ep3 主を求める少女(改稿版)
目的地、ハルディロイ城は一目瞭然だった。宿舎のある路地裏を抜け出し、広々とした大通りへと出るとーーその巨大な建物は否が応でも目に入る。
荘厳な雰囲気を纏う白い城壁に、天高くそびえる数々の尖塔。一見美しいだけの城郭に見えるが、内部は難攻不落のからくりを張り巡らせており、城壁部分にも攻城戦に備えた戦術兵器が無数に配備されている。
しかし、凄いのは城の構造だけではない。
幾千年もの歴史を誇るこの城には、多くの英雄達が誕生している。
途方もない歳月の中で、この城から幾多もの英雄譚が生まれ、語り継がれ、今日までの栄光を支え続けている。このハルディロイ城は、ランドリオ帝国にとって象徴とも言うべき場所だ。
……。
白雲を貫く巨大な城を見上げながら、ゼノス達は城へと続く立派な石橋を渡り、城内部に続く城門へと辿り着く。
「……」
もう二度と、永遠に踏み込まないだろうと思っていたその敷地へと、ゼノスは一拍置いてから踏み込む。
城門を抜けた先は、広大で優雅な庭園だった。季節を感じさせない四季折々の花々が咲き誇り、城壁を超えた先から微かなそよ風が吹き込む。
ここは一応、騎士や貴族階層の人間達が憩いの場とする庭園だ。今でもここには、豪奢な貴族服に無骨な甲冑を身に付けた騎士達がちらほらといる。
そのせいか、ゼノスは想像以上に浮いている。いや、浮くどころかかなり警戒されている。
恰幅の良い中年貴族は値踏みするように、またある淑女は見下すように、そして貴族を守る偏屈そうな騎士は蔑むようにーーとまあ、キリのないネガティブな視線がゼノスへと集中する。
特に貴族連中ときたら……。過去には貴族を中心に政治が執り行われ、貴族によって騎士団が束ねられていた時代もあったと聞く。しかしそれは昔の話であり、数々の横暴を重ねた貴族は騎士によってその地位を落とされ、今では形骸化した存在となっている。
立場の弱かった辺境貴族や一代貴族は爵位を奪われ、今残るのは名門貴族のみ。一応それなりの役職は授けられているようだが、その監督責任はもちろん、あらゆる決定権は騎士団の方にある。
もちろんプライドの高い貴族達が納得するはずもなく、こうしてどこの馬の骨とも知らない人間が来れば、鬱憤晴らしにやっかみを挟んでくるのが常だ。それは何十年、いや何百年も変わらないらしい。
「……何も変わってないな」
ゼノスは深く溜息をつき、慣れた様子でその視線を上手くやりすごす。ニルヴァーナも視線を合わせようとせず、ただゲルマニアの後を黙って付いて行くだけであった。
城の内部に入り、一行はエントランスホールへと辿り着く。
豪華絢爛なこの場所にも多くの家臣や貴族達がいるが、流石に城内は人が多い。誰もゼノスを見る者はいなかった。
「ではニルヴァーナ殿、ここより先は侍女が案内します。私とゼノス殿はここで待機となりますので、終わりましたら声を掛けて下さい」
ゲルマニアは慇懃に頭を下げながら言い放つ。
と同時に、タイミング良く侍女達が近づいて来た。一糸乱れない物腰でお辞儀をしてくる。
「ああ、案内させてすまなかった。ではゼノス、私はこれより皇帝陛下に謁見してくる。くれぐれも軽率は慎めよ?」
「いや団長、流石に城ぐらいでは弁えますって…」
「ふっ、そうか。それでは行ってくる」
ニルヴァーナは気品ある足取りで、そのまま侍女と一緒に大廊下へと向かう。
皇帝との謁見となると、時間はそれなりにかかるだろう。かと言って城内を勝手にうろつくのも良くない。ここで知り合いと再会するつもりもないし、そんなことになれば胃痛で倒れかねない。
仕方ないが、ここは大人しく待つことにしよう。
「……」
「……」
……それから、数分が経過しただろうか。ゼノスとゲルマニアは無言のまま待機していたが、ゼノスはまたもや眠気に襲われる。エントランスホールは雑多音で騒がしいが、この眠気はどうにも治まらないらしい。
退屈なせいか、はたまた慣れない行動をしているせいか、いつ眠ってもおかしくない状況だった。
『――適当な場所で少し寝るか』
そういえば、聖騎士時代によく休憩に使っていたベンチがあった。ゼノスはそれを思い出し、おぼつかない足取りのまま庭園に行こうとする。――が。
「あの……」
「……ん?」
突如、ゲルマニアが話しかけてきた。今まで話しかけてこなかったのに、なんでまた急に?
彼女はもじもじしながら、言葉を続ける。
「……少し、話をしませんか。ゼノス殿」
「話?」
「はい。その、大した話ではないのですが」
ゲルマニアは顔を赤らめながらも、神妙な面持ちで静かに尋ねてくる。何だか知らないが、ニルヴァーナといた時のような態度はどこにもなく、少し弱々しい感じがする。
正直面倒だな。眠いし、怠いし、帰りたいし。どうせ騎士あるあるの自慢話をするつもりだろう、と半ば投げやりな想像を膨らませていた。
しかし、予想とは裏腹の答えが返ってくる。
「ゼノス殿は、白銀の聖騎士という方をご存じでしょうか?」
「……」
ああ、そういう話か……。
眠気が若干吹き飛びつつも、冷静に考えれば知っていてもおかしくないし、興味が湧かない理由もない。数年前の話とはいえ、ゼノスは確かに帝国の騎士であり、六大将軍の一人だったのだから。
「名前だけは知っていますが、その方が一体どうしたのです?」
ゼノスは眠気眼のまま、淡々と答える。
ゲルマニアはしばし沈黙し、やがて次の言葉を打ち明けた。
「知っていたらでいいのです。どこかで、白銀の聖騎士らしき人物は見かけませんでしたか?」
「……さあ。そもそも顔も分からないですし」
これまた意外な質問だな、と素直に思う。
ゼノスが行方不明と公表されてから二年、もはやほとぼりも冷めたと思ったが。
「失礼ですが、なぜ俺にそんな質問を?」
「……貴方達は世界中を回っている身です。もしやと思ったのですが」
「そうですか、それは残念でしたね。…ちなみに、聖騎士を探す理由を聞いても?」
根掘り葉掘り聞く理由もないが、単純に興味が湧いて来た。あんな出来事があったにも関わらず、どうして探そうとするのかを。
単なる騎士団の任務か。それとも別の理由か。
ゼノスがその言葉を放った途端、ゲルマニアは口ごもってしまった。
『――うん?』
ふと、ゼノスはこの少女の違和感に気付く。
ゼノスは人の機微には敏感な方で、その人の特徴を瞬時に把握することが出来る。
戦いの中であらゆる敵と邂逅したせいで、常人を遥かに逸脱する本能を得てしまった、と言えばいいか。
だからこそ分かる。……ゲルマニアから、とてつもなく奇妙な気配が放たれていることを。この感覚には覚えがある。
そうなると可能性は1つ。
誰にも聞かれないよう、囁くように。微かな敵意を放ちながら、ゲルマニアに問いかける。
「……シールカードの気配を感じるが、それが理由か?」
「っ!ゼノス殿、なぜそれを……貴方は一体」
「待った、ここで話す内容じゃない」
ゼノスは静かにするよう人差し指を口に当て、そう呟いた。シールカードの存在は、誰にとって忌むべき対象だ。――特に、ここランドリオ帝国に住む人間は身を持って知っている。
それは何故か?
当然と言えば当然だが、始祖という災厄はランドリオに大きな被害を与え、多大な犠牲を払った存在だ。始祖の因子を授かったシールカードは、犠牲者に関係する者達に例外なく恨みを抱かせる。それが例え、肉親や友達であっても。
――そして、ゼノスも例外ではない。
ゲルマニアはその威圧に委縮しながらも、無言で軽率だったことを悟る。辺りをキョロキョロと見回し、手頃な場所を探す。
「……では、この先にある客室で話しましょう。数分ぐらいなら大丈夫だと思います」
「分かった」
ゼノスは同意し、ゲルマニアの後を付いていく。
客室が並ぶ廊下を歩き、その中の一室へと入る。中は一般的な宿部屋より広く、見事な調度品も並んでいる。きっと貴族階級のために用意された客室だろう。
ゲルマニアはドアを閉め、ポーチから一枚のカードを取り出す。そしてそれを、相対するゼノスに見せた。
「……ゼノス殿、これが何か分かりますか?」
「……シールカード、その本体か?」
ゼノスはじっくりとカードに描かれた絵を見る。そこには剣と盾を携え、騎馬に乗って戦う騎士の絵が描かれていた。――となると、これは『騎士』のシールカードってやつか?
いや、問題はそこじゃない。
「――これは、普通ならギャンブラーが持っているはずだが」
カードは通常、ギャンブラーと契約して顕現するものだ。
その顕現したカードはギャンブラーが所持することで、自由自在にシールカードを使役することが出来る。これは各地で伝えられた情報と、実際にゼノスが出くわしたギャンブラーからほぼ確定の事実だと考えている。
そんな物を、何故シールカードであるゲルマニア自身が持っているのか。
ゲルマニアは言いにくそうにしながらも、意を決して答える。
「……結論から言うと、私にはギャンブラーがいません」
「いない?じゃあ何でカードが」
「それすらも分からないんです……。私がシールカードになったと同時に、このカードが私の手元に現れた。理由も分からず、ただ持っているだけ……」
「聞いたことがないな。それは陛下と、六代将軍も知っているのか?」
「はい、私が入団した時からご存じです。一応悪意がないことを納得された上で、今の地位にいますが……監視を受けやすい立場でもありますね」
皇女殿下直属の部隊に所属、そうゲルマニアは言っていた。
確かにあの部隊は、皇族家と六代将軍に近い位置にいる。地方へ駐屯もなく、城下町に配置されるわけでもない。万が一シールカードが暴走すれば、すぐさま六代将軍の誰かが飛んでくるはずだ。
とりあえず、嘘を付いているようには見えない。城に紛れて悪事を働いている、なんてことも無さそうだ。
ゲルマニアは陰を落としたような笑みを浮かべ、そっと窓際へと近づく。
窓辺から差す光に手の平を当てながら……悔しそうにつぶやく。
「ゼノス殿、あんまりだと思いませんか?小さい時から憧れていた騎士に、人を守れる存在になれたかと思えば……この力のせいで、何も出来ないんです。何も……助けることが出来ないんです」
「……」
「だから私は考えました。故国ランドリオを襲ったこの憎い力を、どうすれば人のために使えるのかを。――そして私は」
「自分のギャンブラーを探すことにした……か?」
「……はい」
なるほど、そう思うのは当然か。
だが、そんな行為を帝国側が許すわけがない。敵か味方かも分からないギャンブラーと引き合えば、彼等にとっては脅威でしかない。
ゲルマニアはずっと、たった一人で探し続けているのだろう。
「何となく、何となくなのですが。私は一人、ギャンブラーだと思う人がいるんです」
「――そういうことか。ゲルマニア、お前はそれで白銀の聖騎士を探しているわけか」
「はい!そうです!……確証はありませんが、私はそう感じるんです。彼が私のギャンブラーなら、きっとこの力を正しく使ってくれる。……絶対に」
両手を自分の胸に引き寄せ、今度は安らかな、希望を含んだ笑みを見せていた。
……単なるシンパシー、とも言い切れない。
実際にギャンブラーとシールカードが引き合う理由は、およそ理屈では語れないのかもしれない。
だが現実問題、ゲルマニアが探している白銀の聖騎士は――ここにいる。
その上でカードが反応を示さないとなると、彼女の予想は外れているのだろう。馬鹿正直に打ち明けられない話だから、ここは黙っているしかないけど。
「……仮にギャンブラーが白銀の聖騎士だとして、それでいいのか?」
「?それはどういう……」
「簡単な話だよ。――二年前、奴が何をしたか覚えているか?」
「……ッ!!」
ゲルマニアは絶句し、二の句が告げない状態となる。
そう、必然の反応だ。
二年前のあの日――ゼノスはランドリオ帝国を、守るべき民たちを裏切ったのだから。
しかし、ゲルマニアは明らかな怒りを込めて――反論した。
「違う……違います!私の聞いていた彼は――絶対にそんなことをしない!」
見つめてくるその瞳は、とても眩しいだった。
本当に聖騎士を尊敬し、崇拝するようなその眼差し。……聖騎士だったあの頃、幾度も浴びてきた視線そのものだ。
「私がまだ村娘だった頃、聖騎士の英雄譚は毎日聞いていました。姿を見たことはありません。――けど!弱きを救い、騎士道を体現する彼ならば!あんな噂をされる人間ではないはずなんです!」
「……」
「きっと……何か理由があるはずなんです。そうじゃなければ、あの英雄譚が語られるはずがありません。この力のせいで村八分に遭ったあの時から、心の拠り所だったあの方が……そんなことをするわけが」
「……」
最後はもはや、自分に言い聞かせているようだった。
聖騎士に対して妄執にも似たような尊敬を示し、それがゲルマニアの否定へと繋がっている。聖騎士を尊敬していた者たちは、みんなこう思っているのだろうか。
ゼノスは心の中で自問する。
聖騎士、お前はあの時、ゲルマニアが言ったように正義を示せたか?
いつものように全てを救い、元凶を打ち滅ぼせたか?
……いや。
お前はあの時――確かに裏切った。全ての責任を放棄し、逃げたんだ。
ゼノスは全てを知っている。だって、白銀の聖騎士だったのだから。
「……くそ」
段々と苛立ちを覚えてくる。
聞いていて良い気分ではなかった。後ろめたさを感じているからこそ、ゼノスはこの国に来たくなかった。
ここら辺が潮時か。
興味は既に失せ、後はもうここから逃げたいという気持ちで一杯だった。
だからゼノスは、無言でドアへと向かう。
「ゼノス殿……」
「悪いけど、聖騎士探しには協力できそうにない。……ああ、あとシールカードの件はもちろん黙っているよ。言ったら面倒になるだろうし」
「は、はい。あの、その…………有難うございました」
「いや――別に何もしていないさ」
ゼノスは表情を無くしたまま、静かにそう返答する。
気持ちの整理がつかないせいか、気まずいせいか、もうエントランスホールにはいたくない。
部屋を退出し、ゼノスは団長の命令を無視して――宿舎へと戻ることにした。