Also bis dahin.
この作品には実在する一切の国、軍、その他団体は関係ありません。戦争を美化する意図も、肯定する意図もありません。
時代考証は不徹底です。作者は軍事にも歴史にも詳しくありません。
あくまでフィクションとして、雰囲気でお読みくださいますよう。
右側で定期的に吐き出される息は白く、石膏像のようなこの男でも生きているのだということが辛うじて感じられる。
フリードリヒ・シュミットは吹き荒ぶ寒風に身震いし、コートの前をきつく握りしめた。石膏像のように色の白い、痩せた男は彼の傍らで、そんな寒さなど気にせぬ様子で煙草を吹かしていた。
マルクス・ヴェルナー。先日、陸軍少佐に昇進した旧友である。
「……そうか、アメリカへ渡るのか」
辺りに人通りはなかった。ブロンズ色の小洒落た街灯の下、二人だけが立っている。
意外にも、先に口を開いたのはマルクスであった。
煙草の煙に紛れて、彼はフリードリヒが告げたこれからの予定についての意見を述べた。
「向こうでツテがあるからな。家内のことも考えると、それが最善だろう」
言われて、フリードリヒは胸の内に妻を思い浮かべた。妻は身重だ。今も彼女は、あたたかな暖炉の前で生まれてくる子の産着を縫っているだろう。
口数少ない友人の方から話を振られる機会は多くない。それが事態の深刻さも示しているようで、フリードリヒはほうと溜息をついた。
暗い。空模様も世相も、二人の表情も、すべてが暗い。陰鬱な時代の足音が満ちている。それは揃えられた軍靴の音だ。けれどそれを解りきっていながらフリードリヒはこの地を捨て、マルクスは戦火に身を投じる。
学生時代以来の仲だ。
ともに馬鹿なこともやり苦難も乗り越えてきた。けれど今回は、目の前の壁を共に乗り越えることはない。
フリードリヒはマルクスに向き直り、今一度石膏像のように秀麗な友人の横顔を目に焼き付けようとした。学生時代から嫌味なくらいに女にもてた、いけ好かない男だ。だが彼の実直さは好ましい。どうして友人になったのか、しばしば問われるという事実がフリードリヒとマルクスの関係性を表す。
唇が湿り、言葉は自然に溢れ出した。
「達者でな」
「お前もな」
「無理をするなよ」
「ああ」
「死ぬなよ」
ああ、とは帰ってこなかった。
再び二人の間には沈黙が横たわる。
マルクスが咥える煙草は随分と短くなっていた。彼は徐に口許から煙草を外すと、地面に落とし革靴でじりじりと踏みつけた。
「俺は、死ねと言われたら死なねばならん」
マルクスは表情筋を動かさぬまま言う。
「軍属になるというのは、そういうことだ」
この男の背中には部下と国の行く末が託されている。重たい荷物だ。彼はそれを選んだ。
「誰がお前に死ねと言おうが、私はお前に言うぞ」
対してフリードリヒは、その右手に持つメスを銃に変えることを拒んだ。だから友の背に余計な物を託してしまったのではないかと、悩むこともある。彼が決断すれば、友の負担は減ったのではないかと。けれど、それを止めてくれたのも友だった。
(お前の仕事は人を生かすことだろう)
ーーああ。
どうして世界は歩みを止めないのだろう。嫌だ嫌だと喚く人々を巻き込んだまま、悲しい結末の方へ進む。
胸を上下させて大きく息を吸う。それでも、たいした空気は入ってこない。冷たい空気でつきりと肺が痛んだ。
「死ぬなよ」
告げる語尾が掠れた。どうしようもなかった。今度はマルクスは、緩く口角を上げてこちらを見ていた。
この先にある未来を、彼らはまだ知らなかった。1938年の、冬の日だった。