ボクを縛りつけるもの
「これで何とか帰れそうだぜ」
そう言って、ジャンは上機嫌でハンドルを握る。
砲塔の中に乗っていたハンナはそれを聞いて、開いているハッチから後ろ―――車体の上に積んであるドラム缶を振り返っていた。
「けど、どこにこんなに燃料買うお金があったのさ?」
「俺には強力なバックが着いてるからな。ツケだツケ」
愉快そうに笑うジャンに、ハンナはあからさまに怪訝そうな表情をした。
「もしかして踏み倒すつもりじゃないよね? スバルさんに迷惑かけないでよ? スバルさんが行商してくれないと、うちの村は日用品買いに遠くの街まで行かなきゃいけないんだから」
「だから、ツケは払うって言ってんだろ。それに、俺はもうこの村からいなくなるからな。スバルって奴も気にしねえだろ」
「それってやっぱり踏み倒すつもりなんじゃ・・・・・・」
どうも信用出来ないジャンの言葉に、ハンナは眉をひそめていた。
そんな二人を乗せて、シュルクはハンナの家まで戻ってくる。
ジャンは停車したシュルクから飛び降りて、背伸びをしていた。
「さーて、夕飯に向けて肉を下ごしらえするかぁ」
「なにを作るつもりなの?」
「そりゃステーキに決まってんだろ。これで足りなかった血も増えるだろうしな」
そう意気揚々としたジャンだったが、突如としてその耳にエンジンの音が聞こえてきた。
シュルクはすでに停止しているので、エンジン音はないはずだ。
ジャンはエンジン音が響いて来た畑に面する森の方を睨む。
「・・・・・・もしかして、また盗賊?」
不安そうにシュルクの上から訊いて来るハンナに、ジャンは再びシュルクへと駆けあがりながら応えていた。
「可能性はある。準備だけしとけ」
ハッチに潜り操縦室に収まったジャンが、再びシュルクのエンジンをかける。
そして、シュルクが森の方向へと旋回すると、ハンナも緊張した面持ちで砲のハンドルを握っていた。
「逃げた盗賊が仲間を連れてきたのかな?」
「どうだろうな・・・・・・。ほら、来るぞ!」
そして、次の瞬間、森の木々をぶち破ってそこへ現れたのは、見た事のない戦車だった。
「ありゃ、公国軍のヴォルフじゃねえか」
ちょっと驚いた様子で、ジャンは言う。
畑を高速で蛇行する戦車は、シュルクより一回り小さいぐらいの戦車だった。しかし車高は三分の二ほどで、丸っこいシュルクとは違い角ばった形状をしている。何よりも軽量なのか、シュルクとは比べ物にならないほど高速の戦車だった。
「あれも盗賊の奴・・・・・・?」
「いや、あれは軍事大国である友軍の公国軍の主力戦車だ。そう簡単にレジスタンスが手に入れられる様なもんじゃねえ」
「じゃあ、あれって・・・・・・」
「まあ、様子を見てみるか」
そういうと、ジャンはアクセルを踏んでシュルクを走らせていた。
畑を蛇行して駆け抜けていたヴォルフだったが、向かってきたシュルクの姿を見て、慌てて停車する。
ヴォルフは砲塔を旋回させて、こちらを向いていた。
しかし、発砲する様子はない。
「向こうも様子を見てるのかな?」
「らしいな」
すると、ヴォルフのハッチから、一人の男が体を出していた。男は軍服姿で、どうやら盗賊ではないらしい。彼はヴォルフから降りると、対峙したシュルクへと歩いて来る。
「―――こりゃ、こっちも出てかないと失礼だな」
そう言って、ジャンはハッチから身を乗り出していた。
「あ、危なくないっ?」
「一応、拳銃持ってるから大丈夫だろ。まあ、いざとなったら機銃でも撃ってくれ」
「えっ? そんな無茶な!」
不安そうにハンナは叫んだが、気に咎めることなくジャンはシュルクから降りて行ってしまう。
戦車から降りた男二人は、丁度二台の戦車の中間で立ち止まって対峙していた。
そして、二人は大きな声で名乗りを上げる。
「ハルト公国軍所属、ジークムント・ディートリッヒ少尉!」
「フレリス共和国軍所属、ジャン・バンベール軍曹!」
すると、安堵した様に二人は歩み寄っていた。
「良かった。やっぱり友軍か・・・・・・」
「ああ、お互いにな。―――あんたら迷子か?」
ジャンが聞くと、ディートリッヒと名乗った青年は力なく首を振っていた。
「生憎と、所属していた部隊が全滅したんだ・・・・・・。今は撤退中の真っただ中でね」
「そうか。俺と一緒だな」
「あんたもなのか?」
「まあ、俺は全滅って言うか、置いてかれたんだけどよ」
そう言って、ジャンは皮肉っぽく笑っていた。
それに、ディートリッヒは首をかしげる。
「じゃあ、あんたも今は撤退中なのか?」
「いや、撤退の予定だったんだが、今はひとまず怪我で休養中だ。ここの村人に世話になってる」
そう言って、ジャンはシュルクを振り返っていた。
すると、シュルクの砲塔の後部ハッチから、恐る恐るこちらを覗くハンナの姿があった。
「そうだったのか。その、出来れば、俺達も食料を少しでも分けてもらいたいんだが・・・・・・。もう丸一日食べてなくてな」
そう言ってディートリッヒは腹の辺りを押さえていた。確かに、彼の頬の辺りはこけている気がする。
恐らく彼の全滅した部隊の中に、補給用のトラックなどもあったのだろう。
「なら、一日ぐらい休んでいったらどうだ?」
「それは助かるが・・・・・・。良いのか? あんたが勝手に決めても?」
「あいつは困ってる人をほっとけないだろうしな。それに、すでに俺が世話になってる。今更数人増えるぐらい関係ないだろ」
すると、ジャンはシュルクへと戻って行く。ディートリッヒは後からそれについていく。
「大丈夫だった?」
ハンナがハッチから声を張り上げると、ジャンも下から声を張り上げる。
「国は違えど、お仲間だった。休ませてやりたいんだが、ダメか?」
「え? うちに? 別に良いけど」
「よし、決まりだな」
そう言うと、ジャンはディートリッヒへと振り返る。
「戦車持ってこい。何か食べさせてやる」
「わ、分かった! 恩に着るよ」
そう言って、ディートリッヒは足早にヴォルフへと戻って行った。
戦車を庭に置こうとしたジャンだったが、ディートリッヒに敵に見つかると危険だと忠告を受けて、戦車は二台とも開いている納屋に格納する事にした。
ディートリッヒの指示で保険程度に納屋にあった藁や小麦の袋を戦車の周りに敷いて隠す。
「よくやるよな」
「そうか? うちの国じゃこのくらい普通だけどな・・・・・・」
「だって、よく調べられたらお終いだろ?」
「それでもないよりはマシなんだって」
そう言ってディートリッヒは肩をすくめて笑っていた。
彼が軍事大国である公国軍の人間だと聞いてちょっとビビっていたハンナだったが、彼女にはディートリッヒは普通にジャンよりも真面目なだけの様に見えた。
一同が、戦車を隠し終わって、家に入った時にはもうすでに日は暮れていた。
「ご飯にしなきゃね」
「あー。この人数だと、ステーキ小さくなるなぁ」
自分で連れ込んでおいて、そんな事を漏らすジャンにはハンナも呆れていた。
ハンナはいつも通りシチューを作ると、パンと一緒に机に並べる。
よほどお腹をすかせていたのか、ディートリッヒを含むヴォルフの乗員四人は気持ちの良いぐらいの食べっぷりだった。
「ああ、助かった!」
ディートリッヒはパンを貪りながら、しみじみそう漏らす。
「食料も燃料も積んでたトラックがやられた時には、もうどうやって帰ろうかと思ったんだ・・・・・・」
「大変だったんですねディートリッヒさん」
ディートリッヒの部下のおかわりのさらにシチューをよそいながら、ハンナが言う。
「ああ、俺の事を呼ぶ時はシグで良いよ」
「あ、じゃあ、僕もハインリヒで良いですから」
「なに言ってんだ、ハンナで良いだろ?」
そう口を挟んできたのは、ステーキを焼くジャンだった。
「わあっ、止めてよッ!」
「うん? どう言う事だ?」
「へへっ、訊いて驚くなよ。こいつ、自分の事〈僕〉〈僕〉言ってるけど本当は女なんだよ。村人には秘密にしてるらしいから、そこには黙っといてやってくれ」
「へえ、そうだったのか。よろしくなハンナちゃん」
「だ、だからその名前で呼ばないでっ!」
ハンナは顔を真っ赤にして絶叫するも、ジャンもディートリッヒ改めシグもニヤニヤしながらその様子を見ていた。
「そういえば、、あんたはなんて呼んだらいいんだ?」
思い出したように、シグはそうジャンに問う。彼はステーキを焼きながら振り返っていた。
「そうだなバンベール・・・・・・、いや、ジャンで良い」
「あれ? ジャンって名前なかなか呼ばせないんじゃなかったの?」
隣でシチューを混ぜていたハンナがニヤニヤしながらそう訊くと、ジャンはばつが悪そうに焼けたステーキを皿によそっていた。
「同じ戦車乗りだしな。なんか、長い付き合いになりそうな気がしたんだよ」
「何それ? 勘って事?」
「まあ、そんなもんだな。ほら、俺らも飯にするぞ」
そう言うと、ジャンは人数分のステーキを机へと並べていた。
ハンナもジャンと自分の分のスープの入った皿を並べる。
しかし、席に着いたジャンは、自分の目の前のステーキを改めてみて、不満を漏らしていた。
「やっぱり小さくなったなぁ・・・・・・」
「いや、悪い。予定外の定員が増えて」
そう言ってシグな恐縮した様子で、隣でステーキにがっつく部下を見ると、容赦なく小突いていた。
「少しは遠慮しろ!」
「す、すみません車長・・・・・・」
「い、良いですよ。遠慮しないでください」
ハンナがそう手を振ると、隣でジャンは唇を尖らせる。
「俺の肉だろ」
「お金出したのは僕でしょ?」
「ご褒美じゃなかったのかよ。それにお前の飴買ってやったのは俺だろ?」
「値段が違うもん」
「ちっ。持ち合わせがありゃ俺だって」
そんな二人のやり取りを見て、シグは首をかしげる。
「二人はやけに仲が良いが、・・・・・・恋愛関係なのか?」
すると、シチューをスプーンで啜っていたハンナは噴き出していた。
「ぶっ、違うよ! そう言うんじゃなくて、ただ僕はジャンを助けただけで。ただ、それからいろいろ手伝ってもらえて・・・・・・」
「そうだ。勘違いすんなよ。こいつが惚れてんのは俺の戦車だ」
そう言って、ジャンは齧り付いたステーキを噛み切っていた。
「戦車?」
「ああ、農作業に貸してやったら喜んでよ。目、キラキラさせてやんの」
「だって、便利だったし・・・・・・。だから、ジャンの事をどうとか思ってないよ」
「ふーん」
シグはとりあえず納得した様に頷いていたが、ニヤニヤしてる所を見ると、あいかわらず二人の仲を疑っているようだ。
別にそんなんじゃないのにと不満そうに、ハンナはシチューを啜っていた。
「いや、しかしこんな所でステーキを食べれるなんて思わなかったですよ」
「まったくだぜ。何日かぶりの飯で肉を食えるってのは相当ツイてるよな。やっぱり車長の部下で良かったぜ」
「ええ。うちの車長は強運体質ですからね」
「はっはっはっ。もっと褒め称えてもいいんだぞ!」
「ほう、部隊は全滅してんのに、シグは強運体質なのか」
「そ、それは言わないでくれジャン・・・・・・」
ジャンを含む戦車兵五人は会話をしながら愉快に食事をしていた。
マナーは悪いかもしれないが、それを置いても食事は楽しかった。
彼らに混ざって笑っていたハンナは、そう言えばこんな大人数で食事した事は初めてだった事に気がつく。
「なんか、すごく賑やかだね」
そう呟くと、となりでジャンは笑っていた。
「良いもんだろ? 大人数の食事ってのも」
しかし、そう言ったジャンが隣のハンナを振り返ると、彼女の頬を一筋の涙が伝っていた。
「・・・・・・なに、泣いてんだ?」
「えっ?」
言われてハンナも気がついたらしく、慌てて目元をぬぐって、濡れていたのに自分で驚いていた。
「あれっ? 変なの、別に悲しくないのに」
そう言うと、ハンナは立ちあがっていた。
「も、もうお腹いっぱいだから、僕寝るね。食器は置いといてくれれば、明日洗うから。シグさんたちは空いてる好きな部屋で寝て良いから」
そう言って、彼女は食器を洗い場に下げると、部屋を出て行ってしまった。
「や、やっぱり迷惑だったかな・・・・・・?」
シグは申し訳なさそうに眉を八の時にしながら、頭を掻く。
しかし、それにジャンはステーキを咀嚼しながら、いたって冷静に応えていた。
「たぶん、そんなんじゃねえよ。―――あいつ、ちょっと前に親を病気で亡くしてるからな」
「えっ? そうなのか? それで、こんなに立派な家に一人だったのか」
「ああ。しかも、土地や家を奪われないようにって、男の振りまでするような奴だ。相当気ぃ張ってたんだろ。だから―――」
ステーキを食べ終わると、シチューをスプーンですくいながら、言葉を続ける。
「―――気ぃ緩んじまったんだろうな。今まで一人で辛かっただろうし」
独りになってから、ハンナは一人で畑を耕していた。
何も無い畑に、一人で。
そして、去年は不作だったらしい。
がんばったのに、何も得られなくて、そして、大切な家畜まで食べてしまう事になった。
幾ら強がっていても、年相応の少女としては、辛かっただろう。
何度泣いて、そして、何度泣けなかったのだろう。
「他人である俺らが下手に声もかけられないしなぁ」
「ああ、声なんかかけたら、余計に強がらせちまう」
「何か申し訳ないな。一方的にご馳走になっておきながら、何も力になれないってのは・・・・・・」
「ああ、そうだな・・・・・・」
そう言うと、ジャンは食べ終えた皿を洗い場に下げていた。
「女泣かせるってのは、主義に反するしな」
食事をもらっただけのシグとは違い、ジャンの場合は、命まで助けてもらったと言っても過言ではない。
「―――やっぱり、ちょっと、声かけてくる」
「なんだよ。余計強がらせるって言ってたじゃないか」
「下手に気を使う様な事、言わなきゃいいんだ」
やれやれといった様子のシグを置いて、ジャンは部屋を出てハンナの部屋へ向かっていた。
「うぅ・・・・・・」
ハンナは涙が止まらなかった。
「うぅ・・・・・・ひく」
ベットに仰向けに寝転び、枕に顔を押し付けても、とめどなく涙が溢れ出る。
悲しい訳じゃない。
ただ、心の中がからからに乾いていた。
それを涙で湿らすかのように、涙があふれ出て止まらなかった。
「パパぁ・・・・・・」
父が死んだ時は、それはとても悲しかった。
しかし、涙は出なかった。
その時からだろうか、辛くても涙は出ない代わりに、心の中がどんどん乾いていった。その乾きは今まで気にした事などなかったが、ジャン達といると、その乾きはとても辛く思えた。
皆と笑っていると、ついにそれに耐えられなくなって、自分は泣いてしまっていたのだ。
「うぅ・・・うぅ・・・・・・」
しかし、こうやって泣いていると、心の中に盛大に雨が降った様で、とても心地が良かった。
ただひたすら泣いていると、不意に真っ暗な部屋へノックの音が響く。
「・・・・・・あ、はい!」
ハンナは慌てて目元をぐしぐしぬぐいつつ、扉へと向かう。
「ち、ちょっと待って」
良く拭ってから、扉を開ける。
するとそこには、煙草を咥えたジャンが立っていた。
「・・・・・・な、何か用?」
しかし、目元を真っ赤にしたハンナの姿を見て、ジャンはばつが悪そうに頭を掻く。
彼女の目は、まだ涙で潤んでいた。
「あ、えっと、な・・・・・・」
「どうしたの? 僕、もう寝ようと思ってたんだけど」
そう言って笑うハンナの姿は、少し痛々しかった。
だから、ジャンはハンナの目線まで屈んで言う。
「―――お前、一緒に来ないか?」
「え・・・・・・?」
突然の誘いに、ハンナは何を言われているのか分からなかった。
「なに、言ってるの・・・・・・?」
「お前の面倒は俺が見てやる。だから、一緒に共和国へ来る気はないかと聞いてるんだ」
「な、なに言ってるのさ。僕には家があるし、土地もある。守らなきゃいけないものがあるんだよ?」
「それは、本当に守る必要があるのか?」
ジャンのその言葉に、ハンナは唇を噛んでいた。
「・・・・・・どう言う、意味?」
「家も土地も、お前の親父さんが守ってたものだ。しかし、今のお前は違う。別に家も土地も守る必要なんてないんじゃないのか?」
「そ、そんなことないよ! パパの大切な土地だもん! それは僕が守ってるんだ!」
ハンナはそう叫ぶが、ジャンは冷静に告げていた。
「―――お前の親父さんは、それを本当に望んでるのか?」
「の、望んでるよ! だって、パパが! パパが・・・・・・っ」
「親父さんは、土地なんかより、おまえが幸せになってもらいたいと思ってたはずなんじゃないのか? 俺が父親だったら、そう思う」
その言葉に、ハンナは言葉を失っていた。
確かにハンナの記憶の中では、父は一人娘である彼女の事を、何よりも大切にしてくれていた。
確かに、優しい父だった。土地なんてものより、間違いなく娘の事を第一に考えていてくれていただろう。
「けど、パパは・・・・・・」
それでも食い下がるハンナに、ジャンは煙草をくゆらせながら呟く。
「―――まあ、考えてみてくれよ。けど、きっと外には、お前のしたい事がいっぱいあると思うんだ。少なくとも、今みたいにずっと畑を耕すより良い生活が出来ると思う」
すると、ジャンはハンナの頭をポンポンっとなでて、踵を返して歩き出していた。
扉の前に置いてかれたハンナは、ただ俯いてたたずんでいた。
物音と人の声で、目が覚めた。
考え事をしているうちに、そのままベットで寝てしまったらしい。
真っ暗闇の中で、ドアを開けて入って来た人影に、ハンナは寝ぼけ眼を擦りながら問いかける。
「だ、れ・・・・・・?」
しかし、その人影は応えることなくベットのそばまで来きた。
そして、無言でハンナの上に覆いかぶさっていた。
「っっっ!」
驚いて、声も出なかった。
そして、慌てて声を出そうとした時には、口を塞がれていた。
「むむーっ! むむむーっ!」
必死に声を出そうとするが、くぐもって出ない。
体は自分より大きな体に覆いかぶされ、暴れる事も出来なかった。
「・・・・・・っ!」
もしかして、自分は襲われているんじゃないかと、思わず動きを止める。
良く考えてみれば、周りはみんな男なのだ。しかも、今日拾ったシグ達は恐ろしい噂のある軍事大国の軍人たちだ。
それに、訊いた話によれば、軍によってはその土地の女性を慰みものにする事を認められているとさえ訊いた。
ハンナは怖くなって、再び必死に暴れてジャンの名を呼ぶ。
「むむむーっ!」
「バカっ、静かにしろ!」
しかし、助けを呼んだはずのジャンの小声が、すぐ上からした。
口を押さえていた手を外されると、ハンナは小声で問う。
「ジャン? 何やってんのさ? よ、夜這い・・・・・・?」
「バカっ、違うわ! とにかく静かにしてろ」
すると、ハンナの上に乗っていたジャンはベットから降りて、忍び足で窓際に向かう。
ハンナもそれに続いていくと、ジャンは窓の横に立って、親指で外を示していた。
「ゆっくり覗いてみろ」
言われた通りハンナが窓から恐る恐る外を覗きこむと、そこには見慣れない鉄の塊が止まっていた。それは、すでにハンナには見慣れた乗り物。
「戦車だ・・・・・・」
しかし、それはジャンのシュルクとも、シグのヴォルフとも違う。大きな砲塔と小さな砲塔を持つ多砲塔戦車だった。
「これって、もしかして・・・・・・」
「―――ああ。正式名称はT‐16。帝国軍の中戦車だ」
帝国軍。それは一年ほど前に央州に対して宣戦布告を行いこの戦争を始めた東の大国だった。分かりやすく言えば、ジャンやシグの敵国である。
「奴ら、もうこんな所まで来やがった・・・・・・」
「け、けど、帝国軍が僕の家に何の用?」
小声でジャンに問うと、ジャンも小声で返す。
「どうやら、畑に残ってたヴォルフの履帯跡を見つけたらしい。この辺で途切れてるから、隠れてるんじゃないかと訊き込んでるらしいんだ」
「え? じゃあ、僕行かないと」
そう言って、ハンナが慌てて出て行こうとするのを、ジャンは咄嗟に襟首を掴んで止めていた。
「お前にそんな危ない役任せられるか。今、シグの奴が対応してる。お前は静かにしてろ」
「だ、大丈夫だよ。ここ、僕の家だし」
「大丈夫な訳ねえだろ。俺ら大人がいて、お前みたいな子供が代表で出てったら明らかにおかしいんだよ」
「ああ、そうか・・・・・・。けど、シグさん軍服じゃあ?」
「それなら、俺の部屋にあった服を勝手に借りさせてもらった」
そういえば、ジャンの寝ていた部屋は、元々ハンナの父の部屋だった。
「けど、シグさんうまくごまかせるかな?」
「さあな・・・・・・。あいつの演技力まで知るかよ」
二人が耳を澄ますと、リビングの方から男達の声が聞こえる。
「じゃあ、お前達は知らないと言うんだな?」
「ええ。恐らく昼間のうちに畑から道に上がって走って行ったんでしょう。うちらは農作業しててその時間が家にいなかったんで詳しい事は分かりませんけども。なあ、フィリップ」
「おう、アニキ。その通りだぜ。今日は一日中鍬をふるってたから、きっとその間に戦車が通ったに違いねえ」
シグとその部下が、事情を聴きに来た帝国兵の相手をしているらしい。
「そうか。わかった」
すると、帝国兵もその説明で納得したらしく、その言葉を聞いてハンナもジャンも安堵のため息を漏らしていた。
しかし、次の言葉で二人は凍りつく。
「―――じゃあ、一応、納屋も見せてもらおうか」
「なっ」
当然、それに一番驚いたのはシグで、思わず声を上げてしまう。
しかし、慌てて取り繕う。
「う、うちの納屋には何もありませんよ? 家畜達も食べちまったし。み、見ても面白くもないですって・・・・・・」
「誰も面白いから見ようとしてる訳ではない。貴様の家の納屋、戦車だったら余裕で隠せそうな大きさじゃないか」
余裕のある帝国兵とは裏腹に、対応するシグは言葉から焦りが見える。
この様子では、完全に怪しまれてしまっただろう。納屋を見せなければ、帰ってもらえなさそうな雰囲気だった。
「まずいな・・・・・・。覗かれるだけなら何とかなるが、良く調べられたらお終いだ」
ジャンの呟きに、ハンナは迷わずクローゼットに走っていた。
そして、思いっきり扉を開くと、中身を引っ張り出す。
「えーっと、これでもない・・・・・・、これでもない・・・・・・」
「お、おい。どうした?」
「・・・・・・あった!」
ジャンが唖然とする中、彼女はクローゼットから目的のものを見つけたらしい。
それは、農家の女性が身につける様な緑色のエプロンドレスだった。
「お前、そんな服も持ってたのか」
「ママのお下がりだけどね。ジャン、パパの部屋から適当なコート着て来て!」
「はっ?」
「良いから早く!」
言うが早いか、ハンナは着替えるためにサスペンダーと一緒にズボンを脱いでいた。ジャンは驚いて、慌てて部屋を出る。
「これでいいか?」
軍服の上からコートを着てジャンが部屋に戻ると、ハンナもエプロンドレスに着替え終わっていた。
肩ほどまでの綺麗な髪に、くりくりっとした瞳の幼いが整った顔立ち。ジャンは今まで気がつかなかったが、改めて女の子らしい格好をすると、思ったよりもハンナは美少女だった。
「・・・・・・お前、意外と似合ってるなぁ」
「あ、あんまりじろじろ見ないでよ! ほら来て!」
そう言ったハンナに手を引かれ、ジャンは裏口へ連れて行かれる。
そこから外に出ると、納屋へ向かい、大きな扉を開けて中に入っていた。
すると、二人は扉に耳をつけて、外の様子をうかがう。
外からは、シグと帝国兵の声が聞こえてきた。
「だ、だから納屋には何も無いんですって・・・・・・」
「ほう、ずいぶんと必死だなぁ。本当に何も無いのなら、見せてもらおうか? 意外と面白いものがあるかもしれんしな」
「ああ、待ってください!」
二人の声は、着々と近づいて来た。
未だにシグが何やら説得を続けているようだったが、帝国兵は気にせず向かってくる。
すると、唐突にハンナがジャンの手を引いて、藁で隠してある戦車の前で立ち止まっていた。
「な、なにすんだ?」
ジャンが怪訝そうに問うと、ハンナは俯いて呟く。
「ち、違うから! ぼ、僕、好きでする訳じゃないんだから!」
「はあ? なに言ってんだ・・・・・・?」
ジャンの目の前で、ハンナは真っ赤になった顔でふるふると振りながら、一方的に呟く。
「す、好きとかそう言うんじゃないから! こうしなきゃ、僕まで殺されちゃうかもしれないからなんだから!」
まるで、彼女は自分に言い聞かせるかのようだった。
しかし、その間にもシグが帝国兵を呼び止める声が近づいて来る。
「おい、まずいぞ」
ジャンは扉へ駆け寄ろうとするも、ハンナはその手をとって止めていた。
「―――ジャン、動かないでっ!」
「はっ?」
そして、ジャンが驚いて動きを止めた瞬間、ハンナは目をつぶって背伸びをする。
「立派な納屋だな。さーて、中を見せてもらおうか」
帝国兵はニヤニヤと笑って、シグを振り返る。
シグは真っ青になって、歯を食いしばっていた。
そして、帝国兵が納屋に手をかけると同時に、シグも腰の拳銃に手をかける。
帝国兵は勢い良く扉を開けると共に、シグは咄嗟に拳銃を帝国兵へと向けていた。
しかし、納屋の中に広がる予想外の光景に、二人は同じ様な声を漏らす。
「「はぁ?」」
そこでは、一組の男女が口づけをしていた。
長身の男に合わせるために、小柄な少女が可愛いらしく背伸びをしている。
しかし、シグの様子に気がついた少女が、驚いた様に声を上げ男から離れていた。
「きゃあ! お兄ちゃんどうして!」
それに、シグは慌てて銃を腰に戻すと、話しを合わせる。
「ご、ごめんよハンナ! お、お前達夫婦がここで、その、いろいろしていたのは分かってたんだが、あの、この軍人さんがどうしてもって・・・・・・」
すると、そう言われた帝国兵は、いかにもばつが悪そうに顔をしかめていた。
「いや、俺はそう言う訳では・・・・・・」
「いやぁ、俺が必死だからって凄く見たがってさぁ。俺は二人の時間を邪魔したくなかったんだけど」
シグの言葉に、ハンナは背を向けて俯き、泣きだしてしまう。ジャンもばつが悪そうに頭を掻いていた。さすがに悪くなった雰囲気に耐えられなくなったのか、帝国兵は諦めたようにため息をついていた。
「す、すまん。悪かった。・・・・・・失礼するよ」
そう言うと、帝国兵は許してくれと言わんばかりにシグの肩をポンポンと叩いて戦車へと戻って行く。
その様子を見送りながら、シグは恐る恐る納屋を閉めていた。
すると、戦車に戻った帝国兵の会話が聞こえてくる。
「どうでした車長。納屋には何かありました?」
「気にするな。男女がイチャイチャしてただけだ・・・・・・」
「いいですねぇ。羨ましいっスねぇ」
「何を言う、ああいうのは爆発すればいい! ほら、エンジン掛けろ!」
彼が不機嫌そうにそう命じると、エンジンがかかった戦車は排煙を残して去って行った。
それを聞いて、尻もちをつく様にシグはその場に座り込むと、心の底から安堵のため息をつく。
「はぁ・・・・・・。二人の機転に感謝だなぁ」
砂を払って立ち上がると、シグは再び納屋を開ける。
すると、そこでジャンとハンナは再び口づけしていた。
今度はジャンが腰をかがめ、背の低いハンナに合わせている。
「なななな何やってんだお前ら! 帝国兵はもう行ったんだぞッ!」
「いや、気持ち良かったんでな。もう一回」
ジャンがそう言ってみせると、ぽかんとしていたハンナは、すぐに真っ赤になって頭から蒸気を出していた。
「ぼぼぼ僕そんなつもりじゃないのにぃっ!」
「はははっ、分かってるよ。しかし、減るもんじゃないし」
「ああ、初めてだったのにぃ・・・・・・。こんな形で失うなんて、しかも二度も」
「じゃあ、次は舌も入れてやろうか?」
「もう! 何考えてるんだよッ!」
ハンナは怒りなのか恥ずかしさなのか、きっとその両方なのだろうが、真っ赤な顔で心の底から絶叫していた。
「―――けど、やっぱり帝国軍に追いつかれたな」
しかし、そう暗い声を出していたのはシグだった。
「こりゃ、早めに脱出した方が良いな。すでに囲まれてるかもしれねえ」
「そうだな。今日はゆっくり休むとして、明日、明後日には村を出たい」
「二人とも、行っちゃうの?」
二人で会話を続けるジャンとシグに、ハンナが問う。
「敵がもう来てるんだ。脱出は早ければ早い方が良い。それに、あんまりお前の家にも迷惑かけれねえだろ?」
「けど、戦闘になるんじゃ・・・・・・」
それにはジャンもシグも、お互いに視線を合わせて笑っていた。
「俺達は軍人だぜ」
「ああ、俺達は戦う為にここにいる」
「お前が心配する事じゃねえよ」
しかし、そう言って頭をポンポンっとジャンに撫でられると、ハンナは不服そうだった。
「・・・・・・戦車は、一人じゃ戦えないんじゃなかったの?」
「まあ、そうだが。・・・・・・動かすだけなら、一人でも何とかなるからな」
そう言って、余裕の表情で煙草を咥えて見せたジャンに、ハンナは俯いて呟く。
「―――僕、ジャンと一緒に行くよ」
その言葉に、ジャンは驚いたように目を見開いていた。
「良いのか? 俺を助けるためだったら、余計なお世話だぞ?」
それに、ハンナはしっかりと首を横に振る。
「ううん。僕も、ここにいる意味が良く分からなくなっちゃったから。なにより、パパの土地持ってても、使ってない畑ばっかりじゃ、パパも嬉しくないと思う。だったら、村の人達に使ってもらった方が良いと思ったし」
前向きな言葉に、ジャンも安堵した様に笑っていた。
「よし、わかった。じゃあ、お前の面倒はしっかり見てやる」
「うん。ぼ、僕もジャンのお嫁さんとして、が、頑張るから。や、優しくしてね!」
「は? お嫁さん・・・・・・?」
その言葉に、ジャンは唖然として、思わず咥えていた煙草を落としていた。
何よりもその言葉に驚いたのは、傍から聞いてたシグだった。
「じ、ジャン! お前、変に声かけなきゃいいとか言って、結局あの時プロポーズしてたのかっ?」
「ち、ちげーよっ! な、なにを言ってんだハンナ?」
「え? だって面倒見てくれるって言うから・・・・・・」
「バカっ! 誰も嫁になんて言ってねえだろうが! 居候だ居候!」
「ああ、そう言う意味だったんだ。いや、僕てっきり・・・・・・」
顔を真っ赤にして俯くハンナに、ジャンは頭を抱える。
「お前、もしかして俺の嫁になるかどうかで迷ってたんじゃないだろうな・・・・・・」
「あ、あははっ・・・・・・。だって・・・・・・」
「だーれがお前みたいなちんちくりん嫁にするかっ!」
「ち、ちんちくりんじゃないやい! ち、ちょっと背が低いだけだから!」
「もう、痴話ゲンカは余所でやってくれよ・・・・・・。とりあえず、今日はゆっくり休もうぜ」
やれやれといった具合でシグが二人に声をかけると、二人は心外そうに同時に叫ぶ。
「「痴話ゲンカじゃないっ!」」
翌日。
ハンナはジャンと共に、村へと歩いて向かった。
ハンナが村を出るために、土地を売りに行くのだ。
「いくらで売れるのかな? 僕、相場とか知らないよ?」
「そんなもん俺だって知らねえよ」
隣を歩きながら、ジャンはそんな無責任な事を言う。
「ええー? 安く買いたたかれたらどうするんだよ!」
「どうせ俺が面倒みるんだ。しばらくの間の生活費ぐらいになりゃいいだろ」
「せ、生活費って、家と土地がそんな安かったら困るってば!」
ハンナの案内で、ジャンは村長の家へとたどり着いていた。
村長の家と言っても、他の家と大差ない普通の木造の民家だった。
ハンナが扉をノックすると、恰幅の良いおばさんが出てきた。
「あら、ハインリヒちゃん。こんにちは。どうしたのかしら?」
「あの、村長さんいますか? ちょっと、話したい事があって」
「ええ、あの人なら納屋で牛の世話してるわ。ああ、そうだ! 丁度、お昼の準備する所だったの! 食べて行きなさい!」
「えっ? いや、・・・・・・僕、今日は話だけで」
「遠慮なんてしなくて良いのよ。どうせ大したものじゃないわ。準備しておくわね!」
そう言って、おばさんは家の中へと戻って行ってしまった。
「また豪快なおばさんだな・・・・・・」
「村長の奥さん。良い人なんだけどね。ちょっとお節介なんだ」
二人は、民家に隣接する納屋へと向かう。
正面の大扉を開けて中に入ると、そこには牛に食べさせるための飼料の袋を運ぶ村長と、もう一人知らない男の姿があった。
「こんにちは村長さん」
ハンナが声をかけると、村長は飼料を置いて応える。
「どうしたハインリヒ。またなにか必要なものでもあるのか?」
「いや、そうじゃなくて・・・・・・、その、ちょっと用事があって―――」
「―――うん? お前、この前捕まえた盗賊じゃないか?」
唐突にそう気がついたのは、後ろで様子を見ていたジャンだった。彼が村長と一緒に飼料を運ぶ男を指差すと、男はぎょっとした様に村長の後ろに隠れていた。
「そ、そう言うあんたはこの前の・・・・・・」
どうやら、銃を突きつけたせいで、盗賊の男にとってジャンの印象は最悪らしい。
「何でお前がここにいる? 警察に引き渡されるんじゃなかったのか?」
ジャンが訝し気に問うと、それには村長が応えていた。
「警察が来るにはもうちょっと時間がかかるらしくてな。その間、世話をする事になったんだが、せっかくだから手伝ってもらっとるんだ」
「手伝うって、・・・・・・こいつら盗賊だぞ?」
ジャンの不満げなその言葉に、盗賊の男は村長の後ろから声を張り上げる。
「も、元だ元! 今は飯をもらう代わりに村を手伝わせてもらってるんだ!」
「元、とはいえ盗賊には違いねえだろ? 何か企んでるんじゃねえだろうな?」
「そんなことする訳ないだろ! いまさら三人で何が出来るって言うんだ!」
すると、そんな二人のやり取りに、村長が口を挟んでいた。
「まあまあそういがみ合わんでも。実際、彼らは役に立っとる。そう、悪く言わないでやってくれ」
すると、やれやれと言った様子でジャンは首を振る。
「ま、あんたらが納得してるならいいけどよ。俺は犯罪者を野放しとく気がしれねえよ」
「もう、そうやって誰にでも文句つけないでって!」
そう言って、ハンナはぐいぐいとジャンを両手で押して後ろへと下がらせた。
「で、用事って言うのは・・・・・・、その、土地と家を買って欲しいんだけど」
それには、村長が面食らった様だった。
「―――土地と家? それは、お前のか?」
「う、うん・・・・・・」
ハンナが村長の様子にぎこちなく頷くと、それを聞いて村長は神妙な様子で頷いていた。
「そうか。・・・・・・じゃあ、村を出るんだな」
「うん。ジャンが面倒みてくれるっていうから」
すると、村長はハンナの背後に立つジャンを一瞥する。
「分かった。土地と家は村で買い取ろう」
「えっと、その、お金なんだけど―――」
「―――さあさあ、お昼が出来ましたよ!」
すると、そこで納屋に入って来たのは、村長の奥さんだった。
それを見て、村長は頷いていた。
「なら、食事にしながら話すとしようか」
村長の家のリビングに行くと、すでに机の上に大きな鍋が置いてあった。鍋からはコンソメスープが湯気を立て、それぞれの椅子の前にパンとチーズが並べられていた。
ジャンが遠慮なく椅子に腰掛けようすると、村長に小声で話しかけられた。
「―――ちょっと、お話を宜しいですか?」
神妙な面持ちの様子に、ジャンは無言でうなずくと、村長に勧められるまま、隣の小部屋へと向かう。
「どこ行くのジャン?」
背後からハンナが聞いて来たが、ジャンは軽く手を振って応えただけで、隣の部屋へと行ってしまった。
そこは村長の部屋らしく、ジャンは村長に勧められるがまま、そこにあった椅子に背もたれを前にして腰掛ける。
そして、村長は帽子を帽子掛けへと掛け、ベッドへと腰かけると口を開いていた。
「―――あの娘を、連れて行くのですな」
その言葉に、ジャンは驚くことなく、頷いていた。
「ああ。―――やっぱり、あんたらもハインリヒの事を、女だと知っていたんだな」
それに、村長は笑って応えていた。
「ええ。あの子の事は、乳飲み子の頃から知っておりますから。男の子として扱う様になったのは、父親の悪ふざけからですよ」
「悪ふざけ?」
「ええ。あの子が畑仕事を手伝う様になると、父親がふざけてみんなの前でハインリヒと呼び、あの子を男の子の様に扱うようになりました。そうすると、畑仕事を良くやる様になったと父親は喜んでいたのです」
「なるほどな。あんたらはただ、ハンナは男になったつもりで畑仕事を良くやる様になっただけだと思っていた訳か・・・・・・」
「そうです。しかし、本当は違いました。あの子は父親が自分を男の子として扱う理由を、自分が土地や家を任せられたのだと勘違いしていたのです」
「皮肉なもんだな。そのせいで、父親が死んでからは、ハンナはあんたらを土地を奪おうとしてる奴らとまで勘違いするようになったのか」
「・・・・・・そのとおりです。あの子の父親の亡くなった流行病で、村では子供たちが大勢亡くなりました。そのせいで村の者達は、唯一生き残ったあの娘の事を自分の子供の様に可愛がったのです。しかし、それが余計に警戒させてしまった様で」
残念そうにため息をつくと、村長は改めて真っ直ぐジャンの顔を見て口を開いていた。
「あの子を、どうするおつもりですか? あなたの考えを知りたい」
「俺の国へと連れて行く。そこで、学校へ行くでも、お洒落をするでも、恋をするでも、好きなように何でもさせてやるつもりだ」
「そうですか。・・・・・・今よりも、良い暮らしが出来るのは、保証して頂けそうですな」
すると、村長は頭を拭って立ちあがっていた。
「いずれ、こういう日が来ると思っておりました。あの娘一人では、あの土地は広すぎますからな。代金を一度に支払うのはさすがに無理ですが、あの子の生活費がわりに、少しずつお送りしましょう。当然、適正なお値段をお支払いします」
「わかった。それで頼む」
すると、村長はジャンへと右手を差し出してくる。
「あの娘は、この村の人間みんなの子供のようなものです。しっかり、面倒見ていただけますな」
「ああ。当然だ。―――あいつは俺の命の恩人だからな」
そう言うと、ジャンは村長の手をとって握手していた。
しかし、唐突にジャンが問う。
「だがよ、本当にハンナの親父はそれで良かったのか? やっぱり、土地を持っていてもらいたかったんじゃなかったのか?」
それに、村長は微笑んで口を開いていた。
「あの子の父親は、一度酒の席でこんな事を言っておりました。あの子は美人だから、いずれ貴族の御仁にでも見初められて、その婿になるだろうと。そうすれば、いずれ土地などなくても、あの子は立派な暮らしが出来るだろうと」
それを聞いて、ジャンはだた呆れるしかなかった。
「なんか、あいつの親父に利用された気がするぜ・・・・・・」
その言葉に、村長は声を出して笑っていた。
ジャン達は食事をしながら、土地の値段を話しあった。
ジャンもハンナも相場が分からなかったが、村長の提示した金額に二人とも目を丸くしていた。
「そんな良い値段で買い取ってくれるのか?」
「ぼ、僕もろくに手入れもしてないし。良い土地とは思えないけど・・・・・・」
しかし、村長はスープをすすりながら、笑って応えていた。
「あの一帯は日当たりも良いし水はけも良い。なにより広いから、この位の値段が相場だろう」
「けど、村長さん達にそんなお金あるの?」
「心配には及ばんよ。毎月少しずつジャンさんに送る事にした。ハインリヒの生活費変わりだ」
その言葉に、ハンナはうつむいていた。
やっと村の人間が優しくしてくれた理由を、土地を奪おうとしているのではないと気がついたのかもしれない。
ジャンは無言でチーズ片手にパンを食べながら、その様子を見ていた。
食事を終え、話がまとまると、二人は礼を言って立ち上がっていた。
「ご飯、ありがとうございました」
「ご馳走さん」
すると、村長は思い出したようにボトルを一本ジャンに手渡してきた。
「そうそう。これをどうぞ」
それを見て、ジャンは唖然とする。
「これ、良いブドウ酒だろ? 良いのか?」
「ええ。ハンナの旅立ちのお祝いですから。いつ、村を発つおつもりで?」
「今晩のうちには」
「そうですか。・・・・・・寂しくなりますな」
そういうと、村長はハンナの頭を撫でていた。ハンナもくすぐったそうに首をすくめていたが、ふと思い出したように村長に声をかけていた。
「あの、村長さん。その、ちょっと村の周りを調べて欲しいんだけど」
「村の周りを?」
「うん。昨日、帝国軍の戦車がうちの家に来たんだ。どうやら、ジャン達の戦車を探してるらしくて。・・・・・・だから、もしかして包囲されてるんじゃないかと思って」
それには、村長も難しい顔をする。
「それは穏やかじゃないな。わかった。村の人間に様子を見させよう。日が暮れた頃には報告に行くよ」
「ありがとう」
すると、二人は村長の家を出て歩きはじめていた。
その後ろ姿を見送りながら、奥さんが口を開く。
「なんとも、寂しくなるねぇ・・・・・・」
それに、村長も頷いていた。
「しかし、あの子には幸せになってもらいたい。これで良い」
「けど、あの口の悪い軍人とくっついたらどうすんだい?」
「ふーむ。それはまたちょっと考えさせて欲しいなぁ・・・・・・」
がさごそと草むらが揺れ、軍人は慌てて銃を向けた。
「何者だ!」
「あ、すみません。怪しいもんじゃないんです」
すると、男が一人、草むらから手を上げて出てきた。
オーバーオールに日に焼けた顔、恐らく近くの農民だろう。
「何の用だ?」
軍人はやれやれと銃を背負い直す。
すると、村人は足元に置いていたバスケットを手にしていた。
「いえいえ、帝国軍の軍人さんの姿が見えたもんで、珍しいお話でも聞けないかなと」
そう言って村人がバスケットの上の布をどけると、そこにはサンドイッチが入っていた。
「ほう、差し入れか。いい心がけだな。―――おい、お前ら!」
軍人が後ろに声をかける。
そこには草などで偽装された多砲塔戦車―――T‐16の姿があった。そこには数人の兵士の姿がある。
「差し入れだ。ありがたくもらえ」
そう言うと、兵士達はサンドイッチに飛びついていた。
「いや、ありがてえ。缶詰の飯ばっかりで嫌になってた所だぜ」
「喜んでいただいて光栄です。しかしカッコいい戦車ですねぇ。そう言えば、軍人さん達は何をしてるんですか?」
村人にそう訊かれ、サンドイッチを片手に兵士が応える。
「本当は秘密なんだが・・・・・・。実はこの辺りに敵の戦車が残ってるらしくてな。このまま前進して、兵站のトラックなどを攻撃されたらたまったもんじゃないから、きちんと殲滅しなければならないんだ」
「それで村を包囲してるんで?」
「そうだ。この周辺に新しい履帯の跡が残っていたから、恐らくこの辺りに潜んでいる事は確かなんだ。敵は補給もない様だし、必ず村に寄るはずだ。我々はそこを、この戦車を含めた四両で待ち伏せていると言う訳だ」
「なるほど。で、その四両はみんなこの林の中に?」
「そうだ。この辺は東から村、畑、林という順になっているだろう? だから、村によった敵を、畑のただっぴろいどころに出た所で、この林から狙い撃つと言う事だ。完璧な作戦だろう」
「勉強になります。ああ、けどそろそろ畑仕事に戻らなけならないので私はこの辺で。ありがとうございました」
そう言うと、村人はバスケットを手に立ち去って行く。
「おい、お前!」
しかし、不意に呼びとめられて、村人は足を止めていた。
「な、何でしょう・・・・・・?」
「お前、田舎者の癖になぜ我々の偽装を施された車両が戦車だと一目で分かった? お前、この辺で戦車を見たことがあるな? どこで見た? 隠すと後で酷い目にあうぞ?」
それに、村人はにやりと笑って応える。
「―――確かに、戦車なら見ましたよ」
「なにっ?」
すると、村人は応える代わりに、何か鉄の塊を放り投げていた。
軍人はそれをキャッチする。見れば、それは一枚の小さな履帯だった。
「ちょっと前に、レジスタンス崩れの盗賊達が戦車を持って村に来ましてね。それでしたら、我々がなんとか撃退しましたが、それが何か?」
「ああ。いや、それならいい。行って良いぞ」
村人はそれを聞いて、もう一度頭を下げてその場を去って行った。
ジャンとハンナが家に戻ってくると、シグ達は納屋で何やらしていた。
ハンナが食事を持って行ってみると、彼らは油まみれで、どうやら戦車を整備しているらしかった。
「チーズとレタスとトマト挟んだだけのサンドイッチですけど、どうぞ」
ハンナがそう言ってバスケットを差し出すと、シグを含む部下達は一斉に集まって手を出していた。
「ああ、美味い。やっぱさっき腹ごなしに食った軍用食とは違うなぁ」
「そりゃ、公国軍の固いだけのビスケットなんかとは違うだろ」
「待たされたから余計にうまく感じるんだよ。まったく、ジャンもハンナもどこ行ってたんだ?」
「ハンナがここを発つ準備してたんだ。そしたら、ご馳走になっちまってな」
「ずるいぞ。二人だけで美味い飯食うなんて。いや、サンドイッチも充分美味いけど」
もしゃもしゃ食べながら、シグは不満を漏らす。それに、ジャンはやれやれと肩をすくめていた。
「で、何してたんだ?」
「何って、戦車の整備に決まってるだろ? 今晩には出るんだからな」
「律儀なこった。それでどうなるって訳じゃないだろう?」
「何言ってるんだ。整備しとけば、戦闘中に故障にならないだろうし、まず自分自身が安心できるだろ。だから一応、ジャンの戦車も点検はしておいた」
それには、ジャンも驚いた様だった。
「良くやれたな。公国と共和国じゃ技術が違うだろ?」
「どんな機械も基本は一緒だ。だから調べるだけなら何とかな。まあ、故障してても直せないけど」
「で、故障は?」
「いや、エンジン、駆動系、砲にはなし。外装の砲弾の当たった部分は、一応補強だけしといた」
言われてみれば、シュルクの砲塔に空いた穴には余った履帯が取り付けてあった。
それには、さすがのジャンも感心した様子だった。
「さすがだな。これが軍事大国、公国軍か。用意周到だな」
「徹底してるのは俺らの主義みたいなもんだ。それに一緒に逃げるんだから、足手まといになられないためでもある。それに、あんな所に穴があいてると、お前の嫁さん怪我するだろ」
「よ、嫁じゃないってばッ!」
それには、ハンナが大きな声を上げていた。
それに、ジャンは煙草に火をつけながら声をかける。
「お前も家を出る準備しろよ」
「分かってるよ」
ぶっきら棒にそう言うと、ハンナは空になったバスケットを持って家へと戻って行った。
「あの子、本当に連れていくのか? 戦闘に巻き込むぞ?」
「ここに、一人ぼっちでいさせるよりはマシだ。あいつの事は俺が守る」
「これはまた、立派な騎士様だな・・・・・・」
そうシグが冷やかすと、思いのほかジャンは真面目な顔をしていた。
「ああ。俺は騎士なのさ」
夜になると、どう言う訳か村の人間がちらほらと訪れる様になった。
「ほら、これ持ってお行き。暖かいから」
「それに、これも持って行くと良い。うちで漬けた林檎の蜂蜜漬けだ」
そう言って、村人たちはハンナに次々と防寒着や食料、日用品なんかを渡して行った。
「ど、どうも。あの、もう大丈夫ですから」
ハンナが玄関であたふた対応してるのをリビングから見て、ジャンやシグ達は微笑んでいた。
村人たちは、恐らく村長からハンナが村を出る事を聞いて、やって来たのだろう。
「じゃあね。気をつけて行くんだよ?」
「わ、わかった。ありがとう」
そう言って村人が去って行くと、両手いっぱいに餞別を抱えたハンナはほっとため息をついていた。
「良い村じゃないか」
シグがそれに声をかけると、ハンナは肩をすくめて笑って見せていた。
「みんなお節介なだけだよ」
「けど、良い人達にはかわりねえよ。みんなお前の事を心配してくれてる。心変わりとか大丈夫か?」
様子を見る様なそのジャンの言葉に、ハンナは俯いたものの、首を横に振っていた。
「ううん。僕はこの村は好きだけど、残らない。ここにいても、僕は誰の役にも立てないから。それに、ジャンが連れて行ってくれるんだもん」
「これはまた、胸焼けしそうな程ラブラブだな、ジャン」
「茶化すんじゃねえ」
そう言って、ジャンはシグを軽く小突いていた。
すると、再び部屋にノックの音が響く。
「ほれ、またお前の餞別だぞ?」
「もう、ジャンも茶化さないでよ!」
そう言って、ハンナはドアを開ける。
すると、そこにいたのはあまり見かけた事のない男だった。
「―――えっと、誰?」
「え? 酷いなぁ。俺だよ俺。元盗賊の」
「ああ、村長さん手伝ってた人! けど、そんな人がどうしたの?」
「な、何言ってんだよ。あんたが村の周りの様子を探ってくれって言ったんだろう?」
それを聞いて、ハンナは目を丸くする。
「えぇ? 盗賊さんがやってくれたの?」
「だから元だって、元盗賊! 村の人間は畑仕事で忙しいからな。俺達三人で手分けしてやったんだ」
そう言って、元盗賊の男は懐から地図を取り出して、リビングに入って来た。
一瞬、ジャンの姿を見てぎょっとしたものの、構わずテーブルの上に地図を広げる。
「どうやら、帝国軍はあんたらが村によると踏んでるらしい。それで、村を畑を挟んで西側に囲むように展開してる」
地図の上には四カ所の×印がつけられている。それは村の畑から林へと分散するように展開している。
「戦車の種類はわからないか?」
シグが問うと、元盗賊の男は平然と答える。
「全部、T‐16だった。間近で見てきたから間違いない」
「間近って、どうやったんだ?」
「サンドイッチ片手に持ってったら、喜んでベラベラ話してくれたよ。下手に村に報復とかあったら困るから、毒とかは仕込まなかったけど」
すると、ジャンがポンと男の肩を叩く。男は怒られるかと思ってびくりとしていたが、振り返るとジャンは笑っていた。
「その判断は正解だ。良くこれだけ調べたもんだ」
「い、いや。まあ、あんたに撃たれかけた時、小僧には助けられたしな。その頼みとあらば」
そう言って、元盗賊の男は照れたように笑っていた。
「で、どうする?」
すると、地図を見下ろしながら、シグがそう呟く。それには、ジャンが応じていた。
「こっちの戦力は重戦車1、中戦車1か。敵の戦力は中戦車4。戦力的には負けてるな」
「位置が分かっているとはいえ、敵の陣取りが良い。正面から攻めれば、ただっぴろい畑で的になるだけだ」
「やっぱり、ハンナの土地勘を利用するしかなさそうだな」
「えっ? 僕?」
それには、唐突に名前の出されたハンナが唖然としていた。
「ぼ、僕、ただのシュルクの砲手だよ? 何もできる事なんて―――」
「―――あるんだよ。お前はこの辺りに住んでんだから、土地勘が聞くだろ? どうだ? 何かこの辺に利用できそうなものはねえか?」
そう言って、ジャンに地図を差し出され、ハンナは困った様に眉をひそめていた。
「そんな事、突然言われても・・・・・・。利用できそうなものって、どういうものなのさ?」
「そうだな。高台、茂み、岩、窪地、何か戦車が隠れられそうなものだ」
「あ、だったら川があるよ」
そう言って、ハンナは地図の林の南側を指差す。
「小さい川だから地図にも載ってないけど、この辺」
「深さは?」
「水は数センチしかない。けど、雪解けとか嵐で水量が増えるから、川の周りは溝になってて、・・・・・・って、ジャンは知ってるじゃん、この川!」
その言葉に、ジャンは首をかしげていた。
「ああん? 俺は西の林になんか行ったことねえぞ?」
「何言ってんのさ? この川にジャンは戦車ごと突っ込んでたんでしょ!」
「何言ってんだよ! あれは、南の森の・・・・・・」
そこで、ジャンははっと気がついた。
「もしかして、そう言う事なのか? 使えるかもしれねえぞ、この川」
「え? どういうこと?」
ハンナが首をかしげて問うと、ジャンは笑ってシグと視線を合わせていた。
「ま、明日のお楽しみだ」
すると、さすが軍事大国の人間らしく、シグも合点が言った様に笑っていた。
シグさん登場回です!
シグは元々別作品の主人公の設定なので、頭が回る作戦立案役として描いていました。だから、今回はジャンにどこまで作戦を立てさせるか悩みました。
ジャンが優れ過ぎれば、シグは不要になりますし、シグが出過ぎれば、主人公であるジャンの影が薄くなります。
その辺悩みつつも書きあげたつもりですがどうでしょう?