ep2 世界は広く、そして険しい
小闘技場は程よい規模で、且つ実践的戦闘を行うには最適の場所だった。
構造は楕円形であり、天井部分は大きく開放されている。戦士達が刃を交差する場を囲う様に観客席が広がっていた。
――その観客席最前列にゲルマニアとフィールドが座っていて、そして案の定アリーチェもゲルマニアの隣席にいる状況であった。
騎士達は静かに時を待つ聖騎士とラヤを見つめる。一方のゲルマニアは、鋭い瞳で隣に座るフィールドを見やる。
「……どういうつもりです、フィールド。私から見れば、貴方は聖騎士の実力を信用していない……これは無礼な行為ですよ」
「弁解の余地も御座いませんね、ゲルマニア様。……ですが、これだけは言わせて貰います。――私は将軍の強さを確信してこそ、このような機会を設けたのです」
ゲルマニアは沈黙を貫く中、フィールドは異質な格好をするゼノスに視線を集中させる。
――その瞳は、憧憬に駆られたものだった。
「つい何週間か前に創設された聖騎士部隊。此処に派遣され、任命され、自ら志願した者皆が聖騎士を尊敬し、聖騎士に憧れを抱き入団した者も少なくありません。……私とて、その一人なのは知っていましょう?下剋上が本意で無いのは事実です」
「……」
ゲルマニアはその言葉に少々驚きを見せる。そんな様子を気にも咎めず、フィールドは更に言葉を続ける。
「だからこそ、私は証明してほしいのです。――陰で聖騎士様を愚弄する者に、彼は本当に強いんだという事を」
「……フィールド、貴方」
悔しそうに呟く彼を見て、ゲルマニアは思い違いをしていたと自覚した。
――聖騎士に対する愚弄。それは言わずもがな、死守戦争を期に消息不明となった事に対しての罵倒を意味しているのだろう。
ゲルマニアだって何度も何度も聞いた事がある。突然消えたかと思えば、突然六大将軍の座へと復帰したゼノスを忌み嫌い、死守戦争での失踪を材料に悪い噂を垂れ流す一部の騎士が。
それを聞いたフィールドは酷く悲しみ、激しい憤りを感じていたのだ。
……そして、もう一人怒っている者がいた。
「許せない……誰です、ゼノスを馬鹿にする愚か者は」
「お、落ち着いて下さいアリーチェ様。後で私が叱り付けますので、今はどうかお控えを」
ゲルマニアは隣で激怒するアリーチェを宥めるが、彼女は涙目になりながら反論した。
「これが落ち着いていられますかっ!ゼノスは誰よりも優しく、誰よりも聡明な方……なのに、なぜ!」
「――ゲルマニアの言う通りですぞ、皇帝陛下。今は他の騎士共もいる故、ご自分の立場を理解なさいますよう努めて頂きたいですな」
と、ふいに野太い声が後ろから聞こえてきた。
ゲルマニア達が後ろを振り向くと――そこには三人が呆気に取られる人物達がいた。
「……ア、アルバート様にイルディエ様。それにユスティアラ様まで……何時からいらっしゃったのですか!?」
突拍子に現れた三人に当然の疑問を投げかけるゲルマニア。それに対し、イルディエが眠そうに答えた。
「そうね……えっと、貴方達が席に座った直後だったかしら?何だか面白そうな事やってるわね。……あ~こんなに暇なのは久しぶりねぇ」
イルディエが欠伸をしながら答える。
そう――彼等は正真正銘、聖騎士と同じ地位につく者であり、六大将軍達である。既に後ろの騎士達は気付いていたようだが、未だに驚きを隠せないようだった。
「夜まで暇だったものでな……久しぶりにアルバート達と歩きながら会話していたら、丁度聖騎士が何かやっていたと。興味が湧いてやって来た次第だ」
「はは、そういうわけじゃよゲルマニア。六大将軍は戦い以外は手持無沙汰なもの……儂等は単に暇を持て余しに来ただけじゃて、気にするでないわ」
アルバートは豪快に笑い飛ばし、ゲルマニアの頭をポンポンと叩く。
「……それとアリーチェ様、あの小僧に余計な心配は無用ですぞ。六大将軍は嫌われて当然……むしろ敵の方が多いという現実じゃわい」
その言葉に、両側に座るイルディエとユスティアラは沈黙の同意を示す。
六大将軍は戦いに生き、多くの血と涙を流させてきた。忌み嫌われるのは自然の摂理であり、堪えるべき使命なのだ。
この現実を受け止めてこそ真の覇者。ランドリオ帝国が最強であり、誇り高くある為の必須事項である。
「――小僧はよう分かっとる。だから姫様、奴はフィールドの要求に応え、ああやって自分の宿命と向き合っているのじゃ……儂等が口を挟んで良い事では無い」
「……うぅ、すみません……」
何だかアルバートに説教をくらった気分になり、アリーチェはしゅんとしながら落ち込む。……例え皇帝陛下と言えど、自分より数倍も生きているアルバートには逆らえる気がしなかった。
「はっはっはっ!まだお父上の様にはいかんですな。……じゃが安心なされよ。皇帝とは日々の教訓を経て成長するものじゃ。政治や臣下への振る舞い、そして恋愛などを経てこそ…………うぐっ!」
と、アルバートは両脇に座る女性二人に横腹を叩かれる。
その時、アルバートはイルディエに促されてアリーチェへと目を向ける。……すると彼女は、自嘲の笑みを見せ、とても悲しそうな微笑みを浮かべていた。
「あ、いや……その」
「いえ、良いのですアルバート。悪気があって言ったのではないと承知していますから」
アリーチェはそう言って、またゼノスを見下ろし始める。まるで今までの事が無かったかの様に。
……そうだった。今の彼女には、『恋愛』という言葉は正にタブーであった
「――あ、そろそろ始まりそうですよ皆さん。その話は試合後……という事に致しましょう」
ふいにフィールドが場の雰囲気を正そうと、ゼノスとラヤを指差す。皆はハッとし、指差す方向へと見やる。
ゼノスは剣を構え、ラヤもまた両手に短剣を備えた状態で腰を若干落とす。それは試合が始まる瞬間であった。
ゼノスは対峙するラヤに対し、軽く微笑みかける。
――彼女は極限の緊張中にあった。聖騎士という存在を前にして、感じた事の無い威圧感に当てられていた。
まあ確かにこれは戦いで、少々の緊張感は必要である。だがそこまで固くなる事も無いし、あくまでこれは模擬試合だ。
「さっきまでの威勢はどうした、ラヤ。そんなに怯えて」
「……あんた、異常だよ。人間がそこまでの覇気を備えるなんて……有り得ない」
「有り得るさ。世界は広い上に、何百何千もの強者が巣食っている。お前達が暮らしていた『温室』を抜け出せば――この聖騎士が常識の範疇にいると思い知らされる」
「――ッ」
ラヤ達が戦ってきた相手は、人限定にして強者と謳われた猛者なのだろう。その実力は人の中でこそ発揮されてきた。
……だが、ここは人間だけの世界ではない。
悪魔や神々、そして人の限界を超えし超越者達がいるのも現実。ラヤの言う強い奴とは……ゼノスにとって、どこまでも弱い者だったのだろうか?
「俺がこの場で教えたいのは、ただ一つ。――世界は甘くないという事だ!」
ゼノスは皆に聞こえるよう声を張り上げ、形容し難い圧倒感が騎士達の全身を震わせる。
彼は騎士達が誤った認識をし、ランドリオ騎士を名乗っている事に腹を立てる。彼等と顔を合わせて初めて知った。……自分達の強さに酔いしれ、我等こそが史上最強の騎士団だと、そう確信していた事を。
「自惚れるな、現実を知れ!誇り高き騎士はどこまでも強きを求め、敬愛する主と民を守るために限界を超える……今の地位と功績にしがみ付くな!」
「……」
その時、誰もがその言葉に心を打たれた。
騎士達はこれまで様々な戦を抜け、生きて来た。その功績、その地位は確かに相応の強さを模した勲章であろう。
しかし、そこで踏み止まってはいけない。お前達はどうして騎士になりたいと思った?何の為に強くなりたいと思った?
――もし金や自らの利益の為だけに入団したのならば、それこそ思い知る事であろう。
――騎士として大切な誇りがあれば、もっと強くなっていた筈なのに。……強くなっていれば、どれだけ後悔せずに済んだのだろうかと。
「……死守戦争。あの時何故多くの騎士達が命を落としたのかを……どうして俺が、儚い命を失って後悔したかを……今のお前達に理解出来るか?」
そう、全ては己の弱さを知ったからこその結末。自分の強さを過信した騎士達は始祖を目前に、茫然自失となりながら死んで行った。
何も守れないまま……何も得られないまま。
自分は罵られようと構わないが……現実を知らない上での発言は、死んで行った彼等に失礼であり、自分の盲目さを晒す羽目になるのだ。
ゼノスは呆気ない表情を見せるラヤを見据える。
「――お前もだ、ラヤ。ランドリオ騎士団に入ったからには、アリーチェ様をどんな魔の手からも救える実力と意志が必要だ。……こんな温室で強者を求めるな」
「……なら、それを証明してみせなよッ!」
ラヤは一心不乱になり、獰猛な瞳でゼノスを捉え獣の如く地を駆け走る。
獲物を射抜く視線は小国の剣王を恐怖させ、驚愕の戦闘センスは幾百人もの兵士を葬って来た。
『ランドリオの狂犬』と謳われた聖騎士部隊第一大隊長・ラヤ。彼女は部下達から純粋な尊敬と称賛を経て今の地位へと上り詰めた。
――騎士達が見た中では最強である彼女。
……だがしかし、皆は初めて知る事になる。いや正確には、改めてその凄まじさを実感する事となった。
我らが六大将軍の――その力を
「――ぐ、ああっ!」
見えない何か、物理的現象とは違った圧力が疾駆するラヤを押し寄せ、その全身を軽々と後方へと吹っ飛ばす。
当のゼノスは一歩も動かず、剣も振るわずの状態だった。
ただ目前を見据え、ラヤを射捉えただけだ。
「………………」
その場にいる騎士達は静まり返る。
強敵を倒し、どんな相手にも屈しなかったラヤ大隊長。その彼女が経った今容易に跳ね飛ばされ、ゼノスに近付けさえもしなかった。
強い弱いの問題では無く……もはや自分達と比べるのは妥当では無い。彼等は一瞬にして把握し、英雄と謳われた彼に畏怖する。
「……これが答えだ。何度も言うが、世界は広い。騎士として在り続けるならば、より一層の鍛練に励めよ。――俺のように、弱腰にならぬようにな」
「――っ」
ラヤは返す言葉も無かった。それは勿論、他の騎士達もだ。
そんな様子に、ゼノスは溜息をつき……いつもの調子で問いかける。
「――へ、ん、じ、は?」
ゼノスの言葉に、皆は緊張しその場から立ち上がる。
一斉に皆が「はっ!」と呼応する。この場にいる者の殆どが部下を持ち、それなりの実績を重ねた騎士達であるが……聖騎士の前では、その体裁さえも通じない。
……彼の前では、皆が一介の騎士でしかなかった。
圧倒的な試合を見て、ゲルマニアは感極まった様子でゼノスを見つめていた。
流石は白銀の聖騎士ゼノス。普段は堕落した生活態度を行う青年であるが、肝心な場では騎士の鑑として君臨し、迫力ある説得力で皆を従える。
それは紛れも無い、ゲルマニアの憧れる騎士像であった。フィールドも言葉には表現しなかったが……彼の威厳に最上の敬意を表していた。
誰もがゼノスの叱咤に驚き、不意を突かれた。しかしそれと同時に、彼を弱い等と認識する者もいなくなったようだ。
「……良かったですね、アリーチェ様。この場の雰囲気から察するに、ゼノスを馬鹿にする者はいなくなったと見受けられます。ですからアリーチェ様も………………って、アリーチェ様?」
ゲルマニアの疑問符に、六大将軍三人も不思議に思って彼女の顔を確認する。
――アリーチェは、頬を紅潮させながらゼノスを見つめ続けていた。茫然としながら、まるで片思いを抱く乙女の様に。
これはもしや、と驚愕の表情で皇帝陛下を見定めるゲルマニア。
――その反応に答えたのは、苦笑いを浮かべるイルディエだった。
「あ~らら……。ゲルマニアちゃん、今はそっとしておいてあげましょ。姫様は……ね?」
「は、はい……」
多分今の彼女に何を言っても、後で聞き返されるのがオチであろう。それほどまでにアリーチェは、ゼノスの行動に心酔しきっていた。
……その様子に、ゲルマニアは心の痛みを感じる。
アリーチェは約一か月後に婚約披露宴を行い、我等がまだ知れぬ相手と結婚しなければならない。相手が誰で、何故こんな時期に行うのかは分からない。
――ただ、ゲルマニアは知っている。
彼女はゼノスに恋心を抱き、その想いを打ち明けないまま現在にまで至る事を。
今の立場が彼女を縛り付け、まだ十六歳という年齢にも関わらず自由を奪われている身だ。
とても悲しく、とても切ない想い。
アリーチェはゼノスが舞台から退くまで、ジッと彼を見つめていた。
追記)画像掲載サイト「みてみん」にて、ゲルマニアのドレスverを掲載しました。興味のある方はどうぞご覧下さい。




