ep26 ――例え死が確実だとしても――
ガイアは雨具を着こみ、ゼノスを抱き抱えながら歩を進める。
自分の家を出て、歩き慣れた街道を進んで行くと……目前に誰かが佇んでいる事に気付く。
立ち止まり、その誰かと対峙する。
――始原旅団特有の戦闘衣、それを着崩し、何とも艶めかしい服装でいるその女性は……ガイアの知る人物だった。
「……奇遇だな。こんな所で昔馴染みの貴殿と出会うとは…………散歩か?」
「うふふ、出会い頭に失礼な事を言う。――今のあたしの立場を理解しているならば、大体想像がつくだろうに」
その女性は不気味に微笑みながら、持っている大きなナタを肩に乗せる。そのナタは既に血塗れであり、血が肩を伝うが……女性は嬉しそうに血を拭きとり、舐める。
「全く想像つかないな。――始原旅団副首長であるお前が、何故前線を離れてこんな場所にいる?……今の私は、お前に関わる程価値の無い人間だぞ」
「く、くく……あは、あははははははッッ!全く、そのくそ真面目な性格は治ってないようだねえ?」
彼女は嗤う。腹の底から響かせ、さも愉快に……。
嗤い続けた後に、舌なめずりをしながら近寄ってくる。
一歩、また一歩と。まるで獲物を狩ろうとしている蛇の如く、相手を魅了するかの如く、ガイアを見据える。
「――それを決めるのは、あたしの勝手だ。ただ来たかったからここに来た……普通の男なら、それでイチコロなのだけれど?」
「生憎、私は色気に惑わされる歳でも無い。……ではな、人殺しも程々にしとけよ」
そう言って、ガイアは何事も無かったかの如く過ぎ去ろうとする。
……だが副首長の隣を横切る瞬間、
「――待ちなよ、冴えない男。せっかくあたしが来てやってんだ……話の一つぐらいは聞いてくれよ?」
「……」
ガイアの首元に、鋭いナタの刃が当てられる。
一瞬でも動いてしまえば、ガイアはナタの餌食になるだろう。
「……私は忙しんだ。手短に願おうか」
ガイアの冷たい突き放しに、副首長の笑みは更に増す。
「おや、本当につれないねぇ。……あんたはもう分かっているんだろ?このグラナーデ王国は――――あたし達の手により、既に崩壊したって事ぐらいはさ?」
「……」
分かっている、そんな事は。
国王や民達の気配も消え失せていて、始原旅団がグラナーデ王城を占領した事も……全て分かっている。
無言を肯定と受け取ったのか、副首長は更に言葉を続ける。
「でもさあ、ほんっとこの国の武人達は弱いねえ。あたしの太刀を受ける者も無く、呆気なく死にやがったッ!せっかく熱い戦いをしたかったのに!あたしの血液が誰かの手によって噴出したいと、心から願っていたのにッ!」
「……狂人よ。何を望む?」
ガイアが神妙に尋ねると、副首長は目を剥き出しにして振り向いてくる。
もはや、人としての理性を失い欠けている表情だ。
「――ねえ、あたしを満たしてよ。あんたなら、このあたしを満たせると思うんだ……」
副首長はナタをそのままに、ガイアへと抱き着いてくる。
甘い吐息をガイアの頬に吹き、その手をガイアの胸に押し当てる。さながら恋人の様な仕草だ。
「……嗚呼、楽しみ。こうして互いが感じ取っている血の温かみが、互いの皮膚にかかり合うんだね……。嗚呼、どきどきする……あたしはあんたに恋をしたのかもしれないッ!あは、あははッッ!」
それが愛ならば、何とも歪んだ恋心なのだろうか。
彼女は初めて出会った時と同じままだ。幾年かの時を経て、こうして美しい少女へと成長したにも関わらず……異様な言動と態度は直っていない。
――始原旅団で育ったのだから、当然の結果…か。
「……哀れだな、副首長セラハ。祖父アルバートに愛情を注がれず、遂に気でも狂ったか」
「そうかもしれないなあッ!でも、今はそんな事どうでもいい!さあ楽しもう、二人で、鮮血で繋がった愛を示そう!さあ……さあ!」
副首長――セラハは狂気に満ちた笑みで迫る。
セラハのナタは一度ガイアの首元を離れ――勢いよくナタを振り下ろす。今度は寸止めでは無く、間違いなくガイアを斬る覚悟でいる。
戦闘は免れない。――そう思った瞬間だった。
ガインッッ!
――何と、ナタは横からの受けによって防がれた。
ナタを抑える剣と大剣――その持ち主は言わずもがな、
「……よお。爺を痛ぶるのも大概にしとけよな」
「――師匠、間に合って良かった」
そう、ガイアを守ったその二人は……ドルガとコレットだった。
「――お前達」
二人が生きていたのは知っていたが、まさか自分を助ける為に来るとは思ってもいなかった。
ガイアは困惑しながらも、どうにかセラハから距離を離す。
「……誰、あんたら?」
セラハは気が削がれ、憎々しげに両者を見つめる。
「はっ、てめえに語る名はねえよ。……それよか聞いたぜ。あんた、始原旅団の副首長なんだろ?」
ドルガの大剣に力がこもる。ぐっとナタを押さえ付け、今にも折らんとする勢いで。
セラハはコレットの胸元、ドルガの肩当てに刻まれたグラナーデ紋章を見て、合点がいく。
そして、また下卑た笑みを見せる。
「ああ、成程ね。……さしずめ国を失い、怒りの矛先をこのあたしに向けている……それが今の状況かねえ」
「その通りよ。――祖国を屠ったその罪、万死に値するわ!」
コレットは隙を見て、裾から仕込み刀を取り出す。
剣を持つ反対の手で逆手に持ち、セラハの心臓目掛けて刺突する。
しかし、相手の反応は更にその上を行く。セラハは後ろに跳び退り、その攻撃を軽く回避する。
「おっと危ない危ない。……うふふ、まあいい。そんなに死にたければ、まずはあんた達から殺してあげる。――ガイア、あんたとの逢瀬はまた後に」
ガイアを見つめるその瞳は、殺意に満ち溢れている。
まるでこの二人は眼中に無いと言わんばかりに。いや実際、二人とセラハの実力差は歴然としている。
「……お前達、ここは引け。今のお前達では、このセラハには太刀打ちできないぞッ!」
ガイアは必死に彼等を止める。
太刀打ちすら許してもらえず、このままでは弄ばれて殺されるだけだ。アルバートの孫娘だけあって、その実力は愚か……潜在能力も底知れない。
絶対に勝てない。――だから頼む、お前達だけでも――
――お前達だけでも、逃げて欲しいんだ――
こんな老害の為に死ぬなど、在ってはならない事だ。
……こんな何も守れない人間に、若い命を絶やす必要は無いはずだ!
ゼノスだけでなく……お前達二人も大切な存在。
――だから、だからッ!
「……そんな泣きそうな面すんなよ、爺」
「……え」
ガイアの唖然とした表情を他所に、ドルガは振り向かずに告げる。
「ゼノスを逃がすつもりなんだろ?だったら手伝ってやるから、さっさと逃げろよ。――ここは、俺達が死んでも止めてやる」
「――ッ。お前達が死ぬ必要は無い!私は死んでも構わないが、お前達にはまだ未来がある!……それに、私は」
ガイアは何かを言おうとしたが、その続きは口に出せなかった。
ドルガとコレットから発せられる殺気に、これ以上口を挟む事が出来なかったからだ。
「……ごめんなさい、師匠。私達も出来る事なら、ゼノスが立派に成長するまで見届けたかった。…………けど」
二人は、セラハに切先を向ける。
収まらない殺気と、気高き意思を胸に――その言葉を紡ぐ。
「「――騎士の誇りにかけて、祖国と大切な者達を救いたい」」
「………………」
……嗚呼、そうか。
ここでガイアは、改めて確信した。
例え何を言っても、二人が思いとどまる事は無いだろう。今彼等が持っている感情は、騎士として当然の物。ガイアもよく知っている馴染み深い意志。
――今彼等は、ガイアとゼノス、そして祖国を守る為に……戦おうとしているのだ。
「…………ッ」
ドルガとコレットに対して、告げる言葉は何もない。
――と、ガイアが去ろうとした瞬間だった。
「ん…………あれ。ここどこ?」
眠気眼のまま、ゼノスが起きたのだ。
ゼノスは周囲を見渡し、視界にドルガとコレットの背中を見つけると、笑顔で手を振る。
「あ……ドルガ兄ちゃん、コレット姉ちゃん!今日も遊びに来たの?」
ゼノスはただ無邪気に彼等を呼ぶ。
何も知らず、何も考えず……。
「――ッ。よ、よおゼノス。いや悪いな、今日はそれどころじゃねえんだ」
ドルガはセラハに意識を集中させながら、ゼノスに対して微笑みながら答える。……驚いた事に、セラハからは何も仕掛けてこない。まるでこの悲劇を楽しんでるかの如く、不気味な笑みを浮かべながら傍観していた。
「そうなんだ……。じゃあコレット姉ちゃんはっ?また歌を教えに来てくれたの?」
今度はコレットに尋ねるが、彼女からの返答も素っ気ないものだった。
「ごめんね、ゼノス。……今日はお姉ちゃん達、忙しいんだ」
コレットもまた曖昧な笑みを浮かべ、すぐにセラハへと向き直る。
ゼノスは悲しげな表情をする。また何かを言おうとしているが、これ以上は時間が惜しい。
――全てを決断し終えたガイアは、ゼノスを抱えてその場から走り去る。
「おじいちゃん?」
「ゼノス、しっかり掴まっているんだッ!」
切羽詰まったガイアは、ゼノスの疑問を跳ね除けて疾走する。
ゼノスは何が何だか分からないまま……どんどん小さくなっていくドルガとコレット達に、大きな声で叫ぶ。
「――ドルガ兄ちゃん、コレット姉ちゃん、お仕事頑張ってね!それが終わったら……また今度遊ぼうよ!」
果たしてその声が、二人に届いたかどうかは分からない。
――だが最後に彼等は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた様に見えた。
画像掲載サイト「みてみん」にて、「ドルガ」のイラストを投稿いたしました。参考までにどうぞ→http://6886.mitemin.net/i74956/




