて少し苦しかったが、俺は何も言わずにそのままにした。背中を軽く、ぽんぽんと叩く。
「いつもと逆だな」
冗談めかして言うと、少し笑った気配がした。
良かった。こんなことぐらいしか俺にはできないけど、少しは元気が出ただろうか。
庭へと続く扉が、勢い良く開いた。
びっくりして目を向けると、逆光を背にシーマが仁王立ちしていた。こちらに向けて指を差す。
「あああああ──!!! やっぱ思った通りッスよおおお!! あいつがサクヤさん、襲ってるっス!! ちょっと、なにやってんスかあああ!!」
こっちに向かって駆けてくる。
「いや、これは、その」
「……あいつ……やっぱり、あそこに捨ててくればよかった……。いや、偶然を装って、一緒に斬っておくべきだったか……」
頭上から、シグさんの不穏な呟き声が聞こえた。




