戻れないなんて、思ってなかった。
富岡町へ帰る途中、浪江のお義父さんの家に寄った。
当時携帯は不通で、ひとり暮らしのお義父さんとはまだ連絡がとれていなかった。
一族揃って物の捨てられない人たちだから、中は大変なことになっていた。
大きなタンスが倒れ、食器やその他家具が、しっちゃかめっちゃかに倒れていた。
お義父さんの名前を呼びながら、靴のまま、タンスの背を踏み越えた。
階段を登って2階に上がった。
先行していた妻が、誰かと話していた。
お義父さんは寝室で寝ていた。
暗い中、布団をかぶっていた。
当時は声を上げるほど驚いたものだが、考えてみれば、何せ暗い夜中のことだ。
朝になるまで英気を養うというのは、至極豪胆で、けれど冷静な判断だった。
お義父さんに今後の方針を説明すると、僕らは毛布を借りて富岡町に向かった。
時刻はすでに夜中だったし、そこまでの道中、古い木造家屋がことごとく、ぺしゃりと玩具みたいに潰れているのを見かけたからだ。
僕らの古い借家もまた、同じ憂き目にあっているものと思われた。
道の荒廃は激しさを増し、ついにとうとう、一歩も先に進めなくなった。
夜が明けて視界が通るようになるのを待つことにして、陶芸の杜おおぼりの、大きな駐車所で夜を明かした。
駐車場には、似たような車が複数いた。
皆、時々車外に出ては、不安そうに原発の方向を見つめていた。
メルトダウンの危機を、誰もが感じていた。
だけどその時はまだ、僕らは楽観視していた。
家へ帰れなくなるなんて、想像だにしていなかった。