ep27 ――戦の先にあるものは――
「……別れは済んだのかい、お二人さん?」
静寂が世界を埋め尽くす中、セラハの歪な声が静寂を打ち破る。
二人にとってその響きは、悪魔の誘いと同じ。形容し難い恐怖が込み上がり、微かな吐き気を催させる。叶うならば脱兎の如く背を向けて逃げ出したいぐらいだ。
――しかし、彼等は決して逃げない。
逃げるぐらいなら死を選ぼう。セラハと言う悪魔に戦いを挑み、呆気なく死んで行こう。
ガイアとゼノスの為になるならば、喜んで。
あの笑顔を絶やさない為にも…………戦う事を選ぼう。
「……よおコレット。覚悟は出来たかよ?」
「とうに出来てるわよ。でかい図体しといて、心の弱いドルガと一緒にしないでほしいわ」
「はは……そいつは酷い言い草だぜ」
互いは言葉を交わし合う。
いつもと変わらぬ口調。コレットは強気でいて、ドルガはそれを心配する。……ああ、いつも通りだ。
今から死ぬかもしれないのに――――驚く程落ち着いている。
「……じゃあ、ちょっくら行くか」
何気ない一言。
変わらぬ声を発しつつも、彼は地を駆け抜ける。
タイミングはほぼ一緒だった。コレットもまたスカートを翻し、その場から大きく跳躍をする。
向かう先はただ一点――セラハのいる場所だ。
「……ほう、早い」
セラハが言い終える頃には、既にドルガが彼女の目前へと立ちはだかり、腹を斬らんと、大剣を横薙ぎにしようとする。一方のコレットは宙からセラハを身下ろし、彼女の頭蓋骨を粉砕しようと剣を構える。
二方向から襲い掛かってくる死の一撃。セラハの見る限り、始原旅団の幹部クラスと同等……いやそれ以上の力を秘めているかもしれない。
このスピード、この覇気、そしてこのコンビネーションは素晴らしいとさえ思ってしまう。
「――だが、それでも甘い」
セラハはそう呟く。
そう、全てが甘い一手である。
幹部クラスの連中はどう感じるか分からないが、このセラハにとっては……児戯にも等しい。
まず彼女は、迫り来るドルガの大剣を片手で受け止める。
「――なにッ」
「おいおい、この程度かい。……なら、上にいるお嬢さんはどうだろうかねえ」
今度は上を見上げ、今にも突き刺さんとするコレットを見据える。
突き下ろされる切先。愚直なまでに、しかし迅速な刺突が降り下りてくる。
……しかし、尚もセラハは受け止める。
その口で、読んで字の如く『食い止めてみせた』。
「……え?」
「……はッ」
セラハは嘲け笑う。
所詮はこの程度か、グラナーデ騎士団。今まで沢山の戦場を彷徨ってきたが、今日ほど楽な戦いは無い……そう雰囲気が物語っていた。
――今度はセラハの番である。
彼女はナタを持つ手に力を込め、思いっきり振り上げる。
「くっ!」
コレットは苦悶の声を上げ、自らの剣を見捨ててその場から飛び退る。振り上げられたナタは容赦なくコレットの利き腕を斬りつけていた。
「ぺっ。鉄の味は上手いけれど、それは血の話だけだね」
セラハはコレットの剣を吐き捨てる。
「……ねえ、色男。この後はどうしてくれるんだい?」
「ちっ。んなの知るかよッ!」
そう、知った事では無い。
ドルガは本能のままに、大剣を一旦手放す。
何も剣術だけが取り柄なのでは無い。ドルガは拳術に関しても騎士団の中で群を抜き、正直剣術以上に秀でている。
ぐっと拳を握り締め、片足を軸に裏拳の体勢を取り――放つ。
剛腕に見合った力強い一撃がセラハの顔面を射止めるが、しかしセラハはそれさえも受け止める。
「うふふ……はずれ」
「――化け物みてえな女だな」
「ありがと、褒めてくれて。……おっと」
セラハは一瞬で見切り、飛来してくるナイフをかろうじて避ける。
ナイフを投げたコレットは更に投擲を繰り返すが、全ては空を切るだけであった。優雅に、そして踊る様にセラハは回避していく。
「あはは、まるで曲芸師だねえ!これで金でも取るつもりかい!?」
「……そうね、それもいいかもしれない。――けど」
コレットは冷静に答える。
冷静沈着のまま、両手をくいっと後ろに引く。
「――それは、貴方を殺してからにするわ」
途端、飛ばした筈のナイフ達が立ち止まる。
そしてバネの様に弾け、見えない何かによって操られるように動く。
ナイフは方向を切り替え、再度セラハに襲い掛かってくる。
「へえ、白い糸か何かで操っているわけか」
後方から飛んでくるにも関わらず、それでもセラハは余裕の表情である。
「ふふ……残念だけど、こんなのいらないよ!」
ナタを団扇の様に仰ぐセラハ。
そこから生じる剣風がナイフの軌道をあっさりと変更し、持ち主であるコレットの元へと向かう。
――避ける暇も無し。無数のナイフが、コレットの全身を貫く。
「――――か、は」
「コレット!……てめえッ!」
ドルガは逆上し、大剣を拾って再びセラハへと斬りかかる。
今度はセラハもナタを構え、ドルガの大剣と切り結ぶ形をとる。両者の力はほぼ互角であり、放たれる一閃が両者の全身を痺れさせる。
しかし、これで終わりでは無い。
両者は血を求め合い、自分の刃に潤いを与えようと挑み続ける。火花が飛び散り、甲高い鉄音が何度も響き渡る。
呼吸よりも早く、彼と彼女は剣閃を重ね合う。
「あははっ、何だやれば出来るじゃないか!その力は怒りから来るものなのだろう、苦しみから来るものなのだろうッ?」
セラハは興奮しながら問いかける。
――狂喜乱舞。そこには上品さの欠片もありはしない。
獣の様に暴れ狂い、憎悪と怒りを抱く。目前のドルガがその全てに当てはまるので、セラハは非常に歓喜していた。
こうして刃を重ねられるだけで……至高の喜びに駆られてしまう。
「てめえ……へらへらと笑ってんじゃねえぞッ!」
他方のドルガは、怒りに身を任せていた。
荒い太刀筋ながらも、どこか洗練された剣術はどこに行ったのか。振るわれる全てに覇気が籠っておらず、まるで棒を振り回すかの様だ。
セラハはナタを振るうのを止め、防御態勢に切り替える。
一体何を考えているのか……不気味な笑みを浮かべながら、ドルガの剣を受け止め続ける。
どんなに激しい一撃も、ただジッと。
「――てめえのせいで、どれだけの人達が死んだと思っている。俺の親父を、母さんを、弟達を…………てめえはぁッッ!」
「あはははははははッッ!何を怒る必要があるんだい、そんなの当然の摂理だろう?――強きが生き残り、弱きは死ぬ。赤ん坊でも知っている事だよ!」
じゃあドルガの大切な存在は、そんな理由で死んだと言うのか?
だとしたら、何て酷な話なのだろう。
それではまるで……ゴミを駆除された事と、何も変わらないじゃないか。
「………………正気か?」
ドルガからすれば、頭がおかしいとしか言い様が無い。
彼女の一挙一動が摩訶不思議で、全く以て想像がつかない。
「――いや正気じゃないよ?あたしは最初から狂っている。子供の頃から、いや生まれた時からねえ」
セラハは彼の一撃を受け止め続けながら、口の端を吊り上げてみせる。
ナタを押し出し、ドルガの体勢を崩しに来た。
「――ッ」
慌てて体勢を直そうとするが、ぬかるみに足を取られ、反撃に移れる状態では無い。
「ねえあんた。もし生まれた頃から『縦社会』の苦しみを味わされたらさ……あんたはどう思う?」
冷静な口調ながらも、ナタを振るうその手は止まらない。
ガイアは答える事も出来ず、ただ防戦一方の状態を強いられていた。
「…………あんたには一生分からないだろうねえ。あたしのこの苦しみが……あのアルバートと比べられた、あたしの苦しみがなああああああッッッ!」
「――くッ、あ」
彼女の追撃が、急に激しさを増す。
ナタを大振りに振るったかと思えば、今度は巧みな動きで最小限に急所を突いて来る。あまりにも唐突な変貌に、ドルガは成す術も無い。
そしてドルガの大剣が弾き飛ばされ、彼方森の奥へと消えて行く始末――
手持無沙汰の彼に対し、無慈悲なナタが振るわれようとする。
これは避けられない。
「…………」
ああ、もう終わりか。
このまま死んで行くのだろうか。――何も成せずに。
世界が遅く感じる。感覚的な回路がイカレたのか、はたまた死の訪れを予兆していると受け取っていいのか。
分からないが……全てが遅くなる。
セラハの行動も、地に落ちる雨粒達も――
――そして、見たくなかった光景も――
「…………」
……刹那、視界が真っ赤に染まる。
混じり気の無い純粋な紅色の液体が、ドルガの頬へと飛び散る。
………………鈍重なる世界で。
…………彼女は薄く微笑む。
銀髪を鮮血で染め上げ、漆黒のドレスに紅色が刻まれる。
「……あ、ああ」
――ナタの脅威からドルガを守ったコレット。
最後の力を振り絞って……ナタの餌食となった。
「……コレッ……ト……」
見たくなかった光景――それは、愛しい女性の無残な姿。
泣き叫びたかった、すぐに彼女の元へと走り寄り、泣きながらその身体を抱き締めてやりたかった。
――――でも
それは彼女の望む事では無い。何故彼女が自分の為にその身を犠牲にし、死を選んだのか?
……それを考えると、泣く事は許されない。
ドルガは唇を噛み締める。様々な思いを押し殺し、コレットという女性から授かった希望を――セラハへとぶつける。
倒れ伏す直前のコレットの手から、彼女がずっと愛用し続けてきた剣を拝借する。
剣を握る手に力を込め、茫然と佇むセラハへと突撃する。
「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」
叫ぶ。声が枯れる程叫び上げる。
遅い世界を打ち破り、時はまた元の速さを取り戻していく。
あの二秒か三秒かの世界で味わった苦しみを糧に……今、ドルガとセラハは激突する。
激しい剣戟の音色が鳴り響く。目まぐるしい攻防は止む事を知らず、二人の殺意が止む事を知らず。
憎む。悲しむ。あらゆる負の感情が、二人を渦巻く。
このまま終わらないかもしれない。この戦いは、双方が引くまで止まないかもしれない。
……しかし、それは幻想に過ぎない。
終わりは唐突にやって来る。
肉を貫く音――それを期に、世界は静寂に包まれる。
「…………ごふッ」
極限なるせめぎ合いの末に……先に吐血したのは、セラハであった。
ドルガの持つコレットの剣は、見事彼女の腹部を貫いている。大量の血がセラハの腹から吹き出て、当のセラハは苦痛に顔を歪ませる。
――だが、ドルガもまた同様。
セラハとの同士討ちという形で――彼もナタで斬り裂かれていた。
「ごほ…………く、くく……やる、じゃないか」
「ぐっ……あ……あああッ」
ドルガは激痛に駆られ、その場でのたうち回る。
「……でもさ、あんたはこれで終わりだよね?……ふ、ふふ……仲良く死んで行くんだねえ」
一方のセラハは何とか立っているが、それでも腹の傷は致命的だったらしい。腹部を手で押さえ、余裕の無い笑みを見せる。
この時点で、勝敗は決していた。
「――ッ。ま、て……待て……え」
セラハは足を引き摺らせ、その場から立ち去ろうとする。
待て、逃げるなセラハ。
ドルガは追いかけようとする。その足で、その意思で――
……もう、死の間際に立っているというのにも関わらず。
「…………ぐ、ああッ!」
ドルガは転倒する。
泥の水溜りに落ちて……そして熱が冷める。
悟る。悟ってしまった。
――自分は負け、もう死ぬ運命にあるのだと。




