ep3 ゼノスを知りたくて
ゼノスによる鍛練指南、もとい教訓指南を教えてからというもの、騎士達は揃いも揃って聖騎士に戦闘訓練の指導を要求してきた。
誰も彼もがゼノスの言葉に心を打たれ、己自身が何故騎士団へと入団したのかを再認識したらしい。全員というわけではないが、大半の者が初心を思い出した。
ゼノスは勿論その要望に応え(別段やる事も無かったから)、なるべく部下達が付いてゆける様、丁寧に享受した。……驚いた事に、敗北したラヤも目を輝かせながら指導を受けていた。
……さて、そんなこんなで夕方となった。
鍛練を終えた騎士達は夜間警護やそれぞれの主務に備えて解散し、ゼノス自身も鍛練場を後にした。
夕焼けも地平線の彼方へと沈み、労働を終えた市民達が家路を辿るその頃、彼とゲルマニア……そして相変わらず付いて来るアリーチェの三人は、ハルディロイ本城に備えられた聖騎士専用の執務室にいた。
「――お疲れ様です、ゼノス。今日は素晴らしい立ち振る舞いでしたよ」
「ん、ああ……まあやる気になってくれた事は嬉しいけど。説教なんてガラじゃないし、奴等もまあ鍛練してくれと言って来るし…………あぁ、湿布が欲しい。マッサージ器が欲しい……ついでに栄養ドリンクが欲しい」
ゲルマニアは呆れながら腰に手を置く。
「また変な用語を使わないで下さい、ゼノス。それにほら……皇帝陛下の面前ですよ」
「うっ」
自分が言った言葉をそのまま言い返され、ゼノスは僅かに呻く。やはり日頃の堕落具合が彼を怠けさせたのか、先程まで体裁を保っていたにも関わらず、今は執務机に突っ伏し、口を半開きにしながら項垂れていた。
以前は平気だった聖騎士としての体裁……だがそれも今では時間制限付きであった。
ゼノスはきょとんとしながら椅子に座るアリーチェへと振り向く。
「ほ、本当に申し訳ございません……。何分放浪生活が長かった故に、騎士らしからぬ行動が増えてしまいました……」
放浪生活でそういった態度になるかは疑問だが、堕落症になったのは本当の事なので素直に打ち明ける。
余りにも申し訳なさそうで、しかし怠そうな表情を見て……アリーチェはくすりと微笑んだ。
「いえ、よいのですよ本当に。……今日一日見ている限り、根本的に自堕落となったとは思っていませんから」
「はあ……それは有り難いですが……」
――そういえば、何でアリーチェはゼノスを観察しているのか?
別段緊急の用事でも無さそうだが、かといって何の用事も無いわけではなさそうである。
何故?どうして?……全く不可解な様子に、ゼノスは終始タジタジであった。
「ふふ、大体何を言いたいのかは察しがつきますよ。――ただ私は、『本当の聖騎士』を見たくて観察していただけです」
「……本当の聖騎士?」
ゼノスは問い返す。
はて、自分は表裏の激しい性格ではないと思うが。
「――はい。兜を被っておらず、そして偽りの態度を取った素顔……そんな臣下の一面を知るのも、皇帝陛下の務めだと思っていました」
アリーチェはまたもや微笑む。今度は自重めいた様子で。
「……ですが、私は見誤ってました。聖騎士様の本心は変わらない……あの頃の様に勇ましく、そして誇らしい人なのだと。兜が有っても無くても、貴方は変わらないと気付きました」
――嗚呼、そう言う事か
ゼノスが単なる白銀の聖騎士として名を馳せていた時代、自分はとある理由によって顔を晒すのを拒み続け、挙句の果てにはアリーチェにまで見せたくないと豪語してきた。
そんな様子を見て、彼女はきっと知りたかったのだろう。
もしや自分の知らない聖騎士がいるんじゃないかと、偽りの人格で接してきたのだろうかと思い悩んでいたに違いない。
「……お褒め頂き光栄です。例えこの身が変わろうと、私の意志はそのままでございます」
「ええ、そのようですね。……今後は私も忙しい身ですから、今日の内にその真実が知れて良かったです」
その言葉に、ゼノスとゲルマニアは途端に難しい表情となる。
――二人は察知したのだ。次に彼女が何を言い出すのかを、確実に。
アリーチェは深く深呼吸し、瞳を閉じる。……そして、威厳を放った皇帝の眼光でゼノスを見据える。
「……聖騎士ゼノス、及び他五名の六大将軍を招集した理由は他でもありません。――私の婚約式についてです。深い詳細は明日の午前中にて、私自らが円卓会議を執り行い、全て説明致しましょう」
「……承知しました」
ゼノスは内なる疑問を奥底にしまい、ひとまずは従う事にした。
焦らずとも、アリーチェはその場にて全てを話してくれる。単独で聞いても何もならないし、他の六代将軍に失礼なのは確かだ。
「しかしアリーチェ様、一つ聞きたい事がございます」
「?何でしょうか」
「いえ、大した事ではないのですが……もう既に、六大将軍は全員ハルディロイへと帰還しているのでしょうか?」
これは数日前から疑問に思っていたが、果たして全員が揃い、直に総勢を見渡す事が出来るのだろうか?
ゼノス、ユスティアラ、イルディエ、アルバート、この四人は確実にいるが……あとの二人が見受けられない。
アリーチェはゼノスの疑問に対し、素直に答える。
「ええ、ちゃんといますよ。お二人の帰還報告は既に承っております」
「そう……ですか」
正直な所、ゼノスは六大将軍全員と会うのはこれで初めてである。
一人は知っているが、残るあと一人はまだ見ぬ人物であり、ラインの後釜として任命された者だ。
それが一体どんな人物か……ゼノス達と相性の合う者なのか。今のゼノスは不安で一杯だった。
「……以上、私の用事はこれで終いです。今日一日、お邪魔しましたね」
また朗らかな笑みに戻ったアリーチェは、およそ皇帝らしからぬ謙虚さを示す。
――その裏に複雑な心境を抱えつつ、尚も笑顔を見せてくれる。
それ以降アリーチェは一言も言葉を発さず、ゼノス達に手を振りながら部屋を出ていく。……ゼノス達はその後ろ姿に声を掛ける事も出来ず、ただジッと彼女が立ち去る姿を見つめるだけであった。
……しばらくして、ゲルマニアが口を開いた。
「――何だか、苦しそうでしたね」
「そりゃそうだろうさ。立て続けに起こる環境の変化……地位がアリーチェ様を縛っているんだからな」
彼女は先代皇帝の娘として誕生し、その死後はリカルド皇帝の妃になる予定となった。
……しかし彼の死後、状況は一変した。
元々皇帝は男性のみが継承される地位であって、元来から女性が皇帝になる事は無かった。先王の子供はアリーチェただ一人……リカルドの場合は先王に認められた皇位継承者であった為に、貴族から皇帝へと上り詰めたのだ。
だが今回は王位継承権を持つ貴族は存在せず、極めて異例の形であるがアリーチェが皇帝となった。
帝王学を幼少期から学ばないで急遽任命された皇帝即位。勿論の事、あらゆる一派から批判の声を浴びた。
特に歴史を重んじ、女皇帝即位に猛反発したのはランドリオ貴族だった。
もし六大将軍がいなければ……きっと謀反を起こしていたに違いない。今でも猛烈な批判は続いており、アリーチェは精神的にも追い詰められている。
――そして、今回の婚約披露宴である。
平気な筈がない、嬉しいわけがない。気丈に振る舞っていても……彼女はゼノス達が知る気弱で、しかし心優しい姫なのだ。
「わ、私達騎士団で何とか対処出来ないのでしょうか?今回の婚約に関しても時期外れ過ぎます。……何とか六大将軍の力で」
「そうしたいのは山々だが……詳細を聞かずにそのような行動に出るのは駄目だ。もしかしたらアリーチェ様の想い人かもしれないし、国家を安定へと導ける程の実力を兼ね備えているかもしれない」
「…………」
苦い表情でゼノスを見るゲルマニア。それに気付いたゼノスは、首を傾げながら尋ねる。
「……どうした?何か変な事でも言ったか?」
「…………ゼノス、前々から思っていたのですが……鈍感だとか散々言われませんでしたか?」
「へ?い、いやそんな事は言われてない……いや、言われたような」
何だ、どうしたんだ?ゲルマニアの視線が嫌に痛い。
ゲルマニアはずいっとゼノスへと接近し、まるで子供を叱り付けるかのように言う。
「ならもっと女の子について勉強して下さい。勉強すれば、先程のような発言は二度と出来ませんからね」
最後に「分かりましたか?」と念を押してくるゲルマニア。ゼノスは訳の分からないまま気迫に促され、こくりと頷いた。
彼は理解しているかどうか疑問だが、別段問い詰める場面でもない。軽く溜息をついたゲルマニアは渋々納得した。
――これにより、ゼノスの仕事は一段落ついた。それはゲルマニアを同様であり、引き締まった表情は柔和なそれへと変化する。騎士ゲルマニアとしてでなく……ごく普通の少女の素顔だった。
「……さて、これで粗方済みましたね。私はこれから夕食を摂るつもりですが、良ければこちらまでお持ちしましょうか?――何分、レクチャーするべき点がありそうですから、それについて語りましょうか?」
微笑みながら物騒な雰囲気で言ってくるゲルマニアであったが、ゼノスは少々引き気味になりながら答える。
「え、遠慮しときます、はい。……というか俺は、これからちょっと行く所があるんだ。悪いがまた後日な」
「はあ、そうですか。あまり遅く帰らないで下さいよ?明日は円卓会議があるのですから」
「ああ分かってる。――ただ、『ある奴』と話すだけだ」
「……?」
初冬を迎えた季節のせいか、はたまた部屋の雰囲気がそうさせているのか……今日はいつになく肌寒い。
ゼノスはポールハンガーに掛けていた赤ジャケットを取り、それを羽織る。
溢れ出る高揚感、背筋を過る微かな寒気が異様な感情を引き立たせる。恐れか好奇心かは定かで無い。
向かう先はハルディロイ城の地下。それは牢獄でも無く、食料を備蓄する為の倉庫でも無い。
常人ならば恐怖に駆られ、発狂しかねない禁忌の領域――始祖アスフィが根城にしている地下部屋へと足を運ぶ。




