ep11 memory⑦ ―選択―
「……」
馴染みの無い光景ばかりを目にしたせいか、ベッドに横たわったロザリーは一気に力が抜けるのを感じた。
誰の監視も受けず、誰からも罵倒されない一日なんて初めてだが……今日はそれ以上に疲れた。
ノルアの安否が未だ分からない今は……凄く不安で、自分の世界が無くなりそうで……凄く怖い。
「姉様……私はこれからどうすれば」
そんな弱音を吐いていた時だった。
トントン、とドアを叩く音がし、ドアが開け放たれる。
ロザリーが返事をする暇も無いまま、あのゼノスと名乗った青年が部屋へと入って来た。
その手には二人分の紅茶を乗せた盆を持っていた。
「ふぁあ~あ…………。部屋の灯りがまだついてたんで、眠れないのかと思ってな。ほっと一息つく為に紅茶でも飲むか?」
「……」
これまたロザリーが返答する事も無く、ゼノスはそれを肯定と受け取ったのか……ドサリとベッド脇の椅子に座り、テーブルの上に紅茶を置く。
「夜更かしは乙女にとって肌に毒なんだろ?騎士団員も全員眠りについたし……奴らより遅く寝るなんて嫌だろ?」
「……騎士団員全員?」
ロザリーはそれに反応し、がばっとベッドから起き上がる。
「ならあのニルヴァーナという方もいる筈ですッ!教えて下さい…………あの後、大聖堂でどんな事が起きたのかを!皆がどうなったのかも!全部!」
「……それなんだがな」
ゼノスは言いづらそうに間を空ける。
やがて、その怒涛の質問に簡潔に答えた。
「――団長も、今回の件に関してはアルギナス牢獄の情報規制の対象にかかってるらしい。その大聖堂の事件とやらの結末も……団長は最後まで見れなかったと報告していたよ」
その一言に、ロザリーは凍りついた。
唯一の希望が打ち砕かれたように……彼女の瞳は、一気に絶望の色へと染め上げられていく。
「………………そん、な。じゃあ、ノルア姉様はどうなったの?……姉様と約束したのに……一緒に逃げて、平和に暮らそうって。それなのに……最後にこんな事って!」
ロザリーはベッドの上で、顔を手で覆いながら泣いてしまった。
彼女は様々な苦痛に耐えてきた。物理的な痛みも、精神的な打撃も、あらゆる絶望を体験してきたが……彼女はたった一つの思いを胸に、今日まで生きてこれた。
ノルアという姉の存在。同じ苦痛を味わってきた女性の支えがあったからこそ、ロザリーは希望を抱けたのだ。
いつか――一緒に逃げて……普通の暮らしをする。
……それだけだった。それだけが唯一の願いだった。
でも神は許してくれなかった。ロザリーは最後にノルアと離れ離れになってしまい、本当の孤独となってしまったのだ――。
……そんな絶望に満ちた様子のロザリーを見て、ゼノスは彼女に何も問う事はしなかった。
この姿はどこかで見た事がある――いや、体験したことがあるからだ。
今から約一か月前ぐらいだろうか……死守戦争という始祖との死闘を終えた後、無駄な命を葬ってしまった自分はリリス、ラインと共に祖国を離れた。
――世間からの罵倒を恐れて、全てから逃げてきたんだ。
他大陸へと逃亡するその日の夜…………ゼノスは船の自室にて、こうして膝を抱えながら泣いたものだった。
情けない、弱い、やりきれない――そんな絶望が彼を襲い、そして生きる意味を失わせた。
それは今でも続いている。果たして自分は、これから何の為に生き続けなければならない?白銀の聖騎士以外の道を見つけるなんて出来るのか?
……残念だが、今の自分が彼女を慰め、奮い立たせる事なんて出来ないだろう。それは単なる傷の舐め合いにしかならないからだ。
――だが、選択肢を与える事は出来る筈だ
例え今の彼女がどう思っていようと、自分と同じく生きる目的を失っている事は確か。……深い同情の気持ちが先走り、どうにも他人事とは思えなかった。
しばらくして、彼女は泣く事を止めた。泣き疲れたのか、その表情は一様に暗く、どこまでも虚ろな瞳だった。
ゼノスはそれを期に……口を開いた。
静寂な部屋の中で、まるで時が止まったかの様な空間の中で。
「――なあ王女様。そうやって泣き続けるのは勝手だがな…………結局の所、あんたはこれから自分の足で歩かなきゃならないんだよ」
「……」
あえてゼノスは厳しい言葉を言い放つことで、ロザリーに耳を傾けさせる。そうでもしなきゃ、彼女は一生人の話を聞かなくなるだろうから。
ここは誰かが言わなきゃいけない。――誰かが手を差し伸べなければ、彼女は一生迷う事となる。
死よりも苦しい……後悔という世界で。
「このまま地にへたり込んで泣くか。それとも、行き先も分からない未来に向けて抗うか。……箱入り王女様にはまだ分からないと思うが――世界中の人間は、この枠の中で生きている」
そして今のロザリーは、その前者の人間になりかけている。
……それだけはさせない。そうゼノスの中の正義が訴えかけてきて、この少女を救おうとする心が芽生えてしまう。
ゼノスは腰に下げていた剣を持ち、ロザリーに差し出す。
「――さあ、選んで見せな。剣を取って突き進むか、又はこの場でのたれ死ぬかを」
「……えら、ぶ?」
ロザリーは剣に視線を送り、ジッと見つめる。
今は鋭利な刃は見せていないが……それは紛れも無く、ロザリーがいた世界には存在しなかった『抗う武器』であった。
弱い自分を補う為の道具――この不条理な世界で生き抜く為の必需品。
王族の一般教養として剣の稽古はやって来たけど……模擬刀ではなく、実物の剣を見るのは初めてだった。
「……」
その剣に手を差し伸べようとするが、か弱い心がそれを塞いでしまう。
懸命に動かそうとしても、その剣に手が触れる事は無かった。心のショックから立ち直れず、未だ前に進む事に抵抗を感じているのだと悟る。
「……急には決められない、か」
そう呟き、ゼノスは剣をベッド脇に立て掛ける。
自分の分の紅茶を全て飲み干し、彼はその場から立ち上がる。
「――明日の夕日が落ちる頃。もし決意が固まったら、村の裏手にある墓場にて、団長が王女様の入団試験を行ってくれるらしい。……逃げるも良し、向かうも良し…………決めるのは、王女様だ」
ロザリーの優柔不断さに呆れたわけでも無く、怒ったわけでも無い。ただそうなる事が分かっていたかの如く、ゼノスはロザリーに悩む時間を与え……そのまま部屋から出て行ってしまった。
……決めるのは、自分次第。
…………そうだ。こんな場所でただ泣きじゃくっていては何も進まないし、何も明かされない。
ノルアの生死、自分を苦しめてきた邪教ラウメ教の全て。
知らなければいけない事は……沢山あるのに。でも、それでも――
――嗚呼、また涙が零れてしまう。
「うっ……うう……ノルアぁ」
今日だけでいい。
今日だけでいいから……泣かせてほしい。
それが終わったら、また立ち上がるから。いつもみたいに抗って見せるから。
今だけは……弱い王女で居させてほしい。