ep2 魔王ルードアリア
これは昨日の昼の事である。
ハルディロイ城謁見の間に向かう為の回廊にて、白銀の鎧に身を包み、兜を外した状態のゼノスと、その横に付いて行くゲルマニアの姿があった。
「はあ……目が痛い。この世界には目薬が無いから、書類の処理が楽じゃないな」
ゼノスは目頭を押さえながら呟く。その目は軽く充血しており、しかも眠そうな表情であった。疲れもあるが、ここ二年間で培ってきた堕落症も出ているようだ。
ゲルマニアは尊敬する騎士の体たらくを見つめ、淡々と答えた。
「その目薬とやらは知りませんが……シャキッとして下さいゼノス。白銀の鎧に不相応ですよ」
彼女に指摘され、ゼノスの意気はとことん下がって行く。
だって仕方ないじゃないか。ここ最近のゼノスの仕事は、それはもう激務だった。
まずは叙任後の披露公演、これがまた凄いもので、何と世界中から人々が押し寄せ、復活した聖騎士の素顔を拝見しにやって来たのだ。中には知り合いも沢山いたが、あの混雑では話も出来なかったのが残念だった。後は事務作業、ランドリオ騎士団の訓練指南、その他諸々で大変な日々を送っていた。
そして疲れが溜まる理由は、それだけでは無い。今身に着けている鎧にも問題があった。
「……なあゲルマニア、この鎧なんだけど……」
鎧の話題を振ると、ゲルマニアはさも嬉しそうに微笑む。
白銀の鎧――これはゲルマニアが作り出した鎧なのだが、その性能は彼女自身が憑依していないと意味が無い。しかもこの鎧、憑依していないとたった数十秒で解除されていたのだが。
「凄いですか?えへへ……実は私、憑依しないで鎧を構築出来る時間がかなり伸びたんですよ、この三週間で。強度は変わらず皆無ですが、公共の業務にはぜひとも利用して下さいね」
という事らしい。そのおかげで一時間も前から暑苦しい鎧を着せられ、ゼノスは少々不機嫌になっていた。
けれども無理やりに脱ごうとすると、彼女はすぐ悲しい表情を浮かべてくる。そんなわけで……今のゼノスは、戦い以外は鎧などいらないと言えない状況であった。
「はあ、そいつはどうも」
半ば適当に相槌しながら歩いていると、既に両者は謁見の間の前まで来ていた。
荘厳な雰囲気の漂う場所にて、ゼノスは改めて深呼吸をし、騎士としての表情に変える。
「よし、行くか」
「はい」
ゼノスは颯爽と歩み、謁見の間の扉に控える騎士達に声をかける。
「――六大将軍が一人、ゼノス・ディルガーナ。皇帝陛下の命により参上した。扉を開けてくれ」
「「はっ!」」
威勢よく騎士達は呼応し、双対する彼等は扉中央へと振り向く。
まもなくして、開門の言葉が告げられる。
「「白銀の聖騎士様、ご来場!」」
高らかな宣言と共に、かくして扉は重々しく開かれていく。
その先の玉座に控えるアリーチェ、なぜいるかは知らないが、玉座の両脇にはランドリオ騎士団、聖騎士部隊所属のラインとロザリーが控えていた。勿論、ゼノスが呼んだ覚えは無い。
とりあえず、ゼノスは麗しき皇帝陛下、アリーチェの御前へと近寄り、ゲルマニアと共に頭を垂れる。
「白銀の聖騎士ゼノス・ディルガーナ、殿下の召集に応じ、参上仕りました」
「同じく六大将軍ゼノスの側近、ゲルマニアも参上致しました」
二人の挨拶を聞き、玉座に座るアリーチェは頷き、顔を上げるよう合図する。
「よくぞ来てくれました、ゼノス様、ゲルマニア。お忙しい所申し訳ありません」
「いえ、何よりも優先すべきは御身の御指示です」
ゼノスは何時如何なる時も主君を優先し、主君の為に在る。それ即ち、相も変わらない聖騎士の教訓である。
そんな変わらない聖騎士の姿に、アリーチェの表情は満面の笑みとなる。
「有難うございます。……こうして、また聖騎士ゼノスがいる帝国となった事、今は皆の者が喜んでおられますよ」
「は、有り難き幸せ。――して、今回はどのようなご用件でしょうか?」
「ああ……そうでしたね。ふふ、私ったらつい嬉しくなってしまったもので」
眩しい笑顔に、自然とゼノスも喜ばしくなる。
誇り高き武勲と名誉を併せ持つランドリオ帝国、その国で先日即位したばかりのアリーチェ皇女殿下。未だ不慣れの様子だが、こうして公共の場に君臨する彼女は凛々しく、微かな気高さを感じる。
現に今も、純粋な翡翠の瞳は威光を放ち、厳正な態度であった。この成長はゼノスだけでなく、イルディエやアルバートも感激したものである。
「……さて、まずはゼノス様。貴方は牢獄都市アルギナスを覚えていますか?」
「勿論でございます。あの都市は世界でも唯一無二、S級罪人を収容する事が可能な牢獄です。……自らが他大陸にいた時も、アルギナスの噂は何度も聞いております」
「……そのアルギナスですが、単刀直入に言いましょう」
アリーチェは少し間を空ける。……そして意を決し、続きを述べた。
告げられた言葉は、予期せぬ最悪の報せであった。
「――昨日、アルギナス最深部にてシールカードの気配を感知したという報せを受けました」
「――ッ!?」
それを聞いて、ゼノスとゲルマニアは驚愕する。
思い起こすのは、三週間前の悲劇。マルスというギャンブラーがシールカードを使って暴走し、沢山の犠牲を払ってきたあの事件。あの嫌な出来事を思い出してしまう。
「シ、シールカードが……また」
最悪の想定が脳裏をよぎり、微かな悪寒で身の毛がよだつ。それはゲルマニアやライン、ロザリーも同様のようだ。
「……その証拠は彼女が見出しました。出てきてください、『占い師のギャンブラー』よ」
アリーチェがその言葉を言い放つと、玉座の裏側からゆっくりと黒衣のローブを身に着け、その下に露出の高い赤のドレスを着飾った女性が姿を見せた。何となく気配は感じていたが……ロザリーやラインは愚か、ゼノスでさえもその登場に驚きを隠せなかった。
ゼノス達は彼女を知っている。
――名はミスティカ、新生ランドリオの誕生を期にゲルマニアと始祖アスフィがシールカード所持者に限定し、秘密裏に募兵を募った。その結果、このランドリオにやって来た志願者は三名であり、彼女はその一人である。
ミスティカは妖艶で摩訶不思議な雰囲気を纏った美女で、『目に見えないものを透視』するという能力を役立たせている。最初は物静かそうな女性かと思ったが……その性格は実に正反対である。
「うふふ、仰せのままに。姫王の為ならば地上全てを見透かし、天を見透かし、そして姫王の恋心も見透かせてご覧にいれましょう」
「ちょ、ちょっと待って下さい!三つ目は却下です、却下!」
アリーチェは焦りを露わにする。そんな可愛らしい反応を見せる皇帝に、ミスティカの笑みは更に深まる。
「あら何故ですか?このような好機にもったいない願いですよ?」
「だ、だだ、駄目です!ぜっったいに!ま、まだ……心の準備が出来ていないのですから……」
「あらあら、それならば仕方ありませんね。では今は、所定の命令を果たすとしますか」
訳の分からない会話がゼノスの前で展開され、最後辺りは少々付いて行けなかった。だがそれはゼノスだけのようで、ゲルマニアは少々不機嫌となり、ロザリーは無言の怒りを露わにしている。ラインだけは愉快な調子でその状況を楽しんでいた。
ミスティカはゼノスへと向き、頭を垂れる。
「お久しぶりですね、騎士のギャンブラー。モテモテの所申し訳ありませんが、これより、アルギナスで発生したシールカードの様子を記録した映像を出します。括目してご覧ください」
「あ、ああ……頼む」
前半の意味深な言葉に疑問を抱きつつも返事をする。なぜか女性達に睨まれるが……理由は全く分からないゼノスであった。
ミスティカは懐から一枚のカードを取り出し、全神経をカードに注ぐ。
「では――――占い師のダイヤ、『全てを見据えるレディシエ』!」
ミスティカの命と同時に、彼女はカードを頭上へと投げ飛ばす。
カードは眩い閃光を放ち、全員の視界は光によって奪われる。
――そして、ゼノス達は見た。その異様で禍々しく、本当の闇を垣間見た様な光景を。
闇夜よりも暗く、朝か夜かも不明な深淵の箱庭。恐らくアルギナスの最深部であろうが、視界調整によって見据えられるその先は、牢獄と言うよりも魔界の王が住まう魔王城に類似している場所だった。
「こ、これは……」
ゲルマニアが驚きの声を漏らす、その反応は正常な証であろう。ゼノスも初めて見るが、その光景は、一般の牢獄とかけ離れている。
「どうやら、これはミスティカのシールカードが透視した光景だろうな。全く……凄い力だが――ゲルマニア、今から細心の注意を払えよ」
「え……?」
ビジョンは次へと移り、ゼノスが感知した嫌な予感は的中した。
闇を抜けた先、そこにはハルディロイ城の王座の間とは真逆の世界が映し出されている。仄かな明かりによって照らされた薄暗い空間、鮮血色の絨毯が地面を覆い……その部屋の奥には、漆黒の玉座が備えられている。
そしてその玉座に――奴は退屈そうに座っていた。
「…………ッッ」
ゼノス以外の皆は途端に息が苦しくなり、床に膝をついてしまう。無論の事、奴を直視する事が出来ない。異常な程の覇気が彼等を襲い、精神的不安を引き起こしてくる。
ゼノスはこの存在を知っている。大層な漆黒の鎧を纏い、大きな体躯に相応しい紅蓮の大剣を片手に持つ男は、嫌でも覚えている。
「――魔王、ルードアリアか」
苦言を発し、二度と見たくなかった仇敵を睨みつける。
魔王ルードアリア――奴とは一度魔界の深層にて一騎打ちを果たし、死闘の末に奴を倒して、ゼノスが牢獄に送ったのだ。以前使用していた魔盾ルードアリアは奴から簒奪した物でもある。
その魔王が剣を持つ手の反対に所持しているカードを発見した途端……ゼノスに戦慄が走る。
それは紛れも無く――シールカードだった。
透視されたビジョンはそこで終了し、場所は謁見の間へと戻る。ミスティカの放ったカードも次第に光を失い、静かに彼女の手へて戻っていく。
……得も言われぬ光景を目にし、ゼノスとゲルマニアは険しい表情を崩せなかった。アリーチェ達はどうやら既に拝見していたようだが、それでも魔王の覇気には抗えなかった様子、小刻みに身体が震えていた。
「……ゼノス様、今の映像で分かってくれましたか?」
「ええ……嫌と言う程に理解出来ました。魔王が関わっている上、しかも奴がシールカードを手にしているという事は――この自分でさえ恐怖する事態です」
魔王の力は絶大だ。世に蔓延る悪魔の支配者たる彼が、ギャンブラーとして覚醒したのならば、恐らく始祖の襲来と同等の悲劇が待っているだろう。
「アリーチェ様。アルギナスを現在管理しているのは、確か六大将軍のユスティアラ殿でしたね……。彼女から事態の通告は届いていますか?」
「いえ、恐らくユスティアラもこの事態を認識していないでしょう……。魔王の存在はミスティカの力を以てして、初めて気付いたのですから」
「そうですか……、なら殿下が自分を呼んだ理由も理解出来るというものです。事態の深刻さを直接彼女に報告し、速やかに協力して魔王の討伐へと挑む、という事でしょうか?」
アリーチェは首肯した。
「察しが早くて助かります。……ですが相手は想像以上に凶悪な存在です。万全な準備や対策をし、今日か明日にもアルギナスへと出立してほしいのです」
「仰せのままに。……さて」
「?」
アリーチェの疑問も他所に、ゼノスはジト目でロザリーとラインへと振り向く。
「――何でお前らがここにいるんだ?よもや何の意味も無く話を聞いていたわけでも無いんだろ」
「……当たり前。あとゼノスのその姿、とても気味悪い」
余計な一言にツッコミを入れたい所だが、アリーチェの手前故に苦笑だけに抑える。――だが、ゲルマニアはどうもその一言に憤りを覚えたようだ。
「なっ!ロザリーさん、それは看過出来ない発言です!ゼノスは白銀の聖騎士として恥じぬ、誠に素晴らしい恰好をなさっているではないですか!」
「……それが気味悪い。私の知るゼノスは、これまた風変りな格好をしているけど……そっちの方がゼノスらしい」
「お、お前ら」
互いは一歩も譲らないという態度を示し、ゲルマニアとロザリーは無言の対立を露わにしている。ゼノスとしては意味不明な上に、自分の恰好だけで喧嘩されて困ったものだが。
しかも陛下の御前でだ。ゼノスは止めようとしたが……それよりも先に、ラインが代行して止めに入った。
「ま、まあまあ二人共落ち着いて。ゼノス、僕等も一応だけど、アルギナスの件に関しては同行するつもりだよ」
睨み合う両者をラインが宥め、代わりに彼が事情を説明する。
「同行って……陛下直々の命令でか?」
「うん、そうだよ。実力を買われて、戦闘補助と記録官の役割として君に付いて行くつもりさ」
確かに、ゼノスが単身でアルギナスへと赴くわけにはいかない。最低でも二人か三人の護衛が必要である。
だが――ゼノスには少々不安がある。
「……けどラインはともかくとして、ロザリーは大丈夫なのか?事態を察するに――お前の実力じゃ厳しいぞ?」
辛辣な一言だが、これは彼女を心配し、覚悟を問う発言である。
なぜなら――今のロザリーの瞳は酷く血に飢えているからだ。無感情な彼女がここまで燃え上がるという事は、余程尋常でない理由があるに違いない。人間がこういう状態の時は……必ず死に急ぐ時だけである。
「……私はゼノスに付いて行く。それに、これは陛下の勅命。ゼノスが口を挟む権利は無い」
――陛下の勅命、か
ゼノスはアリーチェへと向き直り、彼女の様子を確認する。
一見アリーチェは平静を保ち、静かにゼノス達の会話を聞いているが……ロザリーをジッと見据え、不安そうにしていた。
何かを隠している、それは一目瞭然である。しかし今ここで陛下に理由を追求しても時間の無駄だし、不敬に値する行いだ。
「……今は、何を言っても無駄なようだな」
アリーチェだけでなく、今のロザリーに何を言っても、恐らく引き下がる気配はないだろう。ここは大人しく黙っていよう。
若干の不安を帯びつつ、こうしてゼノス達は早急に身支度をし、その日の夕方にランドリオを出立をしたのである……。




