ep13 誰も知らぬ、過去の誓い
ある夜の事である。
この日、アリーチェは懐かしき思い出の夢を見た。
前々皇帝が存命だった時代、つまりアリーチェの父が未だ君臨していた頃の話である。……という事は、約五年前の事だろうか。
当時十一歳であったアリーチェは大変遊び盛りで、まだ帝国の内政や外交の事など何も知らなかった。ただ無邪気に笑い、上流騎士階級の子供達と城内を遊び回り、内緒で城を抜け出し城下町で遊んだ事もあった。
――夢の始まりは、城下町で鬼ごっこをしていた時からだった。
父王が会議を開いていた時を狙い、最も警備が少ない時間帯に秘密の抜け穴から外へと繰り出し、アリーチェは鬼ごっこをし、精一杯鬼から逃げていた。
慣れぬ路地裏を駆け巡り、人混みの多い通りを走り抜けていくと……彼女は鬼ごっこの範囲内から抜け出してしまい、城門前へと直通している大通りへとやって来てしまった。
何やらパレードが行われているのか、大人達が道の中央を空けていて、その両脇に沢山の人混みが出来上がっていた。
この道を来た事がないアリーチェは他の子供達とはぐれてしまった事を悟り、不安に包まれながら、大人達の間を潜り抜けていく。
泣きそうになるのを堪え、心の中で父親の名を叫びながら進んで行くと……アリーチェはいつの間にか最前列へと出ていた。
――そこで見たのは、想像を絶するものであった。
華やかに、そして盛大に行われているパレード。花吹雪が宙を舞い、鼓笛隊による演奏と共にゆっくりと行進する騎士達、華麗なるダンスを踊りながら進む踊り子達、パレードを盛り上げる為に様々な衣装を着こなした人々…………それらを見る度に、アリーチェは心躍っていた。
――そして次に目が行ったのは、
「――おお、来たぞ!我等が英雄の凱旋だ!」
「新たなる六大将軍様……とても凛々しい方ですわ」
誰もがその人物の登場を目にして、一斉に盛り上がりが増す。ある者は称賛を、またある者はうっとりとしながら……大きな軍馬に乗る彼を見つめる。
――全身を白銀の鎧で包み込み、赤きマントをなびかせて民衆に手を振る彼を見た瞬間……アリーチェに衝撃が走った。
快晴の下、燦々と降り注ぐ太陽の日差しに照らされて輝く鎧。合唱隊が彼の為に美しいコーラスを響かせ、彼はそれと共に剣を天へと掲げる。
――正に、それは正義の象徴であった。誰もが憧れを抱き、誰もがその気迫に明るい将来を夢見ていた。
それはアリーチェとて同じである。
「…………」
幼い彼女は、純粋に一目惚れをしていた。
恰好だけで判断したのではない。その雰囲気から発せられる覇気は、自然と歴戦の戦いを通過して来たのだろうと感じさせる。それだけでも素晴らしい事なのに、尚且つ彼には、真っ直ぐとした優しさと意思を併せ持っている。
「――聖騎士様、白銀の聖騎士様!」
……嗚呼、彼は聖騎士というのか。
――多くを物語るその様相が、アリーチェの心を射抜いた。
夢はまた違う場面を映し出す。
今度はそのパレードから数日後の事、アリーチェがお気入りのベンチで本を読もうと中庭を抜け、騎士団詰所の脇を通ってその場所へ向かった時だった。
いつもその場所には人もいないのだが――今日は先客がいた。
「――――」
後姿しか見れないが、その姿を見れば一目で誰かが分かってしまう。
「……すう」
静かに寝息を立てるのは、正しく白銀の聖騎士本人であった。
――兜を脱いだ状態で、茶色の髪がそよ風でなびく中……陽だまりの中でぐっすりと眠っていた。
あまりの唐突さに困惑し、あたふたするアリーチェ。
だが彼を見て、一つの興味が湧いた事でそれは静まった。
――そういえば彼は、どんな顔をしているのだろう?年齢は、容姿は、どんな人種で、どんな勇ましい風貌をしているのだろうと……段々幾つもの疑問が浮かび上がって来た。
聞けば誰も聖騎士の素顔を知らないというじゃないか。巷でもそれは評判となり、更に彼を手の届かない英雄として祀り上げているという話だ。
……知りたい。もっと彼を、手の届かない英雄の真実を。
いけないと分かっているのに、アリーチェはそっと彼へと近付いて行き、気付かれない様に……そっと距離を縮めていく。
「――いけませんよ姫様。淑女たる者、もっと堂々とした足取りをしないと笑われてしまいます」
「……ッ」
どうやら、彼は既に起きていたらしい。
アリーチェが驚きの余り硬直する最中、聖騎士は兜を被り、その場から立ち上がる。勇猛たる騎士の姿のままベンチを空ける。
「ほら、ベンチで本を読むのでしょう?私はこれで去ります故、どうかこの最高の場所で御寛ぎ下さい。――では」
「――ま、待って下さい!」
聖騎士が去ろうとする前に、アリーチェは彼を止める。
何事かと不思議そうに姫君を見る聖騎士。一方のアリーチェはもじもじとしながら、精一杯の勇気を振り絞って言葉を紡ぐ。
「…………よ、よかったら一緒に座ってお話をしませんか?少しだけでもいいですから……」
「はあ、別に構いませんが。私の様な一介の騎士と話しても、何も楽しい事は」
「――そ、そんな事ありません!」
アリーチェは思わず声を張り上げる。
一介の騎士等とんでもない。今目の前にいる彼は、紛れも無いこのランドリオ帝国の英雄であり、謎多き孤高の六大将軍である。
「……知りたいのです。だから、私と共にいてください」
「…………仰せのままに」
何か真剣な、含みのある真っ直ぐな意志を悟ったのか。聖騎士はただ一言そう呟き、またベンチへと座り直す。
しばし二人は沈黙していた。
だが気まずい雰囲気でも無かった。癒しを誘う小鳥の囀りを聞き、一時の平和を感じさせる幻想的なこの場所が、気まずさを吹き飛ばす。
……嗚呼、こんな時がずっと続けばいいのに。
アリーチェは自分で誘っておきながら、聖騎士とただ無言で過ごす時間を望んでいた。心がこうして安らぐならば……このままで居たいと、瞳を閉じながらそう思っていた。
何故こんなにも落ち着くかは分からない。
分からないけれど…………そう感じてしまうのだ。
「――ここは良い所です」
ふいに、聖騎士が微睡みながら呟く。
「はい。……ここにいると、何もかも忘れてしまいますね。悲しい事も、辛い事も…………ふふ、たまに嬉しい事も忘れてしまいます」
「そうですか……実は、私も同感です」
聖騎士は天を仰ぎ見る。どんな表情をしているかは定かで無いが、幾分か達観した様子でいるのは確かだ。
――それは、疲弊しきった騎士の姿であった。
「…………聖騎士様も、何か辛い事を抱えているのですか?」
「ええ、勿論ですよ」
その返答は、アリーチェにとって予想外の事であった。
彼は英傑として活躍し、迷いの無い意志を以てして戦い続けて来たのかと……どんな苦難も振り払って来たのかと思っていた。
「……姫様、私はあらゆる困難と絶望を体験してきました。ある時は目指していた物を見失い、目標としていた人達も死んで行きました。――それから自分は様々な死を見届け、死を与え…………悲しくも、時には幸せだった人生を歩んで行きました」
――その人生の中で、聖騎士は泣いた。怒り、楽しみ、喜び合い…………そして最後には、何もかもが無くなってしまう。
辛いに決まっている。一体何度の死を垣間見、どれほど友人の亡骸を抱きながら泣いた事か…………何回怒り狂い、意味無き戦いを続けてきた事か。
その圧倒的スケールの大きい話を聞いて、アリーチェはある疑問を言う。
「……死にたいと、思った事は無いのですか?」
それを聞いて、聖騎士は初めてアリーチェへと振り向く。
「ありますよ。……はは、でも不思議でしょう?何でこいつは今も生きているのだろうと。実際私も理屈では説明出来ないのですが……いつも、こう思っていたのです」
そう言って、聖騎士は手甲で覆われた右手を天へと掲げる。太陽は愚か、木々にさえも届かない手を……何かを掴みたがる様に、ただ上げ続ける。
「……希望を捨ててはいけない。きっと進み続ければ、自分の行き着く場所が在るはずだと…………信じていました」
自分が何色に染まろうとも、幼少時から抱き続けてきた目標だけは失わなかった。唯一の意志は彼を慰め続け、奮い立たせてきた。
――聖騎士はベンチから立ち上がり、突如アリーチェの目前へと移動する。
「…………え、え?せ、聖騎士………様?」
あろう事か聖騎士はその場で跪き、アリーチェに頭を垂れていた。それは正しく主に絶対の忠誠を誓う証であって、他には有り得ない。
その体勢のまま、聖騎士は言う。
「そして、私は辿り着きました。――騎士として『主』に仕えるという目標を、掴み取る事が出来ました」
彼はどこまでも優雅に、どことなく劇的に告白する。
今までの過去を思い出して感極まったのか、改めて事の実感を噛み締める事が出来たのか、喜びが露わとなっていた。
「だから安心して下さい。――この白銀の聖騎士、皇帝陛下と姫様を守り抜くまでは……絶対に死を願いません。絶望や後悔も顧みず、全身全霊を尽くして貴方様に仕えていきます」
……果たしてその言葉は、誰に向けられたものなのか。
自分への戒めとも受け取れるし、ただ純粋に仕えたいという意志とも認識出来る。……いや彼の場合、どちらも入り交ざってしまっているのかもしれない。
アリーチェは彼を身近に感じてしまい、更に愛しくなってしまう。
「……平和を目指して、共に頑張っていきましょう。私と共に…………この身が朽ち果てるまで……」
――彼女は、慈愛の笑みを浮かべて答える。
彼は最強の称号を得て、勇猛果敢に立ち向かう。だがその心はとても弱く、儚く……誰よりも人間味に溢れている。
自分に尽くす事でその弱さが補われるのなら……アリーチェは喜んで、彼を侍らせようと思った。
――嗚呼、この時自分は恋い焦がれる事となったのだ。
この忠実さに、この優しさに満ちた聖騎士に……恋をしてしまった。
――――だが、それと同時に――――
「……心配なのです。私なんかの為に尽くし続けて、いつか自らを滅ぼす結果を生んでしまわないかと…………そう思ってしまうのです」
――夢から目覚めたアリーチェは、朝日が差し込む部屋の中で独言する。
彼はどこまでも、愚直なまでに突き進んで行く。過去がどんなに凄惨で、絶望的なものだったとしても、ゼノス・ディルガーナは精一杯それを押し殺そうと努力している。
……叶うならば、今日から始まる婚約披露宴に何も起こらない事を。
そうすれば貴族達の疑いも晴れるだろうし、王家としても貴族との連携は頼もしい限りであろう。
――そして何よりも、ゼノスが苦しまずに済む。
戦いに生き続ける彼に……僅かばかりの休息を与えられる。
婚約披露宴はきっと華やかな舞台となるだろう。貴族達を集めた盛大な舞踏会、色鮮やかな高級食に包まれた立食パーティー等……例え厳重な警戒で臨んでいても、少しはその余興を楽しんでくれるだろう。
……それでいい。
自分が犠牲となり、彼が安らげば…………これ以上の幸せは無い。
「……では参りましょう。運命の鎖に縛られ、好きでも無い男の為に、この身を捧げる為に…………」
――静寂に包まれた自室で、儚い印象を持つ少女は呟く。
自分以外の者が傷付かない未来を願い、純白の寝間着に身を包んだ彼女。まるで運命を司る女神の如く、全ての定めを受け入れる。
……今日の婚約披露宴に何があっても、アリーチェは動じないと心に誓い、その部屋を後にした。




