chapter-10
■CAUTION■(私的に)際どいシーンがあります。苦手な方は御注意下さい。
今日はずっと曇り空。
空気が湿っている。雨が降るかもしれない。
やっぱり少しだけ、うっすら霧が出ている。
見通しが悪くて見えない、という程ではないけれど。
俺達は、日暮れ前ぎりぎりに【デンシスリーフ】に到着した。
木々と花が町の至る所に植えられて、石と白壁の家が建ち並ぶ、素朴な北欧っぽい町並みには、ぽつりぽつりと灯が灯り始めている。
「いやったあああついたあああ!!」
「ついた!」
「つきましたですー!」
シーマと俺とビオラは、町の入り口で万歳した。
「はーやれやれ。【移動馬車】さえあれば、あっという間につくのになあ……」
「この町には通ってないから、仕方ないですね……」
そこそこ大きな町や主要都市へは、【移動馬車】が走っている。乗車賃は近場で100から遠くて1000シェルぐらい。
小さい町や村にはその便利な【移動馬車】は通っていないので、徒歩でいかねばならない。デンシスリーフは【移動馬車】が来ないぐらいに、こじんまりした町なのだ。
マツリ姉がにやりとわらった。
「ふふん。聞いて驚け、この世界、【転移門】もないんだぞー」
「えええええ!?」
「なんと……それは、大変ですね」
シュテンとヤンキーとビオラが、うんざりしたように何度も頷いた。
ゲームの中にある【転移門】は、一度訪れた、【転移門】が設置されるぐらいのそこそこ大きな町や国で、【通行許可証】を3000シェルで購入すれば、自由にいつでも、一瞬で行き来できるようになる便利設備だ。
それが無いとなると、移動は徒歩か、【移動馬車】に限られてくる。
なんでそこ、省いたかな。酷すぎる。移動が面倒なことになるな……
「じゃーもう陽が暮れるし、みんな疲れてるだろうから、今日はもう宿をとって休もうかー。明日の朝、捜索開始!」
マツリ姉の提案に、全員疲れた声で同意の返事をした。捜索はできるだけ急いだ方がいいんだろうけど、流石に今日は疲れて、これ以上気力がもたない。
「というわけで、宿もここに決めちゃおー」
マツリ姉が、すぐ目の前にあった宿を指さした。素朴な木造と石と白い漆喰の、カントリー風な宿。ノーを唱える者は誰もいなかった。
ぞろぞろと、足を引きずりながら疲れた顔でみんなが宿に入っていく。
俺も入ろうとして──シグさんが立ち止まっているのに気付いて、振り返った。
遠くを眺めるように目を細めて、じっと見ている。
北の方を。
「……シグさん?」
呼ぶと、はっとしたような顔して、俺を見た。
見上げると、少し、顔色が悪い。気がする。
「大丈夫?」
シグさんは笑って、首を振った。
「大丈夫ですよ。なんでもありません」
それだけ言うと、宿の中に入っていってしまった。
シグさんが見ていた方を、俺も見てみる。
日が沈んだ空。うっすらとした霧。明かりのついた町並み。
あとは、遠くに見える──暗い山並みぐらいしか、見えなかった。
その山の中で、1つだけ抜きんでている山がある。
──ああ。
思い出した。そうだ。
そういえば、あの頂上には────
「──サクちゃん? おーい。なにしてるん? 部屋、人数分空いてるみたいよー」
「あ。そうなんだ? よかった」
全員一緒に泊まれる数の部屋が空いててよかった。
まあ、この辺りは特にこれといった目ぼしいダンジョンもなく、メインクエストでは通り過ぎるだけの小さな町だ。レベル上げ目的ぐらいの冒険者しか立ち寄ることもないから、部屋もそんなに埋まって困ることもないのかもしれない。
「部屋とったら、ご飯たべよー」
「もう俺、お腹ぺこぺこッスよ〜!」
「うん。俺もお腹空いた」
思い出したようにお腹が鳴った。人間、生きてる限り腹は減るのだ。
ああ、やっと今日はテーブルに座って食事が出来る。
俺は宿に駆け込んだ。
────その夜。
枕が変わるとなかなか寝つけない俺が、ようやく、眠れそうな気配になってきた頃。
隣のシグさんの部屋から────大きな物音がした。
続けて、ガラスのようなものが割れる音。
「うわ!?」
「キュ!?」
俺は飛び起きた。
心臓が跳ねた。
動悸もする。
なぜだか、嫌な予感がする。
音がしたのは────シグさんの部屋だ。
俺はベッドから飛び降りた。
備え付けのスリッパを足に引っかけて、隣の部屋に走る。
俺はドアを叩いた。
何度も何度もしつこく叩いた後、間が空いて、ドアが少しだけ開いた。
隙間から顔を出したシグさんの顔色は、酷かった。どこかで全力疾走してきたのかというぐらいに、滴り落ちるほどに全身汗をかいている。呼吸もまだ荒くて整わない。忙しなく上下する肩。黒髪はボサボサで、その瞳は、なんだか微妙に焦点が合わず、伏せられているからか、黒く、暗くみえた。
シグさんは俺を見て、数秒後、少し慌てたように────
──────いきなりドアを閉めようとした。
「え!? ちょ!? なんで閉める!?」
俺は慌ててドアの隙間に手を挟みこんだ。
どうにか間に合った。
そして指は挟まれなかった。シグさんが驚いて、一瞬動きを止めたから。
「コケ太郎! 今だ!! 隙間に入れ!」
「キュー!」
コケ太郎がドアと枠の隙間に丸い身体をねじ込んだ。即席ドアストッパー作戦は有効だった。隙間が広がる。
俺は広がった隙間に飛び込んだ。
音を立てて扉が閉まると、視界が真っ暗だった。まばたきしてみても、暗い。何も見えない。
「暗い……」
一瞬、俺の目がおかしいのかと思ったが、違った。部屋の中の方が真っ暗だった。
視界がまだ慣れない。カーテンもぴったり引かれているみたいだ。
微かに、鉄臭い、血の臭いがする。
さっき、何かが割れる音がしていた。もしかして、どこか怪我したんじゃ。
俺は手探りで、シグさんを探した。すぐ側にいた。胸の辺りのシャツを掴む。
「──シグさん、もしかして、怪我してる?」
答えが返ってこない。どうしたんだろう。
「シグさん?」
目が少し慣れてきて、ぐったりとドアにもたれるように立っているシグさんが見えてきた。
顔を押さえて、大きな溜め息をついている。
「──どうして、入って、くるんですかね……」
声が酷く疲れていて、掠れている。
「そりゃ入るだろ!? 気になるじゃんか! 大丈夫か? どっか怪我してるんじゃないのか? さっき、音が」
「大丈夫、です。気に、しないでください」
「気になるだろ!」
「……そんな薄着で、外に……」
俺ははっとして、自分の服を見下ろした。
「し、仕方ないだろ! だって、慌ててたから!」
あまりにも慌てていて、寝巻き代わりにしているシャツとハーフパンツ、そしてスリッパで飛び出してきてしまった。そして武器も置いてきてしまった。鞄も置いてきてしまった。やばい。部屋の鍵閉めたっけ。慌てると後先考えずに飛び出してしまい、いつも落ち着いて行動しろって母さんに怒られるのに。
「……それ、とも……これも、──【夢】、の続き、……ですかね……」
「夢?」
肩を押されて、背中にドアが当たった。そのまま、身体ごと押さえ込まれる。
シグさんの頭が下りてきて、ぼさぼさの髪が、首筋に当たった。
「シグさん……?」
顔は見えない。
返事もない。
首を横にして見ても、黒い後頭部と耳の辺りしかみえない。
いきなり大きな手が、シャツの裾から入ってきた。
「え、」
熱い手が肌に直接触れて、俺はびっくりして跳ねた。
「え? ちょ、」
体温の高い掌が。脇腹の肌を辿って、ゆっくり上がってくる。ちょ、ちょっと。待ってくれ。何が起こってるんだ。なにがどうなってんの。防ごうと腕を押さえる。必死に押さえるが、全く、これっぽっちも、びくともしない。
いきなり背中のくぼみをなぞられて、自分でもよくわからない震えが走った。俺は思わず声がでそうになって、慌てて堪えた。少し笑ったような息が、耳にかかる。違うんだ。ちょっとびっくりしたんだ。けっして、感じた、とか、そういうんじゃないんだ。勘違いしないでくれ。
待ってくれ。なんなんだ。
何が。一体どうなって。こうなった。なにが起こってる。
耳元で聞こえる、少し荒い呼吸音。黒髪の頭が動いて、喉元に唇が当たった。押し付けられる。やばい。なんか、これやばい。呼吸が。手が。上がってくる。ものすごくやばい。唇が。鎖骨に。濡れた感触。舐められた。震えた。やばい。待ってくれ。頭がついてこない。いったい、何が、どうなってんだ。混乱しすぎて、思考がフリーズしかけている。いやいやフリーズしてる場合ではない。唇が。下りていく。あああ言われた通りに首元までしっかりボタンをはめとけばよかった。シグさんは正しかった。肩を舐められた。全力で押さえてるのに、上がってくる手が止められない。やけに熱い親指が、腹を強くなぞった。じわじわ上がってくる。まずい。非常にまずい。なにこれ。なんで。
「待っ、て、待って、し、シグさん、ちょ、」
「キュ──っ!!!」
どむ、とコケ太郎のジャンピングアタックがシグさんの脇腹にきまった。でかした、でかしたぞコケ太郎!!! 助かった!!
「キュ!?」
しかしはじき飛ばされて、部屋の中を跳ねていく花ボール。おいいいい!? 助からなかった!! あああ。お前のガッツは評価する。大いに評価するが、でももうちょっと根性見せて欲しかった。
シグさんの動きが止まった。
まさか、あれで効いたのか。あのへなちょこアタックで。
いや、でかしたコケ太郎。あれはいいアタックだった。お前はよくやった!!!
「………夢、じゃ、なかった……?」
「ゆ、ゆめ……?」
いったいどんな夢みてたんだ………!!!?
問い正したい。ものすごく問い正したい。いや問い正したいけど問い正してはいけないような気配がする。尋ねてはいけない。そんな気がとてもする。
「…………今、は……目……覚めて……閉じこめ……縛……違……まだ……寝て……」
何か呟いてるが、支離滅裂で、まるで言葉になっていない。なんだか不穏な言葉が一部混ざってたような気がするんですが気のせいかな。気のせいですね。気のせいだと思いたい。
ぐらり、とシグさんの身体が傾いだ。
俺は慌てて、重い身体を支えた。
支えきれなかった。重すぎた。俺の筋力では無理だった。
なんかデジャヴ。デジャヴなんですが。前にも確か、同じようなことがなかったか。
力の抜けた重い身体を抱えて、俺は尻餅をついた。痛い。しかもドアと重い身体に挟まれて動けない。
俺はどっと疲れが出てきて、背中をドアに預けた。
ようやく暗闇に目がなれてきて、壁際のサイドテーブルが見えた。
その下には、割れたガラスコップと、水が零れた木の床。倒れて消えた卓上ランプ。水溜まりに落ちてる。
──どうすんだよ。この状況。
しばらく待ってみたが、いつまで待っても、しん、と静まり返っている。
誰かがやってくる気配はない。
そうだ。確か、この隣の部屋は、空き部屋だった。だからこの騒ぎの音は、誰にも聞こえてないのか。気付かれなかった。よって誰もここにやっては来ない。よかったのか、悪かったのか。
シグさんは、気を失ったように動かない。
俺はなんとなく起こすのが怖くて、どうにも声を掛けられなかった。無理に起こして、また、さっきみたいになったらどうする。どうにもできない。助けも来ない。まずすぎる。もういっそ、このまま朝まで寝ててくれ。頼む。
コケ太郎が、壁際からぽてぽてと歩いて戻ってくるのが見えた。ぽよぽよしてるから、打撃系に対するダメージ吸収率は非常に高いように見受けられる。復帰も早い。よくやった。お前は良い仕事をしたよ。
まだ動悸は収まらない。
そして何がどうなったのかさっぱり分からない。
俺は膝の上の、くしゃくしゃの黒髪頭を眺めて、小さく溜め息をついた。
* * *
「────さん」
頬を、軽く叩かれる。
「────サクヤさん。サクヤさん」
また叩かれる。
なんだよ。もう。俺は眠いんだ。マジで。起こさないでくれ。
しつこく名を呼ばれて、仕方なく重い瞼を開けると、心配そうに眉をひそめたシグさんの顔があった。
「う、わっ」
俺は思わず咄嗟に後ずさってしまった。背中にドアがぶち当たる。
シグさんが目を開いた。
それからすぐに身を引いてくれた。たすかった。距離が開いて、俺は無意識に詰めてしまっていた息を吐いた。すまん。距離があまりに近くて。びっくりしたんだ。別に、脅えた訳ではないんだ。決して。
それなのにシグさんは眉をひそめたまま、目を伏せてしまった。そして後ろに下がってくれた。更に間の距離が開く。しまった。この態度はよくなかった。傷つけたかもしれない。違うんだ。びっくりして。
「……すみません」
謝られた。
何を? ああ。そうか。そうだ。昨日の事か。昨日の────
「……ちょっと……夢か、現実か、わからなくなってしまって……」
「ゆめ……? 夢って、どんな」
シグさんが困った顔で、自嘲気味な笑みを浮べた。
「────聞きたいですか?」
俺は首を力いっぱい横に振った。
「い、いえ! いいいいいです! 聞かなくても! そ、そうだ。だよな、シグさんも男なんだから、こう、なんか、そんな気分になるときも、ある……よな! うんうん。だよな。わかるわかる」
こんな、どこもかしこもあまり飛び出てない俺の身体なんかにムラムラくるとは、相当溜まっているのかもしれない。それはよくない。この町って、そういう関係の店あったっけ。気にせず行ってきていいぞ。マツリ姉やビオラには黙っといてやるから。俺はいいよ。金がもったいないし。大学と家と農園と愛犬タロウと大学の田畑とビニールハウスを往復するだけの生活で十分満足している。あとはネットとゲームさえあれば。十分だ。基本的に、引きこもり体質だからな。ほっといてくれていい。俺はそれで満足している。
シグさんが苦笑して、しゃがんだまま俺を見た。シグさんの大きな手が肩に伸びてきて、俺は思わず身体を横にずらした。手が引っ込められる。ああ。違うんだ。逃げたんじゃなくて。まだ記憶が新しいというか。びっくりして。
「──立てますか?」
俺は何度も頷いて、ドアを背にしたまま立ち上がった。シグさんは動かない。いや、動かないでいてくれている。俺が、怖がってパニックを引き起こさないように。──待て。 怖がるって。何に。 落ち着け俺。
「1人で、部屋に帰れますか?」
「う、うん。大丈夫」
コケ太郎が、早く外に出たそうに俺とドアを交互に見上げながら、下で待っている。
「────部屋で、ゆっくり休んでいてください。後で、ビオラさんに朝食をもっていってもらうように頼みますから」
「うん」
俺はどうにも言葉がでてこず、頷いて、どうにか一言だけ返した。返せた。
そしてドアノブに手をかけて、コケ太郎と足早に部屋を出た。




