ep23 それぞれの意志
ロザリーとゲルマニアが行き着いた先は、漆黒の魔王の間に繋がる長い回廊、その中央に位置する場所である。
転送されたと同時に、二人はその場で尻餅をつく。
「い、いたた……だ、大丈夫ですか。ロザリーさん」
「……大丈夫。…でも、ここは」
ロザリーは此処が何処なのかを口にしようとするが、ゲルマニアがそれに対し、即座に応える。
「――どうやら、私達は親玉の所まで転送されたようです。……うん、光の源も濃くは無いし、普通に行動出来そうですね……」
ゲルマニアはよし、と呟き、その場から立ち上がる。
「ゼノス達がいないのは心許ないですが……とにかく先に進みましょう」
今この二人だけで魔王に挑む――それは自殺行為に等しいし、危険要素しか存在しない。
……しかし、ここに留まっていては埒が明かない。魔王を倒せなくても、ゼノスとユスティアラがやって来るまでの時間稼ぎが出来ればいい。そんな思いを胸に、ゲルマニアはロザリーに進むよう求める。
ロザリーも首肯し、彼女は剣柄に手を添え、二人で長い回廊を歩み始める。
長く……そして深い混沌に包まれた闇の世界。歩いてから約数分が経過しても、一向に辿り着く気配が無い。
「……あの、ロザリーさん」
「……何?」
互いはしばし無言を貫いていたが……ふいにゲルマニアが尋ねてきた。
とても申し訳なさそうに、小さい声で言葉を続ける。
「急な話ですみません……。あ、あの……昨日の食事処で会話されていた話……実は私も耳にしていたのです。盗み聞きするつもりはありませんでしたが……」
シールカードの聴力は、一般人の聴力よりも数段優れている。意識はそちらへと向かえば、数十メートル離れた先の会話でも容易に聞き取れてしまうのだ。
しゅんと項垂れるゲルマニアに、ロザリーは無関心な様子で答える。
「……別に平気。隠すような話でも無いし……他愛も無い話だから」
「で、でも……今から立ち向かう相手は……恐らくロザリーさんの過去に」
ゲルマニアが言おうとしている推測に対し、ロザリーはそれを手で制する。
「……心配しなくてもいい。例えどんな結末が待っていようとも……私はそれを受け入れる覚悟があるし――もしかしたら、とうに受け入れているのかもしれない」
もうあの頃とは違い、自分は精神も、肉体も強靭となっている筈だ。
……それに、何となく事の結末が予想出来てしまう。ロザリーの心がそう訴えかけてきて、細心の注意を払えと警告してくる。
高鳴る鼓動がロザリーの意志を押し殺そうとしているが……そんな事に気を使う余裕は無い。
だからこそ、彼女は堂々と構えるしかなかった。
「……意志が固いのは分かりました。でも……無理だけはしないで下さい」
「……うん」
ロザリーは短く答える。無表情だけれども、穏やかな気持ちになりながら……
……だが、その思いは一瞬にして消え失せる。
薄暗い回廊の燭台に、突如紫色の炎が灯る。怪しくも隠微な雰囲気が周囲を漂い始め、オルガンの音色が回廊中に反響する。
絶望を告げるメヌエット。……これが、宴の始まり。
二人はその場から走ってもいないし、歩いてもいない。回廊自身が徐々に狭まり、回廊の果てにある玉座の間へと誘われる。
永遠に広がる回廊の終着点……。ロザリーとゲルマニアの前に、尊大な様子で玉座に座る男――魔王が存在していた。
重厚な漆黒の鎧、片手には紅蓮の大剣を携える男……間違いなく、ミスティカのカードが見せた姿そのもの。
ロザリーとゲルマニアは高まる緊張感と共に、攻撃態勢を取る。
『……よくぞ来た、醜き金髪の娘よ』
「……魔王……」
出会い早々、魔王とロザリーは闘志をむき出しにした一言を放つ。
……これが魔王。
ゲルマニアはロザリーの好戦的な意志とは対照的に、彼の放つオーラに息を呑んでいた。
――魔王から溢れ出る光の源の量、そして根本的な素質も六大将軍までとはいかないが……膨大な力を誇っている。
ハルディロイ城で既に感じた力と言えど……この覇気に慣れる事は出来ない。ゲルマニアは勇猛果敢であっても、決して力の差も知らずに突き当たる程馬鹿では無い。――そう思ってしまうぐらい、魔王とゲルマニアの力差は歴然としている。
……ふとそこで、ゲルマニアは魔王の背後に誰かいる事に気付く。
特化された視力を頼りに目を凝らすと……ボロボロの布服に、薄汚れた銀色の髪の女性が束縛されているではないか。
魔王はゲルマニアの視線の行く先に気付き、微かな鼻笑いを漆黒の兜から漏らす。
『よく気付いたな、若き騎士よ。……どれ、これも余興だ。この哀れな娘を素直に見せようじゃないか』
そう言って、魔王はパチンッと指を鳴らす。
彼の合図と共に玉座脇の燭台に火が灯り、仄かにその周囲を照らす。
……そして、束縛された女性の姿が露わとなる。
「……………………ノルア、姉様?」
「……え」
ロザリーの瞳に映るのは、疲れ果てた様に気を失い、無残な姿で項垂れるギルガント第一王女の姿――ロザリーの姉であるノルアであった。
……あまりに唐突な再会に、ロザリーはしばし呆然となる。
やがて正気を取り戻したロザリー、心の奥底から溢れる感情は嬉しさよりも、幸せよりも先に――――ドス黒い憎悪が芽生えていた。
溢れんばかりの殺意は魔王に…………いや、
「……父様…………ッ」
『ほう?……素晴らしい。この心がライガンであると、よくぞ見破った』
素直な称賛を口ずさむ魔王――否、魔王ライガン。
……実の所、ロザリーはミスティカの見せた映像から薄々勘付いてはいた。
確証も無く、誰から聞いたわけでも無い。
その疑いは近付く毎に強まっていき……今この場にて、ロザリーはようやく父ライガンであると気付けた。――なぜなら、
――ノルアをこうまで憎み、理由があって痛ぶる事が出来るのはただ一人。ライガンしか考えられないからだ。
「……姉様に何をしたのですか」
『いや何……お前が来たと聞いて金切り声を上げ始めてな。……お前の最期を見て貰う為にこうして我が王座の間に連れて来たのだが……叫び続けた末に気絶してしまったよ』
「……」
ロザリーは思う。人間が叫び声を上げただけで気絶する筈が無いと。
ノルアの身体は汚れていて認識しづらいと思うが、彼女の全身には妙な痣がちらほらと見受けられる。
その痣が何を物語っているかは分からない。……だが恐らく、ノルアは最後の力を振り絞って声を上げ、そのまま気を失ったに違いない。
『……色々と聞きたい事があるのではないか、娘よ。答えてやるぞ、死の世界に行く前にな』
魔王はその場から一歩も動かず、ただジッとロザリーを見据える。
……二年前とは違って、全てを打ち明けるつもりのようだ。自らの願望が叶った故の振る舞いかどうかは皆目見当が付かないが。
だが丁度良かった。
――ロザリー自身も、ずっと聞きたかった事が沢山ある。
「なら聞かせてください。……私達を散々苦しめてきた『ラウメ教』とは何かを……簡潔に、そして詳しく」
二年前のあの事件で、ラウメ教の信仰対象が何であるかは分かっている。
しかし……ラウメ教が存在する所以、ああも人々が狂信する所以……その全てが知りたい。
『ふふ、そうか……お前はラウメ教が何たるかを把握出来ていなかったな』
魔王ライガンはそう呟き、足を組みながら言葉を続ける。
『――ラウメ教。二年前のあの儀式、そしてこの身で分かったと思うが……ラウメ教は我等王族の祖先が魔王ルードアリアを慕い、彼を信仰対象としたのが始まりである。……後に戒律と呼ばれるルードアリアの教えが誕生し、人々はラウメ教こそが全てだと享受されたのだ』
ギルガントの歴史、文化、宗教、習慣はラウメ教を基準とし、皆はそれが正しいものだと教えられてきた。
それが――邪教国家ギルガントの本質である。
『……いつしか人々もラウメ教こそが正しいと認識し、あらゆる不条理は当然の報いだと信じてきた。――私もまた、その中の一人に過ぎん』
だからこそ、ライガンは戒律に従ってきた。あらゆる意志を投げ捨て、ギルガント王国が信じるルードアリアを尊敬してきた。
……そうだ。ライガン王は自己の意志を捨て、ギルガント王として……ラウメ教を広げようと、ルードアリアの願いに応えようとして魔王となった。
――これがギルガント王の言う真実。
……だが、まだ重要な事を聞いていない。
二年前は勿論……幼い頃からずっと疑問に思い、あの儀式でライガンに投げかけた彼女の本音。
今この場で、ロザリーはもう一度あの言葉を言い放つ。
「……本当に、本当に父様はそう思って信仰を尽くしているのですか?」
『…………何?』
ライガンはまたもや疑問の声を漏らす。二年前と同じく……
以前の自分ならば、ここで言葉を止めていたのだろう。自分の意志よりも弱さや怯えが先に出てしまい、更なる本音を口に出せなかった。
……しかし、今ならば言える。
二年の時を経て、身も心も強くなったロザリーならば――
――二年前に言えなかった、言葉の続きを――
「――なら何故、父様はいつも…………『悲しそうな表情』でいたのですか?」
『なっ………………』
…………ライガンはその言葉に、思わず動揺の呻きを漏らす。
『……な、何を言うか。私はいつでもお前を憎み続け、戒律に従ってお前の死だけを待ち続けてきたのだ!そのような感情など』
「なら何故!あの図書館の中で笑いながら…………笑いながら涙を零していたのですか!?」
『ッ……お、お前……何でそれを……ッ』
言い掛けて、ライガンはハッとした様子で言葉を打ち切る。
……ロザリーはあの時、ライガンの死刑宣言に絶望に暮れ、ただ茫然と笑い声を聞いていたわけだが…………あの日の出来事を何度も思い起こしていたロザリーは、ライガン王の哄笑に……微かな涙声が混じっていた様にも感じた。
――その確証を得ようと鎌をかけた結果、予想は見事に的中した。
嗚呼、やはり……あの時ライガン王は泣いていた。ライガン王はいつもロザリーに悲しそうな表情を向けていた。
その現実が、ロザリーに衝撃と困惑を与える。
「父様。………………もう、ギルガント王国は滅んだのです。体裁も何もありません……。だから、どうか本当の……父としての言葉を」
と、ロザリーが言い終える前だった。
ライガンが突如玉座から消え去り、今まで傍観していたゲルマニアがロザリーの前へと躍り出る。
激情と共にゲルマニアの前に現れたライガンは紅蓮の大剣を振るうが、間一髪の所でゲルマニアも自前の大剣で受け止める。
「――ぐっ、く」
何て重い一撃なのだ。ゲルマニアは自らの大剣に護りの祝福を込めたにも関わらず、たった一太刀でその祝福は崩れ去ってしまった。
――一方のライガンは、戸惑うロザリーを見据えて激昂する。
「私に……この私にそのような感情など有りはせぬ!今の私は魔王!戒律に従い、魔王を崇拝する男であるぞ!」
ライガンは表情の見えない兜を通し、そう答える。
あくまで意志は存在しない。あったとしても、他人には絶対見せぬ。断固たる崇拝者を貫き、娘ロザリーの願いを強引に振り払う。
「と、父様……」
ゲルマニアはちらりと後ろを向き、ロザリーの様子を窺う。
……その表情は絶望的だった。自分は本当にいらない存在だったのか、何故何も言ってくれない……親の愛情を欲する、か弱い子供の様相である。
――これは戦うしかない。ゲルマニアは素直にそう思った。
「……はあっ!」
細腕に似つかわしくない腕力で、ゲルマニアは魔王の大剣を何とか押し返す。素早く体勢を整え直すライガンに一切の余裕を与えず、彼女は両手で大剣を振り下ろし、ライガンを一刀両断にしようとする。
……だが、ライガンはそれを籠手で受け止める。
「……っ」
『邪魔だ、若き騎士よ!私はロザリーを処刑せねばならぬ……戒律の為に、民の為にもな!!』
「くっ……いい加減にしなさい!何故実の娘と向き合おうとしないのです?世間為ですか?――それとも、怖いからですか!?」
『――ッ。五月蠅い…………五月蠅いぞ小娘があっっ!』
魔王は大剣を持たない手でゲルマニアの刃を鷲掴みにし、ゲルマニアの全身ごと横へ放り投げる。
「うっ……!」
その動作があまりにも早くて――いやそれだけで無く、圧倒的な覇気が襲い掛かり、ゲルマニアは成す術も無いまま壁へと打ち付けられる。
「ゲ、ゲルマニア……」
激痛に顔を歪ませながら倒れ込むゲルマニア。それを見たロザリーは、目前に迫ってくるライガンへと振り向く。
――情けない事に、身体が思うように動かなかった。
先程から動け、動けと命令しているのに……様々な戦いを潜り抜けてきたロザリーは、魔王ライガンの存在に震えていた。
『さあ、今度こそ死ぬが良いロザリーよ。――その方が、お前の為になるのだから!!』
ライガンは大剣を振り上げ、自分の剣を抱えて震えるロザリー目掛けて振り下ろそうとする。ロザリーはきゅっと目を閉じる。
……死ぬのか?結局何も抗えず……何も解決しないで。
弱い自分として死んで行くのか?――このまま恐怖と怯えに従い、死という恐怖を受け入れるのか?
…………嫌だ、死にたくない。
……助けて。…………助けて…………助けてっ。
ロザリーは懇願する。――それは果たして、誰に向けられた想いなのか?
彼女を待ち受けるのは、永遠の闇か?それとも、虚無の世界か?
――いや。どちらでも無かった。
「……おいおい。娘相手にそれは無いんじゃないか、ギルガントの王様よ?」
……絶望の淵に立たされたロザリーに、光の声が囁いてくる。
「……え」
――振り下ろされない大剣。ロザリーがそっと目を開くと……そこには異質な服装をした青年が佇んでいた。
青年――ゼノスはライガンの大剣を素手で受け止め、不敵な笑みを見せる。
ロザリーが信じられない表情で凝視する中、ライガンが驚愕の声を発する。
『その剣は……。貴様――白銀の聖騎士か!』
「ちょっと違うな……。俺の名はゼノス・ディルガーナ。『白銀の聖騎士ゼノス』だよ!」
ゼノスはリベルタスで大剣を跳ね除け、ライガンの腹へと蹴りを入れる。……それだけで、彼を遥か後方へと押しやる。
――瞠目するロザリーを守る体勢に移り、改めてリベルタスを構えるゼノス。
――聖騎士と魔王の戦いが始まる瞬間だった――