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chapter-22

 さわり、と柔らかで涼しい風が髪を撫でていった。



 遠くから、木々の葉が擦れる音が聞こえてくる。

 小さな鳥の声。



 俺は重い瞼を開けた。

 焚き火の跡が、目の前に見えた。

 すでに火は消えてしまていて、焼け残りの枝と煤だけが黒く残っている。


 その奥に、白い霧に包まれた森。

 青空と白い霧が、斑に混じる空。


 朝……?


「────お。ようやっと、目ェ覚ましたか。ったく、やれやれだぜ」

「キュー!」


 頭上から、シュテンとコケ太郎の声がした。


 頭の方に顔を向けると、赤い髪に黒い角、こんがりと焼けた肌、羨ましくも筋肉が盛りあがった全身入れ墨入りの鬼ヤクザ──違った、ワイルドな大鬼が、あぐらを組んで座っていた。その前で、まるいコケ太郎がぴょんぴょん跳ねている。


「シュ、テン……? コケ、太郎……?」

 声が擦れた。

「おう。おそようさん」

「キュー!」

 シュテンが、大きな犬歯をみせて、にかっと笑った。



「気分はどうだ? 起きれそうか?」

「うん。大丈夫……」

 手を突いて、上体を起こしてみた。起きれる。気分も悪くない。大丈夫そうだ。

 毛布が2枚、俺の上からぱらりと落ちた。俺のじゃない。誰かが親切に掛けてくれたみたいだ。


 俺は息を吐いた。

 自分の身体なのに、すごく重い。──いや、今は【サクヤ】の身体か。

 すぐに傷がつくやわい肌。細い手足。華奢な身体。

 今更言っても無駄なのは分かってるけど、シュテンみたいな身体にしとけばよかった。ごつくて、でかくて、重い身体。そして強い。襲ってきても余裕で殴り返せる。ボコボコに返り討ちだ。見た目も、子供が泣くほど衝撃的なインパクトだ。あいつもきっと泣く……かどうかはわからんが、でも、衝撃は受けるはずだ。そしたら、流石のあいつも目が覚めて、諦めて──



「あれ……?」

 野営地には、誰の姿もなかった。



「みんな、は?」


「……お前、覚えてねぇのか? 昨日、ディレクの話を聞いてる途中で、真っ青な顔してぶっ倒れただろ。夜中、ものすげえ熱だして、うなされてたんだぜ。呼んでも全然目ェ覚まさねえし。覚えてねェのか?」


「うなされてた……? 覚えて、ない」


 俺はぶっ倒れていたのか。今まで。

 そんなことより、なんで皆いないんだ。どこか、調べにでもいったのか。


「そうか。みんな、心配してたんだぜ? こりゃあ、慣れない場所に来てすぐに、マツリ達の手伝いさせられて。お前は優しいから、何も言わずに頑張る奴だしよ。やっぱずっと無理してて、疲れがでたんだろうなあって。これ以上、一緒に連れてくのは無理だなあ、って話になってな」


 シュテンが大きく息を吐き出して、俺を見た。


「お前は【デンシスリーフ】の町に、連れて帰る事に決まった。心配すんな、俺がちゃんと送り届けてやるから」


 町に……連れて帰る!?


 俺はようやく頭が覚醒した。


「まっ……待って! いや、ちょっと、待ってくれ! 町に連れて帰るって────皆は!? シグさん、は?」


 一緒に行くって。


「皆ァもう先に行っちまったよ。シグの旦那もな。あいつは城に入れる道を知ってるみてぇだからな。抜けるわけにはいかねえだろ?」

「先に、行った……?」


「おう。その代わり、お前を町に連れて帰る係に、俺を名指しでご指名して行きやがった。必ず無事に町に送り届けろってよ。戻るまで絶対に1人にするな、命に代えても守りきれ、触りすぎるな、襲ったら殺す、早く病院へ連れて行け、宿は一番いい部屋にしろ、ええと、あとなんだったか。面倒くせえ。忘れた。……ったくあの野郎。行くの行くまで、もんのすげえ煩せェのなんのって」

 シュテンが、こらえ切れない笑いを漏らしながら、肩を震わせている。


 俺は、毛布を握りしめた。

 笑い事ではない。全然笑えない。何を言ってるんだ。あの野郎。勝手に。


「俺、置いて、いかれた……?」


 一緒に行こうって、言ったのに。

 約束したのに。


 どうして。


「ったく。んな、泣きそうなつらァすんなよ……」

 シュテンが、まいったなあ、という表情で目をそらし、頭を掻いた。


「仕方ねえだろ。熱出してぶっ倒れた奴を、無理に連れてはいけねえだろ。それに──お前も見ただろ。ディレクの背中にへばりついてた、黒い奴をよ。あれは、黒霧のクエストにしか出てこねえ、特殊モンスターだ。でも、クエストは起動していない。なのにディレクの話じゃあ、【狂王】は復活したっつうし。それも倒されたのか、まだ居やがるのかもわからねえ。わけがわからん。ただ……どうにも、嫌な予感だけはするんだよなあ……」


 眉間に皺を寄せたシュテンが、腕を組んで溜め息をついた。


「コクトーの奴も、素直に協力してくれるような感じがしねえ……なんか、腹の底で、別の事を考えてやがる気がする」


「別の事……」

 シュテンが俺を見た。


「だからよ。おそらく──この先、安全だとは、とてもじゃねえが言えねえ。十中八九、何らかの戦闘は不可避だ。シグの旦那もそれが分かってるから、お前を置いて行くってさ。お前を戦わせたくないっつって……」


 ──何を言ってるんだ、シグさんは。


「何言ってんだ、それなら尚更……! 俺、連れていかないとだめだろ。戦闘が不可避なら、回復役が、ビオラだけじゃ可哀想だ。キツイ」

「おうよ。俺もそう思って、お前には悪ぃけどよ、無理させないように一緒に連れて行った方がいいって言ったんだ。マツリも俺と同じ意見だ。ビオラも不安そうな顔してっし。でも、旦那の奴が置いていくってきかなくてなあ……まあ、ディレクの奴が【聖騎士パラディン】だから、ある程度の神聖系スキルと、回復スキルは使えるからな。それでまあ、どうにかするかって話に」


「どうして……」


 シュテンが、頬杖を突いて俺をじっと見つめ、にやりと片方の口角を上げた。


「そりゃ、あれだろ。お前を、戦闘から遠ざけて、安全な場所で、傷つかねえように大事に、置いておきたいんだろうよ────旦那は。……ありゃあ、もうダメだなァ。完全にお前に惚れちまっとるわ。お前、旦那にナニやったんだよ。どうすんだお前」




 俺は思いっきり咳き込んだ。




 拳を固め、シュテンの頭に思いきりゲンコツを入れた。俺の手の方が痺れて痛くなった。この石頭め……!


「ばっ……か野郎!! なんもしてねえええよ!! いきなり何言ってんだこの野郎! 思わず咳き込んじまったじゃねえか! んなわけあるか!! 何言ってんだ!?」


「いやァ、ありゃ、もう絶対あかんって。お前の側から離れねえし、誰にも触らせねえし。見てるこっちがいたたまれねぇほどだったもんよ。俺等がいなかったら、キスぐらいしてんじゃねえかってぐらい」

「キ……!!」

 俺は自分の口を手で覆った。


 だめだ、だめだ思い出すな、俺。あれは事故だ。不幸な事故だったのだ。デリートしただろ。抹消済み事項だ。


 シュテンの片眉が上がった。

 それから、にたあ、という表現がぴったりの、嫌な感じに含みのある、イヤらしい笑みを浮べた。


「なァに顔、真っ赤にしてんだよ? なんだなんだ。さてはもう経験済みかァ?。おいおいおい。お前等、どこまでヤっちまったんだ。しょうがねえなあ。まあ、俺ァ、他人ひとの色恋なんざどうでもいいし、後々の事も考えて、合意の上でなら、自己責任で好きにヤりゃあいいと思うけどよ。……しっかしシグの旦那ァ、すましたつらして以外に手が早えな……。つうか、お前。そのほっせえ身体であいつの入────ぐふあっ!!?」



「それ以上言うなアウトだっつてんだろうが下ネタばっか言いやがって、このクソエロオヤジがあああ!! くたばれ!!」

 俺はシュテンの顎めがけて、力いっぱい鉄拳制裁のアッパーカットを入れてやった。



 これは流石に効くはずだ。ボクシングやってる兄貴仕込みの技だからな。不審者撃退用護身術其丿三。脳を揺らして不審者がくらくらしてる隙に大声出して逃げる。母さんと一緒に教えられた。何でか俺まで教えられた。ちくしょう、俺、そんなに弱そうに見えるのか……。


 顎を押さえて悶絶しながら地面を転がるシュテンに生温い視線を送りながら、俺は立ち上がった。でもこれ、連発はできないな。この弱い身体じゃ、1回が限度だ。手がすげえ痛い。まだ痺れてる。


「うごご……なんつうキレのあるアッパーをしやがる……この野郎! 下ネタっつうほどのもんは言ってねえだろうがよ!」


「うるさい! 早く起きろシュテン! いつまでも転がってんな! 行くぞ!」

「いてて……行くってお前、どこへ行くつもりなんだよ。町か?」


「阿呆か、そんな訳ないだろ。マツリ姉のところだ。追いかけて、合流する。──俺の事は、俺が決める。誰にも決めさせない」

 シグさんにもだ。


 シュテンが身を起こしながら、俺にむかって、ニヤリと口角を上げてみせた。


「いいねぇ。一朝前に、男前な事を言うじゃあねえか。行けば、派手な戦いになるかもしれないぜ? ──【死に戻り】するぐれぇのよ」

「構わない。俺だけ後ろで見てるなんて、まっぴらごめんだ」


 シュテンが大笑いした。


「おっしゃ! そこまで言うなら、行こうじゃねえか。マツリんとこへ。覚悟ァ決めろよ」

「お前こそ。びびって逃げんなよ。【黒霧の狂王】クエストにでてくるモンスターは、結構えげつないのが多いからな」

「クク……言ってくれるぜ。見てくれは、華奢なお嬢のくせによ」


「見  た  目  の  事  は  い  う  な!!! もう一発お見舞いしてやろうか!!!」

 俺が握り拳を作ると、シュテンは頬をひくつかせて後ろに下がった。まったく。





 俺は忘れ物がないか野営地を見回してから、空を見上げた。

 まだ、陽は高い。


「行こう、シュテン。コケ太郎。──早く追いつかないと」

「キュ!」

「おう。行くか。今からでりゃあ、そう遠くまではいってねえはずだ。急いで行きゃあ、城下町辺りの所で追いつけるんじゃねえかな」

 シュテンも背中の斧や装備の状態を念入りに確認しながら、俺に答えた。




「……そうだ、シュテン。シグさんは、大丈夫そうだった?」

「旦那ァ? あー。あれは大丈夫だろ。起きたらケロッとしてたし」

「け、ケロッと?」

「おお。お前をつきっきりで看病してたかと思ったら、なんかいきなりぶっ倒れやがってよォ。殴っても起きやしねえし。あの時はどうしようかと思ったぜ」

「ぶっ倒れた……!? つうか、何で殴る!? いや、そんなことよりも、倒れたって、なんで!?」

「まあまあ落ち着けって。大丈夫だって。明け方目ェ覚ました時は、嘘みてえにケロッとしてたからな。あんなにすげえうなされてたのによ」


「そ、そうか……」


 よかった。

 なら、あの後、大丈夫だったんだ。ケロっとしてたなら、元気なんだ。よかった。


 あの時、蔦の拘束は解けていた。黒い痣も消えていた。

 そして逃げ切った。

 あいつはまだ、あの暗い底みたいな場所にはいるんだろうけど、それでも、前の状態よりはずっとマシなはずだ。シグさんはもう捕まってはいない。

 

 

 でも……



 なんでこんなに、不安なんだろう。

 動悸が、なかなか静まらない。



「──急ごう。早く追いつかないと」

「おうよ!」

「キュー!」

 俺とコケ太郎とシュテンはお互いに頷いて、駆け出した。


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