ep29 平和を望む元凶
ゼノスが一人向かった先は、ハルディロイ城の地下だった。
延々と続く階段を下りていくと、ゼノスは目的の人物が例の椅子に座っているのを見て、更なる緊張感を纏う。
「……始祖。まさかまだ此処にいるとはな。……正直驚きだよ」
先のマルスの行いにより、始祖を縛っていた結界は破られた筈、何か始祖がしでかすんじゃないかと焦り、こうしてやって来たわけだが。
彼女は何もせず、ただジッと座り続けているだけだった。
「ふふ、気に入っちゃったんだ。だって快適なんだもん、ここ」
あっけらかんと答える始祖に、ゼノスは頭が痛くなってきた。
事の元凶がこうも拍子抜けだと、ここまで来た意味が薄くなってくる。
「――何が目的だ、お前は。お前はマルスを利用して何がしたかった!?」
ゼノスはリベルタスの剣先を始祖へと向け、不可解極まりない彼女の行動原理を追求する。正直な所、本当に思考回路が読めない。
シールカードという存在を創造し、マルスという犠牲者を作り上げた諸悪の根源が、こんなにも穏やかで清純な体裁を保っているなんて、とゼノスは抗えない疑問に苛まれる。
自分の知る始祖はどんな狂気よりも洗練され、純粋な悪意と脅威を併せ持った――所謂、この世の全ての闇を凝縮させた少女であった。
それが裏を返し、今ではあの覇気が微塵も感じられない。それだけでなく、本来持っているだろう絶対の力さえ見極められなくなっているのだ。
何故だ?始祖に何が起きている?
「……そうだね。一体、何なんだろうね」
「――は?」
深くため息をつき、静かに立ち上がる始祖。綺麗に咲く花畑を歩きながら、光差す天井を眩しそうに見上げる。
まるで、全てに疲れているような……そんな様子だった。
「私も、分からないんだ。マルスに力を与えたのは、平和を手にする為の力を与えたつもりだったのだけれど…………最悪な方向に進んじゃったね」
「……意外だな。あの始祖が良心で動くなんて」
「ふふ、褒め言葉として受け取ってもいいのかな?」
どこか楽しそうに呟く始祖。スカートを弄りながら、今度はゼノスを注視する。
可憐で美しく、どんなガラス細工よりも透き通った心の持ち主だと思う。ゲルマニアとはまた違うが、確固たる意志が内在している様に見て取れる。貫き通し、守りたいという人間味が……。
だが、犯した罪はそれだけでは消化されない。
シールカードの暴走、皇帝の死、神が死罪の免除を許しても、騎士であるゼノスはそれを認めない。
ゼノスは花畑を優雅に歩く始祖をしっかりと見据え、怒涛の勢いで接近し、いつでも彼女の首を刎ねられるよう、刃を首筋へと当てる。始祖なら容易に距離を取れたはずだが、何も行動を起こさなかった。……いや、起こせなかったと言った方が正しいだろうか。
「――で、死の覚悟は出来たか?……同志マルス、そして我が国の皇帝を死へと追いやった罪は、貴様の死を以てして償ってもらう」
「……」
死の宣告に対し、始祖が抗う気配も感じられない。
単純に死を受け入れているのか?否、彼女の瞳は生気に満ちている。
なら反撃の余地を窺っているのか?――否、それも有り得ない様相だ。
「ねえ騎士様。騎士様にとって、この世界はどう見える?」
「……どうとは?」
「簡単な質問だよ。この世界に生きる生命は、特に人間達はどんな思いで生きているのか。騎士様の率直な意見が聞きたいんだ」
要領を得ない投げかけであった。
命乞いとは別種の、とても抽象的な問い。まるで異世界で伝えられているイデア論に近い、何とも哲学的な問いかけである。
死の制裁は揺るがないにせよ、時間はいくらでもある。始祖の質問に対し、ゼノスは思いのままを口にした。
「人間は何かを成し得る為に、又は何かを求めて走り続けている。俺が騎士をめざし、敬愛すべき者を守る為に強くなったのと同様にな。――人は大切な何かを得ようと奮闘していると俺は思う」
あくまで経験から述べた見解だが、それこそがゼノスの信じる世界の在り方。世界の真理だと推測する。
間違ってはいない――始祖は静かにそう呟くが、やがて光に当てられた素顔に曇りが生じ、絶望の眼差しは天へと注がれる。
「確かに騎士様の言う通りだよ。世界の秩序は全体的に人の意志で動き、統率されていく。けれどもその意志は、騎士様の様な正義の渇望があれば、同時に闇に堕ち、欲望に駆られる人も存在する。――そしてこの後者は、後に破壊と滅亡を企む」
「……その後者が、マルスや皇帝陛下とでも言いたいのか?」
ゼノスは解き掛けた答えを導き出し、激しく後悔する。
「……そうだよ。皇帝は私を死んだ実娘だと思い込み、横暴な行為をしてまで私を守ろうとし、マルスは私を母と崇め、無差別に人を殺してきた。――そして私は、その争いの根源……」
皇帝は娘を失い、マルスは大切な存在達を失い、両者は力を求めてシールカードに手を染めたのだ。――始祖が全てを叶えてくれると信じて。
結果、仮にゼノスがこの場で始祖を粛清すれば、生みの母を殺したゼノスを恨み、力の欲求に囚われたギャンブラーが破滅を呼び起こす、と言っているわけだ。
「貴様……ッ。多くを犠牲にしておいて生き残る事を望むかっ!」
「だって生き残らなければ、悲しみは再度連鎖するんだよ!私はもう見たくないし罪を背負わなければならない!」
初めて自らの意志を主張し、金切り声を出す。
余りに予想もしなかった発言に、終始戸惑うしかないゼノスであった。そのせいか、剣を握るその手に若干震えが生じる。
ゲルマニアもそうだったが、自分の周りには意志の強い女性が多い。その意志の強さはゼノスと同等、いやそれ以上かもしれない。
だから、始祖を殺そうという意志が揺らいでしまう。堅牢な心は、聖騎士の使命に容赦なく釘を打ってくる。
「……お願い、今は殺さないで。私にはまだやるべき事が残っているの。シールカードの呪いを解放するという使命が……」
「……俺は」
答えに詰まるゼノス。
ふとそこで、思いもよらぬ助け舟がやって来た。
「――その願い、この私が受け入れましょう」
張り詰めた雰囲気に広がる凛とした、それでいて小鳥が囀るが如く清らかな声音が響き渡る。
その声の主は冷えた石畳をコツコツと足音を鳴らしながら、部屋へと入ってくる。ゼノスが振り向くと、案の上そこにはアリーチェがいた。
「ア、アリーチェ様……なぜここに」
彼女がこの場所を知っていて、しかもこの事態に限ってやって来たのにも驚いているが、ゼノスは何よりもアリーチェの精神状態が心配で仕方が無かった。
そんな不安を察知したのか、ゼノスの横を通り過ぎる間際に微笑を見せ、この場は任せて下さい、と静かに諭してくる。ゼノスはその意に従い、リベルタスを鞘へと納め、二人との距離を空ける。
対面するは、先刻より実質のランドリオ最高権力者となったアリーチェ皇女、そして災厄をもたらした始祖。
緊迫した雰囲気――と思いきや、ゼノスの想像とは全く違った状況が展開された。
「……始祖よ。貴方が過去に行った横暴を水に流そうとは申しません。身勝手な行動なのは百も承知ですが――我が国は現在、シールカードという脅威に晒されています」
「……」
アリーチェの言動一つ一つをしっかりと聞き取り、始祖は今まで以上に真剣な表情でアリーチェと向き合っている。
対するアリーチェは、正に一国を担う皇帝としての威厳を放ち、ゼノスの知る儚い彼女は存在しない。
今は見守るしかない……皇女殿下が一体どのような処置をするのかを。
やがて、アリーチェはその右手を始祖へと差し出す。
「――力を貸して下さい。互いにとって明るい未来を作る為に、我等が望む本当の平和を手にする為にも。私は信じますよ。こんな綺麗で純粋無垢な瞳を持つ女の子が、これ以上の愚行を犯さないという事を」
「……っ」
始祖は半ば意表を突かれ、しばし呆然とする。
相も変わらず優しい方だ。しかもただ慈愛だけで動く訳でなく、全ての幸福を鑑みた上で言い放ったお言葉だと分かる。
「……有難う、お姫様。勝手なのは重々承知だけど、私は二度と誰かを苦しませたくない。――共に戦うよ、世界の安定と平和の為にも!」
ここに、また新たな歴史的変革が誕生した。
新皇帝陛下の誕生と同時に、ハルディロイ城の地下室にて密約が交わされたのである。
かつてランドリオを滅亡の淵へと追いやった災厄。その根源が、たった今ゼノス達と同盟を約束したのだ。ゼノスにとっては複雑であるが、主の取り決めた行い……反対する気は無い。
だがこれから、更なる困難が立ち向かって来るのは間違いないだろう。事実上、始祖を匿いながら助け合う事になるのだから。
「さて…………ゼノス、これより始祖は我等の同志であり、助け合う仲となります。ですがこのままでは始祖の立場も無い上に、誓いを守る事も叶わないでしょう」
「そこで」、と茶目っ気たっぷりに人差し指を立てた後、始祖の両肩に両手を乗せ、ゼノスへと軽く押しやる。
「皇女の勅命です。彼女を――貴方の側近として役立てなさい」
…………へ?
一瞬、アリーチェが何を言ったのか理解できなかった。それはどうやら始祖も同様であった。
意味を知った途端、思わずゼノスは反論を口にした。
「ちょっ、待って下さいアリーチェ様!い、いくら何でもご厚意が過ぎると思います!」
「あら、そうでしょうか?……良く考えて下さい。今現在、私は始祖を信頼したと申しました。それに……仮に始祖が暴走した場合、唯一それを阻止出来るのはゼノス、貴方だけなのですよ?」
「うっ…………それは」
「罪人には看守が必要なのと同様、貴方達は切っても切れない間柄なのです。分かって下さい、ゼノス」
「……は、承知しました」
言い返す言葉も見つからず、ゼノスは叱られた子供の様に項垂れる。
「よろしい、これから宜しくお願いしますね。――私はまだまだやる事がありますから、始祖の入団受理は頼みましたよ。そして勿論、ランドリオの復興に関しても手伝って下さい」
「はっ、御意に」
動揺は隠せないものの、何とか返事だけは出来た。
聡明になられた皇女殿下を後ろから見守りつつ、彼女の成長に感動を覚えるゼノスであったが……今はそれ以上に度し難い不満が募っていた。
ゼノスは思いっきり溜息を吐き、目前にて自分を見つめる始祖を見やる。
「あ、あのう……大丈夫、かな?」
有り難い事に、礼儀正しく心配してくれる始祖。
ゼノスは心中穏やかでないものの、数々の疑問を強引に封印する事に努めた。
何故彼女はこうも変わってしまったのか、二年前の奴とは別人なのか、始祖の本意は一体何なのか……等々を、とりあえず記憶の奥底へと放り投げておく。
今はとにかく……。
ゼノスは彼女へと近づき、半ば強引にその右手を掴み、地下室の出口へと引っ張って行く。
「わわっ……ね、ねえどこ行くの?」
「決まってるだろ……ここじゃ城の憲兵に見つかる。とりあえずランドリオ騎士団の正装を身に着けて、お前も復興作業の一員として働くんだよ。そうすれば、まさかお前が始祖だとは誰も気付かんだろ。……皇女殿下、六大将軍、ゲルマニア以外にはな」
「……」
捲し立てる様に言い放つゼノスに対し、唖然とした様子で引っ張られる始祖。
「始祖……ああそうだ、始祖という名前じゃこの先やって行けないな」
ゼノスは彼女を振り返らず、ふと思い浮かんだ名前を口にした。
「これからお前は――『アスフィ』だ。いいか、アスフィ?くれぐれも変な行動だけは起こすなよ」
「ア……スフィ?アスフィ…………ふふっ」
「何だよ、いきなり微笑んで。気に喰わなかったか?」
始祖……もとい、アスフィは笑いを何とか堪えながら返した。
「う、ううん……だって、騎士様が変な所で優しいからさ。それが可笑しくって」
……何だか馬鹿にされている気がするが、名前はそれでいいらしい。
数奇な出会いに始まり、これまた数奇な関係となったゼノスとアスフィ。
アスフィはこれからの生活に期待と希望を膨らませているが……ゼノスはどうやってゲルマニアを説得するか悩むばかりであった。
ランドリオ帝国――この年、皇帝はアリーチェとなった。
そして――空席だった六大将軍の一つが埋まる事ともなった。
かつては全身を鎧で包む白銀の騎士。
そして現在は、赤のジャケットにジーンズという摩訶不思議な格好の青年。
名を、白銀の聖騎士ゼノス・ディルガーナ。
騎士のシールカードであるゲルマニアのギャンブラーとなった騎士である。




