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chapter-15


 話しを聞けそうな人を探して通りを歩いていく。

 曲がり角をまた曲がって、人通りも少なくなって、とうとう通りの行き止まりまでいってしまった。

 その目の前に見えた建物をみて、俺は声を上げた。

「あ。シグさん、ここ──」


 寂れた、石造りの古びた教会が見えた。

 縦に長いステンドグラスの窓は、手入れが行き届かないのか煤けていて、桟に埃が溜まっている。

 大きな両開きの木の扉も、塗装がひび割れ、ほとんど剥げ落ちている。

 扉の前まで続いている10段程の石階段もガタガタだ。組んでる石が長い年月でずれてあちこち崩れ、割れ目に草と苔が生えていた。


 見覚えあった。

 確か、ここは────【暝き黒霧の狂王】のクエストの始まりの場所だ。


 【薄汚れた壊れし王冠】という条件未詳のドロップアイテム──特殊クエスト起動キー を持っていたら、この教会の中に【年老いた司祭】がいて、昔語りを始めるのだ。

 300年生き続け、あと残り僅かの自らの命をも祈りに捧げ続けている、エルファーシ族の老人が、自ら亡き後も誰かに語り継いでほしい、と最後に語り始める、あの悲しい物語。



 ────黒霧の立ちこめる魔の古城と、狂いし王の物語を。



 俺とシグさんは顔を見合わせた。

 俺たちは今、あの起動キーは持っていない。

 だから、あの年老いた司祭も、この中にはいない。はず。


 俺は唾を飲み込んだ。なぜだか。手にじっとり汗をかいている。

 確かめたい。とても。確認しておきたい。



 ──あの司祭が、いない事・・・・を。



 俺は悩んだ末、覚悟を決めた。

「……俺、ちょっと、中、覗いてくる。シグさんは、ここで待ってて」

 シグさんの中の、狂王が何らかの刺激を受けてまた出てきてしまったら大変だ。杖を手に入れるまで、できればずっとシグさんの中で眠ってて欲しい。そのためには、刺激になりそうな事は、できる限り避けていったほうがいい。

「サクヤさん」

 シグさんが、心配そうに俺を見下ろした。俺は笑顔で頷いた。

「大丈夫。覗いてくる、だけだから」


 俺はシグさんを階段の下に残して、埃だらけの両開扉を開けた。




 部屋の壁際のあちこちに置かれた燭台には、溶けかけたロウソクが立ってる。

 ロウソクの灯はともっている。それなのに、教会の中は薄暗かった。


 突き当たりには、ひび割れの目立つ、古い女神の像。


 左右に10個ずつ並んでいる長椅子。


 その一番前の席の、中央寄りに──




 ──着古したローブをまとった、司祭風の老人がうなだれて座っていた。




「っ!」

 俺は声を飲み込んだ。



 な、なんで、いるんだ。

 俺は、クエストの起動キーを、持っていないのに。


「サクヤさん? どうしました?」

 俺はもう一度唾を飲み込んでから、勤めて平静に、静かに振り返った。

「ちょっと、シグさんは、ここで待ってて」

 シグさんが眉をひそめた。何でだ。俺は普通にしているはずなのに。

「大丈夫。ちょっとだけ、中で話を、聞いてくるだけだから──って、わわ、ま、ま、待って!」

 俺の制止をまるっきり無視して、シグさんが石階段を上がってきた。

 扉を抑えていた俺の手ごと取っ手を掴んで、引き開ける。


 耳障りな軋み音をたてて、扉が開かれた。

 教会内を目にしたシグさんが、俺をちらりと見て笑った。

「……なるほど」

「し、シグさん、は、外で待ってて。俺が、聞いてくるから」

「いえ。一緒に行きます。大丈夫ですよ。あなたのお陰で、随分と落ち着きましたから」

「ほ、本当に?」

「ええ。……一緒に帰れたら、サクヤさん家の農園で雇ってもらえるんですよね? 住み込みで」

「へ? あ、うん 」

「絶対ですからね? 栽培の知識はゼロですけど、サクヤさんが俺に教えてくれるんですよね?」

「お、おう。任せとけ!」

「俺と一緒にいて、くれるんですよね?」

「いるよ!」

「約束ですよ?」

「ああ、約束だ!」

 シグさんが、嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます。その約束があれば、俺は頑張れます」

「そ、そうか。頑張……れ?」


 え。いいのかそれで。そんな約束だけで、本当に大丈夫か。


 シグさんは俺の肩を腕で抱えるようにして、薄暗い教会の中に足を踏み入れた。掴まれた肩が少し痛い。シグさんもああ言ってるけど、やっぱり少し不安なのかもしれない。




 足音に気づいて、うなだれていた司祭が頭を上げた。

 ゆっくりとこちらを振り返る。


 力なく垂れた長い耳。

 深い皺が刻まれた白い顔。


 その深緑色の瞳が見開かれた。



「ひっ……ひいい!?」


 歳老いた司祭が、椅子から転げ落ちた。尻をついたまま後ろにずり下がる。まるで俺達から逃げるように。


 俺もびっくりして思わず後ろに下がりかけたが、シグさんにぶつかって下がれなかった。

 何だこれ。どうなってるんだ。あの物語の最初はこんな展開じゃなかった。


「あ、あの」


「ひっ、ど、どうして、何故、ここに……いらっしゃるのですか!? あ、あの時、確かに、封じられたはず────ああ……ああ、何という事だ、神よ……!」


 傍目で見てもひどく震えているのがわかる。震えながらも司祭は両手を組み合わせて、祈りの言葉を唱え始めた。


「ま、待って下さい。司祭。あの、どうしたんですか?」

 とにかく、落ち着かせなければ。

 俺は司祭の前にしゃがんだ。後ろに立っていたシグさんにも手を上下させてみせ、座るように伝える。2メートル以上も身長がある男が立って見下ろしてたら、威圧感半端ない。怖さも倍増だろう。シグさんもそれが分かったのか、眉間に皺を寄せて司祭を見ながら、仕方なさそうに膝を突いた。眉間の深い皺もとるように伝えたいところだ。


「落ち着いて下さい。何をそんなに、慌てているんですか?」

 司祭が震えながら俺を見上げた。

「き、君は……」

「俺たちは通りすがりに、この教会に立ち寄らせて頂いた者です。冒険者です。大丈夫ですか?」

「通り、すがり……冒険者……」

 脅えた瞳は、シグさんを凝視している。その瞼が忙しなく瞬いた。

「ああ……私の……見間違い、だったのか……」

 司祭が、震える息を吐き出した。

「見間違い?」


「ああ……一瞬、が、そこに、いたように見えて……私の、気のせいだった、ようだ……」


「王……?」

 力の入らない手足でよろよろと立ち上がろうとするので、俺は手伝って椅子に座らせた。司祭は両手で顔を覆い、深い溜め息をついた。


「……遠い、遠い昔話だ……。昔、ここいら一帯を治めていた、王がいた……」


 俺は息を止めた。

 記憶がフラッシュバックする。

 昔話。

 そう。そうだ。司祭の語りから始まる、物語の冒頭。

 でも俺たちは起動するためのキーを持っていないのに。始まる訳がない。ないはずだ。


 続くはずの司祭の言葉が、急に途切れた。


 無音の時間が数秒、流れる。

 司祭はまだ顔を覆ったまま、力無く首を振った。


「……かの御方の幻覚を見るなんて……。私は、ひどく、疲れているようだ……。少し、休ませて頂くよ。せっかくおとなってくれたのに、すまないね……」

「あ、いえ……お大事に、なさって下さい」

「ありがとう……それでは……失礼」

 老いた司祭はよろよろと立ち上がり、薄暗い教会の奥へと立ち去ってしまった。




 俺はいつの間にか詰めてしまっていた息を、ゆっくり吐き出した。

 動悸はまだ収まらない。

 浮いた額の嫌な汗を拭って、シグさんと目を見合わせる。


 古城と狂った王の物語を、話の途中で止めてしまった司祭。


 クエストは起動してない──しなかったってことで、いいのか。

 なんだろう。この、中途半端感。気持ち悪い。不発、みたいな。起動しかけて不具合で止まってしまった、みたいな。良く分からないけど、もやもやする。


 

「……行きましょう。サクヤさん」

 シグさんが、俺の肩を軽く叩いた。

「うん……」

 俺は手を引かれるまま、教会を後にした。








 結局、その日は。

 午後、捜索エリアを入れ替えて聞き込みに回ったり、何か他にも手がかりがあるかと町中やその周辺を探して回ったりしたけれど、午前中に仕入れた情報以上のものは分からなかった。


 夕飯も兼ねた報告会で、例のクエストに出ていた司祭がいたことを報告すると、マツリ姉が難しい顔をして唸った。


「んー。確かにあのゲームの中にいたNPCは、こっちの世界でも、それらしき人は存在してるんだけどねー。存在はしてるんだけど。この世界って、ほら、リアルだろ?」

「リアル」


 夕食時で賑やかなレストランの中を見る。

 隣のテーブルでは楽しそうに酒盛りをするオジサンたち。忙しそうに料理を運ぶ店員。

美味しそうな食べ物の匂い。食べ終えて満足そうに語らいながら店を出ていく人達。店の前でメニューをみている人達。

 まるで中世風の世界に入り込んでしまったみたいな、不思議な気分になる。 


「な? ゲームの中と違って、普通に、皆ここで暮らしてるんだよ。だから、その司祭も普通にあの教会で働いているんだと思う。だから、別にそこにいたからって不思議はないんだよ」  

「そ、そうなのか……」

 そうか。なら、そんなに気にするほどの事でもなかったのかもしれない。


「もしかしたら。こっちがオリジナル・・・・・で、ここを参考にゲームを作っていたりしてねー?」

「オリジナル……」

 だったら、あのリアリティさも納得できる。気がする。ここを元にしているのなら。

 何にせよ、だったら────誰が? という話になって、全員微妙な顔をした。


「ま、まあまあ! 今考えたって分からねえもんは、ひとまず置いとここうッスよ! まずはディレクさんたちを探すのが先ッスよ!」


「シーマが、珍しくまともな事を言ってる……」

「ひでえッス!!」


 夕飯を皆で食べて、俺とシグさんとシュテンは早々に宿の2階に上がった。まだ食ってるシーマと、付き合ってあげてる親切なビオラと、店員を呼んで、酒を追加注文しようとしてるマツリ姉を残して。まだ飲む気かよ。



「ちょっと神経質になりすぎてたのかもな……マツリ姉の話聞いて、安心した」

「そうですね」

 そうですね、と言いながら、シグさんの顔はあまり晴れていない。まだ気にしているようだ。


 ドアノブに手をかけて、もう一度横に目を向ける。シグさんとシュテンも同じようにノブに手をかけたところだった。

「……シグさん。大丈夫?」

 聞いてどうにかなるものでもないけど、聞いてしまった。

 振り返る濃い紫の瞳。おだやかに細められる。

「大丈夫ですよ。あなたの御陰で、だいぶ落ち着いてきたって言ったでしょう? 今日はゆっくり眠れそうです」

「そ、そうか」

 よかった。

 あれか。うちの農園就職募集の話か。でも本当にいいのか。マジで給料安いぞ。休みなんてあるんだかないんだかだし。あとでちゃんと就業内容を話しあっといたほうがいいかもしれない。食住は提供可、繁忙期有り、ボーナスはたまに現物支給かもしれないけどいいですか、とか。

 

 扉を開けて入りかけたシグさんが止まった。

 俺を振り返る。

「そうだ。サクヤさん」

「なに?」

「もし、俺が…………夜中に訪ねてきても、絶対に、ドアを開けないようにしてくださいね」


「お、おう……?」

「何を言っても、断固として、朝までドアを開けてはいけませんよ。部屋に入ったら、必ず戸締まりを確認して下さい。シーマが訪ねてきても、開けたらいけませんよ。シュテンは既に論外ですが」

「ああ!? 何で俺は論外なんだよ!」

 部屋に入りかけていたシュテンが振り返って吠えた。 

「う、うん。──うん? なんでシーマ?」


「いいですか。情に訴えるような事を言われても無視して下さい。決して、部屋の中に入れてはいけませんよ」

「う、うん?」

 なんだろう。

 子供の頃に聞いた童話をふと思い出した。こんなシーンが、なかったっけ。

 何だっけ。確か、ヤギの親子が出てくる話だった気がする。



 突然、シュテンが弾けるように笑いだした。


「ぶわっはははははっ!! は、腹痛え……っ! サクヤよお、親切な狼で良かったなあ! 親切に予告してくれる狼でよ……初めてみたぜ……ぶっくくく……」


「おおかみ……」


 え、誰が。

 ──もしかして、シグさんのことか? 

 いやいやいや、ないないない。あ、でも、そうか、狂王あいつか……! あああ、もお、面倒くせえ……! 俺が男のキャラにしとけば、こんなややこしいことにならなかったのに。今からでも良い、誰か身体を俺とチェンジしてくれ。俺がシュテンみたいなごつい見た目だったら、あいつも流石に目が覚めるだろう。返り討ちも楽勝でできるから、なにも心配する事がない。……今言っても仕方ない事なのは分かってるけど。


「笑いすぎですよ……シュテン」

 シグさんが腕を組んで眉をひくつかせながら、まだ笑い転げているシュテンを睨んだ。俺も半眼で見てやった。くそ。他人事だと思って笑いやがって。お前の身体ヨコセ。マジで。チェンジだ。







 コケ太郎と部屋に入って卓上ランプに火を灯す。

 上着を脱いで、武器と鞄を外した所で────俺はひとつ、良い事を思いついた。ナイスなアイデアを。


 俺はコケ太郎を抱き上げた。

 ふかふかして、野花のように控えめでやわらかい香りがする。コケ太郎が側にいると、ほのかなアロマのリラックス効果で、とても気持ちよく眠れるのだ。

「キュー?」

 コケ太郎が可愛らしく首を傾げる。花の、良い香りがする。俺は笑って頷いた。




 部屋を出て、隣のシグさんの部屋をノックする。

「──はい?」

「あ、俺俺」

 すぐに鍵を外す音がしてドアが開く。

 顔を出したシグさんに向けて、コケ太郎を突き出した。


「コケ太郎、一晩貸してあげる! アロマ効果でよく眠れるから!」

「キュ!? キュー!? キュー!!」

「あ、こら! 暴れんな!」

 コケ太郎がじたばたと暴れ出した。なんだなんだ! 抵抗するなんてどういう了見だ、マスターである俺の言うことがきけないってのか!



「……サクヤさん」

 シグさんが、ものすごく疲れたようにドア枠にもたれ、大きく長い溜め息をついて、眉間の皺を揉んだ。なんだよ。




「俺の部屋にくるのも、ダメですからね? また、そんな、丸腰で来るなんて。……連れ込まれたいんですか」

「っ!!」



「ああ、でもまあ……その場合は、自己責任ってことで、いいですよね?」

 なにがいいんだ。ちょっと待って。シグさん、しっかりしてくれ。なんか、目がマジっぽいんですけど。あーもーこれ以上考えるの面倒だしいいかーみたいな、なげやりな表情が逆に怖いんですけど。


「よくないデス」

 俺は、俺にしがみついて離れないコケ太郎を抱きしめると、自分の部屋にダッシュで戻った。




 ベッドに入って上掛けを被り、俺は耳を澄ませてみた。


 そんなに厚くない安普請な漆喰壁だ。微かな生活音は隣部屋から聞こえてくるし。暴れてたり、叫んでたりしたら、もっと聞こえてくるはずだ。


 しばらくじっと耳を澄ませてみたけれど、苦しげな声は聞こえてこなかった。

 静かだった。

 物音1つ、聞こえてこない。

 ただ、壁掛け時計が時を刻む音だけが、部屋に響いている。



 静かだということは、言ってた通り、うなされてはいないってことなのか。 

 眠れたのだろうか。


 眠れていますように。

 

 俺は静まり返っている壁の向う側に向かって、祈りながら目を閉じた。

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