ep7 memory③ -真実ー
ロザリーはノルアとの出会いから一変した。
罵られ、煙たがれ、虐められても、ロザリーが涙を見せる事は無かった。ただ曖昧に笑みを見せ、その場を耐え忍ぶ毎日が続き――数年が経った。
今までは泣きじゃくり、ただ心の悲鳴を上げていた自分。
……けれども、今は違う。決してその不条理から目を背けようとせず、必死に受け入れようと奮起している。
ノルアの言う「耐え忍ぶ」という言葉を信じ、いつか訪れる「奇跡」を待ち続けて…………ずっと、ずっと。
――ノルア・セレウコス・ギルガント。自分に光を与えてくれた恩人。
どうして彼女は自分を支えるのか?戒律に浸透しきっている皆が忌み子と信じる中、何故彼女だけはその戒律を信じないのか?
その理由が知りたかった。……何となくだが、ノルアがこの国の現状に何度も不満を漏らし、この国の理念に抗っているように見て取れたから。
十七歳のあの日、ノルアから何も事情を聞かされなかったロザリーは、遂にある行動を起こす事にした。
ギルガント王国の記述家が執筆したという、現王室に関する記録書。以前王家専用の図書館にて、古代ギルガント語で記されたその記録書を見た事がある。十七歳までに古代ギルガント語をマスターしたロザリーは……その本を手に、一ページずつ丁寧に読んでいった。
あの日――それは十八歳の誕生日を迎える日の事である。
ロザリーは記録書を熟読していく。
今日は予定されていた地理の勉強も潰れ、数学も先生の都合により中止された。――そう、今日は特にやる事が無く、同時にやりたい事が出来る日だった。つまりは、記録書を読む絶好の機会である。
この数年間、ロザリーはノルアによって助けられ続けてきた。無力だった自分を精一杯に救ってくれ、自分は今までその力に頼ってきた。
――でも、なぜ自分を助けてくれるのだろうか?
こんな事をしても何の特にもならない筈だ。逆に国の教えに反し、彼女もまた罰則を与えられてしまうかもしれない。
ロザリーは、ノルアの優しさを何度も拒んできた。彼女の笑顔を絶やしたくない、傷付けたくない……こんな自分の為に、姉様が不幸を背負う必要等無いと。
それでも……それでも彼女は傍にいてくれた。
理由を話さず、ただロザリーの姉として接していたノルア。
――しかし、それでもロザリーはノルアを知りたい
自分は何度も救われてきた。……もしノルアにも悩みや苦しみがあるのなら、分かち合いたいと単純に思っている。――それさえ分かれば、何か出来る事があるかもしれないから――。
そして……これはまた別の事だが、
「私は……これからどうなるのかも知らなきゃ」
ギルガントの戒律、ラウメ教という国教の教えに則して考案された独自の法律。何でも神の啓示によって伝えられた言葉が、そのまま使われているらしい。そしてその中に、銀髪以外の髪を持った王族を忌み子として扱われる事も知っている。
――しかし、ロザリーにはまだ知らない事がある。それこそが今後の自分の行方であり、戒律に反した者の罰則である。
王族に対しての罰則……それが一体どんな恐ろしいものか?
「……」
罰則という概念を考えた途端、ロザリーの背筋が凍る。
まだ見ぬ罰則に対する恐怖……例え気丈に振る舞っていても――怖いものは怖い。
「――でも、それでも知りたい」
ロザリーは震える声を噛みしめ、独白する。恐怖を押し殺し、また本をめくり始める。
ノルアの真実、自分の末路……そして、もう一つ調べる事がある。
それは――この腐った国の真相を知る事だ。
ラウメ教とは何か、国が狂信するその実体を知りたい。このまま悲劇の姫を演じる程、ロザリーは弱くない。
何度でも言える、自分は全てを知りたいと。
知った上で――起こり得る現実を受け入れたいと――。
「……あった」
ページをめくる手を止め、ロザリーは目的の項目を見つける。
ギルガント現王家の一覧。そこにはライガン王と王妃に始まり、次のページには兄弟達の出生、経歴などが書かれている。毎年加筆を施し、こうして丁寧に王家の歴史を書き記しているのだろう。
勿論――そこにはノルアの詳細も書かれていた。
ノルア・セレウコス・ギルガントのページへと辿り着いたロザリーは、記された文章を見通していく。
一文一文…………どこも見逃す事無く。
そして――ロザリーは見てしまった。
ノルアの歴史を、歪んだ過去の記録を読んでしまった。
「…………え」
ロザリーは驚きの事実を知り、思わず口に手を当てる。
このページを見て、ノルアが何故ここまで自分に良くしてくれたのか……少しだけだけど、理解出来た。
でも――これは自分に科せられた劫罰よりも重いだろう。
第一王女ノルア――。九歳の時にギルガント王国の戒律に疑念を抱き、ライガン国王本人に対し、戒律を非難する。
その事に激昂したライガン国王は、ギルガント戒律に違反すると判断し……わずか九歳のノルアに、ギルガント騎士団の駐屯部隊へと連行し、五年間の入団義務を課した。
その騎士団での主な業務内容は……あまりにも酷いものだった。
ノルアの配属された駐屯部隊は、毎度原住民との抗争が絶えないと聞く、南部関所を本拠地とする部隊であると聞いてはいるが……。
『ノルア王女は南部駐屯部隊の慰安婦として配属され、およそ五年間、騎士団員の肉体的・精神的回復に努める』
その文章の末尾には……ギルガント戒律の教えに従い、これを遂行したと記されていた。
……何だこれは。これが――一国の定める法律だというのか?
狂っている、何もかもが。正しい事を述べただけで、何故ノルアがこんな仕打ちを受けなければならなかった?どうして実の父は……こんな恐ろしい事を命じたのか?
……そうだ、ノルアはいつも怯えていた気がする。
五年間の歳月を経て城へと戻って来た後、ノルアが一人でいる時は……いつも何かを恐れて、自分の肩をそっと抱いていた。泣いていた時もあったし、茫然自失の状態の時もあった。
見ず知らずの男に抱かれ、訳の分からない戒律に踊らされる。こんな辱めを受けるなんて……正気の沙汰じゃない。
「……くっ」
自分が恥ずかしく思えた。こんな事実を知らずに、のうのうとノルアに頼って来たなんて。
どうしてノルアが真実を話さなかったのか……ようやく分かったけれど、何とも後味が悪かった。今後はノルアとどう接すればいいのかも考えてしまう。
――いや今は考えないようにしよう。
まだ知る事はあるのだ。今度は自分の末路について調べないと。
「……次は、自分のページへと」
と、呟いた時だった。
コツ、コツ、コツ……
「――ッ」
突如、図書館の外から足音が聞こえてきた。
今いる場所は図書館の二階にいるのだが、一階の図書館前から聞こえる足音は、大理石を踏んでいるせいか音が異様にでかく聞こえる。
そしてロザリーは無断に図書館へと入り、こうして国の重要図書を漁っている。もし見つかれば……戒律に違反し、殺されてしまうかもしれない。
ロザリーは急いで隠れる場所を探す。――すると、
「……むぐっ!」
声を紡ぐ暇も無く、ロザリーは後ろから伸びてきた手によって口を封じられる。一体誰だと思い、視線を後ろに向けると――そこにはノルアがいた。
居ない筈の彼女に驚きを隠せず、ロザリーは何とか小声で言う。
『ノ、ノルア姉さま。何故ここに』
『シッ、静かに。――とりあえずこっちに来なさい』
何故ノルアがいるかは分からない。唐突の出会いに衝撃を隠せずにいたが……確かに今は思案する余裕は無い。
ロザリーはノルアに従い、一階からは死角となって見えない本棚の裏手へと回る。ピッタリと本棚に張り付いた。
靴音は徐々に近付いてくる。よく聞いてみると、足音が無秩序に鳴り響いている。恐らく二人か三人はやって来るのだろう。
緊張がロザリーとノルアに襲い掛かってくる。どうか二階にだけは来ないように、見つからないようにと祈りを捧げる。
――やがて、足音は止んだ。大理石の廊下を抜け、絨毯の敷かれた一階図書館へとやって来たのだろう。
「――ライガン国王陛下、恐れながら、こちらの方で会話を進めても宜しいでしょうか?」
ふと、一階から男の声が聞こえた。一階と二階は吹き抜けとなっている為、声ははっきりと聞き取れる。反響しているせいか、その距離感はまるで掴めないが。
しかしそんな事はどうでもよかった。ロザリーとノルアは男の発した名前に驚愕する。
「ああ、例の書物を見なければ話は進まぬ。――今宵の儀式は、かの天啓に従いし試みである。教典を精読せねばな」
「左様でございます。――では、その教典を持って来ます」
宰相と思しき人物はそう一言だけ言い放つ。
そして、階段を上がる音が響き渡る。宰相は階段を上がり、二階の本棚に向かうようである。
『……』
ノルアはロザリーを精一杯に抱きしめ、ロザリーは体をこわばせる。神経を尖らせ、どうか見つからないようにと懇願する。
ふと、宰相の影がロザリー達の真横に現れる。二人が身を潜める本棚の後ろに……宰相が佇んでいるのだ。
「……ふむ、あったぞ」
本棚から本を取り出す音が聞こえ、同時に宰相が納得したように呟く。
宰相はロザリー達に気付かず、そのまま下の階へと去って行く。高鳴る心臓の鼓動も収まり、ロザリーとノルアは安堵の溜息をつく。
ひとまずだが、バレずに済んだのは確かなようである。
「陛下、これが『アリアの経典』でございます。ここに儀式の執行方法が記述されていますので、どうぞご覧くださいませ」
――アリアの経典?
ラウメ教ならば理解に及ぶが、ロザリーはアリアの経典など聞いたことが無い。ライガン王が他宗教に手を染めるとは思えないし……経典とは一体?
…………何だか胸騒ぎがしてならない。アリアという響きは禍々しく、邪悪な音色だと、ロザリーは感覚的に察知する。
触れてはいけない、知ってはいけない。底知れぬ恐怖が込み上がって来るのは、気のせいではないだろう。
「……嗚呼、これで私の悩みが消える」
眩しい木漏れ日が当たる静寂の図書館にて、ライガン王は独り言を呟く。
「長かった、そして苦しかった。……私はこの日を喜び、祝福の祈りを捧げよう」
この先、王が果たして何を述べるのか。何を思い、何を安心して言葉を紡ぐのか……分かりたくなかった真実が、語られる。
その事実の一言は、ロザリーに衝撃を与える。
「――ロザリー。十八歳の誕生日である今日この日…………神の贄となり、死ぬがいい」
………………え。
ライガン王の言い放つ言葉、その意味が分からなくて、ロザリーは残酷な現実を受け入れられなかった。
ノルアは知っていたのだろうか……。顔を歪ませ、ロザリーを抱き締めるその手は強みを増している。
――私が、殺される?……父様、に?
嘘、だ……これは、何かの冗談だ……。
……精一杯この現実を受け入れて……どんな罰則にも耐えていこうと思っていたにも関わらず……この事実はあまりにもショックだった。
いつか報われると思っていた。自分が希望を捨てなければ、いつか皆がその努力を認めてくれる、許してくれる。
……そうだ、そうに違いない。きっと父様達は、ラウメ教という教えに仕方なく従って……嫌々……。
――なら、なぜライガン王は今……こうして高笑いをしている?
まるで邪魔な虫を取り払ったかのように、憎しみに満ちた笑い声を上げる実の父。
……そう、ロザリーに仕方なく八つ当たりをしていたわけじゃない。ライガン王は本当に彼女を憎み、妬み、国の汚点として扱ってきた。
『生まれてこなければ良かったのに』
あれは、本音だったというのか。毎日の如く言い放ったその言葉は、紛れも無いロザリーに対する感想だった。
そして――今日は確かに、ロザリーが成人を迎える日。
今日………………自分は、実の父親に殺されるというのか?
「では陛下、急ぎ儀式の間である大聖堂へとお越しくださいませ。ロザリー姫は夕食後、兵士共に案内させますので。――勿論、姫様には事の事情を説明致しません」
「良い判断だ。大衆の面前で泣き叫ばれては……世間体にも関わるからな。では、頼んだぞ」
「はっ」
ライガン王と宰相は、そのまま図書館を後にした。
……図書館の中は、またもや静寂に包まれる。
ロザリーとノルアは――しばらく呆然としていて、言葉を発する事は無かった。




