ep4 リリスの思い(改稿版)
宿舎に戻ると、そこには誰もいなかった。
いつも一緒にいるラインとロザリーさえ見当たらないが、きっと依頼に関する調査に出かけたのだろう。
少し寂しいが、今のゼノスにとっては丁度いい。一人でいた方が、余計なことを考えなくて済む。
木の床が軋む音を響かせながら、ゼノスは二階へと上がっていく。確か自分の名札がかけられたドアがあるはずだが……ああ、あれか。
目的の部屋の前へと向かい、そのドアノブを持った。その瞬間、
……部屋の中から気配を感じた。
敵意はない――その気配の正体に気付いた途端、ゼノスは軽く溜息をつく。
ドアノブを回し、ゆっくりとドアを開ける。
部屋には予想通りの人物が立っていた。
「……リリス副団長か」
「はあ、道中で見かけたのでもしやと思ったのですが。団長を置いて戻ってこられましたのね」
リリス副団長は、呆れたような表情でゼノスを見つめていた。
「何かまずいことでも?」
「団長は良いとして、サナギが切れますわよ?それこそドラゴンみたいに」
「もう慣れたよ。だから気にしない」
「……ああ言えばこう言いますわね」
リリスはゼノスの言葉に眉をひそめる。はっきりとは言えないが、大分お怒りのようだ。
……おや?
こうやってわざと挑発すれば、いつも無言で立ち去るのに。今日は何故かゼノスを見つめ、何か言いたそうにしている。
どうした、と問う前に、リリスから話を切り出してくる。
「……もう我慢の限界です。はっきりと言わせてもらいますわ」
「さて寝るかな。それじゃリリス副団長、おやす――」
「あ、こら!貴方という人は、一体いつまで堕落しているつもりですか!?」
リリスはベッドに横たわろうとするゼノスを力づくでひっぺ返し、溜まっていた感情を爆発させる。いつも冷静なリリスだが、こんなに感情を露にさせるのは初めてかもしれない。
やれやれ、と不満そうな顔で見つめ返すと、リリスは更に捲し立てる。
「帝国が大事な時に――貴方は騎士の心得さえ捨てたのですか!ゼノス将軍!」
ゼノスは悩ましい表情でこめかみを抑える。
正直、このリリスと話をするのはかなり疲れる。昔のゼノス、つまり白銀の聖騎士の頃に知り合ったのだが――今はお互い立場が違う。
「……………あのな、俺はもう六代将軍じゃない。お前ももう俺の部下じゃないんだぞ、リリス?」
「うっ!そ、そうですけど……そうなんですけど!二年経ってもまだ受け止めきれないのですわ!私の敬愛する聖騎士様が……う、うう、まさか、ここまで駄目男になるなんて」
「お、お前。その通りだが、もう少しオブラートにだな」
半べそをかき始めるリリスだが、正直ゼノスだって泣きたい気分だ。そう言いだしかけるが……また面倒なことになりそうだから止めておくことにしよう。
――リリス。今はシルヴェリア騎士団の副団長だけど、二年前までは聖騎士として、そしてランドリオの六大将軍だったゼノスの補佐役をしていた騎士だ。
年齢的には彼女の方が上だが、リリスは心底ゼノスのことを敬愛し、当時は絶対の服従を誓っていたほどだ。
そんな彼女にとって、今のゼノスは耐え難い存在なんだろう。
「……将軍、もう一度言わせて下さい。一体、いつまで、堕落しているつもりなんです?本来ならばすぐにでも!ランドリオ騎士団へと戻り!此度の事件を解決しなければならないはずです!」
「出来ないと言っただろう。あと将軍はやめろ。それと声がでかい」
「なぜですの!アリーチェ姫はあのリカルドと政略結婚されますが、その件でさえ帝国を揺るがしかねないのに。……一体何故、他の六代将軍は何をされているのですか!」
「……アリーチェ様、か」
また懐かしい名前が出たものだ。
そして彼女の婚約相手――代理皇帝リカルド。
彼は名門大貴族の出身であり、貴族絶対至上主義を掲げてきた男。
リカルドは非道な人物だ。ゼノスの知る前皇帝陛下を暗殺し、その罪を騎士団派閥に属する貴族一派になすり付けたとか。その功績を騎士団の一部から買われ、三年前から皇帝陛下の代理として君臨している。
騎士団は貴族よりも権力を持つ。しかし、流石に皇帝陛下には及ばない。
どんな手段で成り上がろうと、なってしまえば誰も逆らえない。例え六大将軍であろうと、迂闊にその権利を否定することは出来ない。
前皇帝陛下の忘れ形見――アリーチェ皇女殿下と結婚すれば、奴こそが真の皇帝陛下として認められるだろう。
「ーー将軍、この地に戻った今こそ。あの勇姿を、あの誇りを、また見せて下さいませ!」
「……だから無茶言うなって」
――果たしてリリスは、聖騎士という存在に何を期待しているのだろうか。
ゼノスだって、リカルドの存在は決して許せない。……そう、誰よりもだ。
奴は最大の誤ちを二年前に冒している。
自分の権力を誇示するために、ハルディロイの地下に封印されていたあいつをーー危険だと言われていた始祖を解放したのだ。
始祖は解放後、すぐに暴走を始めた。
一体どれだけの騎士が死に、どれだけ多くの民が犠牲となったか。
リカルドの愚行は、ゼノスが騎士団を辞めた後に知った事実だ。
最初は怒りを覚えたが……時が経つにつれ、それをどうにかしようとは思えなくなっている。
それにゼノスが戻ったからといって、リカルドの愚行を明らかにし、皇帝陛下の代理を下ろせる可能性は限りなく低い。
……その資格さえ、今のゼノスにはない。
「もうその話はよそう、リリス。俺達にとっては、もう関係ない話だ」
己の無力さを認め、たった一言、そうリリスに返す。
リリスは顔を青ざめさせ、信じられないものを見るように目を見開く。
「……将軍、何を、何を言っておられるのです」
リリスは肩を震わせ、切れ長の瞳でゼノスを睨む。
「私の知る白銀の聖騎士様は、そんな弱音を吐きませんでした!!……あの方を、アリーチェ様を絶対に守ると言いながら……その誓いを破るおつもりですか!?」
……うるさい。
ゲルマニアも、リリスも、どいつもこいつも。
「……ああそうだよ。見れば分かるだろ?この通り、どうしようもないダメ騎士だからな。……きっとアリーチェ様も、俺の不甲斐ない姿を見れば失望する」
「くっ……!貴方の正義は、もう無くなられたのですか!?」
「――元から、俺に正義なんか無かった。あったとしても、それは単なる妄想に過ぎなかったんだよ」
ゼノスは二年前の戦争を思い出す。
『ランドリオ死守戦争』、二年前に行われた帝国と始祖による死闘。あの戦争に参加した人数は、確か2万人ほどだったか。
そして始祖を封印した時点での生き残りは、たったの三人。
本当に最低な戦争だった。三カ月という短期間の戦争だったが、始祖の力はあまりに強大で、兵の大半はたった二日で命を奪われた。
そしてその被害は、多くの町村にも及んだ。
家屋は焼き払われ、村全体が火の海と化した。逃げ惑うもその死からは逃れられず、ゼノスの目の前で絶命した。今でもあの光景は、この脳裏に焼き付けられている。
でも……その原因は始祖だけではない。
ゼノス自身にも、原因があるのだ。
あの時、それを思い知らされた。
英雄と呼ばれながらも、全てを助けることなど出来なかった。それどころかーー自分の放った一撃が、守るべき民達を飲み込んで行った。故意ではなくとも、その事実だけは言い逃れ出来ない。
まがい物の英雄。
愛する人の亡骸を抱えながら、憎悪に満ちた瞳で言われたことがある。それは自分によって被害を受けた村へと向かい、助けようとした時だった。……一人じゃない。何人も、何十人にも。
ゼノスは――泣き叫びながら逃げた。
敬愛するアリーチェ様も、六大将軍も、騎士団も、守るべき民をも捨てーー国外へと逃げた。
おかげで今の自分は、全ての責任から逃れたような幸福感に満ちている。
最低な考えなのは分かっている。
けれども、それこそがゼノスの本音だった。本性だった。
英雄とは程遠い、弱い生き物だと知ったのだ。
「……」
お互いは黄昏に包まれた部屋の中で、沈黙を続ける。
が、それもほどなくして終わり――
リリスは消沈したように俯き、ぼそりと呟く。
「……将軍、いえゼノス。私が馬鹿でしたわ。貴方に期待してここまで来ましたが、単なる勘違いだったようです。もうこんな迷惑はかけません。……とはいえ、団長の護衛を無視した処罰だけはさせてもらいます。退団も視野に入れておくかもしれません」
退団……。よくここまで持ったというべきか。
そもそも、変な未練があってこの騎士団に入ったのが間違いだった。この任務が終わったら、潔く自分から退団を申し出るとしよう。……唯一、ラインとロザリーだけが心残りだが……それも諦めるとしようか。
「そうだな、お互いに新しい人生を歩むとしようか。リリスの場合はそうだな……ニルヴァーナ団長への告白とか?」
「――なっ、ななっ、何でその事を知っているんですの!」
「当たり前だろ?顔に出過ぎなんだよ、昔から」
「……うう」
リリスは呻き、顔を真っ赤に赤面させた。こんな表情を見るのは初めてだった。
「……どうしても、ニルヴァーナ様は振り向いてくれませんわ。やはりサナギの方が好きなのでしょうか?」
「俺が分かるかっての。まあとにかく――この国のことなんて忘れて、自分の幸せだけを考えていけよ」
「……それは、貴方が六大将軍として復帰してくれたら考えますわ」
「だからそれは無理だ」、とゼノスは呆れたように言い足した。
リリスはどうやら、聖騎士時代のゼノスに戻ってほしいらしい。確かにあの頃のリリスは一心にゼノスに仕え、一方的ではあるがどこか誇らしげにも見えた。未練として、未だに断ち切れないのだろう。
言いたいことは言えたのか、潔くその場から立ち去ろうとする。
しかしドアノブに手をかけたところで動きを止め、こちらへと振り向く。
「……それでも、私は貴方を頼りたかったのですわ。あの勇猛で、皆から尊敬されていた聖騎士様に」
「……」
そう言い残し、リリスは部屋を後にした。
「……はあ」
リリスにも、そしてゲルマニアにも理解してもらいたいことがある。
正義というのには、限界というものが存在する。
ゼノスはそれをよく知っている。
「さてと、夜飯まで一眠りするかな」
今までの出来事がまるで無かったかのように、何も思案することなく、ゼノスはベッドへと横たわった。