ep32 皇帝とは何か
「――――ッ。ゼノスッ!」
ゲルマニアはがばっと起き上がる。
隣に眠っているだろう彼を見ようと振り向くが……彼は愚か、そこは自分とゼノスが寝ていたベッドでは無かった。
冷え切った石畳の上で、格子の付いた牢屋でゲルマニアは目を覚ました。
「……ここは」
「――見ての通り、牢屋ですよ。ゲルマニア」
突如声が聞こえ、聞こえた方へと振り向く。
……自分と同じ牢屋の隅っこに、いつもの簡素な服装をしたアリーチェが座り込んでいた。
「ア、アリーチェ様……。という事は、ここは現実世界……」
何故アリーチェがここに、と疑問に思うよりも前にその言葉が口に出る。
最後の一言に、アリーチェが敏感に反応する。
「……やはり貴方も夢を体験していたのですね。……ある一人の騎士の夢を、ずっと」
「――ッ。……まさか、アリーチェ様も?」
ゲルマニアの問いに対し、アリーチェは若干俯いたまま頷く。
「……そんな」
これは一体どういう事なのだろうか。
何故ゼノスの夢を、ゲルマニアとアリーチェは垣間見る事が出来たのだろうか?
――いやそもそも、あれは本当に夢だったのか?
ゼノスの夢であるならば、彼自身が見てきた記憶しか見れなかった筈。……しかしあの夢は、第三者の視点も存在した。
……理解不能。と、言いたい所だが。
先程から発せられる気配に対し、ゲルマニアはその方向を睨みつける。
「――隠れてないで、出てきたらどうですか。一般人を欺けても、私を欺く事は出来ませんよ」
「えっ」
アリーチェが驚きの声を漏らしたと同時、
『……あら、もうバレてしまったのね。残念ですわ』
麗しき声音は、格子の向こう側から聞こえてきた。
今まで何も無かったそこに、人型の影が生まれる。その影は徐々に色を含み、やがて赤いドレスの女性が現れる。
彼女は仰々しく、不気味な笑みを浮かべながら低頭してくる。
「おかえりなさい、悪夢より脱出せし者達。――そしてようこそ。この私、エリーザが織り成す『死の世界』へ」
その身体から発せられる雰囲気に、ゲルマニアは確信を持つ。
「エリーザ、貴方はギャンブラーですね。……この騒動を引き起こした張本人」
ゲルマニアは憎々しげに問う。
「うふふ、左様ですわ。――今の主、マーシェル様の命令によってね」
「……マーシェル」
やはりか。
ホフマンの言う通り、貴族とシールカード勢力は手を組んでいた。……いやこの場合は、マーシェル単体が彼等と競合している事になるかもしれない。
「……目的は何ですか?」
「ふふ、そんな事分かっているじゃないの。シールカードは始祖を奪還する為に戦う。それだけの事ですわ」
さも当然のように答えるエリーザ。
確かにその通りだ。結局の所、シールカードという連中はそれだけの為に活動している。
「……そうですね、では質問を変えましょう。――貴方達は、組織として形成されているのですか?」
核心を突いたその言葉に、周囲の空気は一変する。
ゲルマニアは心の奥底を探るかの様にエリーザを凝視し、エリーザもまた見定める様に、値踏みするかの如く見据え続ける。
一触即発とまではいかないが、両者は警戒し合っていた。
「さあ、どうでしょう。私が言った所で、それが嘘か真かの見分けがつかないと思いますわ」
「なら、その証拠を出して貰いましょうか。――さもなくばッ!」
ゲルマニアは太ももに仕込んでいたナイフを取り出し、それを投擲する。ナイフは格子の間をすり抜け、エリーザ目掛けて飛来する。
しかしエリーザの姿は失せ、ナイフは空を切る結果となった。
『――あら、随分と野蛮な行為に出ますわね。それでは淑女として失格ですわよ?』
「黙りなさい!それに皇帝陛下へのこのような侮辱、決して許されるものではありません!」
更にエリーザの作る悪夢は、屋敷内の人間全てに与えられている事だろう。
貴族や騎士達はおろか、あの六大将軍達でさえも術中に嵌っている。そう捉えた方が現実的だろう。
……皆が今、自らの過去を体験しているのだ。
苦しみながら、このエリーザの手によって。
『威勢がよろしい事で……。面白い、特別に機会を与えてあげましょう』
静寂の中、指を鳴らす音だけが鳴り響く。
「……な」
ゲルマニアは驚きを露わにする事になる。
何と、エリーザはゲルマニア達のいる牢を解放したのだ。
『丁度退屈をしてましたの。皆を救いたければ、せいぜい抗ってみなさいな。……この混沌とした幽霊屋敷で、可能な限り。……ふふ、うふふ……』
最後にエリーザは高笑いをし、気配も徐々に消して行く。
気付けば、牢の隅っこにゲルマニアの大剣が置かれていた。恐らくエリーザがこの余興を盛り上げようと、わざわざ配慮して置いてくれたようだ。……全く、ふざけている。
だがこの場で待っているだけでは、この絶望的な状況は打破されない。
「……くっ」
自らの大剣を持ち上げ、背中に担ぐ。
――今は六大将軍を頼れない。白銀の聖騎士を頼れない。
ゲルマニアだけが唯一戦える存在であり、同時に皇帝陛下を守れる唯一の騎士だ。
自分がやらずして、誰がやるのか。
……ゲルマニアは深呼吸をし、覚悟を決める。
髪をいつもの様に一括りにしながら、牢屋を出る。
「……さ、アリーチェ様。とにかく牢屋から出ましょう。ここも安全とは言えませんし、一刻も早くゼノス達を………………アリーチェ様?」
声を掛けても、手を伸ばしてもアリーチェは反応を示さなかった。
暗い表情のまま地面を見つめ、その手は僅かに震えていた。
「…………先に行ってて下さい、ゲルマニア。今の私では、足手まといなので」
「……」
ゲルマニアは手を引っ込める。
アリーチェは明らかに怯え、苦悩していた。
「ですが、それではアリーチェ様の身が心配です。……さ、お手を」
と、ゲルマニアが再度手を伸ばした時だった。
――パンッ。
甲高い叩く音と共に、ゲルマニアの手に微かな痛みが過る。
そのか細い手を叩いたのは……アリーチェだ。
「――だから、私では足手まといだと言ってるのですッ!」
「……アリーチェ、様」
彼女が怒鳴るなんて、生まれて初めてじゃないだろうか。
息を荒げ、ゲルマニアを睨むアリーチェ。
だがそれも束の間、その目尻に涙が溜まり、涙腺を伝って零れ落ちて行く。もう耐え切れず、嗚咽を漏らし始める。
「…………私は、この短時間で見てきました。……ランドリオ帝国に仕える、最強の六大将軍……その全員の過去を」
「……え」
アリーチェは思いも寄らぬ真実を打ち明ける。
――彼女は聖騎士ゼノスだけではなく、六大将軍全員の過去を見てきた。あの壮絶で、悲しき物語を……。
彼等が最強たる所以、彼等がどうして人智を超えてしまったのか。
……それは紛れも無く、凄まじい絶望を味わってきたからだ。
――アリーチェは見てきた。
――祖父の様な存在と、兄と姉の様な存在を失った少年を。
――弟に、師と門下生達を皆殺しにされた少女を。
――人種差別に遭い、奴隷という宿命を担った少女を。
――妻を奪われ、怒り狂って覇者へと上り詰めた青年を。
――貧困の家族を救う為、貴族の裏社会へとのめり込んだ少年を。
――竜の王を務め、千年以上も人間から虐げられてきた男を。
皆、苦しんでいた。泣いていた。とても弱かった。
でもそれでも、彼等は進んで行った。
負けない思いを心に秘め、いつか訪れる平和と希望を夢見て、自分こそがその体現者になろうと努力し……いつしか最強と呼ばれるようになった。
…………だけど、アリーチェはどうだろうか?
彼女は今でも弱いままだ。皇帝という六大将軍を従える身分にありながら、未だ自分の意思で動く事が出来ない。挙句の果てにはマーシェルという貴族に翻弄され、それでも口を挟む事も出来ない。
……悔しい。
彼等は頑張って乗り越えたのに、何故自分は出来ない?
何故自分は……この少女騎士に、本音を漏らす事しか出来ないのか。
「――助けて。助けて……よおッ」
彼女は涙を流しながら、誰かも知らぬ者に助けを乞う。
その人物が目前の少女に対してなのか?……それとも、今はいないゼノスに対してなのか?
……きっと、後者であろう。
アリーチェは今、ゼノスしか考えられなかった。
彼は憧れの対象、彼は正義の騎士。そしてアリーチェにとって、頼れる人間でもあり、想いを寄せる唯一の人。
弱い自分をどこまでも支えてくれるはずだ。
いつでも、如何なる時でも……
だから自分は、頑張らなくても――
「甘えないで下さい、アリーチェ」
凛としたゲルマニアの叱咤が、アリーチェの耳に入る。
ハッとし、彼女の顔を見上げると……そこにはいつもと違う、険しい表情をしたゲルマニアがいた。
「……ゲルマニア」
「――今の貴方は皇帝陛下です。例えどんなに拒絶しようと……例えどんなに助けを乞いても…………誰も助けてはくれません」
「――ッ」
結局、弱い皇帝は見放される。
アリーチェは自分の意思で即位したわけでは無い。十六歳の少女にとってその地位は半端では無い事ぐらい、ゲルマニアも分かっている。
……だが、このままではいけない。
遠回しにそう告げるゲルマニアだが、それは見損なったとか、もう付き合いきれないだとか、そういった意味合いで告げたのでは無い。
皇帝は誰も頼ってはいけない。強く在るしかない。
それはゲルマニアなりの、彼女に対する問いかけでもあった。
「……道中で考えて見て下さい。――貴方の後ろに、誰がいるのかを」
「………………」
ゲルマニアは強引に彼女の手を掴み、共に牢屋を出る。
行く先は死霊共がうろつく世界。頼れる者は誰もいないその世界に、今二人の少女が立ち向かっていく。
一方のアリーチェは、今度は抵抗しなかった。
ゲルマニアに引かれるまま、ただ茫然としていた。
考えていた。
――自分の後ろに、誰がいるのかを。




