ep10 色香の漂う酒場
……というわけで、ゼノス達は城下町へとやって来た。
昼間に眠った者達が夜店を開き、それが集合した歓楽街。妖艶な雰囲気漂い、派手なランプ灯に飾られたその区画は、正に眠らない街と形容出来よう。
露出度の高い服装をした娼婦が道行く男を誘惑し、違法ギリギリの商売をする露店主は下卑た笑みを浮かべて客引きを行う。……勿論、この繁華街にある酒場に行くのは初めてだ。
そんな怪しげな夜の街を、ゼノス、イルディエ……あともう一人は闊歩する。
「……ふしだらですね。年若い女の子がこんな仕事をしているなんて」
その少女――ゲルマニアは心底憤慨した様子で町中を見渡す。
「仕方ないわよ、ゲルマニアちゃん。皆が皆裕福じゃないのだから……お金の無い家は、逆に両親が娘を娼婦に仕立て上げるのよ?」
「――ッ。それは本当ですか?」
ゲルマニアとイルディエは話しながら、街中を歩く。そしてその二歩後ろを歩くゼノスであったが……。
……まさか、あのゲルマニアを連れ出せるとは思わなかった。
夜間外出を嫌うあの彼女が、イルディエに歓楽街の酒場に誘われて、あろうことか行くと自分で言い出したのだ。
『……ええ、構いませんよ』
別段嬉しそうな様子は見られなかったが、それでも意外だ。
一体イルディエは、どんな説得をして許可を貰ったのだろうか?
「う~ん、やっぱり娑婆の空気は良い~。ついつい六大将軍になる前の頃を思い出すわねえ。……あの時は苦労したけど、その分色々な経験が出来て面白かったわ」
「そういえば……イルディエ様は騎士団に入る前まで、何をなさっていたのですか?」
ゲルマニアはふとした疑問をぶつける。
――基本、六大将軍の過去は壮絶たるものである。それは無闇に打ち明けていいものでは無いし、自身も気軽に話せない……そんな黒歴史。
しかし、イルディエだけは違った。
「ん~、私?私は…………まあ、傭兵団に所属してたけど?」
「え……傭兵だったんですか?いつも踊り子衣装でしたので、てっきり大道芸の類をやっていたのかと」
「うふふ、まあそれは傭兵前の職業かしら。――ま、傭兵時代の私に関しては、そこのゼノスが一番良く知ってるわよ…………っと、着いた着いた」
「――ちょっ、そ、その話を詳しく聞かせて下さい!イルディエ様!」
イルディエは話を打ち切り、ゲルマニアの訴えも聞き流す。それと同時に、ゼノスとゲルマニア(彼女は立腹した様子で)も彼女と同様立ち止まり、目前の店に視線を向ける。
一見何の変哲も無いただの酒場。中からは活気に満ち溢れた声達が聞こえ、適度な喧騒に包まれている。ゼノスがよく行く酒場と何も変わりはしない。
「時間は…………よしよし良い時間ね。さ、今日は倒れるまで飲むわよ~」
「で、でも明日はまた騎士としての仕事があります!倒れるまでというのは」
そう言うと、イルディエが呆れた様子で答える。
「べ~つにいいじゃない、ね?どうせ六大将軍と副将軍の仕事は当分お預けなんだし、やるとしても部下の雑務ぐらいでしょうに。ささ、ゼノスからも言ってやりなさいよ」
「おいおい、ここで俺に振るのかよ……ったく」
誠実な騎士としてならば、ゲルマニアの言い分は尤もだ。ここは上官として、潔く付き合いを断るべきだろう。
……だが、今のはゼノスは沢山の悩みを抱えている。
今にも張り裂けそうで、寝ても覚めてもその思いが解消する事は無い。生真面目故か、いつまで経っても気持ちの整理が出来ない。いっそ酒に逃げてしまおうかと思っていたが……今が絶好の機会なのかもしれない。
酒に逃げて、泥酔して、そして翌日には気分もリセットされる。それを夢想してしまうと…………ゲルマニアの言葉は、今は無意味に等しい。
だから、ゼノスはゲルマニアの肩にぽんっと手を置く。
「……ま、今日ぐらいはいいんじゃないか」
「ゼ、ゼノス!?」
その言葉に驚愕を示すゲルマニアであったが、ゼノスは気にしない。
「お、ゼノスは分かってるわねえ~。やっぱ真面目な聖騎士より、素のゼノス・ディルガーナの方が好感持てるわよ?いっその事、仕事でもその素振りでいなさいって~」
「あのな……誰だって仕事の顔とプライベートの顔を持ち合わせてるだろ?てかお前は、もうちょっと将軍らしい面を見せて欲しい所だよ」
ゼノスとイルディエは愚痴と称賛を言い合い、自然と店の中へ入って行く。一区間遅れたゲルマニアも、慌てて二人の後を付いて行く。
三人が扉をくぐると、そこには見慣れた光景があった。
どこの酒場も変わらない。給仕の女の子達がセッセと働き、日々の疲れを癒しに来た市民達が憩いの場として共有し、楽しく酒を酌み交わす。店の端に備えられた依頼の看板前には、多くの冒険者や賞金稼ぎが依頼用紙に釘付けになっている。
まあ別段珍しい光景でも無いので、ゼノス達は空いている席へと座り始める。
……とは言え、一つ違う点があるようだ。
座って見てゼノスは気付いたのだが…………ここの酒場、異様に男性客が多い気がする。
更に彼等の視線を辿ると……行き着く先は働いている給仕の女の子達。よく見れば彼女等の恰好も、中にはウェイトレスにしては露出の高い服装をしている女性もいる。
――多分ここは、地球で言う『メイド喫茶』と似た形式なのだろう。あれほど過剰な奉仕は無いだろうけど、彼女等を見る為に来た客も少なくないだろう……いや、多分それが目的で来るのだろう。
ふと、そこで一人のウェイトレスが歩み寄って来る。村娘の恰好で、頭には純白のナプキンを被っている。しかし胸元は大分開いており、一般の村娘装束とは異なる。
「いらっしゃいませ、ご主人様お嬢様!今日はごゆるりと……って」
どこかで聞いたような決まり文句を言う途中、強気そうな女性は瞳を丸くする。どうやら、イルディエを見て驚愕しているらしい。
イルディエは気さくに答える。
「やっほ~、久しぶりねカルナ。店は繁盛してるかしら?」
「イ、イルディエ様じゃないですか!?ど、どうして……」
と、そこでカルナと言うウェイトレスの女性ははっとした表情で言葉を打ち止める。
……案の定、今の言葉に店内全員が会話を打ち切る。
ある者はビール瓶をうっかりと落としてしまい、ある者は茫然としたんがらも、注意深くイルディエを見定める。
「ほ、本当だ……ありゃイルディエ様じゃぞい」
「有り得ねえ、何だってこんな酒場に六大将軍様が」
……ああ、これは騒ぎそうな予感だぞ。
カルナはゼノス達の面子を見渡していき……そして、ゼノスへと視線を集中させる。なるべくなら一番止めて欲しかった、それだけは。
「――え?て……てことは…………まさかこの方は」
カルナが失神寸前の顔になりながらゼノスを見つめる。
一方のイルディエは、さも面白そうに……本当の事をさらっと言う。
「ええ、白銀の聖騎士ゼノスよ。今は仕事終わりだから私服だけどね」
「あ……そ、の………………(きゅう)」
――何故か、カルナは失神してしまった。ゼノスを三回程チラ見しただけで、顔を紅潮させながら倒れてしまったが……大丈夫なのだろうか?
慌てて店の女の子達がカルナを担ぐ一方、他の女の子達は一斉に黄色い悲鳴を上げたり、熱っぽい眼差しでゼノスを見てくる。入店時からその兆候はあったが、聖騎士と聞いて更に色めき立つ。
「ふふ、やっぱ駄目だったか。……この子達はねゼノス、昔から聖騎士を応援しているファンクラブに所属しているのよ?」
一体何事かと思うゼノスとゲルマニアであったが、既に事の成り行きを把握しているイルディエが解説してくる。
ファンクラブ……まさかそんなものがあったとは。
これはどうでもいい蛇足であるが、ファンクラブの活動は案外本格的らしい。勧誘は勿論、聖騎士が公に現れる舞台には必ず駆けつけて応援(?)をする事。聖騎士関連の品物は絶対に購入し、吟遊詩人の語る英雄譚は十回以上聞く事等々……どんだけ好きなんだよという話である。
店の女の子達はファンクラブの会員であり、ゼノスの来店は人生史上最高の喜びであった……と、ウェイトレスAは後々友人に語る事となる。
――正に一触即発。ゼノス達にほんの些細な動きが見られれば、店内全員の人間が集まり寄る寸前だった。
ガンガンガンッ、とフライパンをオタマで叩く音が響き渡る。
「ほらあんたら、何やってんだい!お客さんほったらかしてんじゃないよ!」
威勢の良いおばさんの声は、ウェイトレス達にまた新たな緊張感を与える。誰もが我に返り、今は仕事中である事を認識する。
「は、はい!マダム・サザリア!」
皆は口々にそう言い、それぞれが本来の仕事へと戻って行く。何人かは名残惜しそうな瞳でゼノスを見るが、あえて気にせずにいる。客も徐々に奇異の視線を向けず、また話に華を咲かせる。
……良かった。どうやらこの人のおかげで、面倒な事態は起こりそうにない。
サザリアと呼ばれた小太りのおばさんは溜息をつき、こちらへと歩み寄って来る。
「困りますよ、イルディエ殿。聖騎士様を連れてくるのであれば、事前に連絡をして下さいな」
「ごめんなさいね、サザリア。……ふふ、どうしてもこの娘達が驚愕する姿を拝みたかったのよ」
「……イ、イルディエ様。……申し訳ありませんサザリア、六大将軍様の戯れに関しては、どうか容赦のほどを」
ゲルマニアが素直に謝罪すると、サザリアは柔和に微笑みながら答える。
「ま、いいのよ。この子の悪戯には慣れているからね」
サザリア達は他愛の無い会話を繰り広げる。――が、ゼノスは一抹の疑問を感じ取った。
――何だか、三人共見知った様な口ぶりだな
イルディエはともかく、あのゲルマニアまでもが慣れた調子で話しているが……気のせいだろうか?
「――そう言えばサザリア。例の『新入り』はちゃんと働けているかしら?」
「――ああ、あの子かい?まだ不慣れな様子だけど、一生懸命に仕事をやってくれてるよ。……ほら」
そう言って、サザリアはせっせと働くある一人の少女を指差す。
その少女は周囲と比べると若干小柄で、お客の注文をメモする様子も何だかぎこちない様子。艶やかな金髪を後ろに一括りし、ナプキンを被っている。格好は若草色のエプロンドレス姿であり、一見他の少女達と変わりない。
……だが、ゼノスは妙な違和感を感じるわけだが。
と、そこでゼノスとその少女はばっちりと目が合う。
すると少女は顔を赤らめ、顔をあえて見せようとせず、そそくさと厨房へと戻ってしまう。
――随分と恥ずかしがり屋な子だな
「……というかだイルディエ。今の会話、全く容量を得ないんだけど」
「え、ああ。すぐ理解出来るわよ。……けど、今はまだ無理そうね」
「は、はあ」
本当はゲルマニアにも問いかけたい所だが、多分彼女も同じ答えをするだろう。何を隠しているかは知らないが、別段悪い事でも無いと思われる。
ゼノスは気分を改め、テーブル上のメニュー欄に目を落とす。
「……ま、とりあえず何か頼もう。あとサザリア、先程の件に関しては俺からも謝ろう」
「いえいえ、良いんですよ。このサザリア、かの有名な聖騎士様に来てもらえて逆に喜ばしい限り…………今日はごゆるりと寛ぎ下さいませ」
「ああ、そうさせて貰おう。じゃあ俺はこの『強香酒』を一杯と……『高原鶏の手羽先唐揚げ』を。――ゲルマニアとイルディエは?」
「えっと……『ビール』と『キノコソテー』を下さい」
「私は『ギスカレイド』。ビンごと冷やしたやつを頼むわね」
ゼノスは香り高く、上品な味わいの酒を頼み、ゲルマニアは一般的な酒を所望する。イルディエはアルコール四十%以上の蒸留酒をストレートで注文する。
……常人ならば一杯でぶっ倒れる事が出来る酒を、何の躊躇なく。
そして最初の酒が来て、三人は様々な視線を浴びながら乾杯する事となった。
2月12日追記;一章「最強騎士の帰還」ep23「万事休す」を改稿しました。




