ありがとうございますって、言ってた。
だだっ広い田舎道の田んぼの端に、一軒のコンビニが建っていた。
照明はついていなかったが、無数の車が停まっていた。
開いてるんだ?
こんな状況で?
こんなところで?
妻と顔を見合わせながら、半信半疑でコンビニに立ち寄った。
富岡町までの長い道中を考えると、水と食料が欲しかった。
店内に電気はついていなかった。
店員さんたちが、懐中電灯と手書きの伝票を頼りに、暗い中、レジに立っていた。
お金の計算は、すべて電卓でやっていた。
パンとかおにぎりとか、食べやすそうな商品は棚から消えていた。
残っていたのは飲み物やお菓子ばかり。
チョコにポテトチップス、煎餅……妻はちょっとだけ嬉しそうにしてた。
もうひとつこの時困っていたのが、トイレの問題だ。
男性ならそのへんの草むらで用を足す、なんていうことが出来るが、女性の場合はそうもいかない。
当然水洗は止まっていたので、コンビニのトイレは完全に詰まっていた。大はしないでくださいという但し書きがあった気がする。たしか。
妻はやむなく、我慢する道を選んだ。
生理がきていたので、そっちの処理だけを済まして出てきた。
甘ったるい腹ごしらえを済ますと、再び福島へ向かった。
人工の灯りのすべて消えた暗い山中、ヘッドライトをハイビームにして、フォグランプもつけて走っていた。
地震によって出来た段差に落ちないように、とろとろと走ってた。
越えられない段差があって、何度か迂回した。この時ほど、ナビの存在に感謝したことはない。
この時点でガソリンが残り半分。
奇跡的に営業していたガソリンスタンドに立ち寄った。
あれはたしか、新地あたりだったと思う。
あとからわかったことだが、その辺は、国道6号線から先、海岸線方向に向かって甚大な被害を受けていた地区だった。
海岸線方向に……つまりは津波ってことだ。
にもかかわらず、そこには人がいた。
いつもと変わりないかのように、働いてた。
ありがとうございますって、言ってた。
その原動力はなんなんだろうって、今も思う。
国道を挟んだすぐ向こうには地獄があって、たぶん多くの人が亡くなってたはずなのに。
その疑問は、今も消えない。