chapter-19
フルアーマーの騎士を肩に軽々と担いでシュテンが戻ってきた。お前の筋力どうなってんだ。少しでいいから俺に分けてくれ。
焚き火の近くに、適当な感じに投げ下ろして、仰向けに転がす。
みんなが難しい顔をして、倒れた騎士を眺めている。
俺も顔の辺りに近寄って、覗き込んでみた。ビオラも俺の後ろをついてきて、恐る恐るといった様子で同じように覗き込んだ。
若い男。のようだった。
フルフェイスの兜は外され中の顔が見えてはいたが、汚れがすごすぎて性別ぐらいしか分からなかった。黒い泥と謎の液体と得体の知れない付着物がこびりついて、ぐちゃぐちゃしている。
「汚れが酷すぎて、よくわからないな」
「うむ」
「んだなァ」
「そうですね」
俺の意見に、同意の返事だけが返ってきた。
ビオラは脅えて俺の後ろに張り付いている。シーマは興味津々に回りをうろうろしながら見てるだけだ。
誰も動こうとしない。
俺は溜め息をついた。
仕方なく、鞄からミネラルウォーターの瓶とタオルを取り出した。このままではいっこうに進む気配がしないので仕方がない。
濡らしたタオルは、ちょっと拭くだけですぐに真っ黒になった。
水でタオルの汚れを流しては、拭く、を繰り返す。
徐々に人の顔が見えてきた。
明るいオレンジ色の髪。
健康的に焼けた肌。
目を閉じていても分かる、キリリとした精かんな顔つき。西洋風の彫りの深いイケメン顔。
「──ディレクだ」
マツリ姉が、赤い目を大きく見開いて、気を失っている男を凝視した。
「ディレクさんです……!?」
「ディレクっス……!?」
同じように、シーマとビオラも大きく目を開いて、凝視している。
回復と状態異常回復のスキルを、俺とビオラで目一杯かけまくる。
ディレクがようやく息を吹き返すように────目を覚ました。
薄水色の眼が、俺達をぐるりと見回す。
「こ……こは……」
ひどく擦れた声だった。
「【霧の森】の、野営地だ」
マツリ姉が答えると、ディレクさんは瞼をしばたたかせた。
緩慢な動きで首を巡らせ、焚き火と、周りの風景と、空を見上げ、最後にマツリ姉に視線を戻した。
「……ソルティと、ユズは……?」
「いいや。お前だけだよ」
それまでどこかぼんやりした表情をしていたディレクさんが、カッと目を見開いて飛び起きた。
よろけながらも立ち上がろうとするのを、シュテンが取り押さえる。
「行かせてくれ、早く行かなければ……!」
「おいおい。待てって。そんな身体で行ったって、なんもできねェよ! ちっと、落ち着けや」
「だが……!」
ディレクさんが大きく咳き込んだ。
俺は【カモマイルティー】を煎れて、咳き込むディレクさんに差し出した。林檎のような、ほっとする甘い香りが湯気を立てている。荒れた咽にも優しい。疲労回復に良く効くハーブティーだ。
「どうぞ。──シュテンの言う通りだよ。行くにしても、まずは身体を癒して、壊れた装備を調えないと」
ディレクさんは俺を見て、湯気を立てるハーブティを見て、脱力したようにまた座り込んだ。
緩慢な仕草でハーブティーを受け取って、一口含む。
「……なんだこれ……ものすごく、美味い……」
ディレクさんが静かに泣きながら、ハーブティーを飲みはじめた。そりゃ美味かろう。なんたって、SSSクラスの(以下略)。
「君は……?」
「俺はサクヤ。隣に座ってる背の高い人は、シグさん。俺達は最近、こっちの世界にきたばかりなんだ。マツリ姉とシュテンのフレだよ。マツリ姉たちと一緒に、ディレクさん達を探しにきたんだ」
「そうだったのか……ありがとう……」
ディレクさんがまた、涙をこぼした。
「さて。どうやらディレクも落ち着いてきたみたいだから、そろそろ、状況を整理してみてもいいかなー」
マツリ姉が、ぱん、と両手を打ち鳴らした。
皆がマツリ姉を見て、一斉に頷いた。
「ディレクたちはコクトーを追って、【デンシスリーフ】まで行ったんだよな? それで、──見つけたんか?」
ディレクさんが頷いた。
「……ああ。町で見かけて、話までした」
「うおおおお!? マジかあああ──!?」
「ヒャッホおおおおおお!!」
「うわああああやったー!?」
シュテンとシーマと俺が同時に立ち上がった。そして三人同時にガッツポーズをした。
なんだよなんだよ、もう2冊簡単に揃いそうな感じじゃないか!? あとは黒本が揃えば──三冊魔道書が揃う。そうしたら、家に、帰れる!!
マツリ姉が、呆れたように目を細めて、俺達を見上げた。
「落ち着けーおまえらー。まだ話をしただけだぞー。話は最後まで、落ち着いて聞け」
「……はいすいません」
俺達は大人しく座った。
「──コクトーは、【フォンガルディアの古城】へ行くんだ、と言っていた。調べたい事があるが、あそこでしか調べる事ができないから行くのだ、と」
【フォンガルディアの古城】──東大陸のマップ上では、そう表示されている。プレイヤー間では、【狂王の城】【霧の古城】と言われる事も多い。
もしも──キーアイテムを手に入れて【暝き黒霧の狂王】の特殊クエストを起動した場合──【黒霧の古城】という名称に置き換わり、特殊ダンジョンへと姿を変える。────黒い霧に包まれた、取り憑かれた死者や歪な魔物がはびこる、恐ろしい古城に。
「調べたい事?」
「白本──【魂魄の書】についての事か? と聞いたら、そうだ、と」
【魂魄の書】──コクトーが《天への白き塔》という塔タイプのダンジョンを、555階踏破して手に入れた、唯一無二の魔道書。
魔法スキルが使用できる職なら特殊なスキルを取得できるんだってよ、とタツミから聞いたことがある。俺は塔クエストに参加すらしてないから、詳しい事はよくわからないが。
「うーむ。コクトーは、何を調べたかったんだろ?」
「詳しい事は、聞いても教えてくれなかった。コクトーは、白銀の長い髪の男とパーティを組んでるようだった」
「白銀の長い髪の男? 誰だ?」
「わからない。恐ろしく綺麗で、恐ろしく無愛想な男だった。名すら教えてくれなかった」
俺とマツリ姉は、顔を見合わせた。
そういえば、井戸端会議のおばちゃんたちの話の中にも、出てきた。一体誰なんだ。
「コクトーが、二人だと大変そうだから手伝ってくれないか、と言ってきた。それが済んだら、俺達と一緒にウェイフェアパレスの魔道書探索本部に行ってもいい、と。俺達は引き受けた──引き受けてしまった……」
ディレクさんが、辛そうに顔をゆがめて俯いた。
「城……の中には、入れるんですか? キーアイテムがないと入れないのでは?」
俺の質問に、ディレクは首を振った。
「そうだ。【狂王】のクエストキーを、俺達も、コクトーも持っていなかった。城に入れるはずがない。なのに──俺達を古城の入り口に待たせて、コクトーと白銀の男がどこかへ行って、30分もしないうちに、城の扉が内側から開いた」
「はあああああ!?」
「ど、どうやって!?」
「──どうやって、城に入ったんですか?」
シグさんが、探るように目を細めて、ディレクを見た。
「わからない……。俺も聞いてみたが、『俺、【忍者】だから〜☆』とかいうふざけた答えしか返ってこなかった」
シーマが両手で握りこぶしを作って、夢見る少年のように目をキラキラと煌めかせた。
「うおおお、【忍者】、すげえええええ!!」
マツリ姉が呆れた顔で、シーマの頭を叩いた。
「阿呆。落ち着け。んなわけあるかい。しかし、謎が多すぎるなー。その白銀の男……なんか、怪しいなー」
「そ、それで? ……城の中に、ディレクさん達は入ったの?」
俺は身を乗り出した。城内に入れたのなら。
────【清らかなる神木の杖】を、見ただろうか。
在ってくれ、と俺は祈るようにディレクさんを見つめた。頼む。在ると言ってくれ。
「ああ。コクトー達は、王間に向かった。そこには、王間の床一面に、ものすごく大きな、魔方陣が描かれていた。文字や線が白く淡く光ってて、美しく、そして、とても不思議な空間だった……」
魔方陣。
────もしかして、それが、物語に出てくる、狂王を封じているという封印なのだろうか。
「そ、そこに、杖、杖がありませんでしたか!?」
「サクちゃん?」
「サクヤさん?」
前のめり気味に問う俺を不思議そうにマツリ姉とビオラが見てたけど、そんな事に構っている余裕は今の俺になかった。杖は。杖はどうなったんだ! そこが一番知りたいんだ!
ディレクさんが、身を乗り出しすぎてる俺に目を開きながら、頷いた。
「あ、ああ。あったよ。魔方陣の中央に、真っ白い、綺麗な羽根みたいな杖が」
俺はシグさんと顔を合わせた。シグさんも、少し驚いたように目を開いている。シュテンをみると、シュテンが親指を立ててにやりと笑った。ほらみろ俺の言った通りだったじゃねえか、やったな! と言いたいようだ。うん。確かに。あった。
よかった……!! あったよ! 封印の杖、あったよシグさん! これで────
「だが──コクトーが。魔方陣の要っぽいその杖を────引き抜いてしまった」
────え?
「なんだってええええええっ!!?」
俺は思わず叫びながら立ち上がってしまった。
「なんで!? 何で杖抜いたっ!?」
「わからない。すまない、それは俺にもわからないんだ……。コクトーが杖を引き抜いてしまい、抜けた穴から、魔方陣に亀裂が入った。亀裂から黒い霧が漏れ出した。白銀の男が、ずっと手に持っていた石の箱から、丸い玉をとりだして。杖のあった穴の上に置いた」
一体何がしたいんだ、あの野郎! さっぱりわからない!
「玉を置いたら黒い霧の吹き出しは少しおさまった。けれど、黒い霧が集って────【黒霧の狂王】が目の前に……」
「なんだってええええええええええ!!?」
俺の再度の叫びに、シュテンとシーマとビオラと、とうとうマツリ姉までもが立ち上がり、スタンディングスクリームに加わった。シグさんも驚いて目を見開いてるけど、立ち上がりはしなかった。
「そ、それで、どうなったん……?」
「そりゃもちろん、戦闘になったさ。俺達は戦った。けど、勝てるわけがない。こっちは3人。コクトーのほうは2人。ボス戦用の前準備も全くしていない。激しい攻撃に、回復役のユズが倒れ、ソルティは逃げ出した。もう、目茶苦茶さ。すっかり足のすくんだ俺は、足を滑らせて床の割れ目から階下に落ちた。城内には黒い霧がうっすらとたちこめてた。暗い廊下を、黒い泥みたいな、どろりとしたものがいくつも這っていた」
「黒い泥……」
ディレクさんに取り憑いていた、あれか。
「一人では勝ち目はない。俺は──────逃げた。逃げ出したんだ。仲間を置いて……!」
「でも、それは……」
「仕方ない事か? でも置いていったという事実には変わりない! 俺は逃げた。追われるまま1階まで。そして城を出たところで────黒い泥が上から降ってきた。先回りされていたんだろうな。そんな事すら、気づけないほど俺は動転していた。そして、俺の記憶は、そこで途切れた……」
取り憑かれたまま、さ迷ってさ迷って、この森まできてしまったのか。
「……その後、どうなったん? コクトーは……」
ディレクさんは、疲れたように首を振った。
「わからない……ただ、最後に見た、コクトーは、薄笑いを浮べていた。あの絶望的な状況で……」
俺は胸を押さえた。
心臓が煩い。
「ディレクさん。杖は、どうなったんですか? 【清らかなる神木の杖】は……」
「杖? さあ……。そのまま、床にころがったままか、それとも、コクトーが持ったままなのか……」
ああ、もう……杖、どこいったんだよ……結局、分からないままじゃないか。
俺はしゃがみこんだ。
ずっと緊張しすぎてたからか、胃が気持ち悪い。頭も痛くなってきた。吐きそう。立ったり座ったりしすぎたのも悪いのかもしれない。
「サクヤさん。大丈夫ですか?」
シグさんが、背中をさすってくれた。俺はどうにか頷いた。
探しに、いかないといけない──その、魔方陣があった王間に。投げ捨てられたか、持ち去られたかもわからない、杖を。
「探しに、いかなきゃ……」
早く。
早く、手に入れないと。
──なんだか、少しずつ、本当に少しずつだけど。気付かない間に、少しずつ……シグさんの身体は、【狂王】に侵食されていっているような、そんな気がするんだ。こうしている間にも、少しずつ。いや、確信に限りなく近いぐらい、そう思うんだ。
【狂王】が出てきて────しゃべるなんて。
最初はやっぱり、夢を見させるぐらいしか力がなかったんじゃないのか。
少しずつ、少しずつ、シグさんの中で力をつけていって。
シグさんが弱った隙を狙いながら、ずっと、表に出る機会をうかがっていた。
あの時、運良くシグさんを戻せたけど。あれは本当に、運がよかっただけだと思う。
畳みかける俺の言葉に動揺して、『戻らなければ嫌われる』と、驚いて動揺して焦って戻ったにすぎないのだ。
戻りたくない、と思えば、あのまま、シグさんの身体を乗っ取れていたんじゃないのか。
どうしたらいい。
もしも、また、あいつが表に出てきた時、俺に、押さえきれるだろうか。あいつを。同じ手は使えるのだろうか。わからない。もし押さえきれなかったら、どうなるんだろう。シグさんはどうなるんだろう。消えてしまったら、いや、考えるな。ネガティブ思考は駄目だと言っただろう。助かる方法を考えるんだ。大丈夫。まだ間に合う。落ち着いていくんだ。きっと大丈夫。
俺は気を抜いたら震えそうになる自分の腕を、ぎゅっと掴んだ。
「死に戻り……そうか!」
ディレクさんが、ぱっと顔色を明るく変えて、マツリ姉を見上げた。
「そうだ、ユズは倒された! ウェイフェアパレスに、【死に戻り】っていなかったか!?」
「【死に戻り】……?」
「なんですか、それは?」
マツリ姉が、俺とシグさんを見た。
「……ああ、サクちゃんとシグ兄は、まだ知らないのか。私らは、死んだら【死に戻り】──最初に連れて来られた場所の近くで復活するんだよ」
「復活?」
「うん。ステータス画面の下に、出身地って欄があるだろ? そこに【死に戻り】する場所が書いてある。気味の悪いふざけたシステムだが、死んで終わりじゃない、というのは1つの保険として、安心でもある。……が、やっぱり気味が悪いよなー。恐ろしくリアルな世界なのに、変なところでゲームっぽい要素がちょいちょいと混じってるんだよー。なんだか、誰かが、試行錯誤してるような──」
────誰かが、って誰だ。
それについて考えだすと、背筋がうすら寒くなる。
マツリ姉も俺と同じなのか、寒くもないのに腕をさすっている。
そう。誰かが創った、いや、未だ創造途中の、世界みたいな────
俺は震える手で、自分のステータス画面を開いた。
画面の下には、こう表示されてあった。
【出身地:ザルクセンド】
「ザルクセンド……」
「……成程。俺も同じですね。ザルクセンド」
同じか。よかった。いや、別に死にたいわけでははないが、よかった。
「ユズは、【ウェイフェアパレス】だ。戻ってないか?」
マツリ姉が首を振った。
「戻ってはいない。はずだ。ロッソから、三人の捜索を頼まれたからな」
「じゃ、じゃあ、二人は、まだ……」
俺達は、森の向う、古城のある方角を見上げた。
霧で覆われて、何も見えないけれど。
「わからん。とりあえず、私らで、行けるとこまで探しに行ってみよう。もしも──【狂王】──ボスがいたりしたら、人を集めて出直すことにする。無理して2次遭難するのは避けたいからな。みんな、それでいいかなー? ……ディレクも、辛いだろうけどそれでいいかな?」
みんなが頷いた。ディレクさんも俯きながら頷いている。
「よし。じゃあ、今日はもう遅いし、休もう。火の番はいつもの順番でー」
「……待って、マツリ姉」
「ん? どしたー? サクちゃん?」
「話が、……」
「サクちゃん?」
ああ、まだ胃が気持ち悪い。
吐きそうだ。
でも、話しておかないと。城に行く前に。
狂王の欠けらが、シグさんの中に在ることを。
ああ、くそ。どうしたんだろう。
手首が、熱い。
さっきから、心臓の音も煩い。
息が苦しい。
手首が、焼けただれて、いるみたいに、熱くて、痛い。
頭が、朦朧として、くらくらする。
「サクちゃん!? ちょっと、大丈夫!? 真っ青だよ!?」
「サクヤさん!? 大丈夫ですか!?」
「だい、じょう、ぶ……」
「キュー!?」
シグさんと、コケ太郎が心配そうに覗き込んできた。
──大丈夫、と言っておきながら。
俺の意識は、そこで途切れた。