ep9 円卓会議 後半
マーシェル氏との婚約は、突然もたらされた取決めだったそうだ。
リカルド皇帝が死亡し、アリーチェが急遽皇帝陛下へと即位したのは良いが……先日、ヘストニス侯爵家からある要求が来たのだという。
――『我が一族は、前皇帝陛下から直々に皇位継承権を賜った。例え一時の対応と言えど、皇女殿下の即位は許されざる事態である。……よって、我はマーシェルを婿養子としてアリーチェ陛下との婚約を要求する。これが最善たる対処であり、当然の責務である』、と。
ヘストニス侯爵家は財政面に対して大きくランドリオ帝国に貢献し、他貴族と一線を画した功績を踏まえている。そして多大なる威厳もあるせいか、貴族勢力は誰もこれに反対はしなかった。
――他方の皇族家としても、ヘストニス家の要求を無下には出来なかった。それどころか彼等は前皇帝陛下直筆と称した契約書を送り付けて来ている。……帝国再建期を狙って、自らの地位向上を図っているのだろうか?
そんな分かりきった事であるが……皇族家は断れなかった。
アリーチェの親戚一同は、彼女の意志に関係無く……婚約を承認したのだ。
いくら六大将軍と言えど、ゼノス達は騎士である。
一部政治的判断や戦争指揮系統に参加出来ても、皇族家と貴族間で執り行われる決定には抗えない。
これが望まぬ結婚だとしても……ゼノス達は歯痒い思いで、ただその事情説明を清聴しているしか無かった。
「――という訳です。私は素直にその要求に応じ、彼と結婚を前提に婚約を発表致します。婚約披露宴は一週間後から更に一週間、ヘストニス侯爵領内に建てられた『ヴァルディカ離宮』にて開催されます。……六大将軍総勢は、一週間程屋敷に待機して貰います…………何か質問はありますか?」
質問等……幾らでも存在する。
その疑問を代表して答えるのは、アルバートだった。
「……解せんのう。今や様々な面において揺らぎがある中で、貴族との結婚は洒落にならんわい。それこそ別の方面で問題が発生し、殿下の印象に悪影響を及ぼすだけじゃぞ」
「同感ね。この私から見ても、彼等には私欲と悪意にしか存在しない…………まさに最低な男との結婚かしら」
アルバートとイルディエが妥当な意見を述べる。――だが、
「よせ二人共。今更言った所では、後の祭りだ。……これはあくまで皇帝陛下の決断であり、我が主が望む事だ」
ゼノスが拳を握り締めながら念押す。
……とはいえ、皇帝陛下の決断に欠点が存在する事は言うまでもない。
シールカードの出現は今や世を騒がせており、彼等の暴動は他国の耳にも入っている。ホフマンの情報もある故、今は内政面に大きな支障を来したくない。
貴族と皇族が結婚するとならば、反貴族勢力を掲げる民間組織や騎士階層が黙っていないだろう。更には貴族を支援する上流階級とも衝突を起こし……最悪の場合は内乱も覚悟した方が良いだろう。
――実の所、ゼノスもこの結婚に反対だった。
だからゼノスは、アルバート達が反論する前に言葉を続ける。
「…………ですが、一つ進言させて頂いても宜しいでしょうか?」
「っ!……な、何でしょうか」
この会議で初めてゼノスが意見を述べようとする。それは当のアリーチェを困惑させ、不安へと導く。
しかし、それでも彼ははっきりと言う。
「――アリーチェ様、私はこの婚約披露宴には反対です。如何に貴族からの申し出とはいえ、この件に関しては素直に断った方が賢明かと」
「で、ですが……彼等は有力貴族であり、無下に断ってしまえば色々と問題が」
「そうなるかは皇帝陛下の態度次第です。貴方様が気丈な態度で命令すれば、我々も含め全員が了承するでしょう。……要は、貴方様はご自分の意思で決断しなければなりません」
と、ゼノスは再度アリーチェにその本意を確かめる。
貴族がシールカードと接触し、帝国に仇なすという噂の調査は披露宴以外でも出来る機会は幾らでも作れる。様々な問題等、所詮は武力による衝突であり、それもまたゼノス達騎士が単に収めれば良い話だ。
……結果的に言うと、アリーチェはまだ弱い。
どんなに皇帝としての威厳を繕っても、まだ即位したばかりの、しかも齢十六の少女にこの選択は酷というものだ。
己の欲望と企みを孕んだ貴族との関係向上を取るか、現実問題として山積みされた問題に立ち向かう為に、敢えて皇帝として君臨するか……二つに一つ。
――どちらが正しいかは一目瞭然なのに、今のアリーチェはまだ幼く、周囲の決断に流されるまま……。
しばしの静寂が訪れる。
誰もがアリーチェ自身の言葉を待ち焦がれ、誰もがその本意に従いたいと願うばかりであったが、
「……やはり、運命は変えられません。弱い私には…………ヘストニス家の政治戦略が必要だと心得ています」
決意は揺るがなかった。
アリーチェの意思では無い、アリーチェの決断を聞いたゼノスは心を落ち着かせ、また改めて言葉を口にする。
「致し方、ありませんね。……では、そのように理解しておきましょう」
「――ッ」
ゼノスの異様なまでに冷静な返答は、アリーチェに微かな憤りを覚えさせる。ガタッとその場から立ち上がり、懇願の眼差しでゼノスを見据える。
その目が訴えている。……私は本当にこのままでいいの?お願い、私を導いて下さい……聖騎士様、と。
――だが、ゼノスは無情にも目を背けた。
皇帝陛下自身が助けを求めているにも関わらず、この中で一番忠誠心が高いゼノスが、彼女の懇願を無視した。
余りにも唐突な態度に、アリーチェは困惑する。
「…………あ、あの。その……」
主君としてあるまじき態度であった。自らを偽り、未だ皇帝としての決断力に欠けている。
ゼノスはあえて、アリーチェの選択肢に対して否定も肯定もしなかった。ただ理解したとだけ呟き、保留という形で認識する。
「……我々騎士は、貴方様の本音を聞くまでお待ち致します。そしてそれが聞けた時に、我等六大将軍は行動しましょう」
押し黙るアリーチェを尻目に、ゼノスは他の六大将軍を見回す。
「シールカードと貴族の調査に関しては、結婚披露宴期間内にて勢力を上げて追及しよう。無論、我々もそれを惜しまない事にする。……いいな、貴族達に何か変な行動が見られたらすぐさま捕えろ」
六大将軍達は誰も反対しなかった。首を縦に振る者もいれば、沈黙の了解を示す者もいる。現状では、これしか出来ないのが事実だ。
ゼノスはまたアリーチェへと向き直り、一瞥する。
「時間はまだあります。――どんな困難な選択が待ち受けようと、今の貴方が『皇帝陛下』だという事は、お忘れなきよう」
「…………」
ランドリオ皇帝は、ただ優しさだけでは務まらない。時には無情なる決断も必要であり、曲げぬ屈強な意思が必須である。
――円卓会議はまだ早かったかもしれない。皆がそう思う中、アリーチェに代わってゼノス達が結婚披露宴での詳しい調査方法について議論し合い、彼女はそれを茫然と静観するだけであった。
円卓会議は粛々と執り行われ、そして中途半端な状態のまま幕を下ろした。
シールカードが団体として組織されている可能性、彼等が徒党を組んで他国と絡み合い、何か良からぬ企みを持っている事。どれもが『確定』という段階に踏み込めぬまま、結婚披露宴にてその事実を解き明かす結果となった。
果たして真相が見つかるかはともかく、今は披露宴まで待つしかない。
……ランドリオ中枢と深く関われるその好機に、貴族側が何かしでかすかもしれない。
――それをゼノス達は、皇帝陛下が望まぬ披露宴を利用して突き詰める……。
「……本当に良かったのですか、アリーチェ様」
会議が終わり、ゼノスは廊下の窓から外を眺めつつ呟く。
自分は皇帝陛下に対して冷たい態度を取り、アリーチェ自身で強くなるべきだとあの場で無言の主張をした。とどのつまり、自分は選択については何も助力しないと決断したのだ。
……だが、本当にあれで良かったのだろうか?
もっと気の利く方法があった筈だと、今では後悔の念に駆られるばかりであった。例えばアリーチェが思う意思をゼノス達が述べ、その気にさせるとか…………いや駄目だ、それでは彼女は何も成長しない。
しかしあの悲しそうな表情を見せられると……ゼノスは自分がすべき行動に苦悩していた。
こんな時は誰かに相談した方が良いのかもしれないが、ゲルマニアは他の用事に追われているし、六大将軍達だって城内ですべき用事がある。
――と、そんな時だった。
「あらら、まだ小難しい悩みを抱えているのかしら?」
ふいに声を掛けて来たのは、イルディエだった。
相も変わらずの踊り子衣装の上に外套を羽織り、不敵な笑みを浮かべてゼノスへと歩み寄って来る。
「……イルディエか」
珍しい事もあるものだ。彼女は人懐っこく接する様な性分だと思えるが、実際はそうでは無く、滅多に彼女から人と話す事は無いのだが……。
ゼノスが訝しむ様子を見せたせいか、イルディエはくすりと笑う。
「勘違いしないでよ、別に深い意味は無いわ。ただちょっと、今晩城下町で飲みに行きたいなって思って…………どうかしら?」
「どうって……急な用事は無いけど、この時間に外出するとゲルマニアが五月蠅いんだ」
現在の時刻は午後五時を過ぎた頃、黄昏色の夕焼けは徐々に地平線の彼方へと沈み行き、人々の忙しない労働も終了しようとしている。
つい数日前もこの時間帯付近にて余裕が見つかり、ロザリーやラインに無理やり酒場に連れて行かされたが……その翌日に、ゲルマニアから一時間以上もの説教をくらったものだ。
何か含みのある誘いなのは承知しているが、残念ながら行けそうに……
「――うおっ」
断る前に、イルディエがゼノスの手を掴んできた。
「ならゲルマニアちゃんも誘いましょ?どうせ今日の仕事なんて明日も出来る事でしょうし、きっと来てくれるわよ」
「……だといいがなあ」
ゼノスは彼女に引っ張られながら思う。
多分ゲルマニアを誘っても、『今日の仕事は今日に済ませるべきです。それを持ち越しては何事も成し遂げられません』と、強く断られそうな気がする。
「な、なあイルディエ。やっぱ無理だって」
「それはどうかしらねえ。――案外、行けば色々な面で大助かりだし、彼女も素直に来てくれるかもよ?」
「?それってどういう…………って、そんな勢い良く引っ張られると転ぶ転ぶ!」
イルディエは一体何が目的なのだろうか。
彼女の誘いによって、ゼノスは城下町へと繰り出すのであった。
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