ep20 王家の宿命
深き混沌の闇。もし世界が夜闇に満ちていたら、これ程までに陰気で、悪寒と恐怖しか感じられない空間と化していたのだろうか……。
――ここはアルギナス地下牢獄、その最深部に位置する階層。
元々牢屋だったこの場所は、今蔓延る主によって作り変えられ、牢獄街同様……もはや牢獄とは思えない光景であった。
漆黒の石壁、改装されたその空間は、王座の間と言っても過言では無い。紫色の炎が灯るシャンデリアが辺りを隠微に照らし、その元に数十もの悪魔が玉座を前に頭を垂れている。
どれもが神話や伝説に名を連ねる猛者ばかり。玉座に座る一人の男に対し、彼等は否応なく膝を付いている。
『……魔王様、身体の具合は如何でしょうか?』
悪魔の一人が玉座に座る彼――魔王にそう尋ねると、魔王は右手をぐっと握り、そして開く。その行動を何回も繰り返した上で、彼は短く答える。
『――上出来である』
『左様ですか。……しかし、御身はまだ転生されたばかりの身。無理な行為は慎まれますよう』
『ああ、分かっている。神が授けてくれたこの身、一つの傷も付けぬ。貴様等を従え……魔の蔓延りし世を築いてみせよう。――それこそが神の願望であり、恒久の平和を導く』
魔王はその場から立ち上がり、大剣を正面に向ける。
その禍々しき声音で、全悪魔に宣言する。
『――いざ進め。向かうは忌々しき最強の救世主……六大将軍の元へ赴き、我の面前にその首を示せ』
『仰せのままに――魔王様』
悪魔共は一斉に呼応する。
進め、そして殺せ。あの憎たらしい人間共を。我等が願う悪魔の世界を創造する為に、我々はこの化け物の姿で戦う。
後悔も無ければ、悲壮も無い。
――もう、『人間』だったあの頃を懐かしむ事は……有り得ない。
全ての悪魔が部屋から消えた後、魔王は一人でに笑う。
……何て自分は、強運の持ち主だろう。
あの日、この牢獄を管理する者共に捕えられ、牢屋に入れられた時には絶望し、悲しみに暮れたものだった。
何の為に神を信じたのだ?こうして無残に捕えられる事こそが、我等の信じてきたものの結果なのか?
それは自分だけでなく、同じ運命を歩んできた者も同様であった。
――だが、奇跡は唐突に訪れた。
すっかりと憔悴し、意識が遠のく中で……自分の目前に誰かが佇んでいたのだ。
勿論、牢屋の中には自分一人しかいなかった。しかし、その頃の自身はそれさえ考える気すら持っていない。
……もしや、貴方様は。そう口にすると……その男はこう答えた。
「……ええ、そうですよ。私はギルガントの戒律を創造し、貴方達の祖先にその教えを授けた者です」
嗚呼……アア……こんな事があっていいのか。
今目の前にいるのは、我等が長年崇めてきた――神そのもの。
待っていた、ずっとこの日を待ち望んでいた。
「……可哀想に。こうして何の見返りも無く、ただ私を崇めて衰弱していく。――そのカードを扱えないばかりに、真の力があるにも関わらず」
男は片膝を付き、横たわる自分の頭を撫でてくる。
とても愛おしく、愛する我が信仰者に最上の慈しみを与える。
その顔に――狂気に満ちた笑みを浮かべて。
「でも安心しなさい、我が僕よ。――もしその力を行使したくば、もし世界に我が教訓を知らしめたくば……この身を授け、その力を開花させてみせましょう」
御身をこの自分に授ける。自分はそれを聞いた瞬間、失いかけていた野望が再臨し、潔く答える。――任せて下さい、と。
嗚呼……どんどんと自分の身体が消えて行く。これは夢か現実か、はたまた魔術の類なのか、それは自分の知り得る事では無い。
……でも、心が離れていく。古き体と別れ、新たな体として生きると、それだけは分かっていた。新たな体――すなわち、我等が神である彼として、世界にその素晴らしさを教えていくのだと。
「……さようなら、ライガン王。この私――『ルードアリア』と共に生きよう」
そして――ギルガント国王ライガンは、ルードアリア本人の意志によって魔王となった。神身はカードに光を宿らせ、長い日数を経て……ようやくこの『悪魔のシールカード』の力を発揮させる事に成功した。
――『悪魔のハート、魔の行軍』。
カードに封じられた悪魔達はその身を露わにし、世界を貪る為に大群と成し、人々を喰らっていく。
その素晴らしき力に、魔王ライガンは自然と笑みがこぼれてしまう。
「――悲しい姿ね、父様。戒律に囚われた……哀れな人」
ふと、玉座の後ろから哀れみの声が響き渡る。
とても凛としていて、この闇に満ちた空間には合わない声音。
「……何とでも言うが良い、裏切り者。本当ならば貴様……とうの昔に骸と化しているのだぞ」
魔王ライガンは不満そうにそう述べ、ちらりと後ろ向く。
壁には人間を束縛する拘束具が備えられていて、そこには既に縛られている者がいた。
――埃に塗れた銀髪、美しかったであろうその肢体は痩せ細っている。恐らく数年の歳月を掛けてこの牢屋に住まい、精神的苦痛が彼女を襲ったのだろうと……その身が如実に表していた。
だが、魔王ライガンに向ける眼光は誰よりも鋭く、生気に満ち溢れていた。
――ギルガント第一王女、ノルア・セレウコス・ギルガントの成れ果てた姿であった。
「……なぜ今殺さないのかしら。私は国の邪教信仰を、シルヴェリア騎士団を介して密告した身よ?この世に未練が無い今……いっそのこと、殺してくれた方が幸せなのに」
「くく、早まるでないノルアよ。この日、この時……私がやり残した事を貴様は見守らなければなるまい」
「……やり残した、事?」
ノルアはハッとし、震える声音で呟く。
「ま、まさか……」
彼女は思い起こす。――二年前の惨劇、宿命に従った妹の処刑。それは行われる筈だったが、その野望は呆気なく崩れ去った。
――ライガン王が後悔し、宿命に駆られる理由……ある一点以外は考えられない事である。
「ロ、ロザリー……が」
妹が、ロザリーが今この場に来ているとでも言うのか?
もしそうだったら、何て因果なのだ。何て宿命の深さなのだ。運命はそこまでして、ギルガント王家同士の争いを望むのか?
……馬鹿げている。自分は妹に自由になって欲しくて逃がしたのに……こんな運命は、余りにも酷過ぎる。
「にしても……お前の姉妹愛には恐れ入る。――二年前のあの日、自らも邪教に加担していたにも関わらず…………妹の為に、その身が連行される事を覚悟した上で密告するとはな」
ノルアの滑稽さに、魔王ライガンは高々と嘲け笑う。
彼女がこうして牢獄にいる理由……そう、二年前の話である。
王女ノルアは所属していた駐屯騎士団を利用し、牢獄都市アルギナスに邪教崇拝の真実を密告しようと動いていたのだ。
……王国の真実を証明する為に、ノルアは自分の身体を汚し続けてきた騎士を頼った。邪教と確証させる為に、ノルアはライガン王の許可を得て邪教徒の一員にも加わった。
全ては自らの復讐……そして、愛しい妹を救う為にやって来たのだ。
――それなのに。
「とんだ浅知恵だったな、ノルアよ。……娘ロザリーは、ああ見えて執念深い性格よ。私を殺す為ならば、地獄の果てまでも追い駆けてくるに違いない。……父娘共々、正気の沙汰では無いなぁ。くく、くくく」
「――ッ。知った風な口を……貴方にロザリーの何が分かると言うの!」
ロザリーは体全体を前へと押し出し、激昂する。
妹は好きで執念を燃やしているわけでは無い。あの子はどこまでも純粋で、優しい子だった。
そんな妹を復讐鬼に変えたのは――この外道のせいだ!!
「はっはっはっ!醜い、誠に醜いものだ!貴様は我がギルガント家の恥であり、戒律を破りし愚か者……悲痛に叫びながら、そこで妹の死を眺めているが良い」
「……ライガンッ。貴方と言う人は……ッ!!それでも実の父親なの!?」
ノルアは憎悪に満ちた声音で叫ぶ。
ロザリー来ては駄目、来たら死んでしまう。自由よりも復讐を取るだなんて、それは貴方の望む人生では無いでしょうっ!と、心の中で強くそう思いながら。
「さあ、早く来いロザリー。呪われし我が娘よ。……今の私は魔王。それでも臆さぬと言うのなら……あの時の宿命に決着を付けようじゃないか」
ライガンはまた深々と玉座に座る。
地上から鳴り響く戦いの讃美歌。人が死ぬ、悪魔が死ぬ、全てが死ぬ時の嘆きを聞きながら、彼は浅い眠りに入る事にした。




