プロローグ
はじめまして。水溜といいます。色々と拙い所も多いと思いますが、よろしくお願いします。
「〜♪〜♪〜♪」
高いビルの上に腰を掛けて鼻歌を歌いながら、『それ』は眼下の無数に蠢くヒトを見つめていた。腰まで届く艶のある黒髪。性別のわからない容姿。黒ずくめの服。そして、吸い込まれそうな真紅の瞳と、頭の左右の髪の間から覗く、角。『それ』は無数のヒトを見つめながら、妖しく微笑んだ。
「さぁて、どれが一番美味しいかな」
◆ ◆ ◆
文化祭の準備というのは、どうしてこうも面倒なのだろう。桐崎 叶は、細長い木の板の下書きになぞり、絵の具をべたべたと塗りながらそう思った。白地に黒くでかでかと『喫茶店』とかかれており、その自己主張の強さから、横のコーヒーカップやオムライスの絵が非常に可哀想なことになっている。
東京某所。偏差値もそこそこの私立校に通う高校二年生。少し幼さが残るも整った顔立ちをしており、身長は平均よりやや低め。茶色っぽいセミロングの髪は手入れが行き届いていて非常に瑞々しく、色白の肌はさながら美容液などのCMに出てくるモデルの様で、当然、男子の人気もある方だろう。とはいっても叶自身はそういうことに全く興味がなく、恋だ愛だ言う前に何か美味しいものでも食べに行こう、といった感じなのだが。
その叶からすると、文化祭は美味しい物もあるし、嫌いというわけではない。しかし、その準備期間の気怠さは別だ。サボりたい。早く帰りたい。この前駅前に美味しいメンチカツの店ができたって聞いたっけ。食べに行きたい。ああ、めんどくさい。
叶がうんうんと唸りながら必死にどうサボろうかと考えている所に、一人の女子生徒が近付く。
「やっほー、看板の進み具合はどう?」
ひらひらと右手を軽く振りながら叶に言う。柳 結月。小学校時代からの親友で、どこかに出かける時は必ずと言っていいほど一緒に付いてくる。脱色した髪を右横でまとめており、身長は叶より頭一つ分大きい。叶が顔を上げて、結月に向かって言う。
「メンチカツ食べたい」
「いや聞いとらん」
開口一番、メンチカツ食べたいなどと言われた結月は、振っていた右手をだらん、ど脱力させ、呆れながら答える。文化祭の看板の進み具合を確認しに来たのに、何故メンチカツの話をされないといけないのだ。
叶を無視してひょい、と顔を覗かせて看板の出来栄えを伺う。
「おー、相変わらず文句言う割にはいい仕事するね〜」
叶の頭をぽんぽんと軽く叩きながら感想を言う。叶はその手をどかしながら、結月に言う。
「この間駅前にできたメンチカツの店。今から一緒に行きませんか」
結月が顔を看板から叶へと向け、それに答える。
「文化祭の準備中じゃん。文化祭二日後だよ。あとなんで敬語」
「文化祭の準備なんてほっとけば誰かやってくれる!でも!メンチカツは待ってはくれない!さあ行こう!共に約束の地へ!」
ガッ!と右手を握りしめて天高く掲げる。こうなってしまってはもう誰にも止められないのは結月が一番良くわかっていた。というか、言ってること滅茶苦茶だし。メンチカツ逃げないし。約束の地がメンチカツ屋って虚しいし。
はぁ、と額に手を当てて結月が溜め息をつく。黙ってれば可愛いのになぁ……
「わかったわかった。今日の分終わったら食べ行くから。さっさと……」
結月が言い終わらないうちに、叶が筆を取る。絵の具をつけ、看板に色を付けていく。漫画ならシュバババ!とか入るに違いない。その叶の単純さに、呆れ半分関心半分で教室に戻った結月だったが、数分後、叶が「できた!」と扉を勢い良く開いて看板を完成させたのは流石に驚いた。
◆ ◆ ◆
「っん〜!ふぉいひ〜!」
「いや、口に物入れて喋るなよ」
午後七時三十七分。文化祭の準備を終え、件の店へと足を運んだ叶と結月。あれから結月が準備を終わらせるのに少し時間がかかり、結局辺りはすっかり暗くなってしまった。
「いやー、噂通り……いや、それ以上だね。サクサクの衣を齧ると柔らかい肉が顔を出し、中からあっつい肉汁がジュワーっと……」
「それ、誰に聞かせてんの?」
どこの料理番組だ、と言わんばかりにツッコんだ結月だが、一口食べてみてそれが比喩でもなんでもないことを理解した。確かに叶の言う通りだ、とモグモグとアツアツのメンチカツを頬張る。
「あ、もう一つ追加で!」
叶が店の店員に言う。既に三つ程平らげたあとなのだが、まだまだ食べ足りないらしい。結月は二つ頼んだが、それで十分満足したらしく、叶が食べ終わるのを待っている。……いつまで待てばいいのやら。
◆ ◆ ◆
叶と結月が店を後にした時、時刻は九時を回っていた。二人の家は近くはないものの、駅から離れているのは同じで、途中までは一緒に家へと向かっていたが、半分くらい進んだところでお互いの家へと別れていった。多少人通りのある道を進んでいた叶だが、ふと、幼い頃よく使っていた近道のことを思い出した。思ったより遅くなってしまったため、少しでも早く家に帰りたい、と記憶を辿りながらあるいていると、街灯の少ない脇道を見つけた。
(あ、ここだここだ。久しぶりだなー、ここ)
脇道に入り、足を進める。左手には学校の鞄、右手にはさっきの店で買ったメンチカツが四つ入っている。家に帰ったらまた食べるつもりらしい。軽く鼻歌を歌いながら上機嫌で薄暗い道を歩く。
(いやー、それにしても美味しかったな〜。また結月と食べに行こ……)
ドン、と左の脇腹に衝撃が走る。少しきょとんとしながら、叶は衝撃のあった脇腹を見る。そこにあった光景を理解するのに、二十秒近くかかった。浮かれていた、というのもあるが、突然過ぎたのだ。
叶の脇腹には__包丁が、深々と刺さっていた。
「……え?あ……いッ!?」
ドク、ドク、と赤黒い血が流れだす。ガクン、と膝から崩れ落ち、アスファルトの上にうつ伏せに倒れ込む。
「ぇがぁ……な、んで……な、にこ、れ」
痛みで上手く言葉が発せなくなり、立つこともできずガクガクと震える叶に、人影が近付く。長身の茶色い上着とボロボロのジーンズを着た男。男は叶の側でしゃがみこみ、包丁に手をかける。そして……ズボ、と勢い良く引き抜いた。
「ッづァア!?」
走った激痛に、水分のない乾いた悲鳴が口元から溢れる。やばい。ここにいたらやばい。逃げなゃ。殺される。
腕を動かして進もうとするが、力が入らずにじたばたと無様に藻掻くだけになる。男の方を見ると、包丁を掲げ、叶に振り下ろそうとするところだった。
「ぁ、や……めッ……!」
男のはそんな言葉など聞こえておらず、何度も、何度も、何度も何度も何度も、包丁を刺し、抜き、叶の身体をズタズタに切り裂いた。
「っは、がッ……た、す……ッァア!」
必死で助けを求めるが、こんな街灯も少ない脇腹にくる人間などおらず、叶は無抵抗のまま刺され続けた。
どれくらい時間が経ったのだろう。あるいは数分だったのかもしれないが、叶には何時間にも感じられた。男が立ち上がる。叶はその顔や姿をありったけの怒りと憎しみを込めて睨んでいた。すると、男が叶の顔を見て、
「……君の左目、僕が映ってる。……嫌だなぁ」
叶の左目を抉りだした。
「ッッァァアアア!!!!」
耳を劈く悲鳴が辺りに響き渡る。左目……のあった箇所からドクドクと血が流れ出る。
「うん。これでもう映ってない。大丈夫。映ってない」
男は心底満足そうに笑いながら、スッと立ち上がって何処かへと去って行ってしまった。
一人、薄暗い路地に残された叶は、朦朧とする意識の中__ただただ、願った。死にたくない、と。こんなところで死んでたまるか、巫山戯るな。死にたくない、死にたくない。__あのくそったれなドブ野郎を、殺してやる。私がいったい何をした?なんで私が死ななきゃいけない?殺されなきゃいけない?巫山戯るな、巫山戯るな!!殺す、殺す殺す殺す殺す!!あのドブ野郎を……
「ご、ろじで、やるッッッ!!」
__瞬間。叶は言い様のない感覚に襲われた。痛みもなく、音も暑さも寒さも感じない。
(ああ、これが死ってやつか……)
さっきまでの熱は冷め、叶は死を覚悟した。__が
「ふむ。そんなに簡単に諦められると、こちらとしても困るんだけど」
不意に聞き覚えのない声でそう言われる。右目だけでそちらを見ると、そこに一人、誰かが立っていた。一瞬、助かった、人がいた……と安堵した叶だが、本能的に理解する。『こいつは人間なんかじゃない』と。
「人間」
目の前の『なにか』が叶にいう。
「きみの願いを叶えてあげよう__きみの、魂と引き換えに」
腰まで届く艶のある黒髪。性別のわからない容姿。黒ずくめの服。吸い込まれそうな真紅の瞳と、左右の髪の間から除く角。
「あん、た……は」
力のない声で叶は『なにか』に聞く。すると、『なにか』はクスクスと笑いながら答えた。
「そんなの、今はどうだっていいでしょう?ほら、言ってみなよ。きみの命が尽きる前に。……きみの、願いはなんだい?」
全てを見透かしたような目で、『なにか』は叶に問う。
(……私の、願い?)
生きたい?死にたくない?違う。そうじゃない。そうじゃないだろ桐崎 叶。さっき自分で言っただろ。そうだ、あいつを……
ぐぐぐ、と身体を起こし、血と涎が混じった声で、目の前の『なにか』に、言う。
「あ、のッ……ドブ野、郎、を……殺す、力……をッ!」
声に憎しみと怒りを盛大に込めて、そう放つ。『なにか』は叶に、
「悪魔に魂を売ってでも?」
と妖しく笑いかける。叶はそれに、迷わず答える。
「悪魔に魂を売ってでもッ!」
すると、目の前の『悪魔』が嘲笑う。
「契約成立、だね、人間♪」
____そして、私は人間をやめた。
次の話で色々と色々なるかと思います。多分。
需要があるかわかりませんが(多分ないけど)ちょこちょこ更新する予定です。