逃げることを選んだ。
あれから5年になる。
節目の年になる。
もう、いいだけの月日が流れた。
だからというかなんというか、よくわからないけど、あの日僕が体験したことを書こうと思う。
書かなければならないって、思ったので。
当時僕は、福島は浜通りの、富岡町に住んでいた。
第一原発から10キロ以内に借家を借り、妻と一緒に暮らしていた。
あの辺は極度に原発に依存した田舎町で、原発関係の仕事に就いていない人なんて、おそらくひとりもいなかった。
僕も御多分に漏れず、原発関係の仕事をしていた。
築昭和初期ぐらいの小さな家で、妻とふたりで暮らしてた。
放射能のこととか、原発のこととか、怖いとは思ってなかった。
そこに住む多くの人がそうであるように、破綻するとすら思ってなかった。
青空の下、のほほんとジョギングなんてしながら、毎日が過ぎていくと信じていた。
あの日は土曜日だったか。
たしか休みの日で、僕は妻とともに仙台に遊びに出かけていた。
映画を観るつもりだった。
タイトルはなんだったか……英国王のスピーチ? そんな感じの映画だった。
だけどけっきょく、その映画を観ることはなかった。
14:46
地面が揺れた。
それは車に乗っていてすらわかった。
これ以上走行してはいけない。
その場にいた皆が同じ判断をして、揺れがおさまるまで停車していた。
有料自動車道の高架がすぐ目の前にあり、ぐらぐら上下に波打つのが怖かった。
揺れがおさまるまで、助手席の妻を抱え込むようにしていた。
それがなにほどの意味を持つかはわからないが、でも、それ以外に出来ることが、僕にはなかった。
車の外装で守れないのなら、この身で守ってやる。肉の盾になってやる。
それしかないほどに事態は緊急で、切迫していた。
やがて揺れがおさまり、避難しようとする車が道に溢れた。
国道を戻り、とにもかくにも福島の借家に戻ろうということになった。
だけど一向に道は進まなかった。
いままで体験したどの渋滞も、お話にならないレベル。
まったくもって、進まなかった。
理由はいくつもあると思う。
街の明かりが消えたこと。
信号が止まったこと。
皆が皆、混乱していたこと。
だけどその渋滞は、違ったんだ。
いつの間にか時間が過ぎ、辺りは暗くなっていた。
夜空を軽く、雪が舞っていた。トイレに行きたくてしかたがなかった。
あまりに進まないので、進行方向からくる通行人に話を聞いた。
「津波で橋が落ちてる。進めないよ」
彼はたしかにそう言った。
その瞬間、僕は海の方角を見た。
そこは海から何キロもある地点で、津波のことなんてまったく心配していなかった。全然、考えもしていなかった。
海の方角は暗かった。
人工の灯りはことごとく消え、代わりに炎が燃えていた。
炎の意味を考えた。
進行方向にある橋が落ちている意味を考えた。
自分がどこにいるのかを考え、その先にあるはずの橋の名前を考えた。
考えちゃいけないと思った。
考えなきゃいけないと思った。
理性と感情のせめぎあいの末、僕は理性を選んだ。
Uターンして、新たな道を模索した。
ナビを頼りに、走ったことのない道を走った。
見たことのない坂を登り、砂利道を抜けた。
逃げるように、先を急いだ。