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白銀の聖騎士  作者: 夜風リンドウ
一章 最強騎士の帰還
29/162

ep28 聖騎士VS盗賊王(改稿版)




 かくして、運命の時がやってきた。




 ゼノス達の必死な抗いを嘲笑うかのように、公開処刑の時間である夕刻が訪れる。茜色の空が果てまで広がり、黄昏色の太陽光が城下町全体を照らす。それは希望の光にも見え、絶望の光にも見えた。



 既に公開処刑の準備は整っており、中央の広場は多くの市民でごった返していた。そしてそこには当然、盗賊のシールカードが警備を行い、シルヴェリア騎士団一行に六大将軍二人、そしてアリーチェ皇女殿下とリカルド皇帝陛下の身柄を捕えていた。



 両手を特殊な縄で拘束され、何も抵抗できない状態でだ。幾ら六大将軍といえど、病魔による疲労と未知なる力には敵わなかったようである。



 この状況に、町の皆は終始戸惑いを隠せない。最強と謳われた騎士達が囚われ、今まさに主君たちが処刑されようとしている。誰もが信じられないと思い、同時に深い絶望を植え付けられていた。



 若い人間は強い憤りを堪え、年寄りは何度も祈りを捧げ、子供達は不安と恐怖のあまり身を縮こませ、終いには泣き出す子まで出てくる。




 そんな重苦しい雰囲気が場を制す中、ある男の声が響き渡った。




「……さて、これより始めようか。傲慢なる王政を廃し、輝かしい民主主義を手に入れるために。今よりこの場で、皇帝リカルドと皇女アリーチェの処刑を執り行う!」



 その男――マルスの宣言と共に、市民達はさらにざわめく。



 市民達の視線は処刑台へと集まる。そこにはリカルドが喚きもせず、ただじっとその時を待っていた。何も言葉を発することもなく……マルスを見据えていた。



 この場で怒りを露わにしているのは、両手を両足を特殊な鎖で拘束された者――アルバートであった。




「貴様……マルスっ!騎士として恥じるべき行為だと思わんのかっ!」




 アルバートの憤怒の叫びに、マルスは振り返り、下卑た笑みを浮かべる。



「戯言は程々に願います。私の復讐は、その程度の言葉では終わらない。……貴方ならば分かると思っていたのですがね」



「馬鹿を言うでないわ!確かに陛下の行いは間違っている!じゃがこんな形で終わらせてはならん!これでは、守るべき民をも巻き込む羽目になるぞ!!貴様は己が信念のために、恐怖をもって統率するつもりか!?」



「くははっ、それは当然のことでしょう?第二のリカルドが現れないよう、この私がしっかりと管理する必要があるのさ。――多少の犠牲があってでも、成し遂げる」



 それこそが真の平和に繋がる。騎士国家といえど、この国はまだ貴族主義という面を残している。あの残酷で傲慢な連中を排除し、民の代表たる騎士こそが一番となる。



 ――復讐と革命。彼は同時にそれを成そうとしていた。



「ぐっ……き、貴様ァ!」



 アルバートは怒りに身を任せ、後ろでに縛られた縄を解こうと身悶える。



 しかし縄はビクともしない。あの怪力で有名なアルバートでさえも、今の状態では動くこともままならなかった。



「武器を持っているのに抜く事も出来ず、そうして暴れている気分はどうです?その拘束具は我がシールカードが編み込んだ特別な縄。抗う術は愚か、動く事も出来まい」



「ぬ、ぬうっ……!」



 アルバートは一生懸命外そうと更にもがくが、全て徒労に終わる。イルディエやニルヴァーナは既に分かっているのか、無駄な抵抗は行わなかった。



 マルスの目線はとうにアルバートを捉えていなかった。その代わり、彼はとある男を見下していた。



 その男――成す術もないニルヴァーナを見て嘲笑した。



「にしても、騎士団長殿は拘束される理由が分かりませんな。やれば逃げられたかもしれないのに……是非とも教えてほしいですね」



 実際、マルスは茫然と立ち尽くすニルヴァーナを捕らえただけだった。必死に逃げれば助かったにも関わらず、自ら拘束される運命を選択した。



 マルスの問いに対し、ニルヴァーナはただ一言呟く。




「あえて言うならば、見定める為だ」




「……何?」



 ニルヴァーナの曖昧な一言に、マルスは神妙な面持ちを見せる。



 それを意にも介さず、ニルヴァーナは俯きながら続ける。



「……話は以上だ。今はそれだけしか言えない」



「――訳の分からない男ですね。まあ抵抗さえしなければ、貴方は生かして差し上げます。くれぐれも血迷った行動は慎むように」



 そう言い終えたマルスは、すっと片手を天に掲げ宣告する。



「よし、まずはこのランドリオを破滅へと導いた現皇帝、リカルドの処刑を行う!……最後にリカルド、何か遺言はあるか?」



 処刑人に断頭台の溝に首を入れられるリカルドに対し、平坦な口調で唱える。



 この異様な光景に、阿鼻叫喚に包まれていた市民達が押し黙る。誰もがあのリカルドの独白を聞こうと、処刑台の方に耳を傾けていた。



 ――そして彼の言葉は、意外なものから始まる。




「……やっと、罪を償う事が出来るか。そして……ようやくあの子の元へと逝けるか」



 それは誰もが予想できない一言であった。



 絶対君主を唱えていた暴君が自らの罪を認め、そして自分の家族に会いたいと願う。誰しもが想う願望ではあるが、まさかリカルドの口から出るとは思わなかった。



 マルスはその独白を聞き届け、おもむろに答える。 



「……その感情がありながら、我が故郷を見殺しにしたのか。……本当に呆れましたよ」



 マルスが冷徹に呟く中、皇帝リカルドは異様に冷静だった。



 皇帝を知る者なら不自然に思えるだろう。だがこれが彼の本質であり、死を目前に己の弱さを自覚した本来の姿でもある。



 何故今になって?



 ――それは、今日まで牢獄にいたことが原因である。















 リカルドはこの一週間、ずっと牢獄にいた。冷たい石畳の上に座り、物思いに耽っていた。




 今まで始祖の為に民から膨大な量の税を徴収し、始祖の為の研究をしてきた。そして始祖と少しでも長く居られるよう、多くの罪を背負ってきた。こうして皇帝として数年間居座り続け、全ては始祖と自分の為に行動を起こしてきたのだ。



 彼女が自分の娘であると信じて。




 しかし――それは全て無駄に終わる。




 マルスによる自分とアリーチェの処刑を行うと告げられ、公開処刑の前日に――始祖は自分の牢屋の前へとやって来たのだ。



『おお……娘よ。来て、くれたのか……』



『……辛そうだね』



 初めて始祖は自分に語り掛けてきた。あの時は嬉しくて、一週間の牢屋生活による疲労等、すっかり忘れていた。



『うむ、確かに辛い……。だが、安心しなさい。我は死なぬ、お前が生きている以上、我も死ぬわけにはいかぬ……』



 娘よりも先に死ぬわけにはいかない、自分が死んでしまったら、一体誰が娘を養う?死ぬわけには……今死ぬわけには……。



 そう思った矢先だった。――彼女は、始祖は自分に言い放った。



 知っている筈なのに、今まで知らぬふりを、自分に暗示を掛けてまで逃避してきた事実を。知りたくも無い、認めたくも無い……あの忌々しき出来事を、始祖は淡々と告げた。




『リカルド……もういいよ。君の娘はね――既に不治の病で死んでいるんだよ?』




 それは唐突だった。最初こそ何を言っているのか分からず、リカルドはしばし沈黙した。



 やがて、掠れた声で答えた。



『……………………な、何を言っているんだ娘よ。現にお前はこうして』



『逃げないで、皇帝リカルド。今逃げたら、君は死んでも後悔する事になる』



 現実から逃避するな、事実を見据えろ。この哀れな皇帝に呆れ果てた始祖は、彼の中に眠る真実を伝えた。



『さあ……ゆっくりと目を閉じて。そして向き合いなさい、己の歩んだ現実と。――それが貴方を救い、この国を平和へと導くでしょう』



 始祖の言い放つ平和とは何か、悪の元凶たる彼女の問うそれは……一体誰の為に言っているのか。今は誰も分からない。



 しかし、今の始祖には確固たる意志が備わっていた。その意志が彼の元へと近づかせ、こうしてリカルドを救おうとしている。



 ――私の罪を償う為に、と呟きながら。



 リカルドは促されるまま、瞳を閉じる。妙な心地良さを感じ、長年見なかった夢へと誘い込まれる。舞台は自分がまだランドリオ大貴族の一角を担い、ハルディロイ城から遠く離れた森の洋館である。



 ぼんやりとした意識のまま、リカルドは当時の自分を見下ろしていた。当時の自分は狼狽えた状態で、部屋のベッドに横たわる少女の手を握っていた。少女はどことなく……始祖と似ていた。



 少女は苦しんでいた。その場には医者と看護婦も付き添っていたが、彼等が何らかの処置を施す事は無かった。ただその苦しむ姿を見据え、悔しそうに項垂れていた。



 リカルドは泣き叫んでいた。少女はそんなリカルドに向けて無理やりに笑みを作る。大丈夫、と言わんばかりに。



 しかし少女の呼吸は次第にか細くなり、リカルドを見つめる瞳は段々と閉じていく。リカルドがどんなに喚いても、死に行くという現実からは抗えない。医者も匙を投げ、ただただ傍観しているのだから。




 ――そして、少女……いや、リカルドの娘は死去した。




 リカルドは何度も娘の名を呼ぶ。何度も、何度も何度も何度も……声が枯れるまで呼んでいた。



『これ、は……。わ、悪い冗談だ。我が娘は、我が娘は!』



 リカルドの動揺もよそに、夢の舞台はまた切り替えられる。彼がどんなに否定しても、走馬灯は展開されていく。彼の為にも、始祖は自分の力で彼に真実の夢を見させる。



 次の舞台は――ハルディロイ城のとある地下室であった。



 目の下にクマを浮かべ、先程の光景よりも痩せ細った状態のリカルドは……地下室に眠る始祖を見て……歓喜の声を上げた。



 娘が今目の前に――我の前にいる!



 始祖と娘は瓜二つだった。娘の死によって情緒不安定に陥っていた彼は、偶然迷い込んだ地下室にて彼女と出会い……そして、彼女を娘だと思いこんだ。



 あの死は嘘だった!娘は紛れも無く生きている!



 始祖は娘では無い。だが、その時からリカルドは彼女を娘だと信じ切っていた。悲しみを払拭する為に、あの偽りの死の記憶を自己暗示によって消し去り、娘を救おうと心に誓った。



 ……それからまた、夢の光景は様々なビジョンを創り出していき、未だ困惑するリカルド自身に見せていく。



 自分が絶対の権力を得て始祖を手に入れる為に、前皇帝を暗殺した記憶。念願の始祖の復活を遂げ、死守戦争を起こした記憶。全ては始祖の為に――我が娘の為に…………。







 しかし、夢を見終えたリカルドは……分かってしまった。始祖が見せた夢と、娘と似た声で告げられた真実に……彼は理解してしまった。長年眠っていた記憶が目覚めた事で、始祖が娘でなかったと悟る。



『……我の、我の娘は…………』



『そうだよ、リカルド。君の娘は、この世にはもう存在しない。今まで冒してきた愚行も……君の自己満足でしかなかったんだよ』



『自己満足……。は、はは……そうか、自己満足』



 いない人間の為に罪を冒し続けてきたリカルド。娘の為に生きようとした彼の意志は……脆くも崩れ去った。





 あの死を思い起こし、涙を浮かべるリカルド。その姿を見届けた始祖は、静かにその場から去って行く。















 時はまた現実へと戻る。




 あの日告げられた真実を思い起こした事で……リカルドは正気に戻っていた。今の自分は罪を償う立場にあり、こうして見つめてくる民に対して……死による償いが必要だと分かっていた。



 今なら分かる。あのような愚行は、死んだ娘に対し無礼であると。



 リカルドは静かに目を閉じ、皆に聞こえるよう告げる。




「……私利私欲を抑圧できなかった私にとって、この最期はお似合いだ。代償をここで払えるならば、この死は――本望である」




 静まり返る広場に響き渡るは、後悔の念。



 悪名高いと知りつつも、なぜか皆は涙をこぼした。騎士団達は罵声を贈る言葉も見つからず、ただ沈黙と驚愕を示していた。



 彼の気持ちが伝わったのか、はたまた偶然か。それは誰にも分からない。



 だが、突き付けられる無情な現実からは逃れられない。



 マルスの怒り狂った宣告が下され、審判の時が来た。



「……処刑を執行する!全ての恨み、ここで晴らしくれるっ!」



 無慈悲、且つ私情を露わにした暴言と共に処刑人の剣が振り上げられる。人々の阿鼻叫喚は頂点に達し、そこにいる誰もが目を伏せた。



 一瞬だったが、皇帝はちらりとアリーチェを見る。



 それに気付いた彼女は、確かにその言葉を聞き届けた。




「――アリーチェよ、良き時代を創り上げよ。六大将軍と、そして聖騎士と共に」




「……え」



 アリーチェが聞き返そうとしても、もはやリカルドに応える余裕はない。



 彼は果てなき黄昏を見据える。その瞳は今まで妄執から解放されたかの様な――とても清らかなものであった。





「嗚呼……本当に、馬鹿な父親だったな。かような恐ろしい存在を守ろうとしていたなんて……。――我が娘は、とうに天国にいるにも関わらず、な」






 それが、彼の最後の言葉だった。




 剣は振り下ろされ――――皇帝の首は宙を舞った。




 そして地面へと落ちる。呆気なく――飛んだ首は地面を転がって行く。




「は、はは、あははははははははっ!皇帝、死すっ!」




 マルスの高笑いが響き、盗賊のシールカード達は雄叫びを上げる。




 二十一代皇帝リカルド、ランドリオ中心広場にてその命が絶たれた。



 皇帝の死――それはアリーチェにとって、嘆く出来事ではなかった。



 父を殺した張本人、結婚を強要してきた男。姫にとって最悪という言葉が一番似合う皇帝であった。




 しかし、今の言葉には衝撃を与えられた。




 リカルドは死の直前で――自分よりも国のことを想った。



 もし彼が正常であったのならば、この国はもっと豊かになったかもしれない。アリーチェはふと、そんなことを考えていた。



 ――その時だった。



 高らかな笑い声が、また広場に木霊する。



「ははッ!荒廃を生み出した元凶は地獄へと堕ちた!次は皇女アリーチェ、お前が復讐の贄となる番だ!」



 マルスは足早にアリーチェの元に近づき、足の拘束のみを解除して強引に手を引く。向かう場所は――無論血塗られた処刑台。



「ひ、姫様!おい、姫様を離…………ぎゃっ!」


「アリーチェ様は関係ない……のにッ!」



 姫を助けようと駆け出す市民達は、待機しているシールカードに殺されていく。



 その様子に、アリーチェと六大将軍達の感情が大きく揺らぐ。



「見ろ、見てみろアリーチェっ!お前の愛する国民が無残に死んでいく光景を!これが私の体験してきた地獄……この世の無常だ!!」



「や……やめて、下さい。これ以上……これ以上はッ!」



 怖い。――怖くて、茫然と見ている事しか出来ない。



 何て無力、愛する民が自分のせいで死んでいるというのに、こうして処刑される為に在るなんて…………酷い現実だ。自らが死ぬより辛い。



「アリ……チェ、様。麗しの…姫、君」


「私達の命はどうでもいいわ……。だから、皇女様だけは」



 地べたを這いずり、血塗れになりながら懇願する市民達。



 しかし赤い視界で見る世界は、ついに処刑台へと立ってしまった皇女の姿。そして、その哀れな姿を嗤うマルスのみだった。



「……さあ、死ぬ覚悟は出来たかな?――弱い姫よ」



 死神は残酷にも宣言する。



 それに対しアリーチェは、諦めたかのように呟く。



「ふふ。そう…ですね。確かに弱いですよね、私は」



 周りの悲劇を、自分はただ見ているだけだった。



 救う力さえない権力者の娘。ただ周りに踊らされていた、無知なる者。ただ美しい姫とだけ謳われる、それだけの存在だ。



 故に聖騎士であった彼をも、救う事が出来なかった。



 ――嗚呼、アリーチェは滑稽だ。



 滑稽だからこそ、死を目前にしても平静でいられる。



 いっそのこと、自分なんかが居ない方がいい。そう胸中で思いながら――



「……聖騎士様。今、私の罪を償います」



 罪人の如く罪の意識を告白し、鮮血の様に染められた夕空を眺める。



 一切の後悔がないと言えば、それは嘘になる。自分は今でも聖騎士を想い、彼に助けてほしいと懇願している。しかしそれは叶わぬ現実であり、死からは逃れられない。



 ……そう、残るは死のみ。



 彼女は自らの足で、断頭台へと進む。



 震える足を無理やり動かし、嗤うマルスと嘆く市民達に見守られながら登る。



 …………。



 ……。



 周囲の音が聞こえない。



 死を目前にしているから?それとも、もうこれ以上の悲しみを聞きたくないから?



 否、どちらとも違う。




 絶望の闇を打ち払う、希望が現れた瞬間であった。




「――させない。貴方を殺させることも、この国を滅ぼすこともッ!!」




 凛と張り詰めた空気が揺らぐ。



 アリーチェが驚き、振り返る。すると群衆の後方から、二人の人間が物凄いスピードで疾駆していた。――紛れもない、ゼノスとゲルマニアであった。



「ゼノスッ!ゲルマニアッ!」



 群衆は思わぬ登場に呆ける一方、六大将軍とシルヴェリア騎士団、そしてアリーチェは歓喜した。



「……小僧、遅いわい」



 アルバートは悪態を放ちつつも、表情はにやけている。



「ああっ、ようやく決心なさったのですね。聖騎士様!」



 リリスが興奮気味に叫び、聖騎士の到来を素直に喜んでいた。



 他の者達も驚きを隠せずにいる。ニルヴァーナでさえもこの予期せぬ展開に目を見開き、やがて自分を嘲け笑うが如く微笑む。



 その喜びと期待に応えるかの如く、二人は身近にいた盗賊のシールカード達を悉く打ち倒し、雪崩れ込むように群衆の中を通り過ぎ、剣を構えながらマルスと対峙する。



 今の彼等に迷いはない。かといって、猪突猛進のまま立ち向かっているわけでもない。



 マルスはそれを見て、怪訝な表情で言い放つ。



「……懲りないですねぇ。いい加減その顔を見たくないのですが」



「それはこっちも同じだよ。――だから、ケリを付けに来た」



「へえ、どの口が言うのですかね。また制約の力が、貴方達を蝕み…………んッ!?」



 途中、マルスはある事に気付く。



 おかしい。そろそろ症状が出るはずなのに、二人は平然としている。――制約の効果が切れた?いや、そんな馬鹿な話があってたまるか。この力は絶対的であり、抗うことは叶わない。



 なら何故、奴等は制約に抗える?



 ……ふとそこで、マルスは一つの結論に行き着く。



 怒りに震えながら、その結論を言い放つ。



「ふ、ふふ……。まさか、貴方もギャンブラーになられたのですか。可能性は否定しませんでしたが、よもや実際になるとはッ!!」



「……ゲルマニア」



「はい!」



 錯乱状態のマルスに対し、ゼノスは好機と見てゲルマニアとアリーチェの救助に向かおうとする。



 しかし、マルスはすぐに立ち直った。彼は咄嗟に二人の行動に気付き、自分の怒りを表現するかのように、処刑人に合図する。



「アリーチェを殺せ!早く!」



 未だ断頭台にまで来ていないが、こうなってしまっては仕方ない。直立状態のアリーチェの首を刎ねようと、処刑人は彼女の元へと近付く。



「い……いや……」



 アリーチェは恐怖に身がすくみ、その場から動けない。



 まずい、早く断頭台に向かわないと。ゼノスがそう思った矢先、とある方向から何かが投げられる。風を切り裂くその音を頼りに、ゼノスは剣を持っていない右手で――その『剣』を取る。



 ――『リベルタス』。



 黄金色の意匠に彩られ、煌めく刃は恐ろしいほど洗練されている。それはかつて、ゼノスが愛用し、共に戦場を駆け抜けてきた相棒であった。



「――ゼノスッ!その剣を使い、全てを救え!!」



 今まで冷静を貫いてきたニルヴァーナは、最後の力を振り絞って叫ぶ。……何と彼は、拘束された状態のまま、こちらにこの剣を投げ放ったのだ。



 何故彼がこの剣を?……いや、今は考えている場合ではない。



 ゼノスはニルヴァーナに頷き、今所持していたリンドヴルム・ヘキサを捨て、リベルタスの柄を両手で握り締める。



 そして腰を落とし、勢いよく処刑台に向かって跳躍する。



 ―――既に処刑人は刃を振り上げ、恐怖に苛まれるアリーチェを射捉えている。



 間に合わない、誰もがそう確信していた。














 ゼノスはとある人物を想像していた。



 彼は誰よりも強く、多くの伝説を残してきた。常に紅蓮のマントをなびかせ、身体は白銀の鎧に包まれていた。左手にはリベルタスを、右手には魔盾ルードアリアを携えながら。



 どれも聖騎士にとって、欠かせない存在だった。リベルタスは全てを薙ぎ払い、ルードアリアは全てを守り――そして白銀の鎧は、聖騎士の象徴となっていた。



 ……そして今、ゼノスはまたその力を欲している。



 リベルタスは戻って来た。ルードアリアは今は必要ではないが、いずれ必ず欲する時が来る。今本当に欲しいもの、それはゼノスの力を最大限に引き出せるた白銀の鎧であった。



 あれさえあれば、この刃は処刑人の元に届く。



 頼む、今だけでいい。ほんの僅かな幻想でもいい。



 もう二度と巡り合うことのない白銀の鎧を――この手にッ!



『……ゼノス。その願い、私が叶えて見せます!』



 ふと、脳裏にゲルマニアの声が響き渡る。



『――私は貴方の鎧。全てを守る、最強の存在!!』



 ゲルマニアは必死に唱え、やがて彼女の存在が希薄になる。



 それと同時に――彼は覚醒する。












 ゼノスの全身は光に包まれ、やがて光は弾けるように霧散する。



 そして、その場にいた全員が驚いた。跳躍し、今まさに処刑人の首を斬り払ったゼノスの姿は―――白銀の鎧に包まれていた。始祖との戦いによって失ったはずの、その鎧を。



 重厚なる白銀の鎧、そして紅蓮のマント。しかし兜は付けていない。傍で戸惑うアリーチェを他所に、ゼノスは血に塗れたリベルタスの刃を振り払う。その勇姿は、まさに伝説の再来であった。二年前まで、彼等が崇め、尊敬し、期待していた――『白銀の聖騎士』そのものであった。



 民衆は驚きを隠せない。――そしてそれ以上に、アリーチェの動揺は凄まじかった。



『ゼノス……ゼノス、聞こえますか?』



「ああ、聞こえてるよ」



 脳裏に響き渡るゲルマニアの声を聞き、答える。



 この鎧は言わばゲルマニア本人であり、事実、彼女の姿はどこにも見えない。




 騎士を司るスペードのシールカード。――『主君を守りし誇りの盾』。




 ギャンブラーを認めたシールカードが成せる変化の奥義。彼女は聖騎士の鎧となる為に身を捧げ、ゼノスに絶対の忠誠を誓う。



『さあ、伝えるのでしょう?……皆に、貴方の真実を。貴方の決意を』



「……ああ。それもまた、俺がここに来た理由だからな」



 ゼノスは不気味な静寂を払うかの如く、アリーチェへと跪いた。剣を自分の眼前に掲げ、騎士としての誇りと礼節を示す。



 そしてアリーチェは、次の言葉に瞠目する。




「アリーチェ様。このような事態に対し、早急に対応出来なかった私をお許し下さい」



「……貴方は」



 何かを紡ごうとするアリーチェだが、ふいにマルスが鬼気に満ちた怒声を放つ。



「聖騎士、貴様……今の状況が分かっているのですか。今更そんな――」



「黙れ」



 マルスが言い終わる前に、ゼノスは無造作に反論した。途端に空気が振動を起こす。



「ぬ、ぐう」



 奇妙な覇気と圧力にマルスは沈黙を強要され、それ以上の言葉は出せなかった。武を極めた六大将軍やシルヴェリア騎士団でさえも……ゼノスに圧倒される。



 一方のゼノスはマルスに目も向けず、平然とした物腰で続ける。



「失礼いたしました、アリーチェ様。さあ、どうぞ仰って下さい」



「は、はい。…………貴方は、白銀の聖騎士様なのですか?」



 アリーチェはおずおずとした態度で、ゼノスに問いかける。



 彼女は一度も素顔を見た事がない。それは民衆たちも同じであり、誰しもが次の言葉を、ゼノスが放つ真実を待っている。



 一方のゼノスは、覚悟を決め、胸を張って口にする。



「ええ。俺はかつてこの国に尽くし、六大将軍の地位を築いていた者――白銀の聖騎士、ゼノス・ディルガーナに間違いありません」



「ッ!……どうして、今になって」



「……決意したからです。もう一度、真の騎士になろうと。この覚悟が二年も遅れてしまったことについては、本当に申し開きもございません」



 この雰囲気に似合わない振る舞いに少々の戸惑いを覚えつつも、アリーチェは震える声で何とか答えた。



「……謝るのは、こちらの方です。主君でありながら、貴方の苦しみを理解し、助けてあげられなかったのですから」



「苦痛は騎士の宿命であり、超えるべき現実。俺はアリーチェ様を一度も恨んではいません。むしろ貴方を敬愛していたからこそ……失望を恐れていたのです」



「聖騎士様……」



 ゼノスは一度騎士としての責務を捨てた。それは自分への処罰を恐れたのではなく、自分を慕う者達に失念されたくなかったからだ。




 ――それでも、ゼノスは戻って来た。




 新たな決意を胸に、ゲルマニアと共に歩むと決めた。



 自分の行くべき道は、




「……アリーチェ様、そしてこの場に集いし騎士達、市民達よ。聖騎士ゼノスは帰還した!今ここに、またこの国の為に尽くし、剣を振るおう!」




 ゼノスはリベルタスを天に掲げ、そう宣言する。



 ……その雄姿に、人々に様々な思惑が過る。



 ある者はその若さに驚き、ある者はその素顔に惚れこむ。またある者は、自分と同じ年代でこの宿命を得たのかと憐れむ。



 ただし、彼等を縛る感情はどれも同じだ。



 聖騎士は、誰であろうと我等の救世主だと信じていた。



 だからこそ民衆は――鳴り止まない歓声を響かせた。栄光の勝利を確信し、もう彼等の中に絶望という感情は存在しない。



 ゼノスはもう一度アリーチェに向き直り、改めて自己紹介をする。



「白銀の聖騎士――名を、ゼノス・ディルガーナといいます。……今度は本当の自分として、貴方に仕えさせて下さい」



 これが我儘だというのは自分でも分かっている。



 しかしそれでも、彼女は真摯に答えてくれた。



「…………また私に。こんな私の元に、また来てくれるのですか?」



 様々な思いがアリーチェの思考を狂わせる。聖騎士が自分と大して歳も変わらないという驚愕も未だ残ったまま、またランドリオに戻ってくれるのかという感動も含まれていた。



「……俺を許してくれるのですか?」



 アリーチェは何も答えず、ただ微笑んだ。



 その無言の答えによって、ゼノスは全てを理解した。




 ――有難うございます。こんな半端者を、また受け入れて下さり……。




 馬鹿みたいだと思う滑稽さが込み上がり、深い霧を抜けたような晴れやかさを感じる。姫の優しさは純粋に嬉しく、ゼノスの心を癒してくれる。



 となれば、ゼノスがやる事は残り一つだ。



 改めて剣を強く握りしめ、麗しき姫君を愚弄し、皇帝を処刑したマルスに剣先を向ける。




「待たせたな、マルス。――リベンジといこうか」



 ゼノスはランドリオの騎士として、マルスに宣告する。




「う、ぐっ。……ま、待て……何だ、何だその計り知れない気迫はっ!こ、これが……本来の白銀の聖騎士だというのか!?」



 マルスは完全に読み違えていた。ギャンブラーの力さえ手に入れれば、かの聖騎士を圧倒する事が出来るだろうと高をくくっていた。実際ゼノスはシールカードの力にひれ伏し、敗北を味わったのだから。



 だが、今目の前にいる奴は今までと違う。



 ここでマルスは――初めて本来の聖騎士と対峙しているのだと認識する。



「その通り。……そして迷いの消えた俺に、貴様は寸分の勝ち目も残っていないだろうな」



「っ言わせておけば!」



 マルスはすぐさま剣を構え、真っ直ぐゼノスへと飛び込んでくる。傍から見れば瞬きする間の速さであったが、今のゼノスにとっては止まっているに等しい。



 ゼノスもまた跳躍し、マルスと相対する形となる。両者が限界を無視した神速の限りを尽くし、互いに剣とナイフを構える。



 マルスは単純にぶつかりに来ているわけでは無い。現に彼は相重なる手前でギャンブラーの力を使用してきた。




「盗賊のカード、ハート。――『暗躍の鴉』!」




 途端、マルスは所持する一本のナイフをゼノスに投擲する。



 ナイフは朧な雰囲気を漂わせ、気付けばナイフは幾千本に連なる凶器と化していた。それが一斉に、ゼノスを集中して突き刺そうと目掛けてくる。



 だがこれで驚くなら、とうに聖騎士は歴戦の化け物に殺されている。その上今はゲルマニアの加護が加えられている為、児戯と言っても過言ではない。




「甘い。この俺に玩具で対抗しようという愚かさが!」




 ゼノスは直撃する寸前に、剣を横に振り払う。



 迫り来るナイフは――彼のたった一振りの剣撃によって消滅した。



「っ――うわああああああああああ!」



 剣撃の余波は容赦なくマルスを襲い、反動として遥か後方へと吹き飛ばされた。



 かつて山よりも巨大なゴーレムを薙ぎ倒した一撃、その絶大な力をくらったマルスは無傷では済まない。脆くも建物に接触し、派手な破壊音と共に地面へと堕ちていく。



「がはっ!……くそ、があっっ!」



「諦めろ。これこそが、経験の差だ」



 その一言に、血反吐を吐きながらマルスが嗤う。



「はっ、経験?……なら、その経験をギャンブラーの力で埋めるまでですよ!」



 天にまで響く咆哮と共に、マルスはゆっくりと立ち上がる。



 戯言を抜かす、等とは言えなかった。言葉通りの嫌な予感がよぎり、ゼノスの緊張感を高めたのだから。




 静まり返る広場に、光の源が集結し始めた。




 シールカードの力の根源とも形容出来る粒子はマルスを包み、更なる歪みと覇気を呼び起こす。――マルスは、壊れた。



「あ、あは、あはははははははっっ!そうだこれだよ。これこそ、我が求めた復讐の力!母なる力の証!あの憎き聖騎士を殺せる神の力なのだなっ!」



 高笑いは次第に低い嘲笑と化し、その肉体はもはや人間と判断できない程に巨大且つ異形の姿となっていく。



 気付けば、図体は一軒家の二倍程の高さ、幅は処刑台を軽々と壊せる程の巨漢ととなっている。――その姿はまるで、伝承に伝わる影の王に類似していた。



 幸いな事に広場の空間に綻びが出たのか、拘束されていた者達は解放され、姫もいつの間にか救出されていた。だが、この局面は宜しくない。奴から放出される波動は、今までに遭遇した化け物共と類似していた。




『……これが、我が破滅の力。『盗賊王』の力ッ!!』




 酔いしれた様に呟くマルス、否、盗賊王。広場にいたシールカード達をも糧に、彼は異質なるギャンブラーへと昇格した。



『感じる、感じるぞ。母上の愛が込められた波動がなあ……。村の皆ァ、これでこの悪魔を殺せる……復讐を果たすことが出来るゥッ!!』



 哀れ、ゼノスが思うのはこれだけであった。



 一体何故、マルスはここまでしてこの国を滅ぼそうとしているのか。こんな化け物に成り果ててまで、マルスが成そうとしている復讐は何なのか。



 これは率直な疑問であった。



『……ゼノス、構わないで下さい。彼は道を踏み外した。帝国に仇なす――敵です。どんなに深い事情があろうと、彼はここで倒さなければなりません』



「ああ……そうだな」



 どうにも引っ掛かる所があるが、今はそれが最優先だ。




『――さあ、また殺し合おうではないかァ!!』




 狂乱に震えた怒声を響かせ、真っ向から立ち向かってくる盗賊王。短刀ではなく、その手には巨大な曲刀が握られていた。



 ゼノスは臆しない。数十倍もの体格差と武器の比率が圧倒されていても、彼は盗賊王の勝負を受けた。



「はああっっ!」



『でやあっ!』



 互いの武器が競り合った時、辺りに爆風が生じる。



 他者の目から見れば、両者は全く同じ力で鍔迫り合いを行っている。盗賊王の破壊力も凄まじいが、何よりも小さな体で善戦するゼノスの存在に、誰もが虚を突かれていた。



 この戦いを見るとある女の子は思っていた。



 まるで――御伽話に出てくる竜殺しの騎士みたいだ、と。



 誰もが聖騎士の英雄譚と現実を重ね合わせ、しばしの圧倒感に酔いしれていた。



 ゼノスが懐に入り込めば、盗賊王が剣で跳ね上げる。盗賊王が叩き落とそうとした時、ゼノスは空中で舞うように避け、盗賊王の肩に着地、それと同時に肩を斬り付ける。



『き、貴様あっ』



 盗賊王は肩を思いっきり揺らし、ゼノスを降り落そうとする。



 ゼノスとていつまでも居座るつもりは無い。すぐさま跳躍し、地上へと降りる。対峙する盗賊王は目先に佇むゼノスを見据え、曲刀を振るい落とす。



 剣は大地を貫き、大地は地割れを起こし始める。地面は鳴動し始め、全ての者に恐怖を感じさせる。




 ――まずい、地割れが市民達にっ!




 大いなる地割れが向かう先は、ゼノスが守るべき市民の方だった。



 ゼノスは急いで市民達の前へとはだかり、自らの剣技、その一筋を繰り出す。




「聖騎士流剣技――『天地滅尽』!」




 ゼノスの呼応と共に剣は大地を貫く。



 彼の剣は盗賊王の放った地割れとは垂直の方向に地割れを起こし、何とか地割れによる被害を食い止めた。ちなみに、ゼノスは大地を切り開いたと同時に、真上に広がる雲をも斬り裂いた。



 だが、これで終わる盗賊王ではない。ただならぬ殺気を感じ、ゼノスは迎撃の態勢を取る。



『くそ、があっっっっ!盗賊のカード、ハート。――『暗躍の鴉』よ!』



 下卑た叫びを響かせ、高らかにカードの力を唱える盗賊王。



 また幾千本のナイフかと思いきや……今度の数は恐らく一万を超えるであろう数のナイフが出現していた。



 それらは躊躇なく、尋常でないスピードで一直線にゼノスへと向かってくる。今度は市民を目標とせず、あくまでゼノスを殺す為に放っている。



 これを全て落とす為には――




 ――コンマ一秒を十等分した割合の時間で、切り刻む事だっ!




「はああああああああああっっっっ!!」



 もはや聖騎士流剣術も関係ない。自らが成し得る身体能力とスピードを頼りに、全身の筋肉がフル活用される。神速の斬り落し、斬り上げ、横薙ぎ、縦斬り、常人ではもはや目視さえ出来ない速さでナイフを斬り落とす。



 互いの切磋琢磨は衰えを知らない。盗賊王は限界までナイフを放ち、ゼノスは怒涛の勢いで剣を振るい続ける。



 今自分達の前で起こっている戦いは、本当に現実のものなのか?少なくとも、一般市民達はそう呟く事しか出来なかった。




 やがて、盗賊王のナイフは底を尽きた。




「――ぐっ」




 しかしゼノスもまた体勢を崩した。神の定める領域を侵した速さは、流石のゼノスでも平然としていられない。




 ――そこを、盗賊王に突かれた。




『――死ねえっっ!』



 盗賊王はその巨躯な体格でゼノスへと近づき、その巨大な剣で――ゼノスを薙ぎ払った。




 ――ゼノスは盗賊王の予想外な一撃を受けてしまった。




「が、ァッ……!!」



 ゼノスの身体は勢いよく吹っ飛び、やがて地面へと強く叩き付けられる。鎧のおかげで致命傷は免れたが、全身にとてつもない激痛が走る。



 口から血を盛大に吐き、両膝を地面に付ける。両足は小刻みに震え、激痛はゼノスの意識さえもおぼろげにさせる。



 ――死。その言葉が、一瞬頭をよぎる。



「……いや、死んでたまるか」



 そう、ゼノスは死ねない。



 ここで死ねば、それこそ全てが終わる。



 もし自分が一人で戦っていたのならば、恐らくここで力尽きていただろう。全てを諦め、ただ死神の誘いに身を任せていただろう。



 『ゼノス、しっかりして下さい!――皆も、そして私もいますからッ!』



 朦朧とする意識の中、ゲルマニアの声がはっきりと聞こえてくる。



 ……そう、今は一人じゃない。



 ゲルマニアの声だけでなく、他の皆の声も聞こえてくる。皆が一様に、ゼノスを応援し、一生懸命支えようと努力してくれている。二年前までは味わえなかった感覚であり、溢れんばかりの闘志がゼノスの中を渦巻いていく。



 彼等の一言が、傷だらけの身体を立ち上がらせてくれ、リベルタスを握らせてくれた。



「……うおおおおおおおおおっ!」



 ゼノスは咆哮と共に立ち上がる。



 ――リベルタス、俺に力を。



『ちっ、死にぞこないが……ッ!』



 盗賊王マルスは再び緊張感を募らせ、尋常でない殺気を向けてくる。



 だが、それに臆するゼノスではない。今の自分には、この剣とゲルマニアが付いている。



「……負けられない。この勝利だけは、絶対に譲れない!」



『それは我とて同じ事ッ!その思い上がり、今ここで打ち砕いてみせよう!』



 盗賊王は迷う事無く、ゼノスに向って剣を振るう。



 見る者を圧倒させるその一撃は、瞬く間にゼノスへと襲い掛かって来るが……彼は動揺する事無く、ジッとその刃を睨み付ける。



 そしてリベルタスが、ゼノスの神経を研ぎ澄ませてくれる。



『――――な』



 怒涛の勢いは空しく散り、盗賊王に微かな戦慄が過る。



 ゼノスは何と――容易に巨大な大剣を受け止めてしまった。リベルタスを添える様に、宥める様に剣を遮ったのだ。



「……はあっ!」



 静かなる動きから一転、ゼノスは豪快にリベルタスを振り上げる。



 大剣はその力に耐え切れず、盗賊王はその大剣を宙高くへと跳ね飛ばされてしまう。



『ッ!?……貴様、どこからそんな力が』



「御託はいい。――真なる聖騎士の力で、果てろ!」



 敵の言葉に相槌する程、ゼノスは優しくない。



 すぐさま体勢を立て直し、リベルタスを二三回程振り払う。



 半月型の鋭利な真空波が発生し、弧を描く様に宙を舞い、そのまま盗賊王目掛けて急接近してくる。



『ッ、ッッ!こ、こざかしい』



 盗賊王は巨体に相応しくない、何とも軽快に跳躍する。……だが真空波は追尾する為に、舞い上がる盗賊王に容赦なく向かってくる。



 黄昏の光を浴びる盗賊王。圧倒的不利を悟ったのか、彼は両手をクロスさせ、真空波を受ける覚悟で身構える。



 多少の傷は問題ない。例え片腕が無くなろうと、もう片方の腕で奴を殺してしまえばよい。……単純明快、わざわざ逃げる必要がどこにある?



 ――だが盗賊王のその考えは、余りにも浅はかであった。



 ゼノスの真空波が攻撃する?……そんな事、いつ誰が言った?



「――――――馬鹿、なっ」



 どうやら、まんまと獲物になってくれたようだ。



 ゼノスの放った真空波は盗賊王の身体に付着した瞬間、光の輪となって盗賊王の両腕を拘束する。黄昏色の空に醜き全身を張り付けてしまう。



「聖騎士流法技、グレイプニル。――これを受けた先人達もまた、貴様の様に対処していたな。……だがその時点で、俺に勝つなど言語道断だ」



 黄昏に舞うもう一人の存在、それは正しく聖騎士ゼノス。



 砲弾の如く跳び上がり、逆風を押しのけて盗賊王の元へとやって来る。



 リベルタスを両手で掴み、ぐっと力を込める。



「――はああああああああっっ!」



 夕陽に照らされ、茜色の背景に映し出される二つの影。




 小さき影が――大きな影を斬り裂いて見せる。




『ぐ、お…………あ』



 低い呻き声は、腹を斬られた盗賊王のものだった。



 そこから流れ出て来るのは血――――いや、違った。



「…………ッ!」



 ゼノスは抗う事が出来なかった。



 流れ出る筈の鮮血は出てこず、代わりに緑色の粒子が滝の様に溢れ出てくる。夕焼け空と入り交じった粒子はやがてゼノスを覆う。



 桜吹雪の様に粒子は乱れ散り――ゼノスとゲルマニアにある幻覚を見せる。



 ……夢か現実か。



 未だ分からぬ粒子が見せるのは――ある男の全てであった。













 ゼノスの視界に映るのは、とある騎士の物語。




 騎士は幼い頃から両親に虐待を受けていた。貧乏だった騎士の家庭は重労働から疲弊し、その鬱憤を子供だった騎士にぶつけていた。



 母の為に作った花のネックレスは暖炉に投げられ、二度とこんな真似をするなと言われて殴られる。父の為に偉い人になろうと本を読み続けた結果、仕事もしない屑めと言われ、また殴られる。



 ――その後、騎士は遂に身売りに出されてしまった。安堵と不安が入り交じる中、彼は長時間馬車に乗せられて、同じ境遇の子供達と一緒に運ばれる。



 ……声を上げて泣いた時は、奴隷商人に腹を蹴られた。喉の渇きを潤そうと道端の泥水を啜っていた時に……同い年の村娘達に嗤われた。



 絶望……この酷い現実を味わった騎士は、ようやく買い取られた。



 そう――騎士は『奴隷』として村の領主に引き取られた。過酷な労働と、辛い八つ当たりの日々が始まる――ゼノスはそう思ったが。



 実際の光景は違った。領主はとても寛容な人物であったらしく、奴隷を酷使する事は無かった。……それどころか騎士を家族として扱い、同じ奴隷も騎士を兄弟として慕っていた。



 嗚呼……彼の顔にようやく笑顔が見えた。



 騎士は幸せな日々を送る事となった。あの家にいた頃とは嘘の様に気楽で、穏やかな生活を過ごる事とな

った。



 同じ村に住む少女と恋をし、同じ境遇の友と友情を育み、確かな絆を育んできた騎士。



 続くと思った永遠の平穏。変わらぬと信じていたこの喜び。




 ――しかし、ビジョンは残酷な光景へと移り変わる。




 村は死守戦争と呼ばれる戦争の舞台となり、一人の偉大なる騎士の過ちによって……恋人が、友人が、皆が死んでいった。



 自分の目の前で、炎に焼かれながら自分の名を叫ぶ恋人の少女。騎士を逃がす為に盾となり、代わりに死ぬ友人。



 ――近所のおばさん、いつもお世話になっていた店の主人、学校の先生、親代わりだった領主…………全員が絶命していく。



 騎士は泣き叫んだ。この世の不条理さを精一杯に憎み、妬み、そして生きる事に絶望をまた感じてしまった。



 二度目のどん底、立ち直れぬ心。




 だがそれでも、騎士は生きる事を諦めなかった。




 このような戦争は二度と起こしてはならない、その一心で彼はランドリオ騎士団へと入団し、平和と秩序の為に帝国へと仕えた。



 そして戦争から一年後の事だ。




 ――彼の元に、ある一つのカードが舞い降りる。




 不思議に思い、そのカードを取った瞬間――脳裏から少女の声が聞こえた。




『共に創りましょう、新たな世界を。人間を排除し、我等を主軸とした世界を』




 その声を聞いた瞬間、騎士の中に潜む悪意が芽生えた。



 自分の全てを奪った騎士に復讐が出来る。騎士として生きるよりも簡単に、この世界を上手く変える事が出来る、と。



 善意が悪意に変わる瞬間だった。



 騎士は高らかに笑い、シールカードを我が物とした。



 涙を流しながら……もはや善か悪かの区別もつかぬまま、シールカードという名の希望にすがる。





  ――このビジョンを期に、視界はまた元の場所へと戻った。















 気付くとゼノスは、ランドリオ城下町にある教会の屋根上に佇んでいた。



 目前には当然の如く、腹を押さえて呻く盗賊王の姿がある。



『……くく。人の人生を覗き見るとは……感心しない、な』



「やはりお前の記憶だったか。――焼き払われていた村は、間違いなくセイク村だった」



 そして、自分は彼等をよく知っている。



 死守戦争後、途方に暮れながら茫然としていたゼノスはセイク村へと訪れ……今の人達の亡骸を垣間見た。



 ……生き残った者達は、怨嗟を込めてゼノスを非難し、中には殺そうと掛かって来た者もいた。覚えていない訳が無い。



『……どうだ、思い出したか?あの時の絶望を……貴様の犯した罪を』



「思い出すも何も……俺は鮮明に覚えている」



 その言葉に、盗賊王は僅かに動揺を見せる。



『――だったら、だったら何故まだ戦おうとする?懲りた筈だ、戦いに。悟った筈だぞ、貴様の戦いは多くの犠牲を生むとッ!』



「……戦う事でまた救われる者達がいるならば、俺は戦いを止めない。――犠牲となった者達へ償う為にも、この業を背負っていくと決めたんだ」



「――ッ」



 刹那、盗賊王の姿が消えた。



 次の瞬間にはゼノスに斬り掛かって来ており、それを見切っていたゼノスは、リベルタスで素早く受け流す。



 だがそれでも攻撃を緩める事は無かった。腹から異常な程に出血していても、ある思いが彼を動かし続ける。



『貴様は、貴様はまた犠牲を出すつもりなのか?村の悲劇を帳消しにして、まだ戦おうとしているのかっ!?ふざけるな……ふざけるなああああああああああっっっ!』



「ふざけてなんていない!戦いから逃げれば、村での犠牲が無駄になってしまう…………俺は、彼等を只の犠牲者にしたくないだけだ!」



 自分は犠牲者に一生の時間をかけ、花束と祈りを捧げる資格など無い。一生彼等の親族に謝り続けていくのは、どこか違う気がする。それでは何も解決しないし、何も報われない。




 ――そう、戦いこそゼノスの償い。それで得た平和こそが、彼等への手向けとなる。




「これからの犠牲も、全て俺が背負おう。だがそれ以上に、人々を救い続けてみせる。――だから俺は戦うんだ、マルス!」



『…………』



 ゼノスの必死な叫びに、盗賊王は何も答えない。



 だが今の彼からは、怒りや憎しみ以外の感情が漏れ出していた。



『……ふ、はは。…………あはは』



 ふいに零しだす微かな笑い。



 それを期に、盗賊王は幾分か冷静さを取り戻していた。下卑た嘲笑をする事も無く、彼は瞳を閉じて沈黙に浸っていた。



 そして気付けば、盗賊王――いや、マルスは元の姿に戻っていた。目線もゼノスと同じ位置に来て、その表情は狂気に彩られていなかった。



 マルスはゼノスから距離を離し、剣の構えを解く。




「…………嗚呼、貴方は本当に不愉快な存在だ」




 彼は本来の口調、本来の声音に戻っている。沈み行く夕暮れを仰ぎ見、溜息混じりに呟く。



 今の彼を支配する感情は怒り――――否、『悲しみ』であった。



「……この私にとって、貴方はとてつもなく憎い存在。全てを奪い、この私に憎悪を植え付けた元凶。……だがそれと同時に」



 マルスは振り向く。



 涙を零しながら、続きを言う。





「――貴方は、私に勇気をくれた存在だった」





「…………マル、ス」



 ゼノスは動揺も隠せず、驚愕の色を示す。



 それは今のゼノスにとって、一番聞きたく無い言葉であった。



 嘘を言っている様にも見えない。あの涙がそれを物語り、複雑な気持ちは明確に伝わってくる。――だからこそ、今までと違った態度に驚いていた。



「何度も英雄譚を聞いて、何度も励まされていましたよ。……そして馬鹿な事に、奴隷の身分でありながら将来は聖騎士の下で、正義の騎士として国に仕えたいと……よく親友と語り合っていました」



「――ッ」



 マルスの語る過去。



 村が滅びる前の、まだ幸せだった頃の話。



 そう……マルスは聖騎士に対して憎悪だけ抱いているわけでは無い。内に様々な感情を潜めていて、先程までは憎悪と絶望が先走っていた。



 本当の彼は――尊敬と憎しみ、この相反した二つの感情に苛まれている。



「……運命とは、残酷なものですな」



 マルスは泣き続ける。もうどうしたらいいのか、ただ分からずにいた。



「…………ああ」



 ゼノスは相槌するしか無かった。



 同情、悲嘆、行き場の見つからない怒りを堪えながら、ただ聞き流すしか無かった。



 ――嗚呼ゲルマニア、お前も泣いているのか。



 ゼノスの脳裏から響くすすり泣く声。彼女は自分と似た様な境遇を聞かされ、深い同情に駆られているのだろうか?



 ……だが、それは一番思ってはいけない。



 今ここで対峙するゼノスとマルスは、既に理解している。




 ――例え心情を分かち合ったとしても、それは無意味に過ぎないと。




「うおおおおおおおおおおおおおおっっ!」



 マルスは愚直なまでに前進し、ゼノスへと斬り掛かる。



 シールカードの力を発揮する事も無く、ギャンブラーとして異様な力を発さず……在りのままの姿でだ。



 ゼノスは苦渋の表情を崩さないまま、その剣舞を避けて行く。



「――う、くっ。うう…………うああああああああああっっっ!!」



 ……彼は、マルスはまだ泣いている。



 情を殺そうと必死に叫び声を上げるが、まだ止まらない。



 ――馬鹿野郎。



 さっきのまでの勢いはどうした?あの吹っ切れた様な悪意は何処にいる?



「――マルスッ!」



 耐えかねたゼノスは、怒声によってマルスを硬直させる。



 騎士のマルス、復讐のマルスという相反した人格が渦巻く彼は、尊敬するゼノスの喝によって止まってしまった。



 その様子を見たゼノスは、更に厳しい態度で述べる。



「……迷いは騎士の恥だ。敵を目前にして戦意を喪失させ、無我夢中に剣を振り回す。それは一番やってはいけない行為だぞ」



 ――復讐に駆られるのもいいだろう。情に動かされるのも仕方ない。



 それが人の性というものだ。…………しかし、



 騎士はその感情を整理し、自分の信じる道を決めなければならない。



 迷いは愚の骨頂だ。見逃せない我等の大敵だ。



 だってそうだろう?もしも、もしも迷いを抱えたまま戦えば……




 ……絶対に、自分という存在が壊れてしまう。




「だから迷うな、潔く戦おう。――俺の名は白銀の聖騎士ゼノス・ディルガーナ。貴様を倒さんと願う者」



 ……その一言は、決別を促すものだった。



 自分をマルスの敵だと明確に認識させる為の誓い。騎士道精神に則った礼儀を、目の前の『同志』に示した。




 ――そう、もう後戻りは出来ないのだ。




 マルスも分かっている筈だ。……だからこそ、この思いが届くと確信している。



 ――結果は想像通りだった。



 暫く沈黙を貫いていた彼は、遂に涙を振り払った。



 そうだ、それでいい。



 ただ剣を向けろ。信じるがままに、己の意志を貫け。



 ……そうすれば、ずっと悲しまずに済むから。




「――私の名はマルス・コルヴェッティオ。尊敬していた聖騎士に裏切られ、復讐を誓った男!そして、貴方を殺さんとする者だ!」




 ……誓いは交わされた。



 様々な心残りはあるけれど、それは紛れも無い別れ。



 マルスは彼を尊敬するのを止めた。ただ狂乱に身を任せて戦うのを、自らの意思で止めた。



 対するゼノスも取捨選択した。



 彼への罪悪感を捨て、今やるべき事に全力を尽くすと。ゲルマニアとの約束の上に、その思いはこれを契機に強まった。



 ――そして、彼等は再び剣を交える。



 それは激しい攻防だった。



 足場の悪い屋根上にも関わらず、足の踏ん張りを重視しながら攻撃を避け、重心を意識しながら反撃を加えて行く。



 剣閃は絶え間なく繰り出され、互いが一歩も譲らない、一進一退の状況を展開させていた。



 ……だが、マルスは熟知している。



 これはあくまで前戯に過ぎない。聖騎士ゼノスの剣撃は、あの模擬試合のそれよりも重くない。好機を見計らっているのだ。



「…………ッ!」



 その気迫に押されたマルスは、戦況を有利にしようと先走る。



 両手で柄を持ち、溢れんばかりの力で頭部を叩き割らんとする。剣刃は豪風を押し退け、凄まじい音を奏でる。



 ――獲った。



 マルスはそう確信した……が、事はそう単純に行ってくれない。



 次の瞬間、マルスは瞠目する。



 頭を刈り取る筈だった剣は――急遽出現した兜によって阻まれていた。



 白銀の兜。ゲルマニアの力によって創造され、その形状は当時愛用していた兜と全く同じである。



「…………ぬかったな」



 ゼノスの言い放つその一言は、死神の宣告よりも恐ろしい。



 額に冷や汗をたらし、マルスは咄嗟に距離を取る。死の悪寒が過った彼にとって、これしか手段は見つからない。



 しかし死から逃がす事を、ゼノスが許す筈も無く――



「ぐ、ああっ!」



 先程使用していた折れた剣を投擲し、見事マルスの左腿に的中させる。深く突き刺さったのか、マルスはその場で転倒し、屋根から転落する。



 ……腿から血が吹き出し、落下の影響で全身を痛めるマルス。



 もう限界だ。如何にシールカードの加護を受けたとしても、先の戦いでとうに限界を超えている。だがそれでも、マルスは逃れようと……目前の、アリーチェや民達がいる場所に向う。



 ……一歩。また一歩。



 足を引き摺らせながら、虚ろな瞳で……当ても無いまま進む。



 マルスを見つけた民達は、皆口々に非難する。「この悪魔」だとか、「化け物」だとか……散々な言われようだった。



 そして遂に、マルスは処刑場の前にて膝をついてしまう。




 ――今の彼は、既に周囲の雑音など殆ど聞こえなかった。




 視界も狭まり……いつの間にか目前にいるゼノスを、ただ見上げる事しか出来ない。



 ――そうか、これが死の間際なのか。



 周囲の罵倒も聞こえず、何も見えなくなり……死んで行くのか。それを悟ったマルスは、茫然とするしか無かった。



「……もう、気は済んだか?」



 ゼノスは最後に声を掛ける。



 死期の近い同志に対して、優しい声音で。



「…………え…ええ。というか……もう体が、動きません…よ」



 マルスは血反吐を吐き散らし、酷く咳き込む。



 身体に大きな負担が掛かっていたのか、もうボロボロだ。



 そんな様子の彼に、ゼノスは言う。



「――覚悟はいいか?」



「…………ええ。お願い、します……」



 両者は全てを分かち合い、その上で淡泊な言葉を選ぶ。



 これが騎士同志の決闘であり、その終焉だ。



 ……さあ、マルス。



 最後は苦しませずに、お前を倒してやろう。





「――行くぞ。これが俺の、聖騎士流真の奥義だ」





 ゼノスは剣を両手に握る。――そして、



『――私も、一緒に振るいます』



 幻覚、あるいは妄想かもしれない。自分の手の上に重ねるように、半透明の細い手が乗りかかる。――ゲルマニアの手だ。



 彼女と共に剣を振り上げる。ゼノスとゲルマニアは天を見上げる。



 この技で初代の聖騎士は神を斬り裂き、二代目は魔王神を貫いた。



 その剣技、正にどの奥義をも超越せし最強の一撃。未来永劫の果てまでも、ただ主君と守りたい者を胸中に想い、守りたい一心を込めて放たれる正義の技。



 『天啓』――それは確固たる正義の意志を持ってこそ、本来の力を発揮する。




 ここに、その力発動せし二人の騎士現わる――





「『聖騎士流奥義、《天啓のリベルタス》』」





 リベルタス――それは自由。



 振り下ろす剣先から、幾重の白き翼が舞う。




 死は全ての者に平等と安息を与えてくれる。例え悪人だろうと聖人だろうと、悲しき者にも下される。




 マルスに――――偽りなき安らぎを




 翼はやがて、世界を包む絶対回避不可能である死の息吹となり、マルスの全身を容易く覆う。彼は抗う事も悲鳴を上げる事なく、『世界で最も安らかな死』を受け入れた。



『…………私は、何かを残して死ねるでしょうか』



 倒れ伏す直前、世界が遅くなる。



 どこか和やかな表情を醸し出しながら、仇敵たるゼノスとゲルマニアに問う。



『……はい。貴方は世界に平和のきっかけを作り、死んでいきます。――マルス、名誉ある騎士として死ぬのです』



 ゲルマニアの声音はどこまでも透き通り、明確なものだった。



 マルスは一瞬だけ、そう一瞬だけ微笑んだ。



『敵わないですね、ゲルマニア殿にも。……貴方だけは、こんな僕の唯一の理解者でもありましたし』



 先程とは嘘のよう、マルスは穏やかな口調だった。



『承知していました……。聖騎士殿に復讐しても、意味が無い事を。復讐しても……皆は帰ってこないと』




 マルスは細めた瞳で黄昏を見上げ――呟いた。





『――皆。僕も…そっちに……いくよ……。また一緒に……くら、そう……』





 その言葉を皮切りに、騎士マルスは絶命した。




 表情は、最後まで微笑んでいた。まるで解放されたかの如く――





 この日――哀れな騎士が死に絶えた。














 広場は喜びと興奮の歓声に包まれる。



 脅威は去り、人々は聖騎士の活躍を称えた。皇帝の死を嘆きつつも、彼らは新たな時代の幕開けに胸を躍らせる。



 しかし、ゼノスとゲルマニア、それに騎士団一行と姫は素直に喜べなかった。



 特にゲルマニアは、涙を堪えながらマルスの亡骸を見つめる。彼女は既に鎧化を解き、人間の姿となっている。



「……マルスは、元々優しい方でした。国の平和を第一に考え、私達騎士団の助けとなる為に精一杯従事していたんですよ……。それがなぜ、こんな事に」



「膨大な力が、マルスを魅了したんだろう。……苦悩の末に」



「……何で、何で私達を頼らなかったのですか……」



 意固地になったのは、けじめと思っていたからだろうか?それとも、頑固な性格からだったのだろうか?



 少なくとも、根本から悪でなかったのは確かだ。



 次にゼノスは、押し寄せてきそうな民衆を宥めるシルヴェリア騎士団と六大将軍を見つめ、更にその視線をリカルドの遺体へと移す。



 ――そして、ぼそりと呟いた。



「リカルド陛下。思想は邪悪だったが、貴方は確かに我が君主であった。……どうか安らかに、お眠り下さい」



 皇帝に猜疑心を持っていたのは事実、しかし幾分かの後悔を胸に死んでいった者を蔑む程、ゼノスは腐っていない。後悔の念は分からずとも、虚ろなその瞳がその後悔を物語っている。



 礼を正し、義を重んじる。――紛れも無い主君の死を実感し、ゼノスは自然と黙祷を捧げていた。



 ――それを終えたゼノスは、城に向かって歩を進める。



「……ゼノス?一体どちらへ」



 と、そこでゲルマニアは言葉を止めた。



 ゼノスから発せられる見事な怒気に、それ以上何もう言う事が出来なかった。




「……すまないがゲルマニア。今から城の方に向かう」




 ゼノスはそう言い残し、城へと走る。








 向かう先は――勿論、この『悲劇を作り上げた者』の所だ。











 

2017年1月24日に改稿完了しました

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