ep19 残酷なる虐殺劇
ゼノス達は全速力で駆けつける。
悲鳴の叫びを上げながら逃げていく囚人達、それらを何とか掻い潜りつつ、一刻も早く、早くという気持ちで走り抜ける。
そして――ゼノス達はその圧倒的な光景を目にする。
「――ぐっ、耐えろ。耐え抜くんだ!ユスティアラ様達が来るまで持ち堪えるんだ!」
「く、くそおおおっっ!何なんだ、こいつ等はっ!!」
現場は壮絶なものだった。
地下牢獄前の広場はとても広く、およそ大貴族の屋敷を一件建築出来る程である。そこで化け物共と兵士の対戦は繰り広げられているが……兵士は既に疲弊し尽くし、半分が血の海に飲まれており、もう半分は血だらけになりながら対抗している。
そして対する化け物共……こいつ等を一目見た途端、ゼノスとユスティアラに動揺が走る。
「……やはり悪魔か」
「…………メドゥーサにインプ、イフリートに……ケルベロスやベヒーモスまでいるのか」
ユスティアラが述べた悪魔の名称は、全てが上級ランクに属する悪魔達である。通常ならば数年に一回、闇が渦巻く地にて一匹のみが降臨される存在だが……さしものゼノスも、ここまで多くの悪魔を見た事が無い。
「成程な……流石は魔王ルードアリア、と言っておこうか。だが、少々やり過ぎだな」
……そんな六大将軍の冷静さを見て、ゲルマニアやロザリーは思う。
自分達はこの圧倒的な光景に畏怖を感じ、先程から足の震えが止まらない。なのにこの二人は……まるで悪戯をする子供を見咎める様な、そんな軽い気持ちでいるのだ。――通常ならば有り得ない感覚である。
「ふむ、悪魔の数は……ざっと三百……いや、三百と五十か。聖騎士、悪魔の鎮圧を――このユスティアラに任せてもらえないか?」
「……え?で、ですがユスティアラ様。この数はいくら何でも」
――と、ゲルマニアは止めようとする。しかしそれをゼノスが手で抑制してきた。大丈夫だ、とゲルマニアに言い聞かせ、ユスティアラに視線を移す。
その表情は……不敵な笑みに満ちていた。
「……『肩慣らし』をしたいんだな?」
「その通り。ここ最近は人を斬らず、化け物を斬らずの日々であった。……故に、目の前にいる『弱者』で調整を行おうと思っている」
「ああ~確かに調整はやった方がいいしな。俺達はこの場に待機ってことでいいのかな?」
「そうしてくれ。――では」
ユスティアラは短くそう答え、ゼノス達を置いて戦争の最前線へと赴いて行く。
その後ろ姿を見守るゼノス達。……ふとゼノスがゲルマニアを見やると、彼女は心配そうにユスティアラを見据えていた。
ゼノスは溜息をつき――彼女の頭を軽く小突く。
「あいたっ。……な、何するんですゼノス?」
「お馬鹿、そんなにユスティアラの心配をしなくても大丈夫だって。……何せあいつ、俺と何度も手合せをしてきたが、その内何回かは引き分けだった程だからな」
「そ、それは凄い事ですけど……相手はあの悪魔ですよ?しかも何百匹もの数ですよっ!?」
これはゲルマニアの故郷、エトラス村で語り継がれてきた話だが……悪魔は一匹で何百人もの人間を一瞬にして屠り、その邪悪な力は世界を滅ぼす力を有しているとさえ言われてきた。
そんな化け物をたった五百人で対抗しているのは凄い事だが……いくら六大将軍であっても、一人の力で戦局が変わるとは到底思えない。
「……だから心配するなって。今から行われる戦いを見ていれば、そんな事も言えなくなるから」
「え……?」
ゼノスはそれ以上言葉を発さず、静かに戦場を見据える。愛剣のリベルタスには手も添えず、自分の戦場はここで無いという態度であった。
そこまで言われてしまっては、流石に言い返す事も出来ない。隣のロザリーも無言を貫いている為、ゲルマニアもそれに従う羽目となる。
――さあ、虐殺劇の開幕だ。
血も涙も無ければ、一切の妥協も許さない。ただ目の前の獲物を斬り裂き、痛ぶり、激痛の果てに絶命させる。
六大将軍が一人――ユスティアラの『狩り』が始まる。
ユスティアラは一歩、また一歩と戦場に向かう。
戸惑いはしない、恐れはしない。苛烈する悪魔と兵士達の戦――その目前の様子を鋭い目つきで睥睨し、冷静沈着を何とか保たせる。
我が同胞をこんなにも殺した恨み、憎しみ、願わくば悪鬼の如く攻め入り、あの醜い化け物共を皆殺しにしたい気分だ。
……だが、それは彼女の流儀に反する。
ユスティアラが六大将軍の座に着き、様々な化け物共を打ち倒し……そして、聖騎士ゼノスとの手合せで引き分けにまで追い込んだ所以――それは彼女の冷静さと深い関わりがある。
静と動、この相反する原理を一体と考える。大自然と一体になり、己が力として吸収する。
――そう、例えばこんな風に。
ユスティアラは繰り広げられる戦場を前にして歩みを止め、持っていた刀を頭上高くに持ち上げる。
……そして、その刃に微かな冷気が宿る。
「……新春を待ち望む、それは貴様等の様な愚者が望んで良い事では無い。――真冬の息吹に飲まれ、永久に眠れ」
放たれる言葉と同時に、ユスティアラの剣閃が舞う。
兵士達は戦いを止め、肌で感じる微かな寒気に息を呑む。外的な寒さもあるが、精神を凍り付かせる様な雰囲気が彼等を襲う。
……しかし、それは彼等にとって救いの予兆である。
振り下ろされた彼女の刀、その刃に刻まれた冷気は空を走り抜け、容赦なく悪魔達の全身を通り過ぎていく。
――それは一瞬だった。
気付けば三百以上いた悪魔の半分は、一瞬して氷の牢獄に閉ざされ、絶対零度の死が化け物共に降りかかった。
『ナ、ナンダコレハ……』
『サムイ……クルシイ……アア、イタイ、イタイ、イタイ……ッ!』
『ダレダ……イッタイ、ダレガ』
何とか生き永らえた悪魔共は動揺の呻きを上げる。
絶対の恐怖を人間に与える筈の悪魔が、一人の人間が放つ氷の剣閃によって恐れ慄き、震え上がっている。
――その一方で、アルギナス牢獄兵達は歓喜の言葉を放っていた。
我等が仕える誉れ高き将軍が来てくれた。化け物共よ、ユスティアラ様を前にして生きて帰れると思うなよ、等々……彼等は声高々に叫ぶ。
そんな兵士達に、ユスティアラは戦場に響き渡る程の声で宣言する。
「――我が同胞よ、よくぞ耐えてくれた。此度の戦、今よりこのユスティアラが調停する。お前達は牢獄内全域に散らばり、牢獄街に放たれた少数悪魔の個々撃破に向かえ!」
「――はっ、了解!」
こうして、悪魔達がユスティアラの殺気に動揺している隙を狙い、兵士達はすぐさま散開していく。
それを合図としたのか、悪魔達は標的をユスティアラに定め、喧しい奇声を上げながらユスティアラへと襲い掛かる。ここでやらねば、一瞬の間にて全滅してしまう。やらねば……今すぐに!そんな思いが焦燥と化し、無謀な突進を展開させる。
「――愚かなり。己が力量を図れぬとは……うつけ以下よ」
どこまでも冷静なユスティアラ。だが目の前には悪魔の大群が襲撃していて、その先頭を仕切るキマイラが炎の吐息を吐き出す。
「微々たる哉、この児戯に等しい一撃。――払え、風よ」
彼女はただ一閃する。――静かに、ゆったりと。
それだけで彼女の周囲に竜巻が発生し、業火の炎は竜巻の盾に衝突して霧散してしまう。幾千人もの人々を焼き殺したキマイラの炎を、一瞬にしてだ。
ユスティアラは左足をバネに、自らが創り上げた竜巻を突き破っていく。そのまま全速力で敵軍の懐へと潜り込んだ。
『――グ、ギ?』
キマイラの目前にて抜刀の構えを取るユスティアラ、その姿を認識したキマイラは、その猛き爪を振り上げようとする。
しかし――彼女にとっては既にどうでも良い事であった。
「……狂い咲くは鮮血の花」
ユスティアラは抜刀する。刃はキマイラの肉を斬り裂き、一秒も経たない内にそいつを十六等分の肉塊へと変化させる。
「……咲き誇れ、どこまでも紅く」
彼女は疾風と共に消え去り、疾風と共に悪魔共の目前へと現れる。血塗られた刀身は更に血を欲し、脆弱な弱者共を殺戮していく。
三…八……十七…………三十二。
止まらない。刀の舞が、ユスティアラの虐殺劇が。
「……狂おしき花弁は荒々しく散り」
地上の悪魔達はその凶器に斬られ、その全身から生暖かい血を噴出させていく。
残るは空中に潜む悪魔共。奴らもまた空から猛攻を繰り返しているが……残念な事に、その攻撃が彼女を掠める事も無かった。
「……天には紅蓮の花火が立ち上がる」
ぐっと柄を握る手に力を籠め、上半身を軽く後ろに反らす。血染めの刃を天空にいる悪魔共に向かって――投擲。
刃の切先から異様な光を放ち、ユスティアラの刀は無数の氷柱と化す。数多の氷柱は悪魔の反撃をも許さず……鋭利なそれに貫かれる。
一切の悲鳴も、嘆きの念も、許しを乞う事もさせぬ。ユスティアラの裁きが具現化され、天にいた悪魔共はその原型を留める事は無かった。
ただ宿主を失った血液が血の雨となり――静寂と化した戦場に降り注ぐ。
「――風情ある終焉。これ即ち、卑しき悪魔にはお似合いよ」
総勢三百程の悪魔達。
それらは一人の六大将軍によって、僅か数十秒で全滅した。
「――どうやら、全部片付けたようだな」
粗方始末した事に気付いたのか、ユスティアラの背後にはゼノス達が佇んでいた。ゼノスは軽いノリで声を掛けてくる。……だがゼノス以外は、すっかりユスティアラの華麗且つ残酷な戦いを見せつけられ、畏敬の念を込めた表情でいた。
投擲したはずの刀を自身特有の力によって新たに復元させ、それを柄に納めるユスティアラ。長い黒髪を手で払い、涼しげな様子で答える。
「ふむ、丁度良い肩慣らしにはなった。……しかし安心はまだ出来ん。これだけの悪魔がいるとならば、地下牢獄には更に多くの悪魔がいると考えた方が無難だ」
「そうだな……。だが一体、あれほどの悪魔をどうやって召喚したんだ……」
いくら魔王といえど、悪魔の召喚にはそれなりの代償を要する。命、金、人間、財産等……種族によっては大いなる代償を払わなければならない。
(……これも、シールカードの力なのか)
詳しい原理こそ定かではない。しかしそれ以外に有り得ないというのも事実。
侮れない。恐らくユスティアラも同じ考えであろう。圧倒的勝利を収めたにも関わらず、その表情に余裕は見られなかった。




