ep9 memory⑤ ―唐突な別れ―
大聖堂には黒のローブを羽織った信者達で溢れ返り、皆が高々にラウメ教の教える呪詛を唱えていた。……その合唱は、ロザリーにとって酷く苦しく、聞くに堪えなかった。
後にパイプオルガンの音色が大聖堂を包み込み、呪詛の合唱はそれに沿って奏でられる。――まるで終焉を告げるオラトリオの様に、神聖な音楽が響き渡る。
ロザリーは大聖堂の中央に描かれた六芒星の上に佇み、ただ茫然と時を待っていた。
……だが不思議と、怖くは無かった。
今から実の父親に殺される筈なのに。この金色の髪が原因で殺される――そんな不条理な死が待ち受けているのに。
何故だろう……未だに、ノルアが言った言葉に妙な安心を感じ、気味悪い程に落ち着いている自分がいる。
『貴方を、絶対に死なせはしない。――姉さんは最後まで抗って見せるから…………この国に、この運命に』
そう、あの時確かにノルアはそう断言した。
今ノルアは信者達の中に加わり、静かにロザリーの姿を見据えている。彼女が一体どんな表情で見届け、何を思っているのか…………ここからではローブが邪魔で見る事が出来ない。
でも……何かが違った。いつものノルアは優しい雰囲気を醸し出しているが、今は例えるならば――怒りと執念に満ちた雰囲気だと、ロザリーは感じた。
「――皆の者、合唱を止めよ」
突如、信者達の音色を制する者が宣言した。
その声の主は、ロザリーの正面に立つライガン王だった。彼は黒いローブでは無く、漆黒のマントを覆い、その手には銀色の剣が握られていた。
「…………ロザリー・アリエスタ・ギルガント、お前はこの十八年間、不幸と災難をこの国の皆に振り撒き、あらゆる不運を呼び寄せてきた。……今この時において、ラウメ教の戒律に則り――異端者であるお前を、殺す」
最後の言葉と共に、周囲から拍手が巻き起こる。
やがて拍手が鳴りやむと、ライガン王は左手に持っていた『カード』を掲げる。
「――神は仰られた。啓示に従い、忌み子である娘を儀式で殺せと。さすればこの国に平穏が訪れ……我々は、更なる神の恩恵を受けられると!」
ライガンは剣を構えたまま、ロザリーへと近づく。
そして剣を振りかざし、その状態で実の娘に最後の問いを投げかける。
「……ロザリーよ。死ぬ前に何か言い残す事はあるか?その邪悪なる音色を解き放ち、本性を晒すが良い」
「……」
言いたい事、か。
――なら、最後に言いたかった事を言おう。例え邪悪と言われようと、殺されるとしても――これだけは知りたかった。
国王の娘とか、忌み子とかでは無く――父ライガンの娘として。
「…………父様の本音を聞きたいです」
「何だと?」
ライガン王はロザリーのか細い問いに対し、疑問の意を露わにする。
「……父様は、ラウメ教の教えに沿って儀式を行ってる。……けど、父様の本音は聞いた事がありません」
これが国王としての義務であるならば、父という存在はどう感じているのか?娘を殺そうという気持ちに偽りは無かったのか?
自分がお人好しなのは承知である。殺される相手に「本当は殺したくないのだろう」と断言しているようなものだから。
「……下らん質問だな。忌み子は裁かれるべき存在であり、父ライガンにはそれを成し遂げる義務がある。それ以外の感情など有り得ぬ話だ」
「で、でも!」
ロザリーが反論しようとした瞬間、彼女は周囲の殺気と怨嗟の念に気付いた。
誰もがロザリーの態度に嫌悪を表し、口々から彼女を嘲る発言が漏れる。「浅ましい」だとか、「哀れで醜い」とか……。
もう聞きたくなかった。ロザリーは周囲のざわめきを両耳を抑える事で、一生懸命聞き逃そうとする。
悪魔のような囁き声、ロザリーの人生を全否定する非難の声。
助けて――誰か、誰か。
――ノルア姉様…………助けて
苦悶に満ちた表情を浮かべるロザリー。そんな娘の様子に満足し、狂気の笑みを見せる国王ライガン。
「さあ死ぬがいい、ロザリーッ!戒律に則り、ラウメ教を創造せし者――――――我等の神『ルードアリア』の天罰を受けるのだッッ!」
ライガン王の怒声が大聖堂に響き渡る。
ロザリーの死を見届ける為に、一同は沈黙を貫き、ライガンが剣を振り下ろす瞬間を期待して待ち続ける。
――しかし、それは叶わぬ夢であった――
「ようやく、その名を口にしたわね。――父上」
静寂の中にて発せられる女性の声。それはノルアのものだった。
パリンッ!
彼女が言葉を発した途端、大聖堂のステンドグラスが割られていき、そこから何人かの人々が大聖堂内部へと侵入してきた。
「なっ……何だ」
侵入してきた者達は、一人を除いて全員が深緑の正装服姿に身を包んでいて、その手には漆黒の武器が添えられている。
ライガン王はその出で立ちを一目見て、彼らが何者かを悟る。
「……き、貴様らは」
彼が言うより前に、侵入してきた一派の中から甲冑に身を包んだ男が前に出て、剣先をライガン王へと向けた。
「――ギルガントの王よ、よく聞け!私はシルヴェリア騎士団長のニルヴァーナ。そしてここにいる者達は――アルギナス牢獄連行部隊の精鋭達である!」
高らかな宣告に対し、信者達に動揺が走る。
アルギナス牢獄連行部隊、その名を知らぬ者はおそらくいないだろう。戦の国ランドリオが統括するアルギナス牢獄。罪人を独自に拘束し、連行する事が彼等の存在意義である。
連行部隊個々人の実力は常軌を逸している。その実力は、六大将軍に数分間程立ち向かえるだけの力を備えているのだ。
「ギルガント王国のラウメ教は、今この場にて『魔王崇拝の邪教』である事が判明した。よって我等シルヴェリア騎士団、アルギナス連行部隊は共同戦線を張り――ノルア王女の命によって貴様等を連行する!」
「ぐっ……ノルアぁ、貴様あああ!いつの間に、いつの間にこのような真似をおおおぉぉッ!!」
ライガン王は怒りの矛先をノルアへと向ける。だがライガン王は、身柄を連行部隊に拘束され、地面へと叩きつけられる。その衝撃で言葉を続けることが出来なかった。
ロザリーはその事態を茫然と眺め、ある思いが過る。
――これは……姉さまが?
様々な展開が巻き起こる中、ロザリーはノルアの命という言葉にだけ反応する。難しい事はよく分からないけれど……これはノルアが起こした事なんだ。
「何、をしている兵士どもっ!早くこの愚か者共を打ち倒す為に応援を呼ばんか!」
ライガン王はアルギナス部隊と交戦する兵士達に命令を下す。増援を呼ぶ為に、高い音色の笛が鳴り響く。
大聖堂はすっかり戦場と化していた。もはやロザリーを殺す余裕など無く、信者達は逃げ惑い、連行部隊にどんどんと捕らわれていく。
情けない事に、ロザリーは初めて見る戦いと血の匂いに怖気づき、上手く立ち上がる事が出来なかった。
自分はどうすればいい……と思った矢先に、ノルアが必至の形相でこちらへと近付いてきた。腰の抜けていたロザリーを無理やりに立たせる。両肩に手を乗せ、面と向かって言い放った。
「ロザリー、大丈夫!?」
「う、うん……姉様は?」
「私は大丈夫よ。――さあ逃げて、ロザリー。父上が堕ちたといっても、まだ城内には沢山の兵士がいるわ。さあ早く!」
「でも……でも姉様も一緒じゃないと!」
ロザリーを先に行かせようとするノルアに、彼女は必死に疑問を投げかける。何故一緒に来ようとしないのか。
何故――そんな悲しい表情を向けるかを。
剣と剣が鳴り響き合う。そんな中で、ノルアはロザリーの頭を撫でて上げた。
いつもと変わらないノルアの行動。悲しい表情から一転、ノルアは無理やりに笑みを見せる。
「……ロザリー。どんなに辛くても、どんなに死にたいと思っても……最後まで諦めないで。――姉さんが地獄の五年間を耐え抜いたように」
「………………え?」
彼女が何を言っているのか、ロザリーはまるで理解出来なかった。
「そうすれば……いつか希望はやって来る、幸せが舞い降りてくる。……有り得ないと思った願いも、絶対に叶うから」
最後に、ノルアは最上の微笑みを浮かべる。
大切な妹を守る為に、自分と同じ境遇にいるロザリーを助ける為に――彼女は、ロザリーと共に逃げる事を諦めていた。
やがてシルヴェリア騎士団長、ニルヴァーナと名乗る騎士がやって来る。
「ノルア姫、こちらがロザリー・アリエスタ・ギルガント姫ですか?」
「ええ、そうよ。ここは私に任せて、貴方達シルヴェリアは、ロザリーを連れて森まで逃げるのよ」
ノルアの命令に、ニルヴァーナは意味深な瞳を彼女に向ける。
彼は何か言いたそうであった。しかし反論する事も無く、ロザリーを抱える。血生臭い大聖堂を駆け抜け、ノルアから離れていく。
「な、何をするの?まだ姉様が、姉様が大聖堂に!」
「……ロザリー姫、申し訳ございません」
ニルヴァーナは大聖堂を抜け、中庭を走りながらロザリーに謝る。
「――ノルア王女は、貴方を逃がそうと決死の覚悟でした。……その覚悟を、無下に扱う事は出来ません……」
――そんな……そんなッ!
その瞬間、強烈な眠気がロザリーを襲い、意識が段々と遠のいていく。彼女を抱き上げる前に、ニルヴァーナは蒼白い花をロザリーに嗅がせていた。恐らく、それは眠り花だったのだろう。
――待って、よ。今ここで眠ったら……姉様を助ける、事が
約束したのに……。絶対ここから逃げて、普通の姉妹としてどこかで暮らそうと。笑いながら暮らせる日々を……創ろうと誓い合ったのに。
姉様――――――なん、で――――
――そして、ロザリーはしばしの眠りについた。