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白銀の聖騎士  作者: 夜風リンドウ
三章 披露宴は亡霊屋敷にて
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ep29 ――継承の時――


 ガイアは走り続ける。




 自分の出せる最大限の力を振り絞って――走り続ける。



 既に雨は止み、地平線の彼方から朝日が立ち昇りかけている。ドルガとコレットと別れて、もう二時間以上が経過しているようだ。



 歩み慣れた岬へと辿り着き、そのまま海岸沿いをひたすら走り続け、目的の桟橋へと向かう。




 ――疲労はもう限界に達している。




 世間を賑わせた英雄も、歳には勝てないものだ。こうして走っただけでも息切れを起こし、心臓が張り裂けそうなのだから。



 ……だが、あともう少しだ。



 桟橋はすぐそこだ。あの崖下の壁を曲がれば、桟橋は――――





 ザシュッ





「――ッ。ぐ、は……ぁッ!」




 突如、ガイアの背中に激痛が走る。



 あまりの痛さに態勢を崩してしまい、浜辺へと倒れ込む。



「ガイアおじいちゃんッ!?」



 身を投げ出されたゼノスは泣きもせず、激痛に苦しむガイアの傍へと寄る。




 ――その背中から、大量の血を流していた。





 背中にはあの女が……セラハの持っていたナタが刺さっていた。





「鬼ごっこはそこまで……ご苦労様。うふ、うふふふ」





 ――案の上、後方にはセラハが佇んでいた。




 全身は真っ赤な鮮血に染められ、始原旅団の持つ戦闘衣は純白の色から一転、紅色になっていた。



 ……その鮮血は、セラハのものだけでは無い。



 鮮血はとある勇敢な騎士達のものであり、混じり気の無い純潔を帯びた血。猛き証であって、その血はどこまでも紅く……生暖かい。



 血はセラハの全身を塗りつぶし――そして、





 ――彼女が両手に持つ長い銀髪と、短い金髪をも染め上げる。





「……………………ッッ!」



 ガイアの視界は一気に歪む。



 今垣間見える光景が信じられなくて、信じたくなくて……これは夢だと。これは嫌な夢だと、目前の現実を否定しようとする。



 その髪は間違いなく――愛しき弟子達の髪であった。セラハはあえて髪を見せつけ、ガイアを絶望の淵へと落とそうとする。



 信じたくない。信じたくないが――



 ……事実は事実なのだ。



 絶望に苛まれるガイアを見て、セラハはニヤリと笑む。



 彼女にとって、人の絶望は蜜の味。人が悲しむ姿は、彼女に至高の喜びを与えてくれる。



「――あの二人、中々の腕前だったよ。特にあの男、しぶとく食い下がってさあ…………。結構時間は掛かったけど、何とか殺してあげたよ」



 詩人が悠長に語る様に、ありのまま全てを語る。



「…………貴様。貴様ぁッ!――ぐっ」



 ガイアの怒りは空しく、激痛には勝てなかった。



 ……無念だ。今日ほどこの老体を恨んだ日は無いだろう。こんな傷一つで、満足に立ち上がれもしないなんて……。



 立ち上がれ……あの頃の自分は何処に行った!?



 冥界の覇王と一騎打ちをした時も、最高神との死闘の時も苦戦した。けれども、それでも自分は立ち上がり、勝利してきたではないか!



 何故立てないッ。何故……何故ッ!



「ふふ、動けない?――でもさ、『あんた』はこれで終わりじゃないよね?私はまだ満たされていない、まだあんたに恋い焦がれている。……さあ、全てをぶちまけよ?」



 セラハはゆらり、ゆらりと近づいてくる。



 まるで悪鬼の如し。その言動と行いは、およそ人間の所業とはかけ離れている。……流石、始原旅団の『忌むべき悪魔』と言われただけある。



「ち、近寄るな!おじいちゃんに何をしたんだよッ!」



「……おやあ」



 ゼノスの叫びに反応し、セラハはガイアの傍にいる小さな少年を見る。



 その少年はガイアにすがり付きながら、涙目の状態でセラハを睨みつけている。勇ましさとは程遠いが、内には秘めたる強い何かが存在している。



 その何かを悟り、セラハはある事に気付く。




「…………その目、ガイアと同じ目だねぇ。……あたしが世界で一番大嫌いな瞳だよ………」




 セラハは憎悪を込めて、ゼノスとガイアに呟く。



「……そうか。嗚呼、そうか。ガイアはよく分かっているねえ……このあたしの為に、美味しい犠牲を一つ追加してくれたわけか」



「……」



 ガイアは息を荒げたままで、答える気は無かった。



 彼はどこまでも冷静に、そして強固な意志をセラハにぶつけてくる。




「――――何だよ、その態度。ねえ、何で襲ってこないのさ?…………ああ気に入らない。気に入らないねえ。……まさか、老いがそこまで体を弱らせているなんてね」




 セラハは顔を歪ませる。



 彼の全てに幻滅し、思い描いていたガイアとは違ったらしい。



 戦いに全てを委ね続けてきたセラハ。喜びも、苦しみも、その全ては戦いから生まれていく。



 だから、聖騎士であるガイアに期待していたのに。



 ……がっかりだ。




 最強の騎士も、今では名ばかりか。




「…………そんなお前に飽きちゃったから、そのガキ諸共すぐに殺してやるよ」



 途端、セラハの声質が下がる。



 恐ろしい程の殺気が周囲を包み込み、セラハは腹立たしげな様子で首を鳴らす。



 ――そして、一直線にこちらへと向かってくる。




「……シネ」




 セラハは拳を握り締め、ガイアとゼノスを殴り殺さんと掛かってくる。



 早い。傷を負っているにも関わらず、何て速さだ。



 今のガイアは深手を負っていて、その速さには付いて行けない。どう抗った所で、このまま行けば殴り殺されるだろう。




 

 ……だが、ガイアは恐れない。





 まるで勝利を確信したかの様に、薄く笑む。



 …………セラハ。お前には分からないのか?





 お前の背後に――――お前にとっての『死神』がいる事を。





 ……ようやくセラハもその殺気を感じ取った。



 そして振り返ろうとする直前――――

 





「――死ぬのはお前じゃよ、セラハ」






「……は?」



 セラハはその声を聞き、呆気に取られる。



 それはガイアとはまた違った、しわがれた声。しかし抗いきれぬ覇気が含まれており、セラハの殺気はその覇気によって掻き消される。



 ……その現象は一瞬だった。






 かの声音と共に、セラハの両腕は瞬時にもぎ取られる。






「――――――ッッ。あ、あああああああああああああああああッッ!」



 さあ、今度はセラハが苦しむ番である。



 絶叫を鳴り響かせ、彼女の血潮は白き浜辺に舞い散る。



「い、痛い……痛い、よお…………」



 セラハの声は一変、年頃の少女らしき声音に変わる。



 ――だがそれでも、しわがれた声の主は容赦などしない。



 ドルガ以上に大きな体を持つ声の主――アルバート・ヴィッテルシュタインは、怒涛の勢いでセラハへと接近し、その脇に蹴りを入れる。



「ぐ、あ…………」



 重い。とてつもなく重い。



 セラハの脳が揺れ、肋骨を何本も折られる。



 その身体は吹っ飛びそうであったが、アルバートは更なる攻撃を加える。



 彼女の首を掴み、力強く締め上げる。



「かッ……は」



 本当に容赦がない。



 心を鬼にしたアルバートに、孫娘への思いやりは皆無であった。





「…………これも運命じゃ。――死んでくれ」





 ――アルバートは、何の感情も出さないままそう告げる。




「あ…………お、おじい……ちゃ…………――――ッ」




 彼女は何かを言おうとする。



 ――だが、はっきりとは言えない。口に出せないと分かったセラハは、乞う様な瞳をアルバートにぶつけてくる。




「ッ。――――はあああああああああああああッッ!」




 アルバートは慈悲を投げ捨てる。





 セラハが言い終える前に、アルバートは残酷にも彼女の心臓を手で貫く。





 それで終わりだった。あのドルガやコレットでさえ弄ばれ殺されたのに……アルバートはセラハを他愛も無く仕留めた。





「…………全く、相変わらず……非道な男、だ」





 ――そう、全ては必然。ガイアは最初から分かっていた。



 この親友が来てくれると理解した上で、勝利を確信していた。




 …………しかし、




「うっ……ごほッごほっ。……はあ、はあ……」



 セラハの死体を打ち棄て、アルバートがガイアの容態を見る。



「……傷が深い。聖騎士であろうお前が……なぜ」



 アルバートは変わり果てた友の姿を見て、愕然とした思いで呟く。



 彼の知るガイアは、それはもう気高く素晴らしい騎士の一人であった。どんなに傷付いても立ち上がり、意にも介さず敵へと向かっていく。




 それこそが白銀の聖騎士、ガイア・ディルガーナ。




 だが今目の前にいる老人は……アルバートの知るガイアでは無い。




 これではただの老いぼれだ。




 ――認めたくない。これが宿敵の末路など……断固として。




「……老いには勝てぬものだよ。…………というか、お前の方が……異常だよ」




 ガイアはその思いを察したのか、静かに答える。



 薄々感じてはいた。



 日々自分の身体が衰えている事を。ここ最近では剣を振るう所か、歩く事さえやっとなものだった。



 すぐに息切れを起こし、事あるごとに古傷が疼く。




 ――そして最後に、セラハの一撃。




 老人を殺傷する力としては、十分なものであった。



「……もういい、話すんじゃない。とにかく傷の手当だけでも」



 と、アルバートが手当をしようとした瞬間。




 ガイアは震えるその手で彼の腕を掴み、首を横に振る。




「……無駄だよ。傷は思ったよりも……深いようだ。…………それに、私がこうなる事ぐらい……君も分かっていた、だろ?」



「…………」



 アルバートは無言のまま、荒い溜息を吐く。



 ああそうだ。そんな事、話を聞いた時から承知していた。



「――じゃが、お前はまだ生きとる!何を死に急ぐ必要があるッ!?」



「……死に急ぐ、か」



 ガイアは朝焼け空を見上げる。もはや視界は霞んでいて、その雄大で美しい光景を堪能する事は叶わないが、それでも見上げ続ける。




「…………なあ友よ。……これは、『必然』なんだよ」




「必然、じゃと?」



「ああそうだ。……私が死に行く時は、今ここに。――そして、次なる世代が活躍する時が、今ここから……始まるのだよ……」




 そう言ってガイアは懐を漁り、ある古びた書物を取り出す。




「……ゼノ、ス。どこに……いる?」



「ここだよ……うぐっ。ちゃんと目の前に…いるよ」



 ゼノスは涙声のまま、小さな手でガイアの手を握り締める。




 一方のガイアは、既にゼノスの姿も見えていない。だがその手の温もりを感じ、近くに居るのだと認識する。




 ――生の灯が消える直前。まだ幼いゼノスでも、ガイアという大切な存在が死ぬのだと分かっていて、嗚咽を漏らし続ける。




 涙が止まらない。悲しみが消えない。




 ……でも、ここで泣き叫ぶ事は出来ない。



 今ガイアは、ゼノスに何かを渡し、何かを伝えようとしている。



 ……ゼノスはぐっと堪える。ガイアの期待に応える為にも……ジッと。



 書物を持つガイアの震える手は、ようやくゼノスの胸元へとやって来る。渡し終えたガイアの手は、そのまま地面へと落ちる。




 一刻、また一刻と。




 彼の生命が、段々と消えて行く。







「…………いいか、ゼノス。……これから先、お前は様々な困難に出会うだろう。……喜びもあれば、苦しみもある。そして……人生に迷う時が、必ずやって来る筈……。その時はこの本を、その目で括目するがいい……」







 人生は長い。長ければ長い程、辛い事は沢山ある。



 ゼノスは騎士になりたいと言った。あの誇り高くも、どんなに苛酷な運命をも跳ね除ける、あの悲しき存在に。



 結局の所、ガイアはゼノスに何も教える事が出来なかった。勿論幼いからこそ教えなかったという理由もあるが、重要な所はそこでは無い。



 ――出来る事ならば、ゼノスには普通の人生を歩んで欲しかった。



 ガイアには分かるのだ。この少年の本質が……手に取る様に分かってしまったのだ。






 ……ゼノスは戦いに向いていない。彼は優し過ぎる。






 この先過ちを犯したら、ゼノスという騎士は間違いなく壊れるだろう。



 ガイアはそんな騎士の人生を歩んで欲しくない。――それは今でも思っている事。




 ……だが、やはりこれも必然なのだ。




 聖騎士ガイアの死により、ドルガとコレットの死により……ゼノスはこれから、一人で生きていかなければならない。



 ――そうなれば、いつか必ず騎士になってしまうだろう。



 だから、ガイアはこの書物を託した。この書物には騎士道精神の何たるかを自身の手で執筆し、書き上げた物だ。



 騎士道精神、剣術の心得、騎士としての基本的な作法。





 ――そして、『聖騎士流剣術の心得』と『聖騎士の鎧の在り処』も――





 ……今ここに、聖騎士ガイアは全てを託し終えた。



「――ッ。はあ……はあ」




 駄目だ、もう何も見えない。何も感じない。




 死の恐怖が、ガイア・ディルガーナに襲い掛かってくる。



「ッ。おじいちゃん、しっかりしてよ!」



 ゼノスは一生懸命ガイアの身体を揺さぶる。一方のアルバートは、友の死をただジッと見据えていた。




「…………は、はは」




 ふと、ガイアは微かな笑いを零す。



 罪悪感で満ち溢れるこの心。ドルガとコレットの死を悔やみ、聖騎士としての宿命を果たせなかったこの自分を笑う。



 何と情けない事か。




 ――自分の人生は、呆気なくも寂しいものだった。







「……すまないなあ、ゼノス。…………聖騎士としての宿命を…………どうか、どうかお前の手で……終わらせて……く、れ……」














 …………。





 ……。









 その瞬間、一つの生が消える。






 眩い朝日と共に、その魂は天へと召されていく。







「おじいちゃんッ!おじいちゃんッ…………うあああああああああああああああああッッッ!!」









 ゼノスの絶叫が、浜辺中に響き渡る。







 ……嗚呼。















 白銀の聖騎士ガイア・ディルガーナの人生が、今幕を閉じた。














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