ep1 聖騎士部隊
ゼノスとゲルマニアは、騎士団詰所前にて広大に広がる騎士団専用の鍛練場、そこで整列する部下達を見つめていた。
三日前のアルギナス牢獄騒動を終え、魔王神との戦いで傷を負ったゼノス……だが彼の強靭的な回復力が素晴らしく、僅か二日の療養で片足の骨折が癒えてしまった。……これもまた常人を逸する所以の一つであろう。
――この回復にはゼノス本人も驚きだ。昔はよく怪我をしていたが、最近は滅多な怪我をしなかったので、まさかこれ程まで自分の身体が強くなっていたとは思わなかったのだ。
…………まあ、それはともかくとして。
ゼノスは今日から六大将軍として本業を行う身であるが、一か月に行われるというある行事の為に、彼等六大将軍はしばらくの間、主に城内での仕事を全うする身になる。
……アリーチェ様の婚約披露パーティー。
ランドリオ皇族が婚約を発表する際、その場には六大将軍全員が出席しなければならず、一か月前には城で待機をしなければならない。将軍とは基本遠征を基本業務とする立場であるが、この時限りは致し方ない。
という訳で、ゼノスは聖騎士人生初めての城内待機を強いられる事となった。
それは他の六大将軍も同様であるが……ただ一つ問題があった。
――如何せんやる事が少ない。必要な書類作業は一通り終了しているし、今の所怪物や外国からの侵略者が来たという報告は無い。いやあったとしても、その任はランドリオ騎士団の大部隊が処理してくれるだろう。
内政に関しても出番が無いのが常である。この面ではランドリオ騎士団政治指導部隊というものが存在しており、彼等を中心として政治を動かしている。将軍はあくまで法律案の可決を決める立場にあるだけだ。
そんなわけで、結局ゼノスはゲルマニアの希望により、午前中は聖騎士が管理する大部隊の鍛練見学、及び指南を行う事にした。前々から騎士団員から聖騎士直々の指導訓練を要求されていたのは事実だし、絶好の機会である。
――だが
「……指南って、これじゃあ…な」
「……す、すみません」
ゼノスは騎士団員全員分の視線を浴びる中、苦笑しながら呟く。
――聖騎士部隊。実はゼノス自身がその目で見るのは初めてだったりする。
ここ何週間は多忙の身だったし、それ以前に六大将軍という立場は基本、自分が統括する部隊とあまり関わらない。
何とも不思議な話ではあるが、六大将軍は常に単独で戦場へと赴き、神話上の怪物や人智を超えた者達と死闘を繰り広げる。安寧秩序を求めるならば、逆に誰も近くにいない方が良い。
……さて。今集まっている総勢は、大体三千人を超えているだろうか。
鍛練場はとても広いが、幾ら何でもこの人数では快適に使用する事が出来ないだろう。本来ならば聖騎士部隊はおよそ一万人程であり、恐らく地方部隊は召集させなかったのだろうけど……それでも多過ぎる。
「――ごほんっ」
「うっ。……こ、これからは気を付けます」
聖騎士部隊副将軍及び聖騎士補佐――ゲルマニアはゼノスの咳き込みにしゅんとなり、潔く自分の不手際を認める。
「今度からは気を付ける様にな」
「は、はい……了解です」
……とりあえず、集まったからにはこの状況で何かやるしかない。なるべく動かず、且つ皆が満足する指南をだ。
このゼノスに対して感激、尊敬、対抗心の眼差しを向けた約三千人に対して……。
いや――あともう一人、興味津々な眼差しを向ける者に対しても。
「……あ、あのアリーチェ様。何か御用がありましたら、後で王座の間にて聞きますが」
――そう。ゼノスとゲルマニアの後方には、朝起きてからずっと一緒に居るアリーチェが佇んでいるのだ。
彼女は相変わらずの微笑のまま、答える。
「いえ、気になさらないで下さい。今はただ拝見したいだけなので」
「は、はあ」
何だかよく分からないが、つまりは続けろという意味なのだろうか。
引っ掛かる思いはあるが、とりあえず部下を待たせてはいけないと思い、ゼノスは大衆へと目線を変える。
全体に行き渡るように大きく、しかし怒声とは違う落ち着いた声音で話を始めた。
「さて、待たせてすまないな。諸君らとは初対面なので自己紹介をしておこう。――私の名は白銀の聖騎士ゼノス・ディルガーナ。今回は所定の事情により、この場にて指南を行う事にした。……とはいえ、これでは何も出来ないな」
ゼノスはあえてアリーチェの婚約式を明かさない。多少は訝しむだろうが、まだ行われていない事を無闇に晒す必要も無い。
案の上騎士達は途端にざわつき始め、「何故聖騎士様が」とか「他の六代将軍様もいるし……一体何事なんだ?」等と呟いていたが、気にしない気にしない。
それにそんなざわめきもすぐに止んだので、ゼノスは注意せずに話を続ける。
「――というわけでだ、騎士達よ、今日は何もせず、何も武器を持つな。今から展開される戦いを括目し、しかと見届けよ。今日の鍛練はそれとする」
その一言に、全員が呆気に取られる。
そんな中から全員の意見を代表するつもりなのか、ゼノスに最も近い位置にいる騎士が前へと出てくる。
「聖騎士様。ご質問があります」
「――貴公は?」
「はっ。私は聖騎士部隊第二大隊長、フィールド・ガンダスタです」
正義感溢れる雰囲気に身を包み、誰よりも身嗜みが優れたその男――フィールドはそう自己紹介し、はっきりと言葉を続けた。
「御言葉から察するに、将軍自らが戦いを行う様子……そして、その相手は副将軍であるゲルマニア様ですね?」
「そうだ。鍛練は何も日々の積み重ねだけでは無い。その目で他者の技量を知り、それを会得する事も重要だ。――だが、それがどうした?」
ゼノスの問いに、フィールドは明確に答える。
「僭越ながら述べさせて頂きます。確かに御二人の戦いは壮絶で、それはもう目を見張る戦闘を繰り広げてくれましょう。……しかしながら、我等にとっては余りにも高レベルな戦闘技術を見せられ、真似出来ない技術もありましょう」
言葉巧みにそう斬り出したフィールドは、自分の隣にいる少女に目を向ける。
「――なので、この者と戦ってみては如何でしょう?彼女は聖騎士部隊第一大隊長であり、実績、技量共々が優秀であり、我等にとっては参考に出来る人物で御座います」
「……ふむ」
その言葉を聞き、ゼノスは何となく彼が考えている事に気付く。
だがあえて確信は持たず、フィールドの横に立つ……いやだらしなく座り込んでいる少女に目を向ける。
その少女は大体ゼノスと同い年、それか一つ年下だろうか。かなり露出した服装をし、魅力的な肢体は騎士達の視線の的となっている。
瞳は鋭く、髪は粗雑に後ろへと括られている。まるで野生児を彷彿とさせ、明らかに騎士像とはかけ離れていた。
ゼノスはその好戦的な態度を気にせず、少女に問いかける。
「名は何と言う?」
「あ?誰あんた……上から目線で物申してんじゃないよ」
その時、周囲がざわっとした。
大半の騎士は聖騎士に対する侮辱に怒りを覚える。……だが彼女もまた自分等の上司であったので、言葉を挟めずにいた。
しかしゼノスの隣に佇んでいたゲルマニアは怒りを露わにし、彼女を叱る。
「――口を慎みなさい、ラヤ!この方は六大将軍の一人である白銀の聖騎士ゼノス・ディルガーナです!?事前に知らせましたし、その態度を直しなさいとも散々言いつけた筈ですよ!」
「あ~うっさいねえ。あたしは強い奴と戦えればいいの……興味無い事は知りたくも無いし、そんな面倒な事やってられないわ」
「――ッ。あ、貴方と言う人は」
ゲルマニアが激昂し、ラヤという少女に近付こうとした時だった。
ゼノスが彼女を手で制し、落ち着くよう合図する。
「アリーチェ様の御前だ、お前こそ行動に注意しろ」
「で、ですが」
「何、気にするな。……まずは彼等の簡単な説明をしてくれ。それによって対応を変えるから」
あくまで冷静に分析し、目の前の二人に笑みを浮かべるゼノス。
そこまで言われてしまっては何も反論できないので、大人しくゲルマニアは簡潔に説明する。
「……男の方はフィールド、女の方はラヤと申します。二人は聖騎士部隊の大隊長であり、過去何度も世界中の猛者を相手に戦い、部隊に多大なる功績をもたらしています。……ただ見ての通り、少々態度に難がありますが」
「……なるほどな」
ゲルマニアの説明に、ゼノスはようやく納得した。
別に自分とゲルマニアが分かる程度で戦えば、騎士達にとっては良い教訓となるし、今後の参考にもなる。
けれども彼、フィールドはどうしてもラヤと戦わせたいようだ。だからあえて聖騎士部隊一の騎士を抜擢し、戦わせようと企んでいると見た。……戦いになるとは思えないが。
……ああ、そうか。
そういえば彼等は、ランドリオ騎士団は六大将軍の実力を完全に把握していないんだった。一度模擬試合で戦う姿を見せた事があったが、あれだって本来の千分の一程しか発揮していなかった。
それに加え、六大将軍と一般騎士の戦場は全く異なり、一切戦場で出くわす機会は設けられない。
――だから彼等は噂でしか知らない。六大将軍はだれよりも強い、白銀の聖騎士は多くの敵を打ちのめした――そう、たったそれだけの情報しか仕入れていない。
フィールドの考えは未だ読めないが、他の騎士達は完全こう思っているだろう。――良い戦いをするかもしれない、もしやラヤという少女はゼノスを打ち倒すかもしれない…と。
――面白い考えではある。だが、まだ彼等は世界を知らない。
教えなければ……この弛んだ精神を持った騎士達に。
「……よし、いいだろう。このような機会は滅多に無いからな」
「よ、宜しいのですか?」
「勿論だ。部下に対する教育も、上の立場がするべき義務だろ?」
ゼノスはゲルマニアの心配を払い除け、大丈夫だと付け足す。
そして今度はアリーチェへと振り向き、一礼する。
「多少お見苦しい面があるかと思いますので、もし拝見なさる場合はお覚悟の程を」
「え、ええ分かりました」
ゼノスの真剣な声音に、アリーチェは面食らったように頷く。
それを見届けたゼノスは、練習用の剣を手に取り、大隊長二人の前へと歩み寄って行く。何とも不機嫌そうなラヤは彼を見据えてみる。
……その時、彼女は背筋を凍らせた。
「――ッ」
その寒気はラヤだけでなく、フィールドも、この場にいる全ての騎士達が悪寒を感じていた。
恐怖――彼等はゼノスが剣を取り、自分達の前へと立ちはだかってから自覚し始める。
見慣れぬ波動、自分達の戦場には無かった新鮮味がそこにあった。
「……あんた、もの凄い迫力だね。あたしは幾多もの戦場を駆け抜けて来たけれど、こんなに恐ろしい感覚は初めてだよ」
ラヤは震え声でそう言う。
ランドリオ騎士団は多くの戦いを経験し、才能溢れる力を発揮して敵を打ち倒して行った。……何時だったか、部下達は主に下級から中級の化け物、又は侵略部隊の討伐を請け負っていると聞いた覚えがある。
――だが、それでは甘い。甘すぎる。
だからゼノスは教えてやろうと思う。長年放置していたお詫びとして、自分達が生きて来た世界が如何に『温室』だったのかを、しっかりと叩き込んでやろうと思う。
ゼノスは挑戦的笑みを浮かべ、ラヤに答える。
「ほお、そうか。――ならもう既に分かっているな。この場合、自分はどうするべきか……どうやってこの戦場を潜り抜けるかを」
その挑発に、ラヤは血気盛んな瞳を向ける。
「……気に入ったよ、その意気。正義をただ振り翳すだけの馬鹿騎士共とは違う…………現実を知る者の証だね」
興味が湧いたのか、ラヤは重い腰を上げた。
地面に置かれている鍛練用の短剣をその手に、刃先をゼノスに向けてくる。とても将軍に対する態度とは思えないが……ゼノスはその闘志を高く評価し、世の条理を弁えていない少女に困り果てるばかりであった。
「――部下共の教訓になる為の戦いはしないけど……それでもいいのかい?」
「……ああ、大丈夫だ」
ゼノスは間を空け、冷静に答える。
「場所を変えよう、ここでは皆が見づらいだろう」
「なら鍛練場の近くに備えられた小闘技場で行いましょう。あそこならば聖騎士部隊全員分の観客席もあり、ゆとりある戦いも出来ますので」
ゼノスが言う前に、フィールドが的確な提案を出してくる。異存は特に無く、それは聖騎士部隊も同様であった。逆に彼等は期待を寄せ、憧れの聖騎士の戦いに胸を弾ませていた。
――かくして、彼等は小闘技場へと向かった。




