chapter-9
ルーストを出て、3日目の夜が来た。
街道の両脇には木々が増えていき、林というよりも森の中へ進んでいる感じだ。
少しだけ、今夜は霧が出ている。
うっすらと辺りを漂う霧が森の輪郭をぼやかして、なんだか夢か現か、みたいに曖昧な風景になっている。
何事もなければ、明日には【デンシスリーフ】の町に着くだろう。
今日は俺が食事当番だった。
いや、今日も、か。昨日もそうだった。
それというのも──野営初日に振る舞われたマツリ姉の【オリエンタルキーマカレー】がすごかった。すごすぎた。未体験ゾーンの味覚を味わった。
あの、超絶激辛不思議味。ライスと野菜の歯ごたえもすごかった。ガリガリした。なんでこんなに歯ごたえがあるの。生よりも固いってどういうことだ。そして味は辛いのに甘くて苦くて酸っぱかった。味の品評会や。そして舌がぴりぴりして感覚が一瞬なくなった。咳が当分収まらなかった。デバフついてないこれ!?
俺は、マツリ姉に明日からの食事当番を全部やらせてほしい、と泣きながらすがりつい────いや、申し出た。
というのも、聞き込みしてみた所。
このメンバーの中で一番調理スキルのレベルが高いのは──俺しかいなかった。
調理ランクは下から、E、D、C、B、A S、SS、SSSとあり、各100レベルずつ。あまり料理効果に頼らない人は、Cくらいまでで止まっている人が多い。
俺は、SSSランクのレベル90だ。
モンスターを倒して得た肉類や、畑で収穫した素材を調理しては【調理品】にして商売していた。俺が作った物を誰かが買い、完売し、増えていく所持金を見ては、ニマニマする日々。楽しかった。高レベルな【調理品】ほど、飛ぶように売れた。地道にそれを繰り返しているうち──気付いたら、ここまで上がってしまったのだが。
食後に、俺は煎れた茶を皆に配ってまわった。
「ああ〜茶がうめえ……。サクヤがいてくれて助かったぜ……」
「ほんと、マジそうっスね……」
俺は頭が痛くなった。
「あのなあ……。なんで、みんな、揃いも揃ってレベルE、Dなんだよ! 【調理】スキルなんて、レベルあげるの一番簡単だろ。材料揃えて、どんどん作るだけでガンガンレベル上がっていくんだから」
「えー。わかってるけどさー。だってー時間なかったんだもーん。なー?」
「そうそう! 俺ら、戦闘職だしな!」
「ですねえ。時間がなくて、そこまで手が回りませんでした」
「それにチマチマすんの、面倒くせーッス!」
なに結託して良い訳してんだ。
「わ、わ、私、がんばりますです……! サクヤさんを目指しますです!」
1人、やる気とガッツがある奴がいた。よかった。頼むぞ。マジで。このままでは俺が専属給仕係になってしまう。
「おお。頼むよ……。じゃあ材料わけてあげるな。今、レベルいくつだっけ?」
「Dランクの、レベル55です!」
「わかった」
俺はDからCランクで使うであろう食材と調味料を鞄から取り出して、レベル上げに効率の良いレシピをいくつか教えて、何回か作れるぐらいの分量をビオラにあげた。
「……な、何も見ずに材料を揃えちゃうなんて……すごいです! 私もそうなりたいです! そ、そしたら……あの人も……」
「ん?」
ビオラが、頬を染めてもじもじしている。
「な、なんでもないです……!」
気になるじゃねえか。なんだなんだ。頬真っ赤にして、かわいいなあ。これがいわゆる妹属性ってやつか。巽が、よく妄言────違った。口走ってるやつだ。
なんたらのアニメにでてくる妹が1番萌えて良いんだ、とかなんとか。1番ってことは、2番もあるのか? あいつのことだから、10番ぐらいまでありそうだ。萌え妹ランキング。おまわりさんあいつです。
「なに?」
覗き込むと、益々顔が赤くなった。
「えっと……や、やっぱり、いいです! そ、そうです! 御礼に、これ、あげますです!」
ビオラが肩掛け鞄の中を探る。
そして中から、ピンク色の【花の髪飾り】を取り出して、満面の笑顔で、俺にくれた。
……ちょっと待て、ビオラ。……なぜこれを選んだんだ。何故このチョイスをした。俺、中身男って、言ったよな? あの時、聞いてたよな?
「似合うです!」
「似合──いやいやいやいや。待ってくれ。ちょっと、」
「あ、コケさんにもあげるですね! 可愛いから、たくさん買ったのです!」
「キュー!」
コケ太郎が大喜びしている。
いらないと無下につき返す訳にもいかない。親切でくれたものだ。だけど。こんなものどうすんだ。俺につけろというのか。勘弁してくれ。頼む。ちゃんと覚えてるよね!? 忘れてないよね!?
俺は、言いたいのに何も言えねえ、この何ともいえない気持ちで、はしゃぐ1人と1匹を眺めるしかなかった。
「ぶっくく……いやいや。シグの旦那よ。ほほえましいなあ」
「そうですねえ」
「……うあー、だめだ、俺、ほれちゃいそう……料理できて、優しくて、癒し系で、かわいいなんて……」
「落ち着けー、少年。中身は男だぞー」
マツリ姉が、マップを表示して、確認しはじめた。
「よし。順調順調。明日中には、【デンシスリーフ】に着くかなー」
「そうなの? よかった」
俺はほっとした。できればこのまま、戦闘もなく、何事もなく町に着いてほしい。
「──しかしよお。なんかさァ、出てくるフィールドモンスター、強くなってねえか? この辺りの敵って、こんなに強かったっけか?」
「うむ。やっぱりシュテンもそう思うか? 私の記憶でも、もうちょい、弱かった気がするんだよなあ……。シグ兄はどうだ?」
「……ですね。まあ……ゲームの中と、ここでは、所々設定が増えていたり、変わっていたりしているところがありましたから。もしかしたら、敵の強さも変わっているのかもしれませんね」
「ぬー。そうか。確かに、そうかもしれんなあ……」
「俺、この辺に、畑に植える【種】を探しにきたことあるけど、確かに、もうちょい、敵が弱かった気がするよ」
畑に植える為の【スターオレンジの種】を採りに、【使役魔】と一緒に1人で、このエリアをしばらくうろうろしていたことがある。たしか、そんなに敵が強すぎて困る、といったことはかった。はずだ。
なんだろう。強化されたのだろうか。それとも、リアルだから、余計に強く感じてしまうだけなのだろうか。
「サクちゃんまで……そうか……ううむ。わからん。まあ、気をつけて進もう。みんな、気だけは抜かないように」
俺達は頷いた。
* * *
──目が覚めてしまった。
空も、森の中も、真っ暗だ。
うっすらと霧がでている所為で、余計に暗く感じるのかもしれない。
唯一、野営地の中央にある焚き火だけが明るく、ぱちぱち、と燃えているのが見える。
顔に当たる火の熱が、温かい。
遠くで、フクロウみたいな鳴き声。
枝葉のさざめき。
少し肌寒い風。
緑の濃い香り。土の匂い。
俺は目を擦った。
腕の冒険者証兼時計を見る。深夜2時40分。
3時になったら、ビオラと、見張りと火の番を交代する時間になる。
俺は静かに、身を起こした。
見張りのビオラ以外、皆、ぐっすり眠っている。
3日間、ずっと歩き通しだもんな。時々戦闘もあるし。そりゃ疲れるだろう。それに野営続きだし。俺も、ちょっと疲れた。
早く町に着いて、綺麗な部屋で、あったかい食事をして、ふかふかのベッドで寝たい。
「──サクヤさん。起きましたです、か?」
小声で、ビオラが話しかけてきた。
「うん。目が覚めたから、見張り交代するよ」
「はい、いえ、あの、シグさんが……」
ビオラが、困ったように眉根を下げて、落ちつきなく手を上下左右に動かししている。
「シグさん?」
「はい、出ていったきり、まだ戻って来られてなくて……」
「そうなの?」
「はい、出ていかれてから──────10分以上は、過ぎましたです」
10分以上。
用をたしに行ったにしては、長すぎる時間だ。
俺は辺りを見回してみた。
ぼんやりと輪郭が霞んだ、薄暗い森が広がっているばかりで、シグさんの姿はどこにもなかった。
なにもなければいいけど、なにかあったら大変だ。
「わかった。ちょっと俺が様子みてくるよ。ビオラはここで待ってて」
俺は毛布を畳んで鞄に仕舞ってから、立ち上がった。
「はい。ありがとうございますです。──シグさんは、あっちの方へ行かれたです」
ビオラがほっとしたように小さく息を吐く。
それから、暗がりに向かって、細い指を差した。
俺は、まだ転がったまま地面で寝ているコケ太郎の頭を叩いて起こした。膨らんでいた鼻提灯が割れた。
使役魔って、寝るんだな────え。寝るの? どうなの? 他の召喚系職の人に会ったら、聞いてみよう。ていうか、鼻あったの?おまえ。
「キュ……?」
「シグさん、探しに行ってみる。ついてきてくれるか?」
「キュ!」
「ありがと」
俺はコケ太郎を連れて、月明かりすらぼんやりと霞んだ、暗い森の中へと足を踏み入れた。
知らない鳥の声と、獣の声が遠くで聞こえる。
葉が擦れる音。
木と木の間に、光る水面が見えてきた。
水辺の草が生い茂るちょっとした平地に、小川が静かに流れている。
小川の側に幾本か立っている木の中の1本、その幹の向こう側に、見慣れた黒っぽいグリーブの先がみえた。
あれは、シグさんの足装備だ。──よかった。すぐ見つかって。
近づきながら、声を掛けてみた。
「──シグさん?」
びくり、と足先が動いた。
側まで行って覗き込む。
シグさんは木の幹に背を預け、疲れたように俯いて座っていた。
その顔色は、青かった。
月明かりの下で見ても、かなり悪いのが見ただけで分かった。どうしたんだろう。具合でも悪いんだろうか。それなら、言ってくれればいいのに。
「シグさん。……大丈夫?」
「……大丈夫ですよ」
笑顔には、いつもの覇気がない。
とても、大丈夫そうにはみえないんですけど。
そういえば。なんだか、最近、少し、呆っとしてる時もあるし、眠そうに目を細めてる時もある。
俺は、思い出した。
ここに来て、最初の日────シグさんは、酷くうなされていたな。
あれ以来、うなされてるところを、俺は見ていないけれど。
ぐっすり寝ているシグさんの姿も、見ていないような気がする。
まさか。
「……シグさん。もしかして────あんまり、寝てないんじゃ……?」
なんとなく、そんな気が。
シグさんが、微笑んだ。
「……寝てますよ」
「本当に?」
「……ええ」
本当だろうか。なんとなく、嘘のような気がする。顔色はごまかせない。疲れたような顔をしてるし、やっぱり青白い。具合が悪そうに見える。
「体調、悪い?」
「いいえ?」
ほんとかよ。俺は問答無用で、シグさんの額に手を当ててみた。そしてびっくりした。
──驚くほど、冷たかった。頬も。
「ものすごい、冷たい……」
「……ああ。さっき、顔洗いましたからね」
前髪が湿っている。それは嘘ではないみたいだ。
俺は、シグさんの前に座った。
あまり眠れていないということは、つまり。あれか。
「もしかして──────まだ、怖い夢、みたりするのか?」
シグさんが一瞬だけ、びくりと肩を揺らした。
一瞬見せた動揺を、俺は見逃さなかった。やっぱりそうか。そうなのか。
怖い夢を見るから、眠れない──のではなく、眠りたくないのかもしれない。
──それほどに怖い夢……ってなんなんだろう。
「どんな夢?」
人に話したら、気が済んで楽になるもんだ。ああ怖かったなあ、そうだね怖かったね、って過去の話になって、現実に戻って、あやふやな夢の内容は、いつの間にか通り過ぎて、消えていく。
シグさんが目を伏せて、シグさんらしくない、暗い笑みを浮かべた。
「とても……とても、酷い夢です」
「酷い?」
「ええ。あまりにも酷すぎて────話すと絶対に、確実にサクヤさんが引くと思いますので……話したくありません」
「えええ!? ……な、なんなの? そんなに、酷いの?」
逆に、余計に気になるじゃないか。
シグさんが、また笑った。
その笑い方は、明るいとは言えなかった。暗い笑い方。どこか自嘲的な。
「──────笑えてくるくらいには」
話は終わり、といわんばかりに、シグさんが立ち上がった。いつもの、静かな笑顔で。
「……さて。戻りましょうか。ちょっと長居しすぎてましたね」
「う、うん。ビオラが心配して、俺に見てきてくれって」
「そうですか……すみません」
俺は首を横に振る。
立ち上がって、シグさんの背を追いかける。どうしたらいいんだろう。なんで、そんなに悪夢をみてるんだろう。深窓心理的な何かなのか。ストレス的なものなのか。どうやったら、治せるんだろう。何をしたらいいんだろう。
俺は、その袖を掴んだ。
「──なあ。どうやったら、眠れる?」
────怖い夢を見ずに。
怖い夢って何なんだろう。
なんで、俺に話してくれないんだろう。全然教えてくれようとしないし、分からないことばかりで、もやもやする。
シグさんが、俺を見下ろした。
そして、静かに首を振った。
疲れたように笑みを浮かべて。
「………さあ。どうしたら、いいんでしょうね?」
野営地に戻ってみると、相変わらず皆爆睡していた。見張りのビオラ以外は。みんな、神経太いな! まあ、疲れの方が大きいか。
「シグさん。サクヤさん。コケさん。……お帰りなさい。無事で、よかったです」
ビオラが胸に両手を置いて、息を吐いた。
「すみません、ビオラさん。心配かけてしまいまして。星空があんまりにも綺麗で、向うの川べりで呆っとしてたら……うっかり、うたた寝しちゃってました」
シグさんが、ビオラに心配かけないように────嘘をついた。何でもない事のように。わざと、面白可笑しくみせようと、気障ったらしいジョーク混じりに。
「そうですか。危ないですから、気をつけて下さいです」
「はい。以後気をつけます」
大げさに腕を回して胸に手を当て、シグさんが頭を下げた。
オーバーアクション気味なシグさんの仕草に、ビオラが手を口に当てて、くすくす笑った。
「──ビオラ。俺、見張り交代するから、もう寝ていいよ。ありがとう。お疲れ様」
「はいです。こちらこそ、ありがとうございました。では、お休みなさいです」
「おやすみ」
ビオラは毛布をとり出すと、くるまって横になった。
1分もかからずに、小さな寝息が聞こえてくる。
寝つき良いな! うらやましい。
シグさんもとりあえず、という感じで焚き火の側に仰向けに横になった。
俺は少し考えて────薪の塊を持ち上げた。
シグさんの頭の上あたりに腰を下ろして、抱えていた薪も置く。
「……サクヤさん?」
「誰か、近くにいたら、寝れるかなって。近くにいたら寝れないってんなら、離れるけど。ほら、コケ太郎も近くにいると、良い香りするだろ? こいつ、花咲いてるから」
「キュー」
コケ太郎も、シグさんの頭の横に、ころんと転がった。
────シグさんからの返答がない。
嫌なのか。
「……やっぱ、離れてようか?」
見下ろすと、シグさんが不思議そうな顔で、俺を見上げていた。
それから────ゆっくり笑った。
「いえ。────側に、いて下さい」
「そか」
俺も笑った。よかった。少し顔色も、さっきよりは良くなってきたみたいだ。
「ついでに、寝るまで手を繋いでやっててもいいぞ。なんてな──」
冗談のつもりで言ったんだが、シグさんが手を伸ばしてきた。いらないですよ子供じゃないんですから、って言う展開を想定してたんだが。
──え、マジなの?
シグさんは俺の手を取ると、首元近くで軽く握った。
「────温かい……」
「お、おう。そうか」
それからすぐに、シグさんから寝息が聞こえてきた。
うなされてない。眉間にしわも寄っていない。
どうやら、眠れたようだ。よかった。
俺はいたたまれない状況だけどな。どうすんだよこれ。次の交代のマツリ姉が起きる前に手を外さないと、とてもまずい勘違いをされそうで怖い。
まあ、眠れたんなら、いいけど。
俺は眠るシグさんとコケ太郎を見て、小さく、安堵の息をついた。
ん?
いや、コケ太郎。お前は起きろよ。お前は俺と運命共同体だろ。俺、おまえのマスターだろ。マスターの俺が起きてて、何でお前が寝てんだよ!
俺は空いてる方の手で、コケ太郎の頭の花を指で弾いた。
「キュ!?」
「起 き ろ。お前は俺と火の番だ」