潔癖症と扇風機
そろそろ教室も蒸し暑くなってきた。クーラーはまだつかない、七月の初め、明日から扇風機が解禁されるらしい。
どちらかと言えばクーラーの方がいいのだが贅沢は言えない、ともかく扇風機の近くの席である俺と海はラッキーだ。
「やったな海、俺ら扇風機の近くだから涼しくなるな!」
反応はなく扇風機を凝視している海、もしかして暑すぎて気分でも悪くなったのだろうか。
「おーい、海くん?聞こえてる?」
こちらを見ずにぽつりと海は言った。
「掃除をしなければ……」
「ねえ、俺のこと見えてないの?」
「ああ、樹か何か用か?」
「今気づいたの!?」
「すまない……扇風機の埃を見ているとついウズウズゾワゾワしてな」
「忙しい奴だな」
「あんなに埃まみれの羽を回したら教室の空気が汚れてしまう、それは肺を汚すことになる」
「考えすぎだろ」
そんなことよりも一刻も早く扇風機をつけたかった、涼しさを得られるのなら肺くらい安いものだ。
でも、掃除をしない限り海は死んでもつけさせないだろう。
翌日の朝、教室に入ると完全装備の海が扇風機を掃除しているのが見えた。もう大概の人間が当たり前の事のように気にする風もなくそれぞれ過ごしている。慣れとは恐ろしいものだ。
三角巾、マスク、ナイロンの手袋、汚れた雑巾と洗剤ーー
そして今は歯ブラシで隅々の汚れを落としている。
「海、おはよう」
「む、おはよう」
手を止めてこちらを見る、その先に見えた扇風機は見違える程に綺麗になっていた。薄汚れて灰色になっていた羽は今は透明である。
「何時から掃除してたんだ?」
「朝六時半から」
「早っ!」
「よし、完璧だ」
コンセントにプラグを刺して扇風機のスイッチを押す、心地よい風が汗ばんだ体を冷ましていく。
「涼しいな……」
「うむ、最高だ……」
「てか、お前早く着替えろよ」
「そうする」
ナイロンの手袋をゴミ箱に捨て、身に着けていたものを持参した袋に入れて海は教室から出て行った。多分、トイレで手でも洗うのだろう。
時計を見ると朝のホームルームまであまり時間が無い、間に合うのだろうか。
案の定間に合わずに海が教室に来たのは朝のホームルームが終わる前くらいのことだった。
「すみません、遅れました」
「今まで何してた」
担任の葉山先生は眉を潜めながら海に言った。
海は怒り気味の葉山先生に臆することなく正直に言った。
「ちょっと手を洗ってました」
「手を洗うのに何十分もかかるのか?チャイムにも気づかないほど集中してたのか?」
「はい」
「手なんて三十秒で洗えるだろ」
葉山先生は俺と同じようなことを言っている。もちろんその答えを聞いた海は信じられないと言うような顔で葉山先生を見ている。それは教師に向けてする顔ではない。
「何だその顔は、男なら手くらい水で洗えば十分だろう」
そういった途端にチャイムが鳴った。葉山先生はため息をついて海にもう座れと言った。
「海、お前あんまり先生を怒らすなよ」
「怒らしているつもりはない、あっちが勝手に怒っているだけだ」
「まあ、今度からはさ手を洗う時間をかけ短くしろよな?」
「それは無理だ、譲れない」
「あっそう……」
頑固な海はまたいつかそう遠くない内に葉山先生を怒らせることだろう。